ナンバーガールを観た日

 朝8時に起きて、コーヒーを淹れる。やらなければならないことはあるのだが、うまく考えがまとまらなくて、洗濯機をまわす。洗濯物を干して、テレビを眺めているうちにお昼になっており、そばを茹でて食す。仕事に取りかかる気になれず、布団のシーツも洗濯して、部屋中に掃除機をかける。ずっとかけていたせいか、途中でバッテリーが切れてしまった。テレビには『ザ・ノンフィクション』が映し出されており、婚活クルーズのゆくえを見届ける。いつのまにか競馬中継に切り替わっており、関西では今年最後だというGIのファンファーレが鳴り響く。一番人気の馬が一着でゴールしたのを見届けたところで、もう15時45分だと気づき、急いで身支度をしてアパートを出る。

 喉が乾いている。駅の自動販売機でミネラルウォーターを買って飲む。飲んだ水がおしっこになるまで、どれぐらい時間がかかるのだろう。そんなことが気になり始めて、検索してみると3、4時間だとある。ああ、今飲んでしまうと、ちょうどライブ中に重なってしまう。もっと早くに飲んでおけばよかった。ライブ中におしっこに行きたくなったらどうしよう。そんなことばかり考えていると、地下鉄は二重橋前駅にたどり着く。どこで乗り換えるんだったか。出発のメロディが流れ始めると、ここで乗り換えるんだったように思えてきて、慌てて降りてしまったけれど、乗り換えは一つ先の日比谷駅だった。

 次の電車を待つよりも、歩いたほうが早いとGoogleマップが言うので、歩くことにする。なんだか気持ちがふわついている。長い地下通路を歩いていると、ふいに記憶がよみがえる。

 今年の2月、向井さんをゲストに迎えてトークイベントを開催した(その内容はウェブで読める)。会場は浅草にほど近い「Readin’ Writin’ BOOK STORE」。そこは本屋さんなので、楽屋として使える場所がないこともあり、開演までのあいだ、向井さんと近くの酒場に入ることになった。刺身の盛り合わせと、それにもう何品か、向井さんがツマミを選んで注文した。酒を飲みながら、何の話をしようかと緊張していた。トークの本題には触れないようにと考えをめぐらせていると、その日、MATSURI STUDIOのアカウントで「ZAZEN BOYSは現在レコーディング中」とツイートされていたことを思い出した。

 それはすこし不思議なツイートだった。新譜のリリースが発表されたのではなく、あくまで「ZAZEN BOYSは現在レコーディング中」である。それが気にかかっていたので、僕は向井さんに「今、レコーディングされてるんですね」と話を向けた。向井さんはお猪口を傾けながら、そうね、と言った。「明後日に、大きい情報が出るのよ。たとえば、たとえばね、今やってる大河ドラマに、俺が松鶴家千とせ師匠役で出るとかね。いや、出んよ? 出んけども、それぐらい大きい情報が出るわけ。それが出たときに、ZAZEN BOYSとしての活動がなかったことのように思われるのは嫌だから、書いておこうと思ったわけよ」と。

 その2日後に発表されたのが、ナンバーガールの再結成だった。そういえば大河ドラマは今日が最終回だったなと思っているうちに、有楽町線の改札にたどり着く。すぐにやってきた地下鉄に乗り込むと、ナンバーガールのTシャツを着た人を見つけた。なんだか緊張してしまう。そこから4駅で豊洲にたどり着く。一緒に電車を降りた人は皆同じ場所を目指しているように思えて、浮き足立ってしまう。いつもなら、知らない駅ではきちんと案内図を見てから地上に出るのに、何も確認せずに出てしまう。よくわからない場所に出てしまって、Googleマップを回転させる。早く行かなければと焦ってしまって、ライブ前におにぎりを食べておくつもりだったのに、コンビニに寄らずに会場に向かってしまう。

 空が赤く燃え始めている。こどもを自転車の後ろに乗せた母親とよくすれ違う。こどもは毛布に包まれて眠っている。そういえば僕の兄夫婦はこのあたりに住んでいて、少し前にこどもが生まれた。出産祝いを送ったものの、赤ん坊にどう接すればよいのかわからず、まだ遊びに行っていないことを思い出す。右手には高層マンションの群れがあり、隙間から東京タワーが見えた。道を曲がるとフットサル場があり、そこに併設されたカフェを見つけた。何か腹に入れておこうと立ち寄ると、店内は人でごった返している。ほとんどすべてのお客さんが今夜のライブを観にきた人たちで、ナンバーガールのTシャツを着ている人がかなりの割合を占めている。

 410円のホットドッグを買い求めて、自分でケチャップをかけ、かじりつきながら会場に向かう。開場は10分前に迫っており、豊洲PiTの前には人だかりが出来ている。ただ、整理番号が遅めの人はゆっくり会場を目指しているのか、思ったほどの混雑ではなかった。コインロッカーにコートを預け、係員に関係者受付の場所を訊ねると、入り口の隅のほうに案内される。関係者でこんな時間からやってくる人は他におらず、まだ扉が閉ざされた関係者受付の前で、気恥ずかしい気持ちになる。それに、会場を待っている、きちんと抽選に受かってチケットを手に入れた人たちに対する申し訳なさもある。

 ナンバーガールの再結成が決まってから、ライブがあるたび抽選に申し込んできた。でも、ことごとく抽選に外れ、チケットを手に入れることはできなかった。僕がライブを観るようになったのはZAZEN BOYSが結成されてからのことで、ナンバーガールを観たことは一度もなく、落選するたびに「そういう巡り合わせなのか」と思っていた。何人かに「向井さんにお願いしてみれば?」と言われたが、それは躊躇われた。ZAZEN BOYSのライブも、チケットを用意してもらって観たのは一度くらいだというのに、ナンバーガール時代を知らない僕が「チケットをお願いできませんか」とお願いするのは筋が通らないだろう。この豊洲PiTで開催されるツーデイズも、ことごとく落選し、諦めていた。Googleカレンダーには「ナンバーガール豊洲PiT」という予定を入れてあったけれど、すべての抽選に外れたあとでも消せずにいた。消す、という作業をすることで、「行けなかった」ということを再確認させられるようで、ずっとその予定は残ったままになっていた。

 「向井秀徳」という名前が携帯電話に表示されたのは、金曜日の朝だ。

 その表示を見た瞬間に、一瞬固まり、カレンダーに残ったままになっていた予定のことが思い出された。すぐに電話に出ると、「今度の土曜と日曜に、ナンバーガールのライブがあるんだけども、チケット取った?」と向井さんは言った。いや、ずっと抽選に申し込んでるんですけど、全然取れなくて。そう伝えると、向井さんはふははと笑い、「ゲストの枠があるんやけど、日曜、都合はどう?」と言った。すぐに「行きます、行きたいです」と答えて電話を切り、今日、こうして豊洲にやってきたのだ。

 17時に扉が開き、開場となる。関係者受付の扉も開き、名前を伝えて、パスとチケットをいただく。まだ入場が始まったばかりで、エントランスは静かで、不思議な感じがする。ちゃんとチケットを購入された方たちは、係員に先導されて入場している。事故が起こらないように、係員はゆっくりと先導している。せめて何かにお金を払わなければと物販に向かい、Tシャツを買い求める。白か黒と思っていたけど、鮮やかな色に惹かれて水色を選んだ。そしてトイレで用を足し、バーカウンターでビールを2杯購入し、フロアに向かう。一番後ろで見ようかと思っていたけれど、いざフロアに入ってみるとやはり前のほうで見届けたくなり、一段高くなったバーの端っこに居場所を決める。会場に音楽は流れておらず、静かで、緊張する。これからナンバーガールを観るのか。

 少しずつお客さんが増えてゆく。解散する前のTシャツを着た人の姿もある。その人たちは、今日という日をどれほど楽しみにしていたのかと考えると、途方もない気持ちになる。「あれ、一番前のブロックまで行けちゃうじゃん!」。若い男性が興奮気味に話しながら、ビールを片手に前方に進んでゆく。彼らはきっと、初めてナンバーガールを観るのだろう。そこにもまた別の興奮がある。

 17時50分、ベースの音が響く。そしてギターの音。ローディーのふたりがサウンドチェックを始める。初めてZAZEN BOYSを観た頃のことを思い出す。あれは2004年のこと。当時、プロレス専門チャンネルを観るためにスカパーに加入していて、基本パックとして視聴することができた音楽チャンネルをなんとなくつけて過ごすことが多かった。ある日、プロモーションビデオの映像が連続して流れていたところで、突然画面がライブ映像に切り替わった。そこにシャツをズボンにインした、眼鏡の男性が映し出されていた。その男性が「半透明少女関係を主張してみましょう」と語ると、ぎゅうぎゅうの客席から歓声が上がった。そこで奏でられたギターの音に、文字通り打ち抜かれた。それまであまりロックに興味がなく、音楽チャンネルを眺めながらも、そんなふうに画面を凝視してしまったのは初めてのことだった。すぐにインターネットで名前を検索すると、ホームページを見つけ、ライブ盤を通販で注文したことを覚えている。

 音源だけでは物足りず、直近で開催されるイベントのチケットを入手し、7月のある日、渋谷クアトロで初めてライブを観た。それまで自分でチケットを買ってライブに行くということも、ほとんどしていなかったように思う。渋谷で初めて観たライブでさらに打ちのめされ、「イベントではなく、ワンマンライブを観たい」と思った。ありがたいことに、ちょうど9月からセカンドアルバムのリリースツアーが開催されるところだった。僕は原付を購入したばかりで、「原付で出かければ、毎晩のようにライブが観られるじゃないか」と思い立ち、まずはツアー最初の地である帯広を目指した。ツアーはそこから札幌、函館とまわり、東北各地をめぐるスケジュールになっていた。

 札幌ではZAZEN BOYSのライブだけでなく、無戒秀徳アコースティック&エレクトリックのライブも開催された。そこは50人くらいしか入らない会場で、終演後にはそのまま飲み会が始まり、向井さんは椅子に座って飲みながら、観客ひとりひとりに「自分は何しとる人?」と話しかけていた。札幌に暮らしているわけでもないので、僕はなんだか気後れしてしまって、一番遠い場所からその様子を眺めていた。最後のほうになって、僕も「自分は何しとる人よ」と質問された。あの、東京で大学生してます。「大学生? ああ、実家がこっちで、夏休みだから札幌に戻ってきとるとか?」いや、実家は広島です。「広島? なんで札幌におるのよ?」いや、ライブをたくさん観たくて、東京から原付でやってきたんです――そう告げると、「ちょっとお前、こっちに座れ」と呼ばれ、あれこれ話して、最後はラーメン屋さんに連れて行ってもらった。あのラーメン屋さんは一体どこだったのだろう。まさか一緒にラーメンを食べに行くことになるとは思わず、呆然とするばかりだったので、店名のことはおぼえていないけれど、「自分は対象年齢35歳以上のつもりでやっている」と話していたことだけはおぼえている(あのときは35歳なんてずっと先のことだと思っていたけれど、気づけばその年齢を超えている)。

 その翌日には札幌でバンドのライブがあり、次は函館だった。札幌から函館を原付で移動するには300キロ近く移動することになる(羊蹄山ルートであればもっと近いけれど、帯広に向かう途中に峠でガス欠を経験したこともあり、遠回りになるけれど苫小牧経由で移動したのだ)。しかもその日は台風が近づいており、一日で移動するほかなかった。早朝からひたすら走り続け、函館に到着する頃にはすっかり日が暮れていた。しかも、最悪なことに、長万部セブンイレブンに立ち寄ったとき、財布を落としてしまっていた。それに気がついたのは函館に近づいてからのことだった。すぐに函館の警察署に駆け込むと、財布は無事交番に届けられていたが、函館から長万部は100キロ以上離れていた。財布が届いているのであれば、どうにか今晩の宿泊費を貸してもらえないだろうか。警察官にお願いしてみたのだが、「いや、警察は銀行じゃないんでね」と断られてしまった。ポケットに小銭は入っていたけれど、宿代はおろか、長万部まで移動するガソリン代があるかどうかも怪しいところだ。何より、すぐ近くまで接近している台風を、どうやってしのげばいいのだろう?

 警察署の前で途方に暮れていると、通りの向こう岸を、賑やかに歩いている集団がいた。こっちは財布を落としたっていうのに。勝手な苛立ちをおぼえて、むっとした表情で集団を睨んでいると、そのうちのひとりが視線に気づき、通りのこちら側に渡ってきた。男性は僕の顔を覗き込んで、「あれ、札幌に観にきてたよね?」と言った。ああ、この人もザゼンファンで、あの会場にいたひとりだったのか――そう思っていると、男性は振り返り、「向井さん、原付の青年ですよ!」と言った。何が何やら理解できないまま、男性が話しかけたほうに目をやると、Tシャツの襟を頭にひっかけ、雨除けにして歩いてくる向井さんの姿があった。僕が混乱したまま「向井さん、財布落としたんです!」と口走ると、向井さんは立ち止まることなく「ラーメン食いに行こう」と言った。

 ラーメン屋さんに入ると、まずは瓶ビールと餃子を注文した。しばらく向井さんはスタッフの方と仕事の話をしていたが、それが終わると、「青年、財布落としたか」とこちらに向き直った。財布自体は見つかったのだと伝えると、「そうか。まあ、百パー中身は取られとるけどな」と向井さんは言った。それもそうだよなとうなだれていると、向井さんはおもむろに財布を取り出し、中に入っていた4万円を抜き取り、「これ、とっとけ」と僕に差し出した。いやいや、財布は見つかっているので大丈夫ですと慌てて断ろうとしても、「いいから、とっとけ」と向井さんは繰り返した。あまり断り続けるのも失礼かと、何度目かで受け取り、財布を受け取ったらすぐに返しますと、僕はお礼を言った。「いや、返さんでいい」。僕の目を見ながら向井さんは言った。「返さんでいいから、誠意を見せろ」と。

 その日は結局、スタッフの方と一緒の部屋に宿泊させてもらえることになった。その部屋で、ナンバーガールを観たことがない僕に、スタッフの方がライブDVDを見せてくれた。その映像の中に、ZAZEN BOYSのローディーをしている人の姿も映り込んでいることに気づいた。違うバンドになっても、そうして続いていく関係もあるのかと思ったことをおぼえている。

 あれからもう15年が経つのか――。振り返ってみると、あっという間だったような気がする。でも、そのあいだ、何度となくZAZEN BOYSのライブを観てきた。「誠意」とは何だろうと考えながら、いろんな土地でその演奏を聴いてきた。でも、今日はZAZEN BOYSではなく、ナンバーガールなのだ。サウンドチェックの音を聴いていると、いよいよ始まってしまうのかと緊張が高まり、ビールも飲めなくなってしまった。

 18時ちょうどに、会場がふっと暗転する。這い上がるように歓声が湧き、「マーキームーン」が流れ出す。暗転した瞬間だけでなく、ずっと歓声が湧き上がり続けている。しばらくしてステージが明るくなり、酒を手にした向井さんを先頭に、メンバーが姿をあらわす。こんなふうに向井さんがステージに登場する様を、何度観てきたことだろう。だが、そこに続く3人の姿は(アヒトイナザワさんは初期のZAZEN BOYSで目にしてきたけれど)これまで一度も目にしたことがなかった。これは一体、何が起こっているのだろう。よく見慣れたはずの風景と、一度も目にしたことのない風景とが入り混じっていて、どうしても頭の理解が追いつかない。

 「マーキームーン」の音がフェードアウトしてゆく。観客の高揚は一段と高まり、あちこちから歓声が上がり続けている。ギターがイントロを奏でる。「年末、夕暮れ。銀座並木通り。人混みかき分け、勝鬨橋のボルトのあかぎれ。今日も、鉄のように――」。鉄という言葉に、観客の興奮はいよいよ最高潮に達する。「――鋭い風が、吹いています」。そうして最初に演奏されたのは「鉄風 鋭くなって」だ。そこから「タッチ」、「ZEGEN VS UNDERCOVER」と続いていく。風景がねじれて見えてきたのは、「Eight Beater」あたりからだった。その曲のライブ音源を、僕は何度も耳にしたことがある。そして、今目の前で演奏されているのは、たしかにその曲だ。でも、たとえばそのイントロで奏でられるギターの音色は、その音源とは違っている。それは、ライブごとに音が違っているという話ではなく、それは今の向井さんのフレーズなのだ。

 混乱と興奮が渾然一体となっているところで演奏されたのは、「IGGY POP FANCLUB」だった。あの曲を、今聴いている。それはとても不思議な時間だった。僕がライブを観始めた頃から、弾き語りでナンバーガールの曲を演奏することはあった。でも、「IGGY POP FANCLUB」と「Omoide in my head」を演奏することはなかった。それはきっと、バンドだから演奏する曲であり、しばらくのあいだ聴くことはなかった。今では弾き語りでも演奏されることはあるけれど、ナンバーガールの演奏を聞く日があるとは、思ってもみなかった。これまで何人かと、向井さんの音楽が好きだということをきっかけに親しくなった人がいる。大学の同級生にも、大人になってできた数少ない友人にも、取材を通じて知り合った相手にも、いる。知人と一緒に飲むようになったのも、思い返してみれば、彼女が「ナンバーガールが好きだ」と言っていたことがきっかけだった。いろんな人が頭をよぎり、全員に「いま、ナンバーガールを聴いてるよ」と話しかけたいような衝動に駆られる。しかもそれは、これまで何度も観てきたライブ映像とは違っている。田渕ひさ子さんによるギターソロは、これまで聴いたどの音源とも違う今の音で、ずば抜けて格好良い音が鳴り響いている。

 疾走感あふれる「裸足の季節」が終わると、「気づいたら、夏だった、風景」と向井さんは語る。「あるいは、ワタクシがそのとき観た姿は、いや、確実に――」。最初のフレーズを別にすれば、これに近いフレーズを、先日のZAZEN BOYSでも耳にした記憶がある。ZAZEN BOYSであればきっと、「天狗」か「TANUKI」が始まるところだ。でも、口上はこう続く。「あの姿は透明少女でした」と。

 その言葉に、観客が爆ぜるように盛り上がる。男性がふたり、ダイブして流れていくのが見える。最近はZAZEN BOYSのライブでも若い客層が増えている感じがするけれど、今日は若さに溢れている。その若さというのは、必ずしも実際の年齢層のことと重なる話ではないのだろう。

 「透明少女」が終わると、夕焼け小焼けで日が暮れて、と向井さんが歌い出す。向井さんから突然電話があり、浅草で飲むことになったのは、ちょうど1年前の12月のことだ。その日、向井さんは松鶴家千とせ師匠の舞台を観て、それに感銘を受けたらしかった。それ以降、向井さんはライブでしばしば「夕焼け小焼け」を歌うようになった。今日も「カラスと一緒に帰りましょう」のところまで歌い、最後の節を唸るようにしばらく歌い続け、隣にいる田渕さんも向井さんも思わず少し吹き出したところで、「わかんねえだろうな」とつぶやく。そうして「Young Girl Seventeen Sexually Knowing」が始まる。それを聴いていると、すべては繋がっていたのだと思えてくる。

 向井さんが松鶴家千とせ師匠の舞台に感銘を受け、そこにブルースを感じ、自分もそれに近いものをやっているのだと感じたのは去年のことだ。でも、今、こうして「Young Girl Seventeen Sexually Knowing」を聴いてみると、そこで歌われているのはまさしく夕焼け小焼けの時間であり、そこにはブルースがある。

 ライブは続く。「Num Ami Dabutz」を聴いていると、ずいぶん昔の記憶がよみがえってくる。あれはまだ、ZAZEN BOYSのウェブサイトに向井さんの日記が掲載されていた頃のことだ。何かのきっかけで、大学生ぐらいの若者と遭遇した際に、イラク戦争に反対するメッセージ(かなにか)を出さないのかと問われて、俺が音楽をやるだけだと答えた――と、うろおぼえだがそんなエピソードが記されていたことがある。今に比べると、ナンバーガールの「Num Ami Dabutz」にしても、ZAZEN BOYSの「Instant radical」にしても、政治的なメッセージを直接的に歌っているわけではないけれど、現代の情勢に対する意識というものを感じさせるところがあった。ZAZEN BOYSの最新作である――といってもリリースから7年が経過している――『すとーりーず』や、今年のライブで披露された新曲から、そういった感触を感じることはない。その違いについては、今年の2月に開催したトークでも語られていたように思う。

 向井さんはずっとCITYを歌い続けてきた。年齢ごとに変わってくる感覚があるのだとすれば、CITYに対する感覚も何か変わってきたことがあるのか。僕がそんな質問を投げかけると、向井さんはこう答えれてくれた。

 

街を変化させようとする勢いが確実に激しくなっているような感じというのは、肌で感じてますね。ただ、街というものは新陳代謝していくもので、しょうがないことなんだなとも思いますね。渋谷の再開発に対しても、「その再開発の波に乗っていかなければいけない!」という焦りみたいなやつはないんですよ。それはたぶん、年齢なのよ。もし若いときだったら、もっとガツガツした気持ちが生まれたかもしれない。でも、そういうのはないね。私は福岡から東京へ出てきてからずっと渋谷区民なんですけど、渋谷区にはなんとかアンバサダーという役割があるの知ってますか。昔、アンバサってジュースがありましたけど、ジュースじゃなくてアンバサダー。俺も渋谷区民だし、もうちょっと若いときであれば「何かをアンバサしたい!」と思ったかもしらんけど、全然思いませんね。

 

 トークの中で向井さんは、「街の見え方というのは、年齢を重ねるごとに変わってきた」ところもあるけれど、その一方で「夕暮れ時にはこんな気分になるっていうのは変わらない」とも語っていた。年を重ねるに連れて、輪郭がはっきり見えてきたものがあるのだろう。そんななかで歌い上げられる「Num Ami Dabutz」は、より一層尖ったものとして、線の太いものとして響いてくる。ライブを観るまで僕は、「あの曲がまた聴けた」という、懐かしさが前面に出たライブだったらどうしようと、余計な心配をしていた。でも、それはまったくの杞憂だった。

「Sentimental Girl’s Violent Joke」、「Destruction Baby」ときて、「Manga Sick」に差し掛かったところで、あることに気づく。ここまでずっと、曲に合わせて体を揺らしながら聴いてきたけれど、この曲に合わせて足を動かそうとしても追いつかず、足が釣りそうになる。DVDで観ていても、音源を聴きながら歩いていても、首を振ったり、くーたまらんと酒を呷ることはあっても、あまり立った姿勢で足を揺らしながら聴いたことはなかったのだなと初めて気づく。「SASU-YOU」、「ウェイ?」。「U-REI」のイントロが始まると、向井さんは後ろに下がり、一段高くなった(?)ドラムセットの段に立ち、ジョーカーのように両手を広げる。そうして玩具の拳銃を取り出し、客席に向かって構える。これはどちらだろう。「U-REI」が収録されているのは2000年にリリースされた『SAPPUKEI』で、そこには「ハンパな強がり TOKYO来てから?」というフレーズがある。今日のライブでも、まずこのフレーズを語ってから、演奏に入っていた。上京して20年が経ち、向井さんの中に去来するものは――そして観客の中に去来するものは――一体何だろうと、観客席を思わず見渡す。それは僕には推し量りようもないけれど、輪郭がはっきりしてきたのは間違いないということを、勝手に確信する。

 「Tatooあり」、ギターの唸りに、もう、茫然とする。なんと格好良いのだろう。

 ここで向井さんは、ようやくお酒のおかわりを頼んだ。ライブが始まって1時間以上が経過しており、ZAZEN BOYSのライブに比べると随分ゆっくりしたペースだ。運ばれてきた酒を受け取ると、「この類のドリンクをブラックライトの部屋で飲んでると、発光したように見えるんですね」と向井さんが語る。会場からは笑いが起きる。近くにいた若者が「絶対なんかやってんじゃん」と笑っている。若者よ違うのだよと、妙に年配者然と話しかけたくなる。ブラックライトで光るというのはおそらく単純な事実だろう。でも、もし光らなかったとしても、それが光ったように見えるというのは、やっているなんてことでは全然ないのだ。そんなことを思っていると、向井さんは酒を呷り、「その風景を歌にしてみましょう」と、「水色革命」に入っていく。そこで歌になった風景の、なんと瑞々しいことか。ライブの終盤で印象に焼きついたのは、瑞々しさとギラつきだ。「水色革命」に続いて演奏されたのは「日常に生きる少女」で、イントロの轟音に向井さんは思わず酒を手に取って煽り、間奏で中尾憲太郎さんは弾きながら後ろに倒れ込んだ。こちらもたまらない気持ちになり、トイレに行きたくならないようにとちびちび飲んできた酒を呷る。どの曲も、何度も繰り返し聴いてきたけれど、言葉を体感するような感覚があった。それはとりわけ、次の「転校生」で感じたもので、「案外、思い出すのはそんな風景」という言葉が際立って響いてくる。そして、それに続けて演奏されたのは「Omoide in my head」だった。

 「福岡市博多区からまいりました、ナンバーガールです。ドラムス、アヒト・イナザワ」。

 その言葉とともに演奏が始まると、観客席まで灯が照らされ、視界が明るくなる。目の前に広がる光景の中で、そこにいるほとんどすべての人が拳を掲げているのではないかと思うほど、たくさんの拳が掲げられている。イントロで観客は一様に飛び上がり、ひとり、またひとりとダイブしていく。そこでは「思い出」という言葉が違って聴こえた。これまでは、どうしても思い出してしまう過去に主軸が置かれているように思っていたけれど、そんな記憶に引きずられながらも、今この瞬間にわたしたちはいるのだと強く感じた。それにしても、この曲を何度聴いたことだろう。飛び跳ねる観客の姿もあいまって、涙が溢れてしまう。ラストに演奏された「I Don’t Know」まで、過去の懐かしさではなく、紛れもなく今の鋭さが、ギラつきが、瑞々しさが溢れていた。それを強く感じたのは、アンコールのラストで再び演奏された「透明少女」だった。

 『月刊ドライブイン』を出していたとき、向井さんのもとには毎号送りつけていた。向井さんはそれを読んでくださって、時折感想を送ってくれた。あるとき、「あなたの文章にはセツナミーがある」と感想を伝えてくれたことがある。そのセツナミーは、僕の中に元からあったものではなく、向井さんの歌を聴き続けるなかで育まれたものだと思う。そして今日、ここで受け取ったギラつきと瑞々しさを受け取って、また何か書かなければと思いながら、アンコール後に無言でハケてゆく姿を見送った。

 ライブにしても演劇にしても、終演後に楽屋を訪れるということは滅多にしないようにしている。ただ、今日はお礼を伝えなければと、終演後のフロアでじっと過ごし、関係者の方たちと一緒に楽屋まで案内してもらった。そこにはアサヒスーパードライが用意されており、僕も一本いただくことにする。ほどなくして、向井さんが姿をあらわす。気後れして隅っこにいると、向井さんが「ああ、はしもっちゃん」と声をかけてくれる。

「あれ、ナンバーガールは観たことあったんやっけ?」

「いや、僕はZAZEN BOYSで初めて観たので、ナンバーガールは観たことなかったんです」

「そうよな。そんなことを言いよったもんな」

まだライブの余韻で、耳がうまく聴こえず、自分の声のボリュームがよくわからないけれど、感想を伝えておかなければ。

「これまでずっと、僕は映像と音源でしか聴いたことがなくて、それはずっと昔に存在していたはずのものだったのに、それが今の音として届いてくるっていうのは、時空が歪んでるような感じでした」

 そう感想を伝えると、「そうね。なんやろうねこれは。不思議な感じがするね」と向井さんは笑った。僕はアサヒスーパードライをもう1本お代わりして、今日という日を噛み締めながら帰途についた。

10月4日

 7時半過ぎに起きる。布団に寝そべりながらパソコンを広げ、琉球新報を読んでいると知人が目を覚まし、「今、2種類のメロンパンの違いを説明してたのに」と言い、再び眠りにつく。朝日新聞の朝刊にも目を通して、昨日茹でておいた茹で玉子を食す。シャワーを浴びて、コーヒーを淹れ、昨日の夜に音源が届いていた対談のテープ起こしに取り掛かる。昼、セブンイレブンに行き、『週刊文春』をぱらぱらめくり、喜多方チャーシュー麺おかかのおにぎりを買って帰る。

 午後も引き続きテープ起こしを進める。15時頃にお越しを終えたものの、まだレイアウトが届いていないので構成にかかれず、RKSPの連載第2回で取材したお店の音源を起こす。17時過ぎに小腹が減り、冷蔵庫を開けると伊勢うどんが入っていたので、知人に確認をとった上で茹でて平らげる。麺が太くて驚く。19時にテープを起こし終わり、スーパーに買い物に出かける。今日は中華にしようと思って、麻婆豆腐と焼き餃子を作れるように買い出しをして、迷いに迷った挙句、金曜日だからとビールを2本買って帰ったのだが、アパートについてしばらくすると、「今日は遅くなる」と今更な連絡があり、ふてくされながら資料を読んで過ごす。

 23時頃に知人が帰ってきたあと、しばらく飲み続けていると、明日京都で観るつもりの公演が、当初は上演時間が100分だと発表されていたのに、今日になって「130分に変更となりました」と出ているのに気づく。30分の違いというのはかなり大きな変化だ。作品というのは完成してみないとわからないものだとはいえ、制作の見込みが甘過ぎるのではないかと、なぜか知人に不満を述べる。京都に泊まっていくならともかく、日帰りなので、21時37分の最終の新幹線に間に合わせなければならない(そもそも、「100分」と発表されているのを見て、終電より何本か早い新幹線をすでに予約してあるのだが)。つまり、終演から乗車まで1時間を切ることになる。劇場は駅からなかなか離れた場所にあり、夜だとバスの本数も少ないから、本当に乗れるか不安だ。そういうことを考えていると、招く側は結局のところ移動費や滞在費に自腹を切っているわけではないからではないかと、ひねくれたことを考えてしまう。

 ひねくれてしまうのは、酔っ払っているからだろうか。昨日の夜に、その作品に関する稽古場のルポがウェブに掲載されており、そのチームとは交流が薄いとはいえ、「ああ、そういう仕事を俺に振らないんだな」なんて考えてしまっていたけれど、お酒を飲んでいるとそんなふうに考えてしまうことが多い気がする。ただ、そのルポを書かれた方が、今日になって「渡航費も滞在費も自腹だ」とツイートされていて、それはそれで一体どういうことなのだろうなと不思議に思う。稽古をほぼフルで見学していたとあるけれど、稽古場というのは誰に対してもひらかれているものではない。自腹であることをわざわざ発表したことも含めて、どういう経緯があったのだろうなと考えているうちに眠りにつく。

10月3日

 昨日はお酒を飲まなかったのに、8時半まで眠っていた。まずは茹で玉子を作り、食べながら琉球新報を読む。1面から3面まで、アメリカが日本に新型中距離弾道ミサイルを配備する計画を進めているという記事でほぼ埋め尽くされている。情報元となっているのは「ロシア大統領府関係者」へのインタビューであるのだが、名前も明かされていないところが気にかかる。それは、「名前も明かされていない記事は信じるに値しない」ということではなく、「そのようにしてロシア側の意向がリークされること(およびその場所としてメディアが用いられること)」に対して思うところがある、ということだ。実際、「関係者」が発信しているメッセージは、ミサイルが配備されればロシアとしても日本にミサイルを向けざるを得ず、それでは北方領土問題が進展するはずもない、というものだ。メディアの側も、この取材にメッセージを持たせようとしており、「そんな中、日本政府は時代遅れの米海兵隊の軍事基地を沖縄に造ろうとしていることをどう思うか」という質問を投げかけている。これに対して「関係者」は、「時代遅れではない」と第一声で断った上で、「沖縄の軍事基地を米国が必要としているのは米軍機を展開できるからだ」「米国の軍事専門家は大なり小なり今後2、3年に米国と中国の軍事衝突は避けられないとみている」とコメントしている。続けて朝日新聞を読んでみると、これに関連した記事は一切掲載されていなかった。もちろん「新型の中距離弾道ミサイルを沖縄に配備する」ということは、決定事項として発表されたことではないけれど、アメリカが中距離核戦力廃棄条約を更新せず、8月2日で失効させたのは、この同盟とは無関係である中国がミサイル開発を進め、10月1日の軍事パレードでも脅威となる新型ミサイルがお披露目された今、アメリカとしても中国を牽制するためのミサイル配備を考えているのは確かだろう。琉球新報の記事を読むと、アメリカの新聞や雑誌では、中距離核戦力廃棄条約が失効したことを受けて、アジアに新型中距離ミサイルを配備するのは間違いないだろうという議論が掲載されているようだ。でも、今日の朝刊だけでなく、過去の記事を検索してみても、朝日新聞では「中距離弾道ミサイル」に関する記事は8月以降ほとんど掲載されていない(数少ない例外が、玉城デニー県知事が全国キャラバンでこの問題に言及した記事くらい)。こうして二紙を併読していると、「本土」と沖縄の距離を改めて感じる。琉球新報を読むようになって、せめて「こんな記事が掲載されていた」ということを沖縄以外に暮らしている人の目に留まったらなと、気になった記事のことをつぶやいているけれど、今朝のこの記事に関するツイートは2つ「いいね」がついただけだ。その数時間後に、「水口食堂」でアジフライを食べたツイートに21個も「いいね」がついているのを見ると、別に政治的なことを訴えたいわけでもないけれど、なんだか唸ってしまう。

 新聞を読み終えるとジョギングに出た。不忍池の少し手前で引き返す。シャワーを浴びて、バスで浅草に出る。「水口食堂」に入り、まずは瓶ビールとアジフライを注文。皿に3枚も載っており、これだけでほとんどお腹いっぱいになりかけていたけれど、せっかく「水口食堂」まできたのだからと、炒り豚も食べた。僕はたまねぎがそんなに好きではないのだけど、ここの炒り豚に入っているたまねぎはとても美味しく感じる。

 14時ギリギリに「フグレン」に行くと、お店の前でKさんが待ってくれている。コーヒーをご馳走になりながら、そして向かいの「正ちゃん」に入れ替わり立ち替わりやってくるお客さんを眺めながら、ぽつぽつ話す。1時間ほど話したあとで、近況についてあれこれ話す。仕事に関連した話をしていたところで、「もうちょっと食べ物のことについて踏み込んでもいいと思う。踏み込んでも、全体が崩れることはないと思う」とKさんが言う。いつも痛いところを突かれる感じがある。2時間ほどで店を出て、Kさんと別れる。そのままバスのりばに向かったものの、せっかく浅草まできたのだから、どこかで1杯飲んで帰ろうかと引き返し、ホッピー通りを歩く。でも、小洒落た若者ばかりで、ここで飲むことが本当に楽しいと思えているのか、と自問自答して、結局バス停に引き返した。

 千駄木3丁目でバスを降りると、少しだけ雨がぱらつき始めている。「越後屋本店」に立ち寄り、アサヒスーパードライを注文すると、すみません、10月に入って値上げしたんです、とお店の方が言う。アサヒスーパードライは350円から370円に、琥珀エビスは400円から420円になっている。雨が本格的に降り始めるのではと心配になって、急いでビールを飲み干して、買い物をしてアパートに戻る。20時に帰宅した知人と晩酌。鯖のみりん干しや、総菜屋で買ったマカロニサラダやナスの煮浸しをツマミにチューハイを飲んだ。テレビが改編期に入っているので観たい録画がなく、Amazonプライム・ビデオで『万引き家族』を観た。樹木希林に圧倒されたけれど、映画としては最後の30分くらいでだれてしまう。モノローグに聞き入るということは、とても難しいことだと思う。

10月2日

 8時に目を覚ます。茹で玉子を食べて、ハードディスクレコーダーの設定をして、アイフォーンとも連携させる。ただ、アイフォーンだとイヤホンを差したままでは充電できないので、古いiPad miniにも連携アプリをインストールしようとしたのだが、ダウンロードできなかった。僕が持っているiPad miniは初代のもので、とっくにサポート対象外になっており、2代目のiPad miniでさえサポート対象外になっているらしかった。10年使わせてもらうこともできないのかとゲンナリする。

 

 新聞を読む。昨日はゆいレールが延伸したとあって、琉球新報はこれを何面かに渡って報じられている。始発電車に乗車したレポートも掲載されており、記者の方は新たに開業したてだこ浦西駅から乗車している。始発駅であるてだこ浦西駅から浦添前田駅までの描写を読んでいると、「上り線は3分、990メートル。そのうち約660メートルはゆいレール初の『トンネル区間』だが、外の暗さのせいか、記者は気付かなかった」とある。いくら外が暗いとはいえ、夜明け前の暗さのトンネルの暗さはまったく別物で、音も違っているはずだ。しかも、ゆいレール初のトンネル区間となれば、まったく違った印象を受けるはずだ。それを気づかない記者なんているのかと驚きつつも、少しほのぼのした気持ちにもなる。

 ここ数日は増税に関連した記事も掲載されているが、「タクシー 未明に行列/値上げでメーター更新」という記事が出ている。9月30日の夜遅くには、那覇市港町の沖電子に、料金の値上げに対応したメーターに切り替えようと、タクシーが行列を作ったとある。増税の影響はいろんなところに出ているのだろうけれど、タクシーメーターを切り替えるために列ができているという風景を、僕は一度も思い浮かべることがなかった。いろんなところで、いろんな風景を予測して、先回りして取材している人たちがいるのだなと思う。

 昼、納豆オクラ豆腐そばを平らげて、『別冊K』の構成仕事に取りかかる。ああでもない、こうでもないと思いながら、あれこれ手を加える。夜になってようやく完成し、メールで送信。19時過ぎに帰ってきた知人と夕食をとる。豆腐入りのつくねと、さんまだ。普段は家でさんまを焼かないけれど、昨日ひと口だけ食べたせいで、もうちょっと食べたいという気持ちになったのだ。まずは録画を消化するべく、先日特番で放送された『時効警察』観る。連ドラで放送されていた頃は観ていなかったけれど、なんとなく「ヒットしたドラマだ」という情報だけ頭に入っていたので、こんなにつまらないドラマなのかと愕然とする。小ネタの入れ方や、会話やシーンの転換――まったく場所が切り替わるというよりも、一つの部屋で過ごし続けながらも、話題が転換するときの作法――がいかにもお芝居的で、10数年前はまだこういうモードを楽しめていたかもなあと思いながらも、やはり2019年の今となっては有効期限が切れたものだとしか思えない。なぜこれを再生しようと言い出したのかという視線を知人に向けると、「いや、23時台に観るのはこれがちょうどよかったんよ」と知人が言い訳する。

 21時半に観終わり、楽しみにしていた『有吉の壁』を追っかけ再生する。皆面白かったけど、大笑いしたのはやっぱりシソンヌだ。そして、「ブレイキしそうなキャラ芸人選手権」で、とにかく明るい安村が本名の「安村昇剛」で披露した芸に胸を打たれる。「東京って、すごい!」と言ったのち、ばたばたと動きながら、北海道の、田舎の、控え目で、おとなしかった俺が、東京にきて、20年経ったら、恥ずかしくもなく、こんなことができる、と節に乗せて言う。その瞬間に、芸人たちはスタンディングオベーションで手を叩きながら大笑いしている。ほとんどドキュメントである。見終えたあと、本編ではカットされた映像をHuluで視聴していると、再生が終わったところで、初回の『有吉の壁』が再生され始める。そこにもとにかく明るい安村の姿がある。当時はまだブレイク真っ只中だったのに、バリカンで頭の真ん中を剃って笑いを取っている姿が映し出される。その姿はすごく印象に残っているけれど、数年経って改めて観ると、ほとんど感慨深いものがある。

10月1日

 7時に起きる。J-WAVEをかけ、別所哲也の番組を聴いていると、「こじらせ家事男子」という言葉が紹介されている。たとえば僕のように、洗濯に対してやたらとこだわっている面倒くさい男をそう呼ぶのかと思って聴いていたけれど、どうもそうではなさそうだ。あるグループが、「職場で女性に差別的である人ほど、家庭で家事をしない傾向がある」はずだと思って社会調査をしたところ、反対に「職場で女性に差別的である人ほど、家庭で家事をする傾向がある」という結果が出たのだという。その流れで別所哲也が「皿洗いやゴミ出しぐらいはやっていかないと」と発言していて、このご時世に、と思う。

 茹で玉子を食べながら、琉球新報朝日新聞を読む。石垣島で買ってきてから重宝しているピパーチに関する記事がある。ピパーチは八重山でしか食べられておらず、沖縄本島では馴染みが薄いので、これを普及させる活動をしている男性が紹介されているのだが、今まで「ピバーチ」だと思っていたが、「ピパーチ」と表記されている。この1ヶ月間、ずっと間違っておぼえていた。

 朝日新聞は紙とデジタルを両方取っていたけれど、紙だと東京を離れている期間が無駄になってしまうので、昨日でデジタルだけの購読に切り替えた。販売所に電話をかけるとき、別に新聞を読むのをやめるわけないのだと伝えたくて、「紙とデジタルを取っていたんですけど、デジタルだけに絞ろうと思ってまして」と余計な断りを入れたけれど、販売所の人からすると新聞を読み続けるかどうかなどどうでもよくて、紙で取ってくれなければ何の意味もないだろうなと後になって気づいた。

 昼近くになって、昨日ネット通販で注文したハードディスクレコーダーが届く。すぐに設定にとりかかるも、アパートの壁にあるテレビの穴は、テレビの数年前から使っているハードディスクレコーダーで塞がっているので、分配器が必要だと気づく。設定を中断して、近所の八百屋に出かける。停まっていたトラックに何気なく視線を向けると、紙パックの梨ジュースが置かれている。梨ジュースなんてのもあるのか。アパートに戻り、納豆オクラ豆腐そばを作って平らげたのち、F.Yさんを取材した原稿を完成させる。

 16時過ぎ、千代田線で日比谷に出て、有楽町のビックカメラへ。テレビの分配器とブルーレイディスクを購入し、ソーダストリームのボンベを交換する。増税当日だからだろう、心なしか空いている。ビックカメラを出て、東京駅方面に向かって歩く。銀座インズの角を曲がると、途端に寂しい風景になる。どこかの地方都市のようだ。八重洲ブックセンターはこんな大きさだったっけかと不思議な感じがする。東京駅のJRバスの窓口に行き、予約していたチケットをキャンセルして返金してもらう。隣ではアジア系の若者がやりとりしていたのだが、「とにかく、ここに小銭を持ってこられても困りますから、銀行で換金してきてください。この時間に営業してるかどうか、わかりませんけどね」とあしらわれている。来年にはオリンピックが開催されるのになと思う。

 山手線で大塚に出て、北口にある酒場へ。つい数日前にも大塚を訪れているけれど、日が暮れたあとで歩いてみると、印象がまた違ってくる。屋台村みたいな場所が作られていて、駅前には小洒落たビルがあり、サラリーマンが合コンのような飲み会を開いているのが見える。それは星野リゾートが手がけたビルだと後で知った。今日から知人は文美さんの作品を手伝っていて、稽古終わりで飲んでいるところに混ぜてもらう。今年初のさんまを食べる。19時に一度おひらきとなり、知人、それに以前から「もふさんと飲みたい」と言ってくれていたこーじさんとで、文美さんが作品を制作している現場からすぐ近くにある「あら井」という酒場に入り、日本酒を飲んだ。こーじさんが「地元の人を喜ばせたい」と言っている言葉を、しみじみ聞く。僕にはそんな気持ちがまったくないのだと語ると、「ほんとに、人として何かが欠落してる」と知人が言う。こーじさんはもう少しすると一旦地元に帰るそうだが、狩猟をしたり米づくりしたりするつもりらしく、それを言葉にしてくれたらいいのになと思う。そして、しばらく飲んだところで、僕がこーじさんに会いに行って言葉にすればいいのか、と気づく。

 21時過ぎに店を出て、千駄木まで帰ってくる。アサヒスーパードライをたんまり買い込んで、ついにナンバーガールの再結成ライブを観る。おとといWOWOWで放送されたものを、最高画質で録画しておいたものの、どのタイミングで観ればいいのか決めかねていた。ほろ酔い加減になった今日、思い切って再生ボタンを押す。

9月30日

 7時に目を覚ます。最近は知人より早く起きられなかったのに、お酒を飲まなかったせいかスパッとした目覚めで、少し面食らう。酒が抜けていく感じがある。抜けきった爽快感ではなく、昨日は飲まなかったのに、内臓からアルコールが滲み出してくるような感じがする。天日干しされているような気持ち。洗い物をしていると、今日が9月30日「月曜日」であり、ひょっとすると今日から新しい朝ドラなのではと調べてみると、やはりそうだ。急いで録画予約をしたあとで、今期の詳細を調べてみると、「朝ドラの原点に戻る」とあり、戦後という時代と女性の成長を描くドラマになるとある。一気に興味を失いながら、コーヒーを淹れる。

 知人は昨日まで、さいたま新都心で開催されていたパンのイベントでアルバイトをしていて、余ったパンを持ち帰ってきてくれた。パンは2個あり、僕は迷わずパン・オ・ショコラを選んだ。昨年の秋にパリを訪れる前に『アメリ』を観返して、パリでもパン・オ・ショコラを食べた記憶がある。「パン・オ・ショコラが好きなんて、知らんかったけど」と知人が意外そうな顔をする。『アメリ』の中でどんなふうに登場したのかはもはや覚えていないけれど、パンを平らげる。シャワーを浴びて、琉球新報朝日新聞を読んだ。今日は玉城デニーが県知事に当選してから1年であり、東海村の臨界事故から1年だという。東海村の事故のことを「どこか遠い世界の出来事」としてしまったことが福島の事故に繋がってしまったという言葉がある。

 午前中はインプットの時間にしようと、dマガジンで『週刊ポスト』の連載記事もいくつか読んだ。大竹聡さんの連載「酒でも呑むか」は「月見の酒について」。月見酒を楽しむために、保温水筒に燗酒を詰めて予行演習に出かけた話。こういう話は読んでいて楽しいなあ。誰かがひとりで小さな世界を過ごしている話。その愉しみを誰かと共有しようとするのでもなく、ただひとりでやっている感じが、しみじみ「いいなあ」と思う(と同時に、自分がどんな文章を書いていこうかとボンヤリ思い浮かべる)。『男の隠れ家』が「DEEP沖縄」という特集を組んでいるので、これもパラパラとdマガジンでめくるも、『男の隠れ家』という感じだったのですぐに読み終える。

 昼、納豆オクラ豆腐そばを作る。ここ数日は「温」で作っていたけれど、天気予報が東京は30度まで上がると報じていたので、今日は「冷」で作る。午後、パソコンとICレコーダーの中身を整理する。録音しっぱなしになっていたデータたちに、中身がわかるようにタイトルを変えてパソコンに移す。そこに編集者のAさんから電話があり、しばらく前に提案していただいていた『AMKR』での連載が正式に決まったと伝えてくださる。頑張らなければ。ついては一度関西で打ち合わせをという話になり、ちょうど今週末に京都に観劇に行くつもりだった旨を伝えると、「ああ、KYOTO EXPERIMENT?」とすぐに話が通じて、僕なんかが大先輩であるAさんに言うのもおこがましい物言いではあるけれど、さすがだ、と思う。お金がないので、往路は高速バス、復路のみ新幹線のつもりでいたけれど、往復の新幹線代を出してもらえることになり、すごく得した気持ち。高速バスのチケットはもう手配していたので、キャンセルの手続きについて調べる。

 コーヒーを飲みながら、9月22日にF.Yさんのアトリエでオーダー会を取材したときのテープ起こしをして、原稿を考える。16時過ぎ、少し集中力が切れてきたところで、請求書の発行やメールの返信など、事務作業にとりかかる。『月刊ドライブイン』と『不忍界隈』の通販の申し込みがあったのを思い出し、発送手続きもする。ストアーズのサイトから「増税に対応した設定をしてください」と連絡があったことも同時に思い出して、「増税に対応した設定」というのは何クリックかすれば済む話なのだろうけれど、増税にまつわることなんて考えたくないと思って、すべての在庫をゼロにして、実質的に店じまいとする。

 ポストに投函しにいくついでに、スーパーマーケットで買い物。朝から活動しているせいか、まだ外は明るいというのに、ちょっとくたびれている。アパートに戻っても原稿を考えられず、玉ねぎをみじん切りにしたり、筍を細かく切ったり。19時に知人が帰ってきたところで、再び原稿を考える。ある程度道筋を立てておいて、カレー作りに取りかかり、作りながら原稿の流れを思い浮かべる。20時半から「晩酌」。知人はお酒を飲んでいるけれど、僕は今日もソーダにレモンを絞って飲んだ。アルコールだと何かが麻痺して延々飲んでいるけれど、ソーダだと、1リットルを超えると呑むペースが落ち着いてくる。チビチビ炭酸水を舐めながら、それはおしっこの頻度が増すわけだと思う。

 「晩酌」をしながら、『凪のお暇』のラスト3話を一気に観た。ドラマの序盤、高橋一生はどうしてこんな演技になってしまっているのかといぶかしく思っていたけれど、あれにはすべて意味があったのだなと思う。良いドラマだった。と同時に、ここ数十年のドラマが――いや、近代という時代における物語が――描いてきたことは一体何だったのだろうと思う。家と家族の呪縛に追い込まれながらも、そこから自立して生きていこうとする。“家”から独立することや、“家”の崩壊は、ずっと前に描かれたモチーフであり、それが片付いた(かに見えた)からこそ、都市での生活を謳歌するトレンディドラマがあったはずだ。でも、『凪のお暇』で扱われている問題は、片づいたかに思われていた問題ばかりで、この数十年の物語は現実の問題を何も動かせなかったのではという気持ちにもなってしまう。

 これはこの数十年の物語を批判しているわけでも、『凪のお暇』を批判しているわけでもなく、むしろ良い作品がたくさんあると思うけれど、でも、それが現実の生きづらさを改善できずに、『凪のお暇』にしても、『セミオトコ』にしても、根底の尊厳のところにまで立ち返り、「生きてていいんだよ」というメッセージを、登場人物のほぼすべてが「私」の話を聞いてくれる状況を元に描いている。こうした物語を書かなければと作家が思うほど、現実は疲弊しているのだなと思う。繰り返しになるが、『凪のお暇』は良いドラマであったけれど、そこで描かれるのはオルタナティブな時間の可能性であって、オルタナティブということはつまり、本流は何一つ変わらず流れ続けているということでもあり、世界が変わるなんてことは起こるのだろうかなんてことを思う。知人は隣で号泣し続けていて、メガネの下の縁でティッシュを挟んで、いちいち涙を拭かなくていいようにしておいて、ずっと号泣している。

9月29日

 8時過ぎに起きる。茹で玉子を茹で、コーヒーを淹れて朝ごはん。昨日は晩酌しながらあれこれ食べた上に、先日の『アメトーーク!』で懐かしく思っていた「パイの実」まで食べてしまった。最近は身体が重く感じることが増えつつあり、眠っているときも身体をねじってしまっていることが多いので、久しぶりでジョギングに出る。不忍池の少し手前で引き返し、スーパーマーケットでオクラだけ買って帰る。

 アパートに戻ると、シャワーを浴びる前に階段の掃き掃除をする。埃にまみれて、シャワーを浴びる。最近、何枚かのバスタオルがまた臭うようになってきているので、鍋で煮沸した上で、桶に移して漂白剤に浸け、洗濯する。洗濯物を干し、琉球新報を読んだ。10月1日に延伸となるゆいレールに関する記事がいくつもある。東海岸まで再延伸訴え/上間・西原町長「MICEに必要」という記事。西原町東海岸側にあるのだが「東海岸と西海岸の経済格差是正のために大型MICEが必要だ」と訴えている。そのためには交通手段の確保が課題であり、そのためにもゆいレールをさらなる延伸をと訴えているという。たしかに、観光客の多くは沖縄の西海岸沿いを訪れていて、東海岸側となると、タコライス発祥の地であり、基地の街の佇まいが残る金武町を訪れるくらいだろう。

 ただ、西海岸側でも事情は様々あり、「『素通りのまち』脱却へ」という記事もある。観光客が訪れるのは、浦添のもう一つ北側にある宜野湾あたりからで、浦添は素通りする観光客がほとんどだ。そこで、この延伸を機に、ゆいレールの駅周辺に大型商業施設や刊行拠点施設を整備する動きが進められてきたそうだが、延伸には間に合わず、3年後にオープンするのだという。土地区画整理組合の理事長が語る「30年前、この地域は陸の孤島と言われていた」「モノレール延長でダイヤモンドを掘り当てた感覚だ。老若男女で活気に満ちて、全国のモデルになるまちをつくりたい」という言葉が紹介されているが、その期待が空回りに終わらなければいいなと願う。しかし、観光以外に道はないのかとも思ってしまう。

 昼、納豆オクラ豆腐そばを食す。午後は来年の企画を考えて、やりたい企画のうち、ひとつを説明するテキストを考えた上で、相談しようと思っている方にメッセージを送っておく。夕方になって買い物に出かける。豆腐入りつくねに再チャレンジするつもりだったが、珍しくハタハタが売られていたので、そちらを選んだ。そして、レモン3個入り198円の袋も買い求める。今日、ふと、自宅でお酒を飲むのをやめてみようと思い立った。最近、知人と話していたときに、「高田馬場に住んでいた頃は、なんであんなにお金があったのか」という話になった。たしかに当時は毎晩のように外で飲んでいて、1軒で終わらずハシゴ酒することも多かったけれど、最近はもっぱら家で飲んでいる(のにお金は手元に残っていない)。

 たしかに、どうしてあんなに飲み歩けていたのだろう。それと同時に、なぜ自分は今、アパートで酒を飲んでいるのだろう。高田馬場に住んでいた頃は、「家でもよく飲むんですか?」と聞かれれば、「外で飲むのは好きだけど、家ではあんまり飲まないですね」と答えていた。その気持ちは今でも変わっていないのに、外で飲み歩くお金を節約しようと、家で飲んで過ごしている。お酒が好きだという以上に、酒場が好きで飲んでいるのだから、よく考えれば家で晩酌をする必要はないのだ。それに、酒を飲んでいるときは録画を消化していることが多いが、飲んでいるせいであまり記憶に残らないことが多い。

 久しぶりにジョギングしてみて、改めて思ったのは、もっとトレーニングするように情報を入れなければということだ。「食べたいときに食べる」のではなく、ホットドッグの大食い選手権ぐらいの勢いでインプットしていかなければ、もっと仕事を残していくことはできないだろう。テレビを観るのも、新聞や雑誌や本を読むのも、もっとホットドッグを押し込むように、そして習慣的に食べていかなければ駄目だ。自宅で過ごす日は日が暮れる頃には晩酌を始めているけれど、もう少し違う過ごし方をしなければと、ふいに思い立った。録画を観るにしても、自分は「酔っ払いたい」という気持ちがあって酒を飲んでいるわけではなく、「何かを飲みながら観たい」と思っているだけなので、今日は炭酸にレモンを絞って飲んで過ごすことにする。

 20時過ぎ、もやしのピバーチ炒めときゅうりをツマミに、録画したテレビ番組を観始める。昨日、知人と一緒に観始めたものの、「これ、何が面白いの?」と言われて途中で止めていた『あざとくて何が悪いの?』観る。田中みな実弘中綾香が司会でこのタイトルであれば、あざといと言われようが何と言われようが、他人の目線なんてどうでもよくて、私は私のやりたいように生きていく――という内容を期待していたのに、ただただ女子の行動に「あざとい!」とツッコミを入れていくばかりだ。弘中アナは先日、『オードリーのオールナイトニッポン』に出演した際に「夢は革命家」と語っていて、いいねと思っていただけに、残念な気持ちになる。23時近くになって知人が帰宅して、ハタハタを焼き、『凪のお暇』を観ながらレモンハイもどきを飲んだ。