4月9日

 6時半に目を覚ます。つけっぱなしのテレビの中に、玉城デニー沖縄県知事が紫のマスク姿で映し出されている。今朝の琉球新報の一面トップにも大きな文字で「来県自粛 全国に要請」と書かれている。この1週間のあいだで、しばらく沖縄に足を運ぶのは無理だろうとあきらめていたけれど、こうして大々的に報じられると、ほんとうに行けなくなったのだなと感じる。紙面――といっても電子版で読んでいるのだけれども――をめくっていくと、「先生また来てね 教え子ら見送る/本部・水納小中『離岸式』」の見出しを見つけた。生徒の減少で休校となり、島を離れることになった先生たちを「児童や島民、観光客ら」を見送ったのだという。それは3月30日の出来事。ゴールデンウィークを前に、その小中学校でワークショップを行ってからもう5年が経つのか。

 新聞を読み終えると、念入りに掃除機をかける。少し前からトイレに赤カビが生え始めていたけれど、トイレはなんとなく知人が掃除する場所だという振り分けに(僕の中では)なっていて、しばらく放置していた。でも、トイレにも掃除機をかけたついでに、洗い落とす。あとになって起きてきた知人を「カビが生えてきよるの、気づいとったやろ」と問い詰めると、「気づいとったけど、まだ粘れるなと思って」という。

 シャワーを浴びて、4月に入ってから伸びっぱなしになっていた髭を剃る。取材の予定も消えたことだから、その証に伸ばしておこうかと思っていたのだが、ふと気になって「髭 衛生」で検索してみると、やはり「髭は雑菌だらけ」という記事がいくつも出てくる。なんとなくホコリやら花粉やらウィルスやらを付着させてしまいそうだなと思っていたけれど、「髭が生えていると触ってしまうので、雑菌の温床となる」とある。なるほど、言われてみればやたらと触っている! 納得したので、すべて剃り落とす。

 コーヒーを淹れて、たまごかけごはん。昼、近くの八百屋に出かけるもオクラがなく、納豆豆腐そばを食す。オクラが抜けると、途端にまめまめしくなる。今は天気がよいけれど、夕方から下り坂となり、夜には雨が降るという。それを考えると憂鬱になる。仕事が溜まっているらしく、知人は帰りが遅くなるという。夜の過ごし方といえば、酒場に繰り出すか、知人とテレビを眺めながら晩酌するか、だ。酒場がやっていなくとも、天気がよければ缶ビール片手に徘徊することだってできるけれど、今日は雨だ。こんな日がずっと続くのか。気分が塞ぐのでカーテンを全開にする。シャボン玉がひとつだけ飛んでゆく。昨日もひとつだけ飛んでゆくのを見た。

 仕事はあまり捗らなかったけれど、テープ起こしだけはなんとかやり終える。夕方、ソファに転がって家風の随筆を拾い読んだ。そうこうするうちに18時だ。どうしよう。雨が降り始めているけれど、散歩にでも出ようか。でも、雨の日に散歩に出るのもなあ。やっぱり外出はあきらめて、今更ながら確定申告の準備にとりかかる。去年稼いだ額を知り、経費を計算して、所得を割り出す。取材しなければ仕事にならないぶん、交通費と宿泊費がどうしても大きくなる。だから経費を差し引くと、残るのは少ない額になる。そうすると税額は安くなって助かるけれど、それはつまり、「稼げていない」ということでもある。

 『new every.』では、今日の東京都の感染者が180人を超えたと報じられている。緊急事態宣言を受け、閑散とした渋谷の街が何度か映し出される。コロナに関するニュースを報じるたび、藤井キャスターが「今日の感染者というのは、およそ2週間前の行動によるものだと言われています、2週間後にこの数字を変えられるように、今は行動しましょう」といったニュアンスのコメントを述べる。言い換えればそれは、未来はわたしたちの手の中にあるのだということになる。ニュースキャスターとしては異質にも感じられるその言葉の手触りが、妙に印象に残る。

 気づけば19時過ぎだ。セブンイレブンに出かけ、封筒とビールを買い求める。セブンイレブンの向かいにあるマンションのベランダに、小さなこどもの姿がある。この街に暮らすようになって2年半が経つけれど、そこに誰かが立っているのを初めて目にした。こどもはシャボン玉を飛ばしていた。君やったんやな。セブンイレブンまでは歩いて60秒くらいの距離だ。この距離を飛んできたというのは、しかもそれを偶然目にするというのは、なかなかの確率だ。アパートに戻ると、仕分けた領収書を封筒に分けて仕舞い込んで、保管しておく。餃子を焼き、原田郁子『銀河』を聴きながら、『cocoon』を読み返す。

4月8日

 8時に起きる。コーヒー豆が切れてしまったので、坪内さんのお通夜でいただいた1杯用のドリップコーヒーを淹れる。今日が最後の1杯だ。シャワーを浴びたあと、汗が引くまで服を着ないままコーヒーを淹れて、キース・ジャレットを聴きながら琉球新報に目を通していると、起きてきた知人が「スタバに丸裸がおる」と笑う。ごはんを解凍して、たまごかけごはんを食べる。11時過ぎに自転車で出かける。近くの小学校のグラウンドは静まり返っている。桜が花を散らしている。春爛漫だ。

 自転車をこいでいると、どこにだって行けるのだという気持ちになってくる。前からずっと持っていたけれど、今のアパートには駐輪場がなく、雨ざらしになってしまうので玄関前(2階)に置いている。自転車を上げ下げするのが億劫で、最近は乗る機会が少なくなっていた。新しい乗り物を手に入れると爽快感がある。ポケモンで自転車を手に入れたとき、ドラクエで船や飛行船を手に入れたときの気持ちを思い出す。最近は電車に乗ってばかりで、移動する気が失せかけていたけれど、これがあれば(天気さえよければ)どこにだって行ける。

 まずは「往来堂書店」へ。扉は開けっぱなしになっている。入ってすぐの棚に文芸誌が並んでいる。昨日買わなかった『文藝』も手に取り、数冊の書籍と一緒に買い求める。文庫棚の売り上げ1位の枠は空になっていて、そこには「本日『ペスト』の入荷はありません」と貼り紙がある。これは洒落として貼り出されているのか、判断に少し迷う。「やなか珈琲」に立ち寄り、昨日注文しておいた豆300グラムを買う。あとから常連とおぼしき客がやってきて、僕越しに店員さんと会話を始める。この状況を抜きに考えてもムッとしてしまうけれど、どうしてマスクもせずにそんな大声でしゃべるのかと思ってしまう。「俺、自粛とかするタチじゃないからさ」とその客は笑っていた。

 団子坂を上がり、本郷通りを折れて、「青いカバ」。ここも扉は開けっぱなしにしてある。今後の資料となりそうな本を何冊か買っておく。仕事に影響は出てますかと尋ねられて、取材は全部なくなりましたけど、読書委員があるから、家賃はなんとか払えそうですと答える。そう答えた直後に後ろめたさを感じる。

 後ろめたさ?

 「青いカバ」には何人かお客さんの姿があった。近所の様子もいつもと変わるところがなく、緊急事態宣言が出たとはいえ、昨日と今日とで何も変わっていないように思える。しかし、今日から図書館が完全に閉まってしまった。これは原稿を書く上でとてつもなく痛手だ。調べ物も制限されるし、読んでいた本に出てきた引用箇所を調べようにも、原点に当れなくなってしまう。帰りにスーパーに寄る。レジには「感染防止のため、1.5メートル離れてお並びください」と貼り紙が出されており、それにしたがって並んでいると、後ろに並んでいた高齢者にカゴでグイグイ押され、睨み返す。

 先月沖縄に出かけたときのことをそろそろ書かねばならず、まずはテープ起こしをしなければならないのだが、昨日原稿を書き上げた余韻があり、仕事に取りかかる気になれなかった。ちょろちょろっとやって、昼寝して、魔法瓶からカップにコーヒーを注いで飲んで、ちょろちょろっとテープ起こしをやっているうちに日が傾いてくる。ゴールデンウィーク前の書評欄は特別編成となるらしく、取り上げる本を10日までに連絡して欲しいと言われていたことを思い出し、この本でお願いします、とメールを送っておく。

 こんにゃくの炒め物と、コールスローを拵える。コールスローとは何と完璧なツマミだろう。こんなに簡単に作れて、飲みながらチビチビ食べるのに適している。最後に麻婆豆腐を作り、19時、知人と一緒に晩酌を始める。今日は『有吉の壁』のレギュラー放送が始まる日だ。ほぼリアルタイムで追いかけ再生をしながら、2時間笑いっぱなし。久しぶりに愉快な気持ち。

4月7日

 7時過ぎに目を覚ます。つけっぱなしのテレビから、ボリス・ジョンソン首相が集中治療室に移されたと速報が流れる。画面の中、時刻の横には「やめよう!買い占め」という文字がずっと表示されている。コーヒーを淹れて、日記を書く。朝はたまごかけごはん、昼はセブンイレブンで105円のレトルトカレーを買ってきて、米を炊き、メークインを1個レンジで温めて、具沢山カレーにして平らげる。午後、気合いを入れ直して、原稿を書く。昨日のうちに9400字まで書き進めていたけれど、終盤に大きく手を加えて、書き進める。16時半に書き終える。しかし、これは、面白いだろうか? 友人であるFさんに向けた「手紙」ではあるけれど、たくさんの人が読むに耐えうるだろうか? ウェブで公開するのに13000字という長さが何よりネックになりそうだと、ショートバージョンも編集して、一緒に送信する。

 午前中に届いていた宅急便を開封する。金曜日にあるはずだった取材に向けて、購入していたリングライトだ。以前、『AMKR手帖』で取材したとき、商品を撮影しようとしたところでリングライトを持ってきてくれて、商品を照らしてくれたことがあった。飲食店を取材して、料理も撮影するのだから、あれくらいの簡易的なものでも持参したほうがよいだろうと、数日前にAmazonで注文していたのだ。今のところは使い道がなくなってしまったライトを取り出す。あまりキチンと調べずに買ってしまったけれど、常にUSBケーブルを繋いで充電しながら出ないと撮影できないようだ。2千円もしなかったから、このくらいのものだ。インスタ映えのお供にと買う人が多いのだろう。ライトでじゃがいもを照らしてみたり、自分を照らしたりしながら何枚か写真を撮る。

 テレビ画面には「緊急事態宣言」という文字が大きく表示されている。これから記者会見があるようだ。知ったことかと部屋を出て、自転車のタイヤに空気を入れ直し、走り出す。不忍通りをひた走り、池袋に出る。「古書往来座」をのぞく。しばらく前から新入荷の棚に置かれていた『河上音二郎と貞奴』、(今日描き終えた原稿からの流れで)なんとなく今読むべきような気がして、買い求める。「ジュンク堂書店」(池袋本店)に移動し、他の棚は見ずに『文學界』だけ手にとって、レジに向かうと長蛇の列だ。「最後尾」の看板を持った店員までいる。こんなに列が伸びているところに初めて出くわした。

 駅の近くを自転車で通り抜ける。「ジュンク堂書店」の向かいにある「みつぼ」は、いつもは満席になる時間だけれども、ソーシャルディスタンスが保たれる程度の客入りだ。近くの「バシトン」も空いている、「一杯目無料」の看板に後ろ髪を引かれながら通り過ぎる。ファミリーマートに入り、黒ラベルのロング缶を2本と、トリスハイボールを買い求め、南池袋公園。まだ桜が残っている。あまり人がいない場所に腰かけ、缶ビールを開け、『文學界』を――というより平民金子「バイバイ」を――読む。どうしてこの書き手に原稿依頼がもっと殺到しないのだろう。この1年くらいで初めての著書を出した(広めに見積もって)同世代の書き手は何人かいて、ぼくもそのひとりであるけれど、かなわないなと思うのはこの書き手だけだ。

 5人組の若者がやってきて、何枚かゴザを敷き、花見を始める。にわかに公園が騒がしくなる。今日は気温が低く、座っていられなくなったのか、立ち上がって駆け回っている。そして15分と経たないうちにゴザを畳み、ゴミ箱に放り投げ、去ってゆく。公園は再び静かになる。ひとりで芝生に寝転んでいる人。ひとりでベンチに腰掛ける人。二人組でも、しゃべるでもなく、ぼんやり過ごしている人もいる。なんて優雅な世界だろう。大きな月が出ている。今日が満月なのだろう。満月から、友人のA.Iさんのことを思い出す。「今から公園で飲みませんか」と誘ってみようかと思ったけれど、さすがに――と躊躇していると、「今日はスーパームーンですよ!」と、そのAさんからメールが届いて驚く。

 しかし、さすがに誘うのは憚られるので、今日は大人しく帰ることにする。さきほど立ち寄ったファミリーマート、除菌スプレーとキッチンペーパーが並んでいたことが、ずっと焼きついていた。引き返して、棚を見る。除菌スプレーはキッチン用のものだ。ただし「付け替え用」で、スプレーの部分はついていなかった。成分表示にアルコール濃度が書かれておらず、しばらく悩んだけれど、買わずに棚に戻す。キッチンペーパーはもうすぐなくなりそうなので買っておく。キッチンペーパーも、ドラッグストアであまり見かけなくなってしまった。帰り道、雑司ヶ谷霊園に立ち寄る。Googleマップを頼りに、永井荷風の墓かを探す。自転車のライトを取り外し、小道に入ると、樹々に囲まれた場所に「永井荷風墓」という文字を見つけた。ライトで照らしてしまって、申し訳ないような気持ちになる。最近いくつか読みまして、あの、誕生日が同じなんです。と、そんなことを心の中でつぶやいていても仕方がないので、一礼してその場を去った。

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4月6日

 8時過ぎに起きて、コーヒーを淹れる。そろそろ豆がなくなりそうだ。関西滞在中の計画を練る。前に海辺から見上げた須磨浦山上遊園に行ってみたいなと思う。カーレーターはどんな感じなのだろう。本棚から『ごろごろ、神戸。』を取り出して、拾い読みする。どうしようか迷っていたけれど、H.Kさんに「須磨浦山上遊園に行きませんか」とダイレクトメッセージを送る。普段であれば、そもそも誰かを誘うことに躊躇いを感じるけれど、今はそんなことよりも、東京から移動した上で「会いませんか」と誘うことに抵抗をおぼえるけれど、えいやっと送信。

 それから1時間と経たないうちに電話がかかってくる。今週金曜日に予定されていた取材が中止になった旨が告げられる。その雑誌は、今日以降はお店に対する取材は一切中止とすることになったそうだ。なにか変わりに書いてもらえる話はあるかと尋ねられたので、取材がないにしても関西には足を運ぼうと思っていて、須磨浦山上遊園は営業しているようなので、そこで目にした風景を(あらたに取材したこととしてではなく、過去に目にした風景という体で)書くのはどうですかと提案する。電話の相手は、苦しそうに、親会社が公に近い企業であることを考えると、雑誌のために移動して何か起きた場合を考えると、移動しないで欲しい、と言う。そんなこと言いたくないだろうに、そんな話をさせてしまったことを後悔しつつ、何か考えてみますと伝えて電話を切る。

 どうしようか。

 「取材のため」でなく、僕が個人的に関西に出かけることを止める権利は誰にもないだろう。事態が大きく動く前に、明日のうちに塩屋に出かけ、明後日の昼に須磨浦山上遊園に行くことにしようか。時刻表を調べる。東京駅から西明石まで、ひかりで3時間強だ。「新幹線 換気」で検索する。新幹線は定期的に車内の空気が入れ替わるように設計されているという。なるほど、心強い。心強い?――ひかりに乗車する時間を想像する。もしも同じ車両で咳き込んでいる誰かがいたときに、自分は「換気はされているから大丈夫」だと穏やかに過ごせるだろうか。きっと心の狭さが行動に出てしまう気がする。

 取材がなくなったというのに、それでも移動したいと思ったのは、H.KさんとEさんと話がしたいと思ったからだ。日付にこだわってしまう性格なので、ちょうど1ヶ月前の3月7日にお酒を飲んで、3月8日に須磨の海岸沿いを歩いたときのことを思い出す。だから今月も、7日の夜に一緒にお酒を飲んで、8日のお昼に散歩をして、あのとき海辺から見上げた須磨浦山上公園に行ってみたい。でも、もしも自分がすでにウィルスを持っていたらどうなるだろう。感染を広めてしまうリスクを冒してまで、「移動して誰かと話す」ことを貫くことを、「自分にとっては正しい行動だ」と言い切れるだろうか。

 知人に「取材とんだで」とLINEを送る。「そらそやろ」と返ってくる。それでも関西には行くだけ行こうと思っていると伝えると、「いくべきやないやろ」と知人が言う。いや、徒歩圏内とはいえ毎日出勤を続けて、感染のリスクを追っている人から「いくべきやないやろ」と言われる筋合いはないよねと、もうすでに何度か繰り返したやりとりをする。そうやって自分を正当化しようとしても、いまいちそれを信じ切ることができず、自分から誘っておきながら申し訳ないけれど、「やっぱり行かないことにしました」とH.Kさんにメッセージを送り直す。

 原稿は書き終えられなかった。18時過ぎ、マスクを使うのはもったいないので、タオルを手に外へ出る。よみせどおりで知人と待ち合わせて、まずは「小奈や」でモダン焼きを注文する。ボエーズのグループLINEにムトーさんが「こういう時こそぱーとボエーっと飲みに行きたいのに、行けないの悲しみ。小奈やでもんじゃ食べたい」と投稿していて、そういえばテイクアウトをやっていたはずだと思い出したのだ。やなか銀座に出て、「越後屋本店」でビールでも飲みながら焼き上がりを待っていようと思っていたのだが、今日は「椅子」が並んでいなかった。店頭に「新型コロナウィルス感染拡大防止のため、店頭での飲食はしばらくの間お休みさせていただきます」と貼り紙が出ている。お店のお父さんがこちらに気づき、立ち飲みでもよかったらと申し訳なさそうに言う。昨日からこの貼り紙を出しているのだとお母さんが教えてくれる。「巣鴨の商店街に人が集まってるのが流れちゃったんでしょう? 谷中銀座商店街としても、何か考えないとって話になって、椅子を並べてお客さんで賑わってちゃまずいんじゃないかと思ったのよ」とお母さん。

 店頭で立ち飲みしているのも迷惑をかけてしまう気がして、ゆっくり近所を散策しながらビールを飲んだ。月は満月に近かった。ケータイが二度ふるえる。確認すると、立て続けにメールが2通届いていた。ひとつはYMUR新聞からで、委員会は当面見合わせることになったとある。もうひとつはRK新報からだった。こちらは日曜の夜に送ったメールの返信で、「こちらも極力接触せずに取材する方針になっています」とある。ケータイをしまって、ビールを飲み干す。

 のんびり歩いて時間をつぶし、ドラッグストアに立ち寄る。タオルで口元を覆いながら、洗剤やキッチン用の水切りネットなどを購入する。「小奈や」でモダン焼きを受け取り、スーパーの前を通りかかると行列ができていたので入る気にならず、焼き鳥屋で焼き鳥5本セットを買い求める。「あそこのお母さん、いつもはクールな感じなのに、今日はすごい笑顔だった」と知人が言う。帰り道、M.Mさんからダイレクトメッセージが届く。

 M.Mさんとは、あまりしゃべったことがない。『ドライブイン探訪』を出したとき、「Mさんと話しておきたい」とトークイベントにお誘いしたけれど、それまでほとんどしゃべったことがなかった。ライブはよく観に出かけていたし、通っている酒場の1軒が重なっていることもあり、顔を合わせる機会は少なくなかった。でも、ライブを観に行ったとしても、「今日のライブ、良かったです」なんて声をかけたことは一度もなかった。そんなことをするためにライブに行っているのではないという、妙な意地があった。僕は彼女の歌を聴きに行っているのであって、素晴らしい歌を受け取ったあとで、おためごかしのように言葉を交わしたところで何の意味があろうかと、いつもさっさと帰っていた。

 だから、トークイベントでお話するまでは、トータルで3分くらいしか話したことはなかった。トークイベントが終わったあとは、来場してくださっていた方を含めて打ち上げに出かけたけれど、そこでもほとんど話はしなかった。大事なことはさっき話すことができたのだからと、黙って酒を飲んだ。そういうふうに極端に考えてしまう傾向が自分の中にある。だから、大人数の飲み会になればなるほど、黙って酒を飲み続けてしまう。

 僕にとって大事なのは「言葉を交わす」ことだと、そう思い込んでいた。大事なひとことを交わすことだけに、自分がその場に存在する意味があると思い込んでいた。それが思い込みだったと、Mさんからメッセージではたと気づかされる。Mさんのライブに出かけていって、歌を聴き、黙って帰ってゆく。それだって自分にとって大切な時間だった。ぼくは言葉を交わすことにばかり重点を置いてしまうけれど、「直接言葉を交わしていないけれど、それでも通じ合えているはずだ」と思える相手も、何人かだけ存在する。Mさんもそのひとりだし、朝にメッセージを送ったHさんもそのひとりだ。なんか、うまいこと言えんけど、でも、そうやんな。言葉がなくとも、そんな気持ちで過ごせる相手がいることを、Mさんのメッセージで再認識する。そして、そんなふうに過ごすことがなにより難しくなっているのだと痛感する。飲み会であれば、オンラインでも開催できるだろう。でも、僕が好きなのは飲み会ではないのだと、最近ようやく気づいた。いまこの話せることなんて、とても限られている。思っていることや、伝えたいことはあっても、一ミリでも「今じゃない」という気持ちがあれば、その言葉を出さずにしまいこんでしまう。だから、「オンラインで飲み会をしよう」となっても、僕が話せる言葉はほとんどないだろう。僕がやりたいのは飲み会ではなく、特に何を話すわけでもないけれど、同じ場所で酒を飲んで過ごすということだ。そして、そんな時間が奪われている。HさんとEさんと3人で「栄食堂」に入り、押し黙ったまま食事をしたときのことや、Mさんのライブを聴き、そそくさと階段を降りたことを思い出す。改めて思い出そうとすると、なんだかずいぶん遠い場所にきてしまったように思えてくる。あの時間はほんとうにまた訪れるのだろうか。4月のカレンダーは、今日でまっしろになった。

4月5日

 8時過ぎ、知人が目を覚ましてチャンネルをTBSに変える。「『サンデーモーニング』じゃないと、日曜日って感じがしないので」。そう言って、知人は再び眠りにつく。番組が終わるまで目を覚ますことなく、眠り続けていた。「それならチャンネルを変えなくたっていいじゃないか」と言われればそれまでだが、知人の気持ちは少しわかる。いつも聴いている声と音の中で眠っていたいのだろう。

 コーヒーを淹れて、いくつかメールを書く。旧グッゲンハイム邸のM.Aさんにもメールを送る。3月7日にお会いしたとき、「取材でこっちにくるときに、延泊したいと思ったら、うちのゲストハウス使ってくれていいんで」と言ってくださっていた。状況が状況なので、ストレートにはお願いしづらいけれど、「もし、少しでも抵抗感があるようなら断ってくださって構いませんので」と前置きした上で、泊めてもらうことは可能かとメールで尋ねる。早々に返信があり、「無問題」とある。これで来週の予定が決まった。状況が大幅に変わらない限り、3月8日に旧グッゲンハイム邸に泊まり、10日に取材をして、帰京する。こうして書いてみると、妙に心細い気持ちになる。

 昼は知人が作る鯖缶とトマトのパスタを食べる。午後、原稿を書く。日が暮れる頃になって、6400字までたどり着く。ここからもう一山あるが、今日書こうとしても荒くなってしまうだろう。今日はもう店じまいにする。それよりも、ピザだ。昨日、ピザーラとドミノピザのチラシが投函されていた。僕はピザ屋のチラシが好きで、2年半くらい収集し続けている。投函されていたチラシをしげしげと眺めていると、「Lサイズ全品半額」の文字が見えた。それを目にしたときから、日曜の晩はピザを頼もうと決めていた。

 まだ仕事を続けている知人の隣で、どれにしようかなあ、やっぱりクアトロだよねえ、でもこのクアトロだと炭火焼チキテリが入ってるねえ、チキテリは要らないんだよなあ――と、チラシを眺めながらずっとぶつくさ言い続ける。なんでそんなにピザが好きなのと、知人はなかば呆れている。ピザが好きというよりも、宅配ピザの特別感が好きなのだ。迷った挙句に、クワトロ・3ハッピー(シェフの気まぐれ野菜スペシャル/ギガ・ミート/シーフード・スペシャル/高麗カルビ)をアプリで注文。注文したあと、アプリの画面に表示されるGPSを見つめる。配達員が今どこにいるか、GPSで表示される。今回は初めて2軒まとめて配達されており、少し遠回りしてからうちにやってくる過程を、GPSで見つめ続ける。

 こうしてピザを注文することになったのは、さっきも書いた通り、チラシが投函されていたからだ。チラシといえば、昨日と今日、投函されていたチラシがある。それは宗教に勧誘するチラシだ。それぞれ別の団体のチラシなのだが、いずれも霊波が云々と書かれており、信者の体験談がいくつか書かれてある。そこに共通するのは、「白血病が治った」というエピソードが書かれていることだ。こうした状況を「好機だ」と捉えている人がいるのだなと思う。けしからんと憤っているわけではなく、明日には自分が感染するかもしれないという状況に置かれていても、「信者を増やせるはずだ」という視点で情勢を見つめている目があるのだと、ハッとさせられたのだった。

4月4日

 8時に起きて、ケータイを触る。セトさんやムトーさんが日記をつけ始めている(セトさんはずっと書いているけれど、タイムラグが広がっていたところを、飛ばして今の日記を書いている)。数日前に平民金子さんが「こんな時だからこそ多くの人に日記を書いてほしい……ウェブ日記に日々の淡々とした記録を、言葉を残すんや……今はSNSとちゃう、インターネット日記の言葉が状況に合うんや……ほんまやで……」と書いていて、心底同意していたところだったので、読める日記が増えて嬉しくなる。

https://twitter.com/toyamakoichi/status/1245325494762926081?s=20

 布団の中で、外山恒一さんのツイートを見つめる。

https://twitter.com/toyamakoichi/status/1245325494762926081?s=20

補償しなくても自粛してくれるFラン人民なんぞナメられて当然である。人の命なんぞより自らの地位や利権が大事な奴らに“云うこと聞かせる”には、こっちも死ぬ気・殺す気になって、「頼むから、カネを出すから家でじっとしててくれ」と奴らが懇願し始めるまで街に繰り出し続けるべきなのだ。https:/

https://twitter.com/toyamakoichi/status/1245325494762926081?s=2

/twitter.com/toyamakoichi/status/1245325494762926081?s=20

 眼から鱗が落ちる思いがする。それと同時に、「人民」の闘士として生きることは僕にはできないなと思う。ある立場からはぬるいと言われようと、まだ死にたくないなと思う。そこまで覚悟を持った人がコロナで斃れても「戦死」になるだろうけれど、僕の場合、ほっつき歩いていた人間が死んだというだけになる。自分の思想と行動とはどんなふうに繋がっていて、その核にあるものは何だろう。それを言葉として突き詰めて考えるつもりはないけれど、そんなことが一瞬だけ頭を通り過ぎてゆく。

 テレビでは『旅サラダ』が放送されている。つけっぱなしになっているのを、観るでもなくほったらかしていたが、ずっとテロップが表示されていることに気づく。「この番組は2019年4月20日に放送されたものです」とある。チャンネルを『王様のブランチ』に変えると、こちらは数人を覗いてリモート出演中だ。そこまでして生放送を続ける必要がある番組なのだろうかとも思うけれど、いつもの流れで『王様のブランチ』にチャンネルを合わせたままにしておく。

 たまごかけごはんを食べて、コーヒーを淹れる。まだコーヒーの匂いは感じられる。布団に寝転がり、『わが荷風』をようやく読み終える。午前中は他にも数冊、資料を斜め読みしておく。昼、納豆オクラ豆腐そばを食べて、いよいよ「OTS」の原稿を書き始める。パソコンに向かっていても書き出しの言葉が浮かんでこなくて、キッチンにあるメトードの上に真っ白な紙を広げ、書き始める。窓の外には公園が見えている。公園というよりちょっとした空き地くらいのスペースだ。中学生くらいの子供たちが3人で集まり、サッカーをしたり一緒にケータイを見入ったりしている。道ゆく人の数が普段より多いように見受けられる。

https://twitter.com/toyamakoichi/status/1245325494762926081?s=20

 日が暮れるまで原稿を考える。2400文字ほど。そのうち4割ほどは引用だから、あまり捗らなかったとも言える。ただ、これはとても大事な原稿だし、締め切りがあるわけではないから慎重に書く。仕事のあいまに、今日もジェットスターの運賃を調べた。夜の1便しか表示されなくなり、一体どうしたことだろうと思って調べてみると、成田―那覇航路は1日1便に減らされていたのだった。15時36分にもLINEニュースで琉球新報の速報が届き、「沖縄の3人は市中感染か/知事「局面が変わった」」という文字を目にしていたところだ。その速報に、これは沖縄に渡航しづらくなってきたなと感じる。

 18時過ぎ、近所の八百屋に出かける。いつもより少しだけ人が多くて、入店するのを躊躇う。知人に頼まれていたニンニクとソーセージ、それに切れていたコショウを買う。これまではちょっと上等なコショウを選んでいたけれど、その半額くらいで変えるS&Bの「キッチンコショー」を買い求める。帰宅後、「うちは裕福じゃないので、今日は安いコショーにしましたので」と知人に伝える。僕は30万円の給付が受けられる対象に含まれそうである。その言葉に、「うちは裕福です」と知人が言う。「こんなおうちがあって、部屋でころころして過ごせますので」と。知人は今日、一日中眠っていた。ロックダウンになっても、知人は「外に出たい」と言い出さず、喜んで眠って過ごすだろう。

 僕はコールスローを作り、知人はじゃがいもとソーセージの炒め物を作って、晩酌。テレビでは志村けんを追悼する『天才!志村どうぶつ園』が放送されている。志村けんは年下であろうとゲストに敬語で話しかけていたとして、過去の映像が映し出される。ほんとうだ。これまで一度もそんなことを気にかけたことがなかった。この番組では、収録前に前室に出演者全員が集まり、テーブルを囲んで、皆で大笑いしてから収録に臨んでいたという。自分が偉い人になってしまってはおしまいだと悟り、そう振る舞っていたのだろう。

 番組を眺めていると、再びLINEニュースの速報が届く。牧志の仮設市場で感染者が発生し、2週間は市場が閉鎖されるとある。なんということだ。昨年7月1日から仮設市場での営業が始まり、最初のうちはそれなりに賑わいを見せていたけれど、秋頃からは少しずつ客足が遠のいているように感じていた。今年2月以降は海外からの観光客が途絶え、一帯が沈み始めているように見えた。そこにきて、界隈の中心である市場で感染者が出て、閉鎖される――これが界隈に与えるインパクトは計り知れないだろう。それは、ここ数ヶ月の経済に与える影響という意味ではなく、まちぐゎーと呼ばれるエリアがどう移り変わってゆくかの分岐点になりかねないことだと思う。

 そして、これはもう、このタイミングで「東京から那覇へ取材に出かける」ということは無理だと断念する。僕にできることがあるとすれば、連載の枠で、組合長の言葉を広く届けることくらいだろう。組合長とはちょこちょこやりとりしているから、電話でも取材することはできる。もちろん対面で取材したほうが楽な部分は多いけれど、僕の仕事は相手から受け取った言葉を「配置」するところにあると思っているので、初対面でなければ電話でも可能な部分はある。その方向で取材を検討してもよいかと、すぐに担当記者にメールを送る。

4月3日

 5時過ぎに目を覚ます。ケータイを手にとると、回線が止まっていることに気づく。そういえば督促のハガキがきていたのを忘れていた。ようやく明るくなり始めた町を歩き、セブンイレブンで支払いを済ませる。こんな時間だからか、回線はすぐには復旧しなかった。テレビではテニスプレイヤーがフライパンでテニスをしたり、フィギュアスケート選手がチワワと一緒にトレーニングしたりする動画が紹介される。明るい気持ちにはなれなかった。他にも、「まだ感染者の出ていない」鳥取県では、県庁で「鳥取型オフィスシステム」として、段ボールを立てて仕切りを拵えて、あいだにゴミ袋やラップを張って感染予防をしていると報じられている。そこが県庁であることを考えると、「創意工夫で乗り越えよう!」というスタンスに対して、しらけたような気持ちになる。

 いつのまにか眠っていて、気づけば9時だ。コーヒーを淹れて、知人を見送り、浴槽に湯を張る。『わが荷風』をちびちび読みながら入浴。昼、納豆オクラ豆腐そば。前は100グラムで一束になったものを使っていたが、今は知人の実家から送られてきた1キロ入りのそばを食べていて、一食あたり150グラム茹でている。これだと満足感が大きいけれど、食べたあとに眠くなってしまう。気づかないふりをしてきたけれど、腹が出てきたような気もしている。

 LINEの通知が届く。琉球新報の速報として、「沖縄県職員がコロナ感染/知事ら健康観察へ」とある。タップして記事を読んでみると、3日午前にコロナの陽性が確認されたふたりの男性のうち、「一人は県職員であることがわかった」とある。記事が重点を置いているのはこちらのほうで、「20代の県職員は県民との接触は確認されていない」こと、「県は知事を含め本庁職員の14日間の経過観察を行うことを決めた」というのがメインに扱われている。僕が釘付けになったのはもうひとりのほうで、「30代の東京都の男性で現在那覇滞在中」とある。わたしがそこにいる、と錯覚する。「職業や行動歴、接触歴は那覇市保健所が調査している」とあるけれど、彼は一体、どうして那覇にいたのだろう。

 沖縄行きの飛行機の値段を調べる。画面を予約に進めて、月曜の便の空席状況を確認する。現時点では10数席しか埋まっていないようだ。そういえば『市場界隈』は沖縄書店大賞の候補作になっており、大賞は「3月下旬から4月上旬に発表」となっていた。昨年は4月4日に授賞作が発表され、同じ日に授賞式も開催されている。今年はいつ発表されるのだろう――と、まだ連絡がきてない段階で賞は獲れなかったのだろうけれど、「授賞式に呼ばれたら、タダで沖縄に行ける」と考えてしまう。そして、去年の授賞式には県知事の姿もあったことを思い出す。もしそうして会う機会があれば、「那覇でも上演される『cocoon』という演劇を観てください」と伝えようと、そのことだけは決めている。まあでも、沖縄部門で大賞をとるのはきっと『沖縄島建築』か、そうでなければ『ヤンキーと地元』だろう。

 午後は寝転がって『わが荷風』を読んだ。呼吸をするとき、少しだけ喉の通りが悪い気がする。もしも外出できなくなったとして、食料品はある程度なんとかなるとして、困るのはきっと酒だ。ちょうどキンミヤ焼酎の2Lパックがなくなりかけていることもあり、カクヤスのサイトを開き、2Lパックの6本セットを注文してしまう。

 昨日の夜にカネコアヤノさんのルポ後編が公開され、そのことをツイートしたこともあり、今日は通知がよく届く。パッと確認すると、「ザゼンの次はカネコアヤノか あいかわらずのコバンザメライター」と、僕のツイートを引用リツイートしているのが目に入った。そうつぶやいた人間が最大限の不幸に見舞われるようにしてやろうかと毛穴が開く。なにかあるたびに、いつだかリリーさんに「筆が汚れるからやめなさい」と、その当時僕がやっていた仕事をやめるように諭されたことを思い出す。しかし、「コバンザメ」とはどういうことだろう。ZAZEN BOYSについて書くことで原稿料をもらったことは一度もなく、勝手に観に行っているだけだ。『厚岸のおかず』は僕が構成として入り、原稿料を得たけれど、何度となくツアーを追ったことを考えれば、収支としては圧倒的にマイナスだ。今回のルポにしても、ライブはタダで見せてもらっているけれど、交通費と宿泊費はすべて自分で払っているので、ウェブ記事では回収できる額では到底ない。そうやって真正面から考える必要のないことだとは思うけれど、ずっと考えてしまう。

 考えるだけ無駄なので、頭を空にしようと、夜はキーマカレーを作ることにする。近くの肉屋で豚の挽肉を、八百屋で玉ねぎとトマトとたけのこを買ってくる。いざ調理にとりかかろうとトマトをパックから取り出すと、裏側にカビが生えていてげんなりする。すぐに八百屋に戻り、取り替えてもらう。無心でキーマカレーを作り終えた頃に知人が帰ってきて、晩酌。昨晩の『勇者ああああ』の「野田フレンドリーパーク」を大笑いしながら観てしまうと、他に観たい録画が見当たらず、ドキュメンタリーを録画し続けているほうのブルーレイレコーダーを起動して、萩本欽一を追う『プロフェッショナル 仕事の流儀』を観た。どこにも笑えるところはなかった。若い踊りの先生の技術に頼り切り、無茶振りをするだけして「笑い」めいたものを起こしたことにしている舞台の映像にゾッとする。番組の冒頭あたりで、自分が死んだとき、昔の映像が流れて懐かしがられるのではなく、欽ちゃんって最近もこんなに面白いことやってたんだと思われたいのだと語っていた。昔のように身体に自由がきかなくなり、舞台に立てなくなることもしんどいことだが、年老いても舞台に立ててしまうのもしんどいことだ。もちろん老いが円熟となる場合もあるだろうけれど――と、そう書いている僕はまだ、老いのことを少しも理解できずにいる。『わが荷風』で読んだ一説が鮮やかによみがえってくる。『濹東綺譚』のことを「見聞記だなどとのんきなことを考える人は、老いの自覚がもたらす寂寥感を知らないのだろう」と、63歳の野口冨士男が記していた。『プロフェッショナル 仕事の流儀』を観終えると、YouTubeコント55号の映像を観て、その流れで『8時だョ!全員集合』や『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』の映像を新鮮な気持ちで眺める。

 思い出されたこと。

 3月8日、缶ビール片手に海を眺めていたとき、H.Kさんが「東京にいたときはわざわざ千円以上出して海を観に行っていた」と口にした。Hさんと同様、僕も海から遠く離れた町に生まれ育って、海に対するあこがれ(とはHさんは言っていなかったけれど)がある。でも、なぜか僕はわざわざ海に出かけたことがほとんどなかった。ただ、Hさんの言葉を聴いた瞬間に、青春18きっぷで移動するときのことが思い出された。東海道線で移動していると、熱海あたりで海が見えてきて、(これから長旅が待っているにもかかわらず)浮かれた気持ちになる――と。Hさんはその話に同意してくれて、僕が漫然と「熱海あたり」と言ったのに対して、もっと具体的にその風景を語っていた。

 海を見下ろせる公園まで歩き、ベンチから海を眺めていたところで、自分らは海の近くで育ったから当たり前やと思ってるかもしらんけどな、とHさんがEさんに切り出した。Eさんが生まれ育ったAという町は海の近くであるらしかった(と、あとでGoogleマップを確認して知った)。Hさんの質問に対して、Eさんは、中学校だか高校だかに上がる頃にKに引っ越したから、海から遠のいたと切り出した。いや、Kだって海まで近いやろとHさんが言い返すと、Eさんはしばらく考えて、奈良に行った同級生が「海があるところに帰りたい」と愚痴っているというエピソードを聞かせてくれた。

 その日は口にしなかったけれど、僕にとって海は少しおそろしい場所だ。海辺を歩いていると、結構な確率で燃えて真っ黒になった木材を見かける。それだけで妙におそろしくなる。人為的なことを抜きにしても、ひとりきりで海にいると、もしも突然高波がやってきて海に飲み込まれたら、誰にも気づかれないままになってしまうと、おそろしくなる。これは別に、「海から遠い土地で育ったから」ということではない。僕は山に囲まれた町で育ったけれど、山に対しても同じようなおそろしさがある。ただ、山に囲まれた風景をみると親近感を抱くことがある。山が見えないだだっ広い土地に行くと、どこか不安になるのだけれど、山で縁取られた風景の中にいると妙に安心する。