7月22日

 朝5時、歯磨きの音で目が覚める。8時過ぎに起き出して、セブンイレブンでメロンパンとアイスコーヒー、それに琉球新報沖縄タイムスを購入する。パラソル通りに出て、朝のひと時。宿にも共同のキッチンはあるけれど、ひとりで過ごせるほうが気楽だ。この界隈の良いところは、通りに佇んでいる人も多く、こんなふうに外の場所を家のように使えるところだ。毎晩のように飲み代にお金が消えていくけれど、僕はホテルで夜を過ごしたいという気持ちはない。他の地域だと1泊5000円の宿はざらにあるので、それに比べると、1泊1600円で3400円を飲み代に費やすほうが自分に合っている。そんなことを思いながら、メロンパンを齧る。セブンは大々的にメロンパンを押しているけれど、そこまでスペシャルな味とは思えない。ただ単に沖縄の人がメロンパンが好きなだけだろうか。でも、メロンパンをあんなに並べているのに、惣菜パンがソーセージドッグしかないのが勿体無い気がする。もっとピザのパンやお好み焼きパンも並べて欲しい。

 琉球新報沖縄タイムスに目を通す。沖縄でも投票率は振るわなかったけれど、その背景には選挙や住民投票が続き「選挙疲れ」があるのだと指摘されている。沖縄タイムスには自治体ごとの投票率と得票数も書かれている。一番投票率が低かったのは宮古島市で40.05パーセント、一番高かったのは渡嘉敷村で70.21パーセントとある。そして、どちらも敗れた自民党候補が多く票を得ている。那覇市に次ぐ人口を誇る沖縄市うるま市投票率は平均より低く、だからオール沖縄の候補は中部を重点的にまわっていたのだなと知る。新聞を読み終えたところで、ファミリーマートに行く。雑誌売り場で『ビックコミックオリジナル』を探すと、まだ7月20日号が並んでいる。これの次の号が7月20日に発売されたはずなのだけれど、一昨日の段階ではやはり並んでいなかった。週明けの今日には新しい号が出るのではと思っていたけど、沖縄では結構時差がある。ファミリーマートの前には小学生がちゃりんこでたむろしていて、どこかに走り去ってゆく。一体どこで遊んでいるのかと興味があるけれど、ついていきたい気持ちを抑え、宿に引き返す。

 正午頃に外に出て、八軒通りを抜けようとすると、店の方に子供達が賞状のようなものを渡しているところだ。「つぼやみまもりたい」という文字が見える。後でその店の方に聞くと、少し前に近くの児童館の子たちが防犯マップを作り、それで賞状みたいなものを配っていたのだという。このあたりの子は、児童館で遊んでいる子が多いと教えてくれる。そして、沖縄は暑くて外で遊ぶ子が少なくて、そのせいで運動能力が全国平均より低いのだ、と。市場中央通りに出て、宇田さんのお店に少し立ち寄り、『ビックコミックオリジナル』を探しているけど、まだ並んでなかったですと伝える。宇田さんが市場の風景に関するコラムを寄稿されていると知り、探しているのだ。沖縄だと雑誌の発売は4日ほど遅れるのだと教えてもらって、二日後かと思いながら仮設市場まで歩き、「道頓堀」で沖縄そばを食す。汁まで飲み干すと汗が噴き出して、業務用扇風機にしばらくあたる。

 15時半、沖映通りを歩く。選挙に敗れた候補の事務所があり、荷物を運び出しているところだ。若い男性が小さな軽自動車に荷物を載せている。美栄橋駅でMの皆と待ち合わせて、ホテルまで一緒に歩き、皆がチェックインを済ませるのをしばし待つ。I.Kさんが「橋本さんって、涼しげですね。いつも涼しげな気がする」と言うと、F.Tさんが「どういう感想なの、それ」と笑っている。少し歩いてレンタカーを2台借り、まずは「A&W」に出かけ、ドライブスルーでルートビアを購入する。まだ空港にいる人をピックアップしたところで17時半、当初の予定ではみーばるビーチに出かけるつもりでいたけれど止めにして、いきなり荒崎海岸に出る。夕暮れ時で、海の色が濃く見える。しばらく佇んでいたあとで、Fさんが「いつ来ても、音は変わらないですね」と言う。返却の時間が迫る中、喜屋武岬に移動してしばらく海を眺めて、那覇に引き返す。

 今日はすごい夕焼けで、燃えてるみたいだね、と皆が口々に言い、写真に収めている。車内には僕のプレイリストで音楽が流れている。ずっと郁子さんの歌声が流れている。皆が今ツアーしている作品も、音楽を担当しているのは郁子さんだ。「青い闇をまっさかさまにおちてゆく流れ星を知っている」を聴きながら走り、ああ、このプレイリストだと、次はたしか「いきのこり●ぼくら」だと思う。それが流れ始めると、助手席にいたK.Yさんが「死んだ人が生き返って歌い始めたみたい」とつぶやく。「青い闇」が舞台で流れたシーンは、市子さんが演じるえっちゃんが自ら命を絶つ場面だ。それに続けて何曲か市子さんの曲を聴いているうちに、レンタカーを返す店に到着する。

 車を返却して、駅まで歩く。N.Aさんと隣になる。橋本さんと会うの、久しぶりだとNさんが言う。そうですね、いつぶりですかね。イタリアぶりだよ。えっ、そんなに前になります? だって私、橋本さんの『手紙』を読んで、私も橋本さんにお手紙を書きたいと思いながらまだ書けてなくて、それ以来だから、イタリアぶりだよとNさんが言う。それは4ヶ月前のことで、ずいぶん時間が経ったなという気がする。旭橋駅からゆいレールに乗り、20時半に皆で「うりずん」に入り、乾杯。いつもはひとりで飲んでいるけれど、今日は皆がそこにいて、不思議であるのと同時に嬉しくなる。「ここはまず、橋本さんのおすすめを食べるべきじゃない?」とFさんに言われて、いつもはひとりでくるから、あれこれ注文したことはないんですけど、ここの名物はドゥル天ですと伝える。これがとても好評で、ターンムの唐揚げも追加で注文することになる。皆は旅行で来ているわけではなく、明日の朝から仕事が控えているので、22時には会計を済ませて店を出る。残った4人で近くの屋台のような店に入り、沖縄そばを啜る。Fさんだけソーキそばを注文したのだが、食べる前から「ちょっとこれ、食べてもらっていい?」とJさんの器にソーキを移している。この時間をいろんな土地で過ごしてきたなあと、少し感慨深くなる。少し歩いたところで皆と別れて、缶ビールを飲みながら宿まで歩いた。

7月21日

 6時前、豪快に口をゆすぐ音で目が覚める。しばらくケータイを見ては二度寝、三度寝する時間を繰り返していると、「あの、洗濯機の中に洗濯物が残ったままになってるんですけど、どうしたらいいですかね」と相談する声がして目を覚ます。ああ、誰かがほったらかしてるんだ、じゃあ、そうだな、これ、この籠に入れておけばいいよ、と大きな声が聞こえる。受け答えしているのは宿のスタッフではなく、よく宿泊している老年の男性だ。格安で宿泊できて、あまりコミュニケーションを交わさずに過ごせるところが取材に気持ちを集中できて心地よかったのだけれども、どうなるだろう。

 今日はよく晴れていて、まだエアコンがついている時間でも暑くなる。蝉の鳴き声が聴こえている。そうだ、『ワイドナショー』を観なければと思って、番組が始まる前にと、セブンイレブンに出かけてジューシーハムサンドを買い求める。放送開始まであと1分で、宿まで小走りで走っていると、ふいに小学生時代の夏休みに戻ったような気持ちになる。急いでテレビをつけると、フジテレビ系列のOTVだけうまく写らず、映像はモザイク状に固まり、音声はまったく聴こえない。一体どうしたことだろうと思っているうちに、「このチャンネルは現在休止しています」と表示されてしまう。いっそのこと「足立屋」にでも出かけて、めずらしく午前中から酒を飲みながら過ごせばよかったかなと思っても遅い。

 今日は投開票日だ。この近くの投票所はどこにあるのだろう。調べてみると、この界隈だと壺屋小学校が投票所のようだ。ゆいレール安里駅から校舎をよく目にしているけれど、そういえばどこからたどり着けるのだろう。せっかくだから眺めに行ってみる。安里駅の近くから側道が延びており、それが校門へと続いている。ちょうど一番暑い時間帯だから投票に訪れる人はほとんど見かけなかったけれど、広々としたグラウンドでこどもがふたり、駆け回っている。これまで気にしたことがなかったけれど、この界隈に暮らす子供達は、たとえば学校帰りにどこで遊んでいるのだろう。

 13時半、仮設市場を覗きに行く。今日は日曜日だというのにどこか閑散としている。今日は二階の「道頓堀」でと思ったけれど、話を聞かせてもらった佐和美さんの姿が見えず、また別の機会に立ち寄ることにする。迷いに迷った挙句、今日も「大衆食堂ミルク」へ。選挙の日は外食という習慣のある家に育ったわけでもないけれど、なにかに流されるように、いつもより豪華なものをと思い、すき焼きを注文した。いつも食べるちゃんぽんは500円なので、50円の贅沢だ。テレビでは高校野球を中継している。カップルで食事をしていた外国人の男性が、「これ、奥武山公園でやってるんですか?」と店員さんに尋ねている。そうね、セルラーかね、と店員さん。その男性はネパールから出稼ぎにきているそうで、「ネパールでも野球はやる?」と店員さんが尋ねると、「いや、野球はやらない、そのかわりにクリケットが人気ですね」と答えている。一緒にいる女性のほうはまだ来日して日が浅いらしく、日本語は勉強中だという。その彼女が「英語は話せますか?」と質問すると、店員さんはバタバタと手を振り、いやいや、英語はちんぷんかんぷん、と笑う。その言葉に男性が食いつき、「ちんぷんかんぷん? それは何? 韓国語ですか、中国語ですか」と尋ねている。困った店員さんは「え、ちんぷんかんぷんって日本語よね?」と僕に助けを求める。日本語ですと断言しながらも、たしかに、言われてみれば日本語としては不思議な音だ(そして、そのときに検索して教えてあげればよかったのだけれど、この日記を書いている今になってようやく由来を調べた)。

 ビールも注文してしまって、お腹がすっかり満腹になったので、宿に戻るとうたた寝してしまう。15時、暑さで目を覚ます。パソコンを広げて少し仕事をして、16時半に仮設市場へ。刺身スペース、以前は市場の隅っこにあったおかげでいつでも座れたけれど、今は市場の真ん中にあるので、いつ通りかかっても埋まっていた。今日は珍しく空きがあるので、「長嶺鮮魚」で刺身の盛り合わせと缶ビールを購入する。テレビのある店はどこも野球中継をつけていて、市場界隈を歩いたときもワンセグなどで中継に見入っている人がたくさんいた。まだ試合が続いているのかと驚く。そろそろ刺身を食べ終えようかというところで「おお!」と歓声があがり、試合が終わったらしかった。すぐにLINEニュースの琉球新報の記事がぽこんと届き、「沖尚が甲子園へ/興南に8−7」と表示される。

 食べ終えた器を戻しにいきがてら、そういえばそこの駐車場がなくなるんですね、と切り出してみる。市場のすぐ近くにある「なは市場前駐車場」が、いよいよ7月30日で営業を終えるのだ。その噂は前々から聞いていたけれど、いよいよその日が迫っている。ときどきトラックが停まっていることもあり、営業に影響はないのかと尋ねてみると、いやいや、うちには影響はないよとのことでとりあえずは安心する。ただ、公設市場から地元客の足が遠のいた原因の一つとして語られるのは、駐車場完備のスーパーが増えたことで、車の入れない路地があることはこのエリアの魅力ではあるけれど、地元客も観光客も、車がなければアクセスしづらいのは確かだ。この駐車場は市場のすぐ近くにあって、それなりの台数を収容できる唯一の駐車場だった。ここがなくなると、国際通りか浮島通りに駐車するほかなく、少し遠くなってしまう。

 宿に戻ってテープ起こしを進める。シャワーを浴びて外に出ると、20時になろうかというのに平和通りが賑わっている。ぐるりと歩いているところに琉球新報からLINEニュースがぽこんと届き、オール沖縄の候補が当選したのだと知る。「足立屋」の外カウンターでビールを飲みながら、身を屈ませて店内のテレビを眺める。そんなふうに選挙特番を眺めている人は他に見当たらなかった。 

沖縄放送局に切り替わり、出口調査の結果が出た。10代、20代は自民候補支持がやや多く、30代はわりと自民候補支持が多めだった。同じ主張が繰り返されながらも何も変わらないことに倦んでいる空気はきっとあるはずで、昨日18時前後に開催された両陣営の街頭演説でも、聴衆の数はオール沖縄側が圧倒的に多かったけれど、比率としては自民候補のほうが若者が多かった。演説で自民候補が訴えていたことも、「沖縄の選挙で、イデオロギーをもう終わらせたいと思っているんです。もう右だ、左だ、この対立を、いまだに続けて選挙をしているのは沖縄だけなんですよ皆さん」ということで、それはもう一方の陣営で語られた言葉の多くがこれまで繰り返し訴えられてきたことであるのと対照的に感じられた。もちろん大切なことというのはいつの時代も変わることではないけれど、それでは現実が動かないと感じてしまっている層が出てきてしまっていることは事実で、それに比べると、(まだ今のところこなれてないけれど)とにかくフレッシュさを感じさせるイメージ戦略を取り、那覇の町を散策しているだけでも電柱という電柱に、参院選とは関係ないものとはいえポスターを貼りまくり、「那覇市屋外広告物条例に違反しています」とシールを貼られている、なりふり構わない動きに動かされてしまうのではないかと心配になる。そうしたことを考えると、昨日の街頭演説でも、県知事をはじめとして、無関心でいる層、相手陣営に流れてしまうかもしれない層を引き入れる強度のある言葉がなく(例外に感じられたのが政治家ではない候補者の長女による演説だった)、そこもまた心配になる。もちろんどの演説もまっとうなことを語られていたけれど、まっとうなことを訴え続けているだけでは倦んでしまう人がいるとして、その層にどんな言葉を投げかけるかを考えないと、状況は大きく変わりかねないと思う。

 

 いつもは音楽を聴きながら330号線を歩くのに、こんなつぶやきをツイッターに書き連ねているうちに「うりずん」に到着する。白百合を2合注文して、ゆるゆる飲んでいるうちにラストオーダーの時間となる。気づけば1階にいるのは僕だけで、贅沢な時間をカウンターで過ごす。

7月20日

 9時、久しぶりでジョギングに出る。アプリによれば2ヶ月ぶりだ。今朝も少し雨が降ったせいか蒸し暑く、すぐに汗が噴き出す。これまでとは少し違うルートをと、330号線から路地を入り、古波蔵あたりをぐるり。少し入ると古い建物が多く、「鰹節店」という看板もいくつか見かけた。電柱という電柱に参院選にポスターが貼られてある。出馬している自民党候補の名前と、「喜劇の女王」とキャッチコピーのついた仲田幸子の名前と、それにふたりの写真が印刷されている。オール沖縄が応援する候補のポスターは見当たらないなあと思って走っていると、ある一角から先は、そのポスターにことごとく警告のシール――この広告物は那覇市屋外広告物条例に違反しています。5日以内に除却してください」と書かれた那覇市道路管理課・警察署長によるシール――が貼られている。

 帰りにセブンイレブンに立ち寄り、コクと旨味のカレーパンとアイスコーヒーを購入する。おにぎりを買うと「温めますか?」と聞かれるのは慣れているけれど、パンでも「温めますか」と言われるとは知らなかった(思えば、沖縄滞在中、コンビニでサンドイッチを買うことはあっても惣菜パンを買うことはなかった)。さきほどは青空も見えていたので、今日のうちに洗濯をしておこう。そう思って洗濯機を回し始めたところで、雨の音が聴こえてくる。先月沖縄を訪れたとき、宇田さんと話していて「橋本さんは天気予報を見るのは得意ですか?」と聞かれたことを思い出す。天気予報を見るのに得意とか不得意とかあるんですかと聞き返すと、沖縄の天気はすごく移り変わりやすくて、天気予報のとおりにならないことも多いけど、沖縄の人は自分で情報を得たりしながら天気を探っているのだ、と。そのことを思い出しながら、洗濯物を乾燥機にかける。

 宿を出て、仮設市場を眺めたのち、宇田さんのお店に立ち寄る。近々ワークショップがあり、そのために向かいにあった鰹節店から古い写真を借りたそうで、その写真を見せてくださる。昔はほんとうにずらりと鰹節屋さんが並んでいたのだとわかる。きっと70年代に撮影された写真なのだろう。それとは別に、1982年に撮影されたという写真を見せていただく。まだアーケードがつく前の市場界隈の姿がそこにある。ただ、アーケードはなくても、白い布を渡して日避けにしてある。写真を眺めていて思うのは、路上販売をする人の姿が今より格段に多いことと、もうすでにムームーを売っている店が並んでいて、それは水上店舗側だけでなく、公設市場の外小間にも衣料品が並べられていること。雑貨部や衣料部もあるのに、第一牧志公設市場に衣料品が並んでいたというのはとても不思議だ。立ち話のなかで、これから三年間の取材のことも少し話す。その取材は、刻一刻と移り変わる様子や、その時々に起こっていることを取り上げつつ取材したいという気持ちがある。ただ、そこに大きな見取り図も必要だろう。そのことも踏まえて、タイトルの一部に「普請中」というフレーズを入れたいと思っている。まだ森鴎外の「普請中」を読んだことはないけれど、今回の滞在はどんな見取り図がありうるのかと考えながら過ごそうと思ってますと伝えると、まずは「普請中」を読んでみるといいんじゃないですかと、とても真っ当なアドバイスをしてくれる。

 13時半、「喫茶スワン」に入り、カツサンドを注文。こんなのが配られてるのよ、とビラを見せてくれる。近くにオープンしたばかりのタピオカかき氷屋で賃金の未払いがあったのだと書かれている。一ヶ月分の賃金がまったく支払われておらず、働いていた大学生は店のシャッターに支払いを求める貼り紙をしたところ、「世間知らずのクソ田舎モンが」「調子にのるな」とメールを送られたのだという。事実だとしたら酷い話だ。そこはしばらく前に閉店したベルト専門店の跡地にできた店だ。5月にオープンしたらしいのだけれど、僕が6月に那覇を訪れたときにはあまり賑わっている様子はなかった。いつ通りかかっても同じ女の子が働いているので、その子が自分で立ち上げた店なのかと思っていたけれど、そうではなかったようだ。昨日、常連のお客さんがビラを手に入っていて、酷いねえと話していると、テーブル席にいたうちのひとりが「それ、私です」と言い、この店にもビラを置いていったそうだ。

 「でも、他にもどきどきすることがあってね」とママは切り出す。東京から定期的にきてくれる若いお客さんがある日、「近くにスワンって看板が出てるけど、あれ、関係ある店?」と尋ねてきたのだという。もちろん「スワン」という名前の店を誰だって出していいのだけれど、あまりにも近い場所にある。しかも、しばらくすると「スワン」の近くに「じゃありません」と書き加えられていて、ママは「どきどきして、私はまだ見に行けてないの」と言う。場所を教えてもらって、代わりに(?)観に行く。歩いて110歩の場所に、その店はあった。その店はたしかこの1年のあいだにオープンした店で、大胆なことするなあと思っていたことを思い出す。

 宿に戻り、15時、パソコンの画面で宮迫博之田村亮による記者会見を観る。ところどころ言葉に詰まりながら語る姿に、驚く。そのふたりは、軽やかにトークする姿や、楽しそうに振舞う姿でしか見たことがなかった。表舞台から姿を消した芸能人が、しばらく時間が経ってすっかり様変わりしている――そんなことはよくあることだ。でも、このふたりの姿は、つい2ヶ月前までは毎週目にしていたのだ。宮迫は、保身のために嘘をついてしまったと、ゆっくり語る。たまらないものがある。清廉潔白を貫ける人は素晴らしいけれど、道を踏み外してしまった人が、それを開き直るのではなく、真摯に振り返って語る言葉というのは、重い。咄嗟に保身を考えてしまってから、こうして肚を決めて記者会見を開くまでに、どんな時間が流れたのだろう。

 まず驚いたのは、相手が反社会的勢力だと知っていたのかという話の流れで、入江君に確認したところ、吉本を通したイベントでも関わってくれた人だからと言われたと言及したこと。つまり、自分たちが反社会的勢力と付き合いがあったとされるのであれば、吉本興業も反社会勢力と繋がりがあると指摘したことになる。もう一つ、今日の会見に至るまでに吉本興業とどんなやりとりがあったのかということを、かなり具体的に語られている。「お前らテープ回してないやろな」という言葉のインパクトや、「引退会見か、契約解除か選べ」と、「引退会見をする場合はこちらでQ&Aを用意する」というやりとりは、いかにもではあるけれど、本当にえげつないなあと思わされる。第二弾として、週刊誌に金塊強盗グループとの写真が掲載されたことについて、トイレから出たところで記念写真を求められただけだと宮迫はきっぱり否定する。それに対して、だとすると、二日前に吉本興業から宮迫の契約解除が発表されたとき、「弊社といたしましては、諸般の事情を考慮し、今後の宮迫博之とのマネジメントの継続に重大な支障が生じたと判断し、上記決定に至りました」という文面と齟齬があるのではという指摘が記者から入る。しかし、この記者会見を聞いていると、「重大な支障が生じた」というのは記事が出たことではなく、会社側に対して宮迫と亮が弁護士を立てたことを指すのだろう。亮からの説明で、最初に弁護士を立てようと思うと伝えたときは社長は「おっ、ええやん」と言っていたのに、そこから直接話をすることができなくなったと語られていたけれど、その「おっ、ええやん」を翻訳すれば、「ええやんけ、そっちがそのつもりやったらとことんやったるど」だろう。

 それにしても、なぜ質問を投げかけるのが芸能レポーターばかりなのだろう。途中で、「千原ジュニアさんと一緒に番組を作っているんですけど」と前置きして質問を始めたのは特にひどかったけれど、とにかくふたりを泣かせようとしたり、ワイドショー的なフレーズを引き出そうとする質問があまりにも多くてうんざりする。二人が肚をくくって切り込んだ話をしようとしているのに、それをなかったことにしようとする記者ばかりだ。芸人と会社との圧倒的に不平等な関係をどうにか改善しようと踏み込んだ話をしてるのに、どうしてこんなことになるのだろう。眺めているうちに、それにしても、今日に至るまで急転直下だったのだなと思う。7月18日に「引退会見か契約解除か」と問われ、それならば会社を辞めてでも自分たちでと判断し、7月19日に契約解除が発表され、そして今日、自分たちで緊急会見を行っている。これだけの記者会見が開催されたとなれば、今日と明日は話題をかっさらって、そして週明けの情報番組も大々的にこの件を取り上げるだろう。明日が投開票日なのに、どこか霞んでしまうのではないか。それを考えると、「せめて記者会見で謝罪させてくれ」と言い続けていたふたりをこのように追い込めば、弁護士まで立ててきたくらいだから、すぐにでも自分たちで緊急会見を開くだろうと踏んでいたのではないかと思ってしまう。すべての政治日程には意図があるのだと、学生時代に聞いたことを思い出す。

 途中で視聴を切り上げて、シャワーを浴びて外に出る。25分ほど歩いて、那覇メインプレイスへ。今日は17時半からまず自民党候補の演説があり、18時からはオール沖縄が推す候補のラストスパート大集会が開催されることになっている。17時半ちょうどに那覇メインプレイスにたどり着くと、おもろまち駅側の交差点に、自民党候補の幟を持っている人が20人ぐらい立っている。聴衆の姿は見えず、本当にここで開催されるのだろうかと幟を持つ人に尋ねてみると、「タカラ? タカラはあっち」と言われる。いえ、あさとさんはと尋ね直すと、ああ、ここここ、と答えてくれる。10分ほど待っていると街宣車がやってきて、街頭演説が始まる。「令和元年、最初の国政選挙にのぞむにあたって、私が実現したい社会があります。沖縄の選挙で、イデオロギーをもう終わらせたいと思っているんです。もう右だ、左だ、この対立を、いまだに続けて選挙をしているのは沖縄だけなんですよ皆さん。もう右だろうが左だろうが、両方に正義があるとするなら、真ん中に新しい活路を見出していくのが、責任を果たしていく政治家の役割だと思いますが、皆さんいかがでしょうか」。街頭から「そうだ!」という声が一つ上がり、拍手が起こるが、そもそも聴衆があまり集まっていないのだった。

 「保守中道」を訴える街頭演説を聴き終えて、那覇メインプレイスの反対側まで歩く。こちらは100人以上の人が集まり、幟もたくさん掲げられている。野党が統一候補を出している一人区の終盤情勢で、「先行」や「リード」ではなく「優勢」と出ていた唯一の選挙区がここ沖縄であることを思い出す。

糸まずは応援演説から集会がスタートする。何人目かにマイクを握ったのは、現職の糸数慶子だ。3期12年を努めてきたけれど、「安倍政権は、国会に行って感じるのは、完全に沖縄を切り捨てています」と語る。この沖縄選挙区から、平和の一議席を占めるのにふさわしいのは、そして憲法を改正して再び戦争ができる国にしようとしている安倍政権に待ったをかけられるのはタカラ鉄美さんだ、と。タカラさんに投票することは、消費税引き上げへのNOであり、辺野古新基地建設へのNOであり、「戦争につながるすべてのものに反対する、大事な大事な一議席、タカラ鉄美さんにバトンを渡したい」と締めくくられる。

 候補者本人の演説は、「主権者の皆様、県民の皆様!」との呼びかけから始まる。憲法学者らしい語りだしとも言える。今の憲法ができたとき、沖縄はまだアメリカの統治下にあった、四半世紀遅れてようやく復帰を果たしたけれど、「まだ憲法が適用されていないようなもの」だと語る。だから自分は国政の場から玉城デニー県政を支えつつ、国が取り組まなければならない問題にしっかり取り組んでまいります、と。いくつか政策を訴える流れで、「お年寄りが安心して暮らしてもらうための年金問題」と切り出され、それはあまりにも大きなズレでは、と思う。もちろん年金支給開始年齢の引き上げという話もあり、お年寄りだって心配しているのだろうけれど、もっと深刻なのは若い世代で、これからどうやって支えるのか、そして自分たちが年をとったとき本当にもらうことが可能なのかを心配しているはずだ。

 この日いちばん印象的だったのは、候補者の長女による演説だった。彼女は他の弁士と違って政治家ではないので、何度も言葉につまりながらも聴衆に訴えかけていた。父は穏やかな人で、シングルファーザーとして自分を育ててくれたけれど、その父が立候補してここまで声をあげて訴えているというのは、民主主義が危機にあるということだと思うと、長女は語る。民主主義とは、うんうんと何でも受け入れることではなくて、やってはいけないことにはNOと言うことだとした上で、こう語る。「たとえば家庭においても、会社においても、何かが、全体が間違った方向に進もうというときには、こんな道でいいのか、もっとこういう道があるじゃないのかとちゃんと、議論をできるのが、良い家庭と、良い会社を作っていくことであります。だから、国もそうだと思います」

 演説が終わると、街宣車から降りて、本人と長女は集まった支援者のもとをまわり、握手を交わす。僕は握手できないので、輪の一番外側まで移動する。そこで「あれ、橋本さんですか」と声をかけられる。『市場界隈』を読んでくださって、トークイベントも聴きにきてくださったという。「やっぱり、関心ありますか」と言われて、モニョモニョした答えをしてしまう。自分の目で見ておきたいという気持ちがあるだけで、僕は特定の候補を支持しているわけではないので、どこか申し訳なくなる。握手をしてまわる方向から逃れるようにしていると、候補者たちは交差点を渡って向こう岸に移動していく。四つ角それぞれに支援者が集まっていて、ひとりひとり握手を交わしている。さきほどまで登壇していた政治家の方達も、いやあ、よかったといった調子で和やかに談笑している。県知事の姿もあり、こんなふうにごく普通に話しかけられる場所に佇んでいるものなのだなと不思議に思う。候補者はもとの角に戻ってくると、車に乗り込んで、最後の遊説に出かけてゆく。いつのまにか街頭にいた人たちも帰途についていて、閑散とし始めている。集まっている人たちの多くは、これは自民党候補の演説に集まっていた人たちにも共通することだけれども、その大半が支援者だった。お揃いのTシャツを着ていたり、チームカラーのはちまきを巻いていたりする人がほとんどで、たまたま通りかかった人が足を止めるということはほとんど見受けられなかった。これは今日に限らず、先週の日曜日に東京選挙区の街頭演説を見てまわったときにも感じたことだった。選挙が、政治が、ほとんど趣味の世界になりつつあるように思えてくる。

 歩いて栄町に移動して、19時半に「うりずん」。今日はお腹が空いているから、ツマミも何品か注文しよう。メニューを熟読していると、カウンターの中に立つHさんが「飲み物は白百合にしますか?」と声をかけてくれる。はい、お願いしますと答えて、運ばれてきたグラスに氷を入れて泡盛を注いで、一口飲んだ。それを飲んだ瞬間に、ああ、今日はまだ一杯も飲んでいなかったんだと思い出し、グラスビールを追加で注文する。喉が渇いてたのを忘れてましたと伝えると、忘れないでーとHさんが笑う。今日は何十年とここに通っているお客さんがひとり、またひとりとやってきて、「濃い並びになってきましたね」と店長さんがつぶやく。隣に座った男性が「観光ですか」と話しかけてくださり、少し話をする。その男性は本部の出身だが、ずっと東京に住んでいるという。そしてここの初代社長とは同郷なんだと教えてくれて、ああ、本部の方が作った店だったのかと初めて知る。21時に店を出て、「東大」に並ぶ。今日は3組目で入店し、ゴーヤの黒糖酢漬けとおでんを平らげ、今日こそはとサインを書く。酔っ払っていたのでヨレヨレになってしまったけれど、東大の列に並びながら、東大のおでんをいただきながら構想を練った一冊ですと書き記す。

7月19日

 6時頃に目が覚める。個室に宿泊している外国人観光客が賑やかだ。布団の中でケータイを眺めながらウトウトし、8時に這い出す。シャワーを浴びて、市場界隈を散策する。小雨が降り始めている。まずは浮島通りにオープンしたセブンイレブンに立ち寄ってみる。新築の匂いがする。まずは入ってすぐの雑誌棚と生活用品棚のあいだの通路を抜ける。この通路だけ少し狭い、せっかくの出店だからと少し詰め込んだのだろう。商品の並びを見る。「セブンイレブンの商品がある!」ということよりも、ところどころに沖縄ならではの商品が混じっていることに目を惹かれる。食材の棚に沖縄そばがあり、パンの棚にはなかよしパンがそれなりのスペースで置かれている。セブンイレブンの商品も、売りを明確にして陳列されている印象を受ける。お弁当の棚の隣は、金のハンバーグが3段、金のビーフシチューが1段、金のビーフカレーが3段とかなりプッシュされている。カップ麺の棚は蒙古タンメン中本と山頭火とすみれと一風堂がドーンと陳列され、パンの棚にはなぜかメロンパンがかなりのボリュームで並べられている。店の前ではアイスコーヒーを買った若い二人組が嬉しそうに記念写真を撮っている。

 ぐるりと歩き、仮設市場に行ってみる。まだ朝9時だからか観光客は少ないけれど、思いのほか良い印象を抱く。そんなにぴかぴかした感じがせず、前の雰囲気もある程度引き継がれている感じがする。看板や什器を前の市場から引き継いだお店も多いけれど、真新しい看板につけかえたお店も少なくないのに、一体なぜだろう。しばらく歩いてみて、床の質感では、という結論に至る。床は、建築に詳しくないから何という素材かはわからないけれど、そんなにぴかぴかしておらず、それが良かったのではないかと思う。何軒かのお店にご挨拶して、宿に戻る。インスタントコーヒーを飲みながら日記を書き、新聞社の方に企画打診のメールを送る。

 12時半になって再び外に出る。まだ台風は近くにいるはずなのに雨も降っておらず、ぼちぼち観光客の姿も見かける。Uさんのお店に立ち寄ると、来月のトークイベントを予約してくださったと教えてくれる。来月14日、下北沢で柴崎さんをゲストにお迎えしてトークイベントを開催することになったのだけれども、そのきっかけとなったのはUさんが『わたしがいなかった街で』を薦めてくださったことにあるので、嬉しく思う。前にお会いしたのは6月27日、又吉さんとのトークイベントの打ち上げの席だ。公設市場が一時閉場を迎えるにあたり、6月はいくつもイベントが開催されていたけれど、それも又吉さんとのトークで一段落して、そこで気持ちが途切れてしまっているとUさんは言う。でも、まだ工事が始まってない段階でこれだけ人通りが少なくなっていて、工事が始まるとどうなるのかと思うと、ぼんやりもしていられないんですけど、とも。

 本を3冊購入して、公設市場へ。平日で台風が近くにいる日にしては、なかなか賑わっている。刺身コーナー、前は隅っこにあったのでいつでも座れたのだが、真ん中に配置されたせいか満席である。朝は挨拶しそびれたお店にもお邪魔する。平田漬物店の前を通りかかると、「小嶺さんの店、すごくこだわって作ってるから、まだ完成してないんですよ」と教えてくれる。そう、ぶらりと歩きながら、「コーヒースタンド小嶺」が見当たらないなと思っていたのだ。「小嶺」と「平田漬物店」は、旧市場では隣同士であり、僕がよく冷やしレモンを飲んでいたから、そう教えてくれたのだろう。配置は大きく入れ替わっているから、あの店はどこにと、地図が描かれたチラシを手に歩く。組合長の粟国さんにもお会いすることができた。「意外と馴染んでいるでしょう」と言われて、頷く。二階の食堂街も賑わっている。「二階が熱い」という噂を読んでいたけれど、今日は曇天であるせいかさほど暑さは感じず、ただ調理する匂いが立ち込めていて、扇風機がフル稼働している。

 13時、「大衆食堂ミルク」に入り、ちゃんぽんを注文。テレビでは昨日の放火について報じられている。ぼんやり眺めていると、ニュース速報の音がなり、宮迫博之の契約を解除とテロップが出る。ちゃんぽんが運ばれてきてからは、カウンターに置かれていた琉球新報を読んだ。参院選の沖縄選挙区の話題が何面かに渡って書かれている。昨日の嵐の中、自民党候補は「午前4時半に那覇市の泊魚市場で漁業関係者らを前に支持を訴えて三日攻防をスタートした」「那覇市内の交差点や団地前で遊説」とある。一方のオール沖縄が支援する候補は、「うるま市の安慶名十字路での街頭演説で三日攻防をスタートさせ」、「午後にはうるま市の江洲中原交差点と沖縄市のコザ十字路で大演説会を開催」したという。おや、と思う。今朝、両候補の遊説予定を見ると、オール沖縄の候補は今日もコザのあたりを遊説することになっていた。検索して出てきたタイムスの記事を読むと、その候補は「大票田の那覇市で勢いがある」と書かれており、そこはもう抑えてあるからということで、他の地域を重点的に回っているのだろう。一方の自民党候補は、今日も那覇を演説してまわる予定になっている。どちらの候補も街頭演説を見てみたいなと思うけれど、車がないのでコザは遠く感じられる。

 宿に戻ってのんびりして、15時、仮設市場のすぐ向かいにある「節子鮮魚店」へ。隣のテーブルには中国からの観光客グループがいたけれど、ちょうど食べ終えたところらしく帰ってゆき、貸切状態となる。「今日は台風対策で、飲み物を中に入れてあるんですけど、そこから好きなものを取って飲んでくださいね。おかわりも、自分で好きに取ってもらって構いませんので。お会計のときに本数を数えて計算しますから」とのことだったので、発泡スチロールの中で氷で冷やされているオリオンビールのを手に取り、刺身を注文して飲み始める。すぐに刺身が運ばれてくる。タコと白身とサーモンとまぐろ、玉子焼き、それに海ぶどうがのっけてある。焼き物メニューも豊富で、こちらは七輪を使ってセルフで焼くようだ。ひとりで焼くのは寂しくなってしまいそうだけれども、メニューに「もち」と書かれているのを見つけ、注文したくなる。もちが膨らむ様子を眺めながら飲むなんて、それだけで楽しそうだ。店は全面ガラス戸で、細い道を挟んですぐ、仮設市場が建っている。ぼんやり眺めながら飲んでいると、組合長の粟国さんが歩いているのが見えた。粟国さんは仮設市場のスロープに立ち、行き交う人の様子を5分ほど眺めていた。ずっとそこにいる粟国さんには、僕には見えない風景が見えているのだろう。缶ビールを2本飲み終えたところで、会計をお願いする。その流れで名刺と、勝手に作った『市場界隈』のフライヤーを手渡す。書影を見て、ああ、どこかで見たことあります、と言ってくださる。継続してこの界隈を取材したいと思っているので、近いうちにぜひ話を聞かせてくださいとお願いして、店をあとにする。宿に戻ろうと八軒通りを抜けていると、「大和屋パン」のお母さんと遭遇し、「あら、おかえりなさい」と声をかけられる。

 コザまで足を伸ばしてみようかとも思ったけれど、明日の最終日を見物することにして、今日は那覇で過ごすことに決める。シャワーを浴びて、界隈を散策しながら、どこを取材しようかと考える。仮設市場の近くを歩くと、果物屋のお父さんがまた外に佇んでいる。さっきは気づかなかったけれど、こんなに頻繁に外で佇んでいるのはなぜかと考えて、帳場のスペースが狭くなったからだと思い至る。ひとりで店番してる方なら「ちょっと手狭だ」と思うくらいで済むけれど、二人や三人で店番していると窮屈なのだろう。数年前に何度か立ち寄ったことのある「バラック」というお店に行ってみるつもりでいたけれど、店の前まで行って、引き返しているお客さんの姿が見える。今日は貸切なのだろうか。それならばと踵を返し、「信」に向かって歩き出すと、粟国さん親子にバッタリ出くわす。一緒に「信」に歩いていると、角に立っていた女性に和子さんが挨拶する。その女性は、あなたが表紙の本をこないだローソンで買ったのよと言い、和子さんは「あら、この人が書いた本よ」と答える。その女性は近くの薬局の方らしく、「その薬局が、このあたりの皆の健康を支えていたよ」と和子さんが教えてくれる。皆の駆け込み寺だった、と。

 「信」に入り、ビールをいただく。今日は珍しく野球ではなく洋画がテレビに映し出されている。アメリカの若者が陸軍に入隊し、葛藤を抱えながら過ごしている。「これね、良い映画よ。先に言ってしまうけどね、あとで沖縄が出てくるから」と信光さんが言う。銃を持つことを拒絶して衛生兵となった若者は、沖縄に送られて、戦場を目の当たりにする。そこで口にされた言葉で、その映画が『ハクソー・リッジ』だと気づく。「何だっけ、又吉さんとトークしたんでしょう」。餃子を運んできてくれた和子さんが言う。「それを私の知り合いが聞きに行って、あとで乾燥の連絡があったんだけど、最初はあんまり物静かな感じだから『この人たち、ほんとにトークできるのかね』と思ってたらしいんだけど、終わったあとで振り返るとすごく印象に残るトークだったって言ってたよ。だから、トークにもいろんなトークがあるんだねえ」。そんな感想が聞けて嬉しくなる。あの日はひとりでも多くのお客さんに来てもらわなければと焦りながらチラシを配っていたけれど、そんなふうに誰かの中に残ったのなら十分だ。

 ここで顔を合わせても、忙しそうにまたどこかに出かけてゆくことの多い粟国さんも、今日はゆっくり映画を眺めていたので、少しお話しすることができた。仮設市場は、鮮魚と食堂は変わらず売り上げがあって、二階も一部のお店はかえって売り上げが上がっているのだという。それはよかったと思いながらも、語られなかったところを引き取れば、生肉と生鮮は苦戦を強いられているということでもある。あれこれ話す流れで、今後も取材を続けるつもりですとお伝えする。

 ビールを3杯飲んだところで店を出て、「バラック」を覗いてみる。どうも通常通り営業しているようだ。扉の前に立ちはだかっている猫に少し避けてもらって、入店。シチリアのワインを頼んで、メニューを眺める。ツマミは何にしよう。「この、テリーヌって何でしたっけ」と素直に店員さんに尋ねて、パテみたいなやつですと教えてもらって、それとピクルスを注文する。運ばれてきたテリーヌには大きなパンがたくさん添えられている。この飲み屋には、2014年の6月に沖縄を訪れたときに初めて訪れて、そこで交わした会話は『沖縄再訪日記』に書き残してある。たしかその翌年の6月にもここを訪れて、他にお客さんがいなかったこともあり、「あかり from HERE」を流してもらったことがある。あの頃は、すぐ近くに仮設市場がやってくることは想像していなかったし、自分が『市場界隈』という本を書くことになるなんて思ってもいなかった。本当は「近いうちに取材させてください」と伝えたいのだけれども、僕が座った席は店員さんから微妙に距離があるので、目の前にあるテレビに映し出されているサッカー中継を熱心に観戦する人として過ごす。帰り際にようやく『市場界隈』のチラシを渡して、少しだけお話しすることができた。

時計をみると20時55分だ。ここまで2軒飲み歩いているのだから、もう十分といえば十分であるはずなのに、ここで宿に帰る気になれず、安里まで歩く。どうして帰る気になれないのか、自分でも不思議だ。安里駅前に出ると、「あさと繁信」と書かれた幟を振っている人たちがいる。選挙カーを使った選挙活動は20時までだが、気勢を上げなければそれ以降も可能だということで、330号線を行き交う車に向かって幟を振り続けているのだろう。21時10分、「東大」の前に出てみると、昨日とは対照的に長蛇の列ができている。ミニ椅子を出して並んでいる人もいれば、段差に座り込んでいる人もいる。その列に混じる気になれず、近くを散策して時間を潰して、カウンターに入れれば「東大」で、入れなければ「うりずん」に行くことにして、ぶらつく。裏路地を歩いていると、かつて「社交街」として賑わった時代を感じさせる建物はたくさん残っていて、その多くは少し改装されて新しい店になっているけれど、ところどころに名残りがある。ひと気のない路地を歩いていると、向こうから男性が歩いてくる。こちらを少し警戒しているようだが、僕が千鳥足で酔っ払いのように歩いていると警戒を解き、灯りの消えていた店の扉を開き、中に消えてゆく。

 21時半が近づいたところで「東大」に戻ろうとすると、店の裏口からお姉さんが出てきて、列の長さを確認しているところだ。僕に気づき、あら、はしもっちゃん、さっき「今日も来るかな?」って話してたのよ、今日は出遅れちゃった?と声をかけてくれる。20分前に来たらもう長い列が出来てたから、どうしようか迷ってたんですと伝えると、大丈夫大丈夫、カウンターにボトルを出しとくから、ちゃんとくるのよ、と言って裏口に戻ってゆく。5分ほど待つとシャッターが上がり、ぞろぞろとお客さんが店に入っていく。その一番後ろから中に入ると、カウンターが1席だけ空いていて、無事に座ることができてホッとする。さきほど食べたパンでお腹が満ちつつあるので、今日は控えめに、ゴーヤの黒糖漬けと、おでんの大根、昆布、葉野菜、それにてびちを注文。隣りは小学生の子を連れた家族連れだ。おでんを待っているあいだに眠くなり、「眠い」と訴える子に、「ちゃんと眠くなるなんて偉いね」と店主が笑う。僕の家は、小学生の頃は21時に消灯されていて、その時間に眠っていたはずなのに、今ではそんな時間に眠る気になれなくて、こうして酒場にいる。

 おでんを食べ終えたところで会計をお願いすると、はしもっちゃん、ここにサインをと、店員のお姉さんが『市場界隈』を差し出してくれる。サインしてもらおうと思って、家から持ってきたの、と。せっかくだから黒のマジックではなく、サイン用に用意してあるペンで書きたいので、「明日またきます」と伝える。「謝花酒店」で缶ビールを買って、ゴン太を遠巻きに眺める。「うりずん」の前を通りかかると、ばったり店長さんと出くわす。今日は「東大」で飲んでいて、今から缶ビールを飲みながら宿に帰るところですと伝えると、いいですねと店長さんは笑う。明日か明後日、また「うりずん」に飲みにきますと伝えて330号線のほうに歩き出すと、「あ、橋本さんちょっと待って!」と呼び止められる。一体何だろうと思っていると、「これ、指で舐めながら飲んでください」と小さな豚味噌のパックを差し出してくれる。どうしてこんなによくしてくれるのだろう。少しは何か返すことができるだろうかと考えながら、330号線を歩く。

7月18日

 今日から一週間ほど那覇に行く。最近仕事がしんどいらしく、「置いていくん」と知人が頼りない声で呟く。仕事に出かけていくのを見送り、茹で玉子を茹でて朝ごはん。荷造りをして、昼、パスタを茹でて市販のミートソースをかけて食す。慌ただしく洗い物をしてアパートを出る。飛行機の時間が迫っているけれど、近所の図書館で期日前投票。今日になるまで、誰に投票するか迷っていた。選挙区に関しては、当落線上にいると報じられている三人のうち、ひとりだけ当選して欲しくないと思った人がいる。では、残りのふたりのうち、どちらに票を投じるか。ひとりは、街頭演説の雰囲気からすると、案外しゃっきりしている。問題はもうひとりのほうで、やや劣勢との分析が出ていたこともあり、あんたしっかりしいや、という気持ちを込めて、その名前を書く。比例区は、まさかその名前を書く日がくるとはと思いながら、政党名を書いた。前の選挙のとき、坪内さんが「人声天語」で書いていたことを思い出す。

 投票しているうちに時間が経って、予定よりも遅れてしまった。この一年間はいつも成田空港から沖縄に飛んでいたけれど、今日は羽田からなので少し不安になる。千駄木から千代田線で日比谷に出て、スーツケースを抱えて階段をのぼり、有楽町駅から山手線で浜松町、そこからモノレールで羽田空港だ。アパートから15分歩いて日暮里からスカイライナーに乗り、成田空港にたどり着く――このシンプルなルートに比べると乗り継ぎは面倒だけれども、特急を利用しているわけでもないのに50分でたどり着けることを思うと、羽田空港のほうが便利だ。それに、「格安だから」と思ってジェットスターのチケットを取り、成田から飛んでいたけれど、ジェットスターは季節によってはさほど安くもなく、航空券だけであれば片道6千円くらいで予約できるときもあるけれど、預け荷物のために片道2000円かかり、さらに座席指定代やスカイライナーの料金を考えると、さほど割安とも言えないのだった。

 スカイマークのカウンターでチェックインを済ませ、搭乗ゲートに向かって歩いていると、現地の天候次第では、那覇行きの便は羽田空港に引き返す可能性がございます、とアナウンスがなされている。不安になりながら搭乗したものの、ジェットスターに比べて席が広くて嬉しくなる。単純だ。那覇に台風が最接近するのは明日だというからきっと大丈夫だろうと、楽観的な気持ちで過ごしていたけれど、静岡上空でまず強い揺れがあり、さらにいつもより早い時間からベルト着用サインが点灯し、那覇空港に向けて降下が始まると再び強く揺れ始める。着陸寸前が一番大きく揺れて、周りに悟られないようにしながらも、肘掛をぎゅっと握っていた。

 空港に到着してみると、まだ雨は降っていないようだった。ゆいレール牧志に出て、いつもの宿へと歩く。国際通りにも、平和通りにも、この半月のあいだにもう新しい店がオープンしている。ふいに電話が鳴り、出てみると宿からだ。「橋本さん、予約もらってたのは今月でしたっけ」「そうですそうです、もうすぐ着きます」「ああよかった、もしかしたら今月じゃなかったのかなと思って」と笑っている。チェックインしながら話していると、こんな天気だからとキャンセルが重なったのだという。実家から届いていたインスタントコーヒーのお中元セットを取り出し、「もらいもので恐縮ですけど」と宿にプレゼント。アパートにいるときはコーヒー豆を買ってきて淹れるので、使い道がなく、そのかわりこの宿に泊まっているときはキッチンに置かれているインスタントコーヒーをいつも飲ませてもらっているので、寄贈することにしたのだ。重いのにわざわざ持ってきてもらって、でも、いつも買いに行っていたから助かりますと喜んでくれた。

 荷物を解くと、すぐに外に出る。まずは「足立屋」に行き、単品でビールを注文する。発泡酒ではなく、瓶ビールも300円で提供されるようになった。台風が近づいているせいか、がらんとしている。通りかかる人も少なくて、赤提灯が大きく揺れている。隣にいた女性から「本を書いてる方ですよね」と声をかけられる。きっといつもここで飲んでいる方なのだろう、月に一回くらいいらしてますよね、と言われる。そんなふうにおぼえてくれていることが嬉しいと同時に、その方のことを知らないことが申し訳なくなる。ここで飲んでいるときは、並びで飲んでいる人のことをなるべく見ないように過ごしている。特に女性はナンパめいたことをされて嫌な思いをされている場面も時折見かけるので、なるべく横を見ずに飲んでいるのだ。ツマミに足立メンマを注文してみる。250円にしてはしっかりしたボリュームだ。追加で頼んだ足立サワーを飲み干して、店をあとにする。

 閉場した市場のまわりをぐるりと歩く。不法投棄が続いたらしく、ロープで囲いがされてある。それにしても人通りが少ないのは台風のせいだけなのかと不安になる。カネコアヤノを聴きながら、いつものように331号線を歩き、「うりずん」に入る。白百合とクーブイリチーを注文して、ゆるゆると飲み始める。にんじんと鶏団子みたいなのをサービスで出してくださる。ピリ辛でウマイ。しかし、メニューにそれらしき料理はないのだけれど、一体何の料理なのだろう。カウンターにいたお客さんはオープン時刻に入ったお客さんだったのだろう、ちょうど食事を終えて帰るところで、ひと組、またひと組と帰ってゆき、カウンターは僕だけになる。予約を入れた団体のお客さんがこないらしく、店長さんが外国人アルバイトの方に「こないねえ」と話している。ぼんやり過ごしていると、昨日届いていた国民健康保険の通知を思い出す。もうすぐ住民税の封書も届くのだろう。道路やら何やら、目の前にある風景を維持するためにはお金がかかる。そう考えると、酒場で払うお金もそれに近いものかもしれないなと思う。もちろん食べ物や飲み物に対して支払っている額ではあるけれど、その場がそこにあってくれることに対して、そしてその場がこれからもあり続けてもらえるように、お金を支払っているような感覚になる。そう思うと、何かもう少し注文しなければと、暖流をグラスで追加注文。すると今度は「橋本さん、これもよかったら」と梅味噌を出してくれる。頭が上がらない。ふと入り口に目をやると、扉のところにはまだ『市場界隈』のポスターを貼ってくれている。風にさらされてボロボロになり始めているのに、補修して貼り続けてくれている。

 「いついらしたんですか?」珍しくカウンターの椅子に座りながら店長さんが声をかけてくれる。今日です、でも、台風だとあんまり人が歩いていないですねと答えると、「沖縄の人は台風となると出歩かないし、観光の方もあんまり出歩かないですよね」と店長さんは言う。少し前に、『ちくま』から急遽原稿依頼をもらったときに331号線を歩いて「うりずん」と「東大」ばかりに飲みにいく日々のことを書いたこともあり、「僕もときどき『東大』に行きますよ」と教えてくれる。今はお店を閉めたあとじゃないと行けないけど、昔は何時間もあそこで飲んで、シャッターを閉めて明日のおでんの仕込みを始めていてもまだ飲んでましたけど、向こうもこっちも年を重ねて、そんな時間までは飲めなくなりましたと店長は笑う。いろんな時間が積み重なっているのだなあ。暖流を飲み干したところで店を出て、隣の「謝花酒店」で缶ビールを買い、飲みながら「東大」に並ぶ。街はしんと静まり返っていた。

7月17日

 朝、思い立って日記を書き始める。ほんまのことを書くには日記が一番だ。7月11日のことを思い出しながら書く。明日からしばらく東京を離れるので、洗濯を済ませておく。知人は外で働いているけれど、僕は自宅にいることが多く、特に洗濯は僕がやっている(洗濯が好きだというのもある)。ここ最近は雨ばかりで、曇りのタイミングを見計らって洗濯をして、雨が振り始めないか気にかけながら洗濯物を干す日々だ。世の中の人は、洗濯問題をどう解決しているのだろう。14時、千代田線で大手町に出て、新聞社でドライブインに関する取材を受ける。記者の方から、これはメールでお伝えしようか迷ったんですけど、と家族の話を伺い、驚く。「『不忍界隈も応援してます』と伝言を預かっていたので、お伝えしておきます」と言われて、うう、となる。ずいぶん出せないまま止まってしまっている。

 取材を受けているあいだ、ふと窓の外に目をやると、陽が射しているのが見えた。晴れている! これはビールだ、たしか数年前、このあたりにサッポロの生ビールを出す店が夏季限定でオープンしていたと思い出し、検索してみたけれどあれはあの夏だけのものであるらしかった。せっかくなので、東京駅まで歩く。昨晩歩いたときとは大違いだ。晴れているというだけで、こんなに気分がよくなるものかと思う。緑の匂いも、揺れている葉も、美しく感じられる。東京駅丸の内北口から改札を抜け、中央線に乗る。陽射しのせいかウトウト眠くなってくる。こんなことはずいぶん久しぶりだ。新宿駅に出て、小一時間ほど喫茶店でテープ起こしを進めたのち、17時、念願の京王スカイビアガーデンに入り、枝豆とビールを注文した。日よけのためにイミテーションの緑の蔦が巡らされていて、空を仰げないのが残念ではあるけれど、それでも晴れた日の屋上でビールを飲めるのがたまらなく嬉しかった。

 新宿3丁目の沖縄料理店「K」へ。もうすぐ出る『yy』に寄稿したこともあり、僕に依頼をしてくれた編集者の方や編集長の方たちの人と会食することになっていたのだ。一体何を話せばよいのだろうと緊張しながらも、約束の時間19時ちょうどに暖簾をくぐると、もう三人の方が待っている。ビールで乾杯し、途中で白百合に切り替え、新宿3丁目「F」に流れる。こんなときでもなければ座る機会がないので、カウンターではなくテーブル席に座り、自分以外のボトル、ハーパーのソーダ割りをいただく。(原稿に書いた)沖縄の話だけではなく、質問してくださるままに演劇の話やこれからやりたいと思っている企画の話をして、ジャニーさんにインタビューしたかったなんて話までしてしまう。

7月16日

 9時に起きる。燃えるゴミを出しそびれてしまった。出せなかったゴミ袋を袋どめクリップで閉じておき、昨晩食べなかった栃尾揚げを焼き、茹で玉子と一緒に食す。正午にアパートを出て、西日暮里から山手線に乗り継ぎ、代々木に出る。F.Yさんから「少し遅れているのでゆっくりいらしてください」と連絡があり、お昼を食べそびれそうになっていたので、代々木駅前にある「山水楼」に入ってみる。先週気になっていたお店で、お昼時ということもありサラリーマンで一杯だ。豊富なメニューの中から酸辣湯麺が目に留まり、注文する。スパイシーだ。あまり汗をかかないほうであるけれど、少しだけ汗が滲んでくる。中国からやってきたのだろうか、女性の店員さんたちが忙しく働きながらも、ときどき話している。最近はやたら目が乾くのだと話している。

 コンビニでペットボトル入りのアイスコーヒーを買って、13時20分、Yさんのアトリエへ。Yさんが少し作業されているのを眺めながら、ぽつぽつと話を聞かせてもらう。Yさんとは今年の1月に初めて話したというのに、こうして「取材」しているのが不思議。ファッションのことは皆目わからないけれど、だからこそ、と依頼してもらったことなので、気になったことをなるべく質問する。1時間半ほどで話を聞き終えて、アトリエを後にする。明治通りに出て、北へ歩く。向かいのビルで調理師の卵たちがせっせと何かを作っているのが見える。15時半に「らんぶる」にたどり着き、『夏物語』の続き、15章から読み始める。残りは150頁ほどで、今日のうちに読み終えてしまうだろう。どこで読み終えよう。リュックの中にはケータイの充電器も入っているのだから、いっそのこと大阪に行ってしまおうか。しかし大阪に足を運んでも行きたい酒場が思い浮かばず、その案は採用しなかった。

 じりじりと読んで、ときどき顔をあげる。座っているのは端っこの二人がけの席で、下のフロアが一望できる。若い劇作家の姿が目に留まり、その席に、昨晩知人が飲んでいたはずの制作の方があとからやってくるのが見えた。再び本に目をやり、読み進める。主人公がかつて暮らした港町を訪れる場面にたどり着き、ああ、やはり1時間前に思い立った勢いで大阪に行ってしまえばよかったと思うけれど、そんなふうに思ったときにはもう遅いのだ。小説の中では、逢沢が新幹線で大阪にやってくる。夏子がかつて育った風景を、一緒に見て歩く。その場面は、どうしたってしみじみした気持ちで読んでしまう。その人が過ごしてきた風景を目にしてみたいという気持ちは、僕の中に強くある。普通はそういった感情を恋人に対してだけ抱くのだろうけれど、僕はそうではなくて、知り合ったいろんな人に対して抱いてしまう。学生時代、友人が多いほうではなかったけれど、4年生のときに坪内さんの授業を通して仲良くなった何人かがいて、その人たちが生まれ育った町を、僕はほとんど訪れたことがある。今思えば、向こうからすれば少し気持ち悪かっただろうけれど、その風景の中に確かに存在したのだ、ということを眺めたいと思ってしまう。

 この小説の前半でいちばん印象的だったのは観覧車の場面だったけれど、後半でもまた観覧車の場面がやってくる。おお。時計を見ると17時をまわっている。ボイジャーをめぐる会話に強く背中を押された気持ちになりつつ、一度本を閉じる。せめて空が見える場所でビールを飲みながら読み終えたいと思い、「らんぶる」を出る。思い浮かんだのは京王ビアガーデンだ。そこには楽しい記憶も詰まっている。もう雨は上がっているので、傘をささずに西口にまわってみたのだけれども、ビアガーデンは雨天中止となっていた。新宿でビールが飲める場所はどこだろう。もちろんビールが飲める場所なんて山のようにあるのだけれど、そういうことではないのだ。迷いに迷って「ベルグ」に入り、生ビールを注文して、最後の20ページを読み終える。読み終えてしまった。ここに何度か登場する意味において「子ども」である僕は、ある側面では夏子にほとんど共感しながら読んでいた。読み終えた今、誰かと話したいような気持ちに駆られたけれどそんな相手も浮かばず、とりあえず友人に「読み終えました」とメールを送り、思い出横丁の「T」に入り、ホッピーセットを注文する。入り口近くの席から、横丁を歩く人たちの姿を眺めながら飲んでいると、誰かが背中を通り抜け、表で電話をかけている。すでに少し酔っ払っているようで、行ったり来たりしながら話している。マスターが「橋本君、あれ、Eだよ」と教えてくれる。それはいつだかフェスで目にしたことのある方だ。このお店にもよく訪れるらしく、「今日は開店前から飲んでた」のだという。電話で話す声は、たしかに歌声に近い響きがある。その姿はとても小柄で、この身体にあのパワーが秘められているのかと思いながらホッピーを飲み干す。

 セットを飲み終えたところで店を出る。もうすぐ結婚式を控えている――そして僕を招待してくれた――O.Yさんが「砺波」で飲んでいたというので、千駄木に引き返して合流し、「動坂食堂」に入り、近況を話し合う。ビールを3本飲んだところで閉店時間となり、店の前でOさんと別れる。このままアパートに帰る気持ちになれず、味が苦手なチューハイをコンビニで買った。ウォッカの味が苦手なのかもしれなかった。ビールだとグビグビ飲んでしまうけれど、これだと自然とペースが落ちるのでちょうどよかった。千代田線に乗り、二重橋前で降りて、夜の東京駅を眺めた。この時間帯だとほとんど人の姿はなかった。少し歩いて、お濠を眺める。お濠の景色はとても好きだ。水面に映るビルディングの姿を眺めつつ、松林を抜けて、皇居前広場にたどり着く。誰かと話したいような気がするけれど、こうしていたって誰とも話すことはできないのだった。そう思ってインスタグラムのアカウントを消してしまう。そこに何かを期待したところで、ほんまのことは話せないのだという気持ちになった。ツイッターも消してしまおうかと思ったけれど、そこで交わされている言葉は僕がいまの時代の気分を知るための一つの窓であるので、それは思いとどまり、まだ飲み干せないチューハイをチビチビやりながらアパートまで歩いた。