7月15日

 朝起きて、あちこち掃除機をかける。これまで思い出したときにだけ大掃除をしてきたけれど、旅に出ていないときは、月曜日に掃除をすることにしようと思う。12時頃になって、札幌から知人が帰ってきたので、一緒に「砺波」に出かける。6月は半分沖縄で過ごしていて、東京に戻ってきてからは親知らずの抜歯であたふたしていたこともあり、しばらくご無沙汰してしまっていた。ところが一昨日になって「砺波、閉店するみたいですね」とLINEで連絡をもらって、ついにその日がやってきてしまうのかと思いつつ、久しぶりに足を運んだ。店の前には筆で書かれた貼り紙がある。

 

御客様へお知らせ

昭和三十一年開業以来長い間ご愛顧頂き有難度う御座ます

私共も高齢で体力低下の為誠に勝手ながら令和元年十月末日にて廃業する事に致しました

宜敷く御願いします

中華料理 砺波

小坂外廣

 

 暖簾をくぐり中に入ると、他にお客さんはいなかった。まずは席につき、餃子とビールを注文する。ビールとコップを運んできてくれたお母さんが、色々とお世話になりましたけど、ついにやめることにしたんです、と報告してくれる。もう年だから、どこかぶつけて悪くしちゃったら、お互い看病するのも大変だから。そんなことになって店を畳むとなると、片付けだってできないから、今のうちにやめることにしたんです。お母さんはどこかさっぱりした様子でそう語る。ひと組、もうひと組とお客さんがやってきて、満席となった。いつもはラーメンとビールを注文するところだけれど、せっかくだからちょっと豪華なカニチャーハンや、時価と書かれているエビチャーハンを注文してみようか。そんなことを言うと、「それ、一番良くなやつじゃん」と知人にたしなめられて、いつも通りラーメンとチャーハンを注文した。食べ終える頃には他のお客さんがいなくなっていて、厨房に立つお父さんも表に出てきて挨拶してくださる。またきますと挨拶をして店を出て、アパートに引き返す。

 ビールを飲んだこともあり、知人はすぐに昼寝をする。僕は床に寝転んで、『夏物語』を読み進める。18時過ぎ、今夜は飲み会だという知人と一緒にアパートを出て、「越後屋本店」で生ビールを飲んだ。知人と別れて、スーパーで惣菜を買って帰り、先日F.Yさんに貸してもらった『海の男たちのセーター』という本を読みながら飲んだ。

7月14日

 朝、コンサートの遠征で札幌に出かける知人を見送る。10時過ぎにアパートを出て、セブンイレブンできのこのピザパンを買って、駅のホームで齧りつく。具がこぼれないように、むさぼるように食べる。我ながらみっともないなと思う。そんなところに人が通りかかり、その距離が近かったというだけでムッとしてしまう。千代田線はガラ空きだ。御茶ノ水から乗り換えた中央線もがらんとしていて、席がまったく埋まらないまま吉祥寺駅にたどり着く。駅の北口に出て、ロータリーの端、アーケード街の入り口に停められた街宣車の前に立つ。今日は一日、街頭演説を眺めて回ることにした。まずは日本共産党から立候補している吉良よし子を見ようと、吉祥寺にやってきたのだ。

  候補者の前に、応援演説がある。年金組合の男性だ。当然、年金の話をしている。先日、2000万の貯蓄が必要だという話題があったけれど、「皆さん、2000万も貯蓄できますか、厳しいですよね」と語っている。その男性自身は63歳から受給しているのだという。それを聞くと、率直な感情としては、その年齢からもらっておいてよく言うな、と思ってしまう。男性は台本を読みながら語っている、候補者ではないから仕方がないとはいえ、それでは響かないだろう。そして、党の主な政策にかかわるフレーズだから仕方ないとはいえ、なんの前置きもなく「マクロ経済スライド」という言葉が語られることに違和感をおぼえる。道ゆく人、普段政治に関心を抱いてもいなかった有権者には届かないだろう。続けて、候補者本人が語り始める。さきほどとは対照的に、道ゆく人ひとりひとりに語りかけるように、ゆっくり演説をしている。手を大きくかざしながらにこやかに語る姿は、子供を相手に語りかけるヒーローショーみたいにも見える。私自身も就職氷河期世代だと切り出し、国会議員になって最初に訴えたのはブラック企業の問題で、それによってブラック企業のリストが公開されるようになった、「あなたの声を政治に届ける」と訴える。それに続けて、「この参議院選挙、希望を語りましょう」との言葉があり、それがとても意外に感じられた。希望か。街頭演説という場所で「希望」という言葉を聞くことが意外に感じられるのはなぜだろう。

 具体的な「希望」として、いくつかの政策が語られる。減らない年金を作る。給料の引き上げ。お金の心配なく子供を教育できるように。改憲阻止。この四つが主な軸として語られる。しかし、その中で、「月収20万、当たり前の世界を」と語られて、ほんとうにびっくりしてしまった。知識としてはわかっていたけれど、日本は貧しい国になったのだなあ。僕はこんな仕事をして、こんなふうにぷらぷらしているから、裕福に暮らせないのは仕方がないけれど、世の中はもう少しなんとかなっているのだろうと、どこかで思っていた。月収20万だと、ボーナスがなければ240万だ。15年くらい前に、『SPA!』が年収300万で暮らしていくライフハックを紹介する特集をよく組んでいた記憶があるけれど、それどころでもなく、しかもそれを「当たり前の世界に!」と訴えなければならない時代になっているのだなあ。演説の途中、あちこちから「そうだ!」と声があがる。演説を聞く聴衆はさほど多くもなかったが、雨が降っているせいもあり、近くの商店の軒先で、陳列棚をふさぐように立っている人がいたのが気にかかる。

 吉良よし子の演説を聴き終えて、思い出の「ハモニカキッチン」で一杯ひっかけるつもりだったがまだ空いておらず、井の頭線の鈍行に乗る。『夏物語』を開く。

 

「夏子、元気にしてる? っていうか、おめでとうやで」

 原稿がどうにも進まず、なんとなく本の整理をしているところに巻子から電話がかかってきた。

「え、なんやったっけ」

奨学金」巻子は明るい声で言った。「朝きてたわ、お知らせが。じゃじゃん——夏子はん、めでたく奨学金、払い終わったみたいやでどうも」

 

 下北沢で小田急線に乗り換えて、経堂駅で降りる。植草甚一の日記を読んで足を運んで以来だ、もう10年以上前だ。少し時間があるので、富士そばでちくわ紅生姜天そばという謎のメニューを食す。ちくわの中に刻んだ紅生姜を詰めて揚げてある。平らげて、12時20分、駅前に戻る。12時半からここで、丸川珠代の街頭演説がある。まだ街宣車の姿はないけれど、顔見知りらしいお年寄りが「こんにちは」「雨でいやあね」と挨拶を交わしている。党員なのだろう、ポロシャツ姿の若い青年がやってきて、「どうもご無沙汰してます、雨の中ありがとうございます」と溌剌とした調子で挨拶してまわっている。しばらくすると、今度はスーツ姿の男性——こちらは先ほどの若者よりは年上だが、こちらもまだ若く、僕と同世代ぐらいに見える——がやってきて、「どうもありがとうございます」と握手をしてまわっている。こういうところだろうなと思う。こうして、「自分が大事に扱われている」と思えることが、このお年寄りたちを動員に駆り立てているのだろう。12時半になる頃には街宣車がやってきたものの、予定表だと近くの商店街を練り歩いている本人はなかなかあらわれなかったが、若者がお年寄りたちに「スマホを用意しておいていただければ、ふたりで写真を撮りますので」と声をかけてまわっている。12時40分になってようやく演説会が始まる。最初に区議会議員の演説があり、そのあいだ、候補者は駅前を行き交う人に握手をしてまわっている。僕の近くにもやってきたけれど、ただそこで待ち合わせをしている人のふりをして、そっと断ってしまった。別に「俺はお前を支持しない」という意思表示がしたかったわけではなく、触れるということが躊躇われた。潔癖を理由に触れたくないということではなく、触れる、ということが躊躇われた。うちわみたいになっているチラシを配っている若者もいる。「丸川珠代です、本人です」と言っているけれど、それは日本語が不正確だ。区議会議員が3人、さらに衆議院議員がひとり挨拶をして、12時52分、ようやく丸川珠代の演説が始まる。誰も街宣車の上にあがらず、地面に立って演説をしている。元オリンピック・パラリンピック担当大臣として尽力してきたこと、すぐ近くの馬事公苑馬術競技を開催することになったことを語る。ああ、だから経堂だったのだなあ。オリンピックを快適に楽しんでいただけるように交通の整備など最大限努力する、やはりお住いのみなさんが一番——と語っているあたりで、次の予定のためにその場を離れる。丸川珠代の演説は2分くらいしか聞けなかった。

 

 小田急線に乗り、再び『夏物語』を開く。さきほど感じた触れる問題を思い出しながら、読み進める。

 

 

 手にさわりたいとか、そばにいてほしいとか、そういう気持ちはわたしにもあった。本当に大切な話ができたと思ったとき、一緒にいるとき、相手のことを好きだと強く思ったときには胸のあたりが温かくなり、それをふたりで分けあいたいというような、そんな気持ちになることはあった、でもそこからそういう雰囲気になると肩にぎゅっと力が入って、体はいつも硬く縮こまった。いつまでたってもそんな気持ちとセックスとは、わたしのなかで結びつくことのない、まったくべつのことだったのだ。

 

 新宿駅から埼京線に乗り、赤羽に出る。ララガーデンというアーケード街の入り口で、13時半から立憲民主党の塩村あやかの演説会がある予定だ。時間ギリギリにたどり着いたけれど、まだ始まる気配はなかった。街頭演説というのはわりと遅れるものなのか。候補者本人はいないけれど、チラシを配っているスタッフはいる。ボランティアなのだろう、高齢者が多くいる。自民党の溌剌さを目の当たりにしたばかりなので、その差が目につく。15分ほど遅れて、候補者が到着する。演説の準備が整うまでのあいだ、アーケード街の入り口に立っている。吉祥寺で見たヒーローショーのような振る舞いと、経堂で見た、ひとりでも多くをと、さらうように握手をしていた姿との差を感じる。候補者はただアーケード街の入り口に立っている。マイクのスタンバイが整うと、スクランブル交差点の方向に手を振っているけれど、ひとりひとりに対してではなく、交差点全体に向かって漫然と手を振り、通行人はすぐ脇をなんの興味も持たずに通り過ぎてしまう。ビラを配っているスタッフも、あまりにも素人で、何度も道を塞いでしまう。あきらかに受けとらなそうな態度な人を追いかけて、進路を変えさせてしまって、誰かとぶつかりそうになっている。国政選挙でこんなことでよいのだろうか。街頭演説が始まっても、聴衆はせいぜい2、30人ほどだ。お年寄りだけでなく、ベージュのスーツを着た若い女性もビラを配っている。他の人が同じ場所に陣取って配っているのに対し、彼女はあちこち走り回りながら配っている。信号が青になり、人の塊が流れてくればそこへ駆け寄り、しゃっとビラを差し出す。そんなふうにしゃっと突きつけるように差し出して、受け取る人はいないだろう。自分が信じる正しさを、誰かに伝えることは難しいことだ。「私たちは正しい主張をしているのに」と思ってしまわずに、どうすれば興味のない人の目を向けられるかを考えて欲しいと、傍目に思う。

 最初は区議会議員の演説から始まる。何人かの区議会議員が続いたあと、比例から立候補している候補者の演説があり、塩村あやかの演説が始まる頃には14時24分になろうとしている。冒頭、「まずは一週間後が投開票日だと知って欲しい」と切り出す。現状では低投票率が予想されており、それでは政治が変わらず、だからまずは知って欲しいのだと。たしかに、ここまで見てきた街頭演説は、ターミナル駅ではないにせよ、あまりに人が集まっておらず、偶然通りかかった人が立ち止まるという姿もほとんど見かけなかった。これは本当に国政選挙なのだろうか。さきほどまでの会場と異なり、ここにはマスコミの姿もなかった。演説は具体的な政策の話題に移る。待機児童や働き方改革に触れつつ、「今の政治のまま、安定してしまってもよいですか?」と語る。今の政治は身近なところにお金を回したり、あるいは戦闘機にお金を使ってしまっているけれど、私たちが必要とする分野にお金が足りておらず、そこに再分配がなされないままでよいのか、と。

 「再分配、ちゃんとしようじゃないか――こんな当たり前の話を参院選の最中に語らなければならないということに、今の政治に、思うところがある」と彼女は言う。そんな状況を招いているのはバランスの悪さにある、議員の男女比も、与野党の比率もバランスが悪く、「私は国会の景色を変えたいと思っています」と語る。どこかつるつるした言葉に感じられる。しばらくすると、自身が政治家を志したきっかけについて語り出す。一つは女性議員があまりにも少ないことと、もう一つは動物愛護がきっかけである、と。動物愛護団体で働いていた頃に、政治家のところへ陳情に行くと、協力してくれるようなことを言ってくれて、記念撮影をして「こんな団体の方とお会いしました」と写真を載せてくれたりする、でも、それ以降、その政治家が何か動いてくれた様子は見られず、「やっぱり自分がやったほうがいいな」と気づいて立候補したのだ、と。わからなくはないけれど、そんなふうに言ってしまうと、政治家に何かを託すということ自体が不可能になってしまう。

 演説を聴き終えて、飲み屋街に出る。赤羽は今日も昼から賑わっている。こういう場所を練り歩いたりはしないのだなあと思う。酔っ払いに絡まれるのは面倒だからだろうか。少し前に、女性の政治家に対して「票を投じてやるから」とセクハラまがいのことをする連中がいると報じられていたことを思い出す。でも、「よし、こんなふうに語りかけてくれるなら、お前に投票する!」と言ってくれる人もいるのでは――そう考えるのは夢を見過ぎだろうか。赤羽にくるたび、どこか素敵な酒場があるのではと思うのだけれども、ほとんど観光地のようになっていて、結局入る店を見つけられない。結局どこにも入らず西口に出て、ファミリーマートアサヒスーパードライを2本とチーかまを購入する。ロータリーには日本維新の会選挙カーが停まっていて、録音された松井一郎の挨拶がリピートされている。このあと15時から音喜多駿による街頭演説がある。こちらも予定通りには始まらなかったけれど、オレンジ色をしたお揃いのポロシャツを身にまとったスタッフが少しずつ増えてきて、ビラを配り始める。後ろには「I❤東京」とプリントされている。寒気がする。ただ、そのひとりが、缶ビールを飲んでいる僕のところにもソロリと近づいてきて、「お休みのところお騒がせしてすみません」と断りながら、ビラを下から差し出す。さきほどの現場とは対照的だ。こういうことがきちんとしているところは手強いなと思う。少しずつスタッフが増えてきたと思っていると、いつのまにか候補者本人もいて握手をしてまわっており、駅の構内に消えてゆく。オレンジのポロシャツがかなり増えている。そのセンスは嫌いだけれど、スタッフが全員同じポロシャツを着ていることで、塊として可視化され、それによって通行人に訴えかけるものはある。

 15時22分、街宣車の上に音喜多駿と比例区の候補が立ち、演説が始まる。演説というよりもネットの動画を配信しているかのようなノリだ。漫才師のよう、と言ってしまうと漫才師に失礼になってしまうけれど、ふたりが掛け合いをしながら、ところどころ同じフレーズを声を揃えて語っている。新しい本音主義のようでもあるけれど、その語り口にはどこまでいっても馴染むことができず、白々しい気持ちになる。最初に訴えたのは「消費税増税の凍結」だ。それを掲げると、一緒に演説をしている候補者が、そんなこと言って、じゃあそのぶんはどこから財源を確保するんですか、それじゃあ無責任な野党と一緒ですよ、といった調子で合いの手を打ち、次の話を促しているところも、どうしても耐えられない気持ちになる。わたしたちは増税に頼らず、経済成長を目指す、野党はバラマキ政策ばかり掲げるけれど、そうではなく、規制緩和によって新しい産業を興し、日本を再び成長させるのだ、と。「それは安倍さんも同じこと言ってるじゃないですか!」ともうひとりが合いの手を入れる、たしかに安倍さんもそう言っているけれど、向こうは献金を受けていてしがらみがある、既存の政党とわたしたちは何が違うのか、それはしがらみが「あるのか、ないのか」と再びふたりが声を揃える。やはり白々しい気持ちになる。

 埼京線で池袋に出て、15時55分、高田馬場にたどり着く。16時からロータリーで国民民主党の候補が街頭演説をおこなう予定だ。到着してほどなくして、国民民主党選挙カーがやってくる。おや、ここは定刻通りかと思っていると、ロータリーの脇の通りを抜けて、大久保方面に去ってゆく。そうか、もう少し選挙カーでこのあたりを巡り、そのあとで街頭演説をするのだろう。ロータリーでそのまま待つ。今日は休日で学生も少なく、がらんとしている。周りにいるのは外国人の方が多いようだ。『夏物語』を読み進め、ふと顔を上げると、少し離れたところで外国人の方がインタビューを受けている。『月曜から夜ふかし』だ。行く先々で――といっても大半は沖縄でだけれど――撮影クルーを見かけている。待てど暮らせど選挙カーが戻ってくる気配はなく、気づけば16時40分だ。さすがにおかしい、とツイッターを開いて確認すると、15時20分頃に「新大久保駅前に変更します」と書かれている。急遽変更するのであれば、さきほど通りかかったときにアナウンスしてくれたらよかったのに。僕以外にも、わざわざ足を運んでいた人がいたらどうするのだろう。結局話を聴きにきてくれる人のことなんて何も考えていない陣営なのだなと判断して、次の場所に移動する。

 17時20分、少し遅れて北千住駅に出る。17時15分から北千住駅東口で立憲民主党の候補・山岸一生による街頭演説がある。千代田線でたどり着いたのは西口で、どうすれば東口に出られるのかわからず、迷う。千駄木からすぐ近くなのに、全然違う場所のように感じられる。駅前には大きなショッピングビルがあり、ベビーカーを押している人もたくさん見かける。大手町まで乗り換えなしですぐに出られる場所で、若い夫婦にも暮らしやすいのだろう。でも、僕はこの街に暮らすことはないだろうなと思う。今読んでいる『夏物語』も、生む、ということをめぐる話であり、反出生主義の立場をとる登場人物もいて、さまざまな角度から生む、生まれることを考えてある。僕は、生む、ということを微塵も想像していない。これは知人も同じだ。そんな僕からすると、政治ということは、これからの未来を設計するということは、とても考えづらいことだ。どんな野党も、「年金をきちんと支払えるように」とは言うけれど、「年金なんてやめてしまおう」とは言わない。僕は、どこかで、もう全部やめてしまおうと思ってしまっている。このまま消えていくということについてぼんやり考える。ようやく東口へのルートを見つけ、歩いてゆくと、ネットの動画で聴いたことのある声が聴こえてくる。ここは定刻通りに始まっていたようで、ようやく候補者の姿が目に見えたかと思うと、そのタイミングで演説は終わってしまった。間に合わなかった。通行人に手を振ったり握手をしたりする候補者の姿を、少し離れた場所から眺める。新聞記者から政治家に転身した同世代というプロフィールを見たときは、本当に信頼に足る人物だろうかと訝しく思っていたけれど、道ゆく人の邪魔にならないように、なおかつひとりひとりにしっかり接しようとする姿を見ると、少し印象は変わる。

 西日暮里と赤羽で電車を乗り換えて、18時20分、大宮に出る。18時半から大宮駅西口デッキでれいわ新撰組による演説会が開催されることになっている。アサヒスーパードライを2本買って、デッキに出ると、もうすでに人だかりが出来ている。時間帯と場所の問題があるとはいえ、ここまででは一番多い数だ(爆発的に多いというわけではないけれど)。まだ演説が始まっているわけでもなければ、さほどぎゅうぎゅうでもないのに、植え込みの端やベンチの上に立っている聴衆がたくさんおり、行儀悪いなあと思ってしまう。そこに座る人のことを考えず、土足であがるような人が聴衆にいることは、傍目に見てマイナスの要素だ。演説会の前に、説明のアナウンスが繰り返されている。配っているビラに、「お友達を紹介してください」というハガキがある。そのハガキは公職選挙法的に直接投函できないので、お友達の住所と名前をハガキに書いて、スタッフに渡してほしいとアナウンスしている。僕が友人からそのように住所と名前を政党に伝えられて、うちにハガキが届いたとして、それで「よし、支持しよう」と思うのか、それとも「なぜ勝手に自分の住所と氏名を」と思うかは際どいところだけれど、さすがに小沢一郎と近い位置にいた期間があるだけあって、とにかくなりふりかまわず票を取りに行かないとという気概が感じられる。

 18時35分、山本太郎の街頭演説が始まる。まずは参議院議員として過ごした6年を振り返り、「この国に生きる人々の生活は考えていない、どちらかというと、自分たちのお友達が得になるということで進んでいく6年間だった」と語り、「ごりっごりに戦う野党」を目指し、「本気で政権取りに行く」「政治家めざすならトップを」と語り出す。そして、東京選挙区の話題に触れ、「今年の夏の選挙、東京選挙区、ムチャクチャ熱いことになってるの、皆さんご存知でしょうか」と聴衆に語りかける。候補者の野原よしまさは沖縄の創価学会壮年部の方であり、現在の公明党の変わり過ぎた姿に怒っている方だと紹介する。

「なぜ東京選挙区から立候補するのか、それは、公明党の代表・山口那津男さん、東京選挙区から立候補してるんですねえ。だから、直接、喧嘩を売りに行くっていう選挙になっているんです、面白くないですか。ワクワクしていただきたいんですよ、真面目に政治を考えて、そして、最大限に選挙を楽しむ、そのような夏にしていただきたいと思います、ガチンコの、大人の喧嘩が東京選挙区で繰り広げられている、魂を売った公明党vs.本物の創価学会員の戦いが東京選挙区で繰り広げられております」 

 その場に集まった聴衆にきちんと語りかけ、対話ができる候補者として演説するのは上手だなと思う。それに、とにかく勝ちにいくのだという気概も感じられる。それに、21世紀に入ってから劇場型の政治に一歩踏み入れてしまったあとでは、それを覆すためにも劇場型である必要はあるのだとは思う。でも、やっぱり僕は、政治をあまり「ワクワクする」「面白い」という勝ち基準で判断することを受け入れることができずにいる。そんなことを思っているうちに、候補者の演説が始まる。その冒頭で、自分は二つのテーマを持って立候補したのだと切り出す。一つは辺野古の問題で、もう一つは「今の公明党はおかしい」と訴えるためだ、と。辺野古の基地は一部のゼネコンを儲けさせるために建設されようとしている、公明党の沖縄本部は平和福祉を掲げ、新基地反対と言いながらも基地建設容認の候補を応援している、これはおかしなことだと訴えかける。

 どうして公明党はそんなおかしなことになったのか――それは池田先生がおやめになられたあとに、裏切り者の弟子たちによって創価学会がハイジャックされたせいだと候補者は言う。「私、公明党をつぶせとかね、物騒なことばっかし言ってきたんですけど、これ、私が勝手に言っていることではないんです、池田先生がそうおっしゃっているんです。公明党の前身である公明政治連盟を立ち上げた時に、池田先生がいみじくもおっしゃいました。公明党が将来、権力、政権になびいて、本来の立党の精神である平和福祉を忘れて、国民をいじめるようになったときは、何の遠慮もいらない、つぶしてくれって、本当にそう言われたんです」。そして最後に、「ようするに、創価の改革なんです、それを変えれば日本の政治はよくなります、辺野古も一発で止まるんです」と語気を強めて語ると、聴衆から拍手が起こる。僕はやはりそこに同意できなかった。やはり僕は、「池田先生がいみじくも」と語られる演説に、拍手をして賛同することはできないし、「これさえすればすべてがよくなる」という安直な考えを支持することはできないなと思う。

 

 演説を聴き終えると、埼京線に乗って引き返す。さあ、誰に投票しよう。ぼんやり考えながら渋谷に出て、三軒茶屋に向かった。今日は知人もおらず、かといって僕がよく行く酒場は日曜定休が多いので、小説に出てくる三軒茶屋で飲んでみようと思ったのだ。埼京線で読んでいた箇所に、こんな描写がある。

 

(…)そのまま部屋に帰る気持ちになれなくて、食材を入れたビニル袋を手にさげたまま、三軒茶屋の駅のあたりをうろうろとした。通りから一本なかに入ると細い路地がつながっていて、スナックや居酒屋や古着屋やなんかの看板があちこちで目についた。

 そんなふうにあてもなく歩いていると、どこからともなくコインランドリーの、あの洗濯物を大きな乾燥機で乾かすときの熱気の混じった独特の匂いがしはじめた。顔をあげると前方に銭湯らしき建物が見えた。小さなコインランドリーを通りすぎて少し先に銭湯を見つけると、わたしは入り口のまえに立ってみた。アパートからそんなに遠いわけでもないのに、こんなところに銭湯があるなんて知らなかった。三ノ輪にいた頃はときどき銭湯にいくこともあったけれど、こっちに越してきてからは一度も出かけたことはなく、そういえば銭湯に行こうと思いつくこともなくなってしまっていた。

 

 三軒茶屋にたどり着き、どこで飲もうかと三角州のあたりを歩いていると、そこにはまさにコインランドリーの匂いがあり、とても古びた――というよりもほとんど崩れかかった――入り口が見えて、そこがコインランドリーと銭湯への入り口であるらしかった。そろりと歩き、入り口の戸を開けてみると、番台でおばあさんが居眠りしているところで、そっと戸を閉める。どこでお酒を飲もう。三角州をいくら歩いても、昔ながらの酒場は見つけられず、どこも若い人が営んでいるニューウェイブな店だ。どうしようかと立ち尽くして、そうだ、三軒茶屋なら「味とめ」があるではないかと思い出す。少し前にリニューアルオープンしたはずで、そこに足を運んでみると、カウンターに1席だけスペースが残されており、そこに座る。ホッピーセットとポテトサラダ、それにあじなめろうを注文する。小一時間ほど飲んでいると、「味とめ」のお母さんがやってきて、「あら、おはようございます」と挨拶をしてくれる。最初は坪内さんに連れてきてもらって、何度か再訪したことがあるけれど、最後にきたのも数年前だ。「すっかり綺麗になったでしょう」と言われたけれど、驚いていたので「そうですね」としか答えられなかった。小説を読み進めると、おそらくは三角州の中の路地で、喫煙スペースにしゃがみこんでいる男が登場する。その場面があまりにも印象的で、「味とめ」を出たあとで再び三角州に足を運んで、路地から路地へと歩き続ける。そんなことをしたって何に遭遇するわけでもないけれど、そこにいたかもしれない誰かを、いるかもしれない誰かを、この先やってくるかもしれない誰かのことを想像する。

7月13日

 朝、パソコンにFinalCutという動画編集ソフトの体験版をインストール。このソフトを使って、ボエーズのライブ映像を編集する。ライブがあったのは、もう2年前の春だ。でも、動画編集ソフトの体験版の期限がとっくに切れていたのと、作業にとりかかるために腰を上げられなかったのと、ほったらかしたままになっていた。先日、沖縄から帰ってきた直後にムトーさんを誘って飲んだとき、遅れてやってきてくれたセトさんから「あの映像をそろそろ」とそろりと切り出され、いや、そうですねとゴニョゴニョ答え、「あれだったら、僕も手伝うから」と何度か言われたところで、その話をするなら帰りますと理不尽に帰ってしまったのだった。4台のカメラで撮影していたので、それをどうすれば同期できるのか、どうやって編集できるのかを調べながら編集して、昼過ぎに作業を終える。すぐにボエーズのグループLINEに送るも、待たせ過ぎてしまったせいかさほど反応もなく、少し落ち込んだ。

 午後、『じゃりン子チエ』を読む方法を探す。『じゃりン子チエ』全67巻のセット、アマゾンだと2万円強で出品されている。金額以上に、全67巻を置くスペースもないけれど、電子書籍版であれば全巻セットで1万7千円だ。これを購入して、1巻から読み始める。18時、そろそろみたままつりに出かけようかと思ったところで雨が降り始める。九段下に出かけるのはやめにして、谷中ぎんざに出て、「越後屋本店」でビールを飲んだ。みたままつりには行けなかったけれど、せめてソースを味わいたいということで、「小奈や」へ。ボトルを注文して飲んでいたのだが、4割くらい残ってしまった。このお店はサキ先輩に連れてきてもらって知ったお店なので、なんとなく、ボトルに「古書信天翁」と書く。この店はそんなに頻繁にくるわけではないので、飲み切れなかったボトルはいつもそう書いている。そんなことされても、サキ先輩だって嬉しくないだろうとわかっているのだけれど、頻繁にくるわけでもない店に自分の名前でキープするのはしっくりこなくて、いつもそうしてしまう。これまでは奥のテーブル席だったけれど、今日はカウンターで飲んでいたこともあり、帰り際に店主の方から「あれっ、山ちゃんの知り合いですか?」と見つかってしまう。

7月12日

 今日も雨だ。しばらく前にネットから注文したMacBook Air、今日届く予定だと連絡があったので、楽しみに待ちつつ、古いパソコンからデータを外付HDDに移す。まだ今のMacBook Airは使えているのだけれど、動きが遅くなっていたところに、バッテリーがほとんど持たなくなってしまった。バッテリーは1万円もあれば交換してもらえるらしいが、ときどきノイズみたいな画面が表示されることもあり、突然壊れてしまうかもしれない。分納にしてもらっている税金や保険料やを考えると、印税が入ったとしても余裕はないのだけれど、少しでもまとまったお金があるときに買っておかなければほんとうに立ち行かなくなってしまうので、思い切って購入したのだ。Retinaディスプレイのモデルがよいのだろうけれど、それは割高である上に充電器のタイプが今までと違うらしく、非Retinaのモデルを注文していた(現行の充電器は何個かあって、部屋ごとにコンセントに挿してあるので、どの部屋でも充電しながら使える)。

 届かないうちにお昼時になり、セブンイレブンへ。昨日、ついに沖縄にセブンイレブンが出店したこともあり、沖縄フェアをやっている。油味噌のおにぎりと、沖縄で食べたことないけれど、冷しタンメンというのを買って食す。そうしているうちにパソコンが届き、開封し、トートバッグに詰めてアパートを出る。西日暮里を経由して、代々木に出る。路地を歩いていると、屋台村みたいな場所があり、驚く。こんなところがあったとは。コンビニでペットボトル入りのアイスコーヒーを買って、13時過ぎ、F.Yさんのアトリエへ。F.Yさんが手がけるレーベルを発信するための取材(一年間をめどに毎月)を、僕に依頼してくださったので、その打ち合わせをする。謝礼をどのくらいお支払いすればいいのかわからなくて。そう言われて、別にいらないですよと答えたものの、さすがにそれでは気が引ける様子だったので、じゃあ、僕にふさわしいシャツを作ってください、とお願いする。これを着ていればと思えるような、一張羅になるシャツを。そうお願いしたところ、一枚ではさすがに、でも、だからといって毎月わたしの作ったものを渡してしまうと橋本さんの服がきらきらしたものばかりになってしまうしと迷って、じゃあ、初夏を一着と、秋冬で一着、ということでお願いすることになる。

 Yさんのアトリエをあとにして、時間を潰すようにのんびり明治通りを歩き、15時、同じく千駄ヶ谷にある編集室を訪ねる。取材を依頼したいと思っているので、一度お会いしたいと連絡をいただいていたのだ。30分ほど雑談をして、出る。新宿3丁目に出て、「らんぶる」に入り、パソコンを広げて設定をする。データを移したり何かをダウンロードしたりしているあいだに、『夏物語』を読み進める。17時半、埼京線で恵比寿に出て、荷物をコインロッカーに預け、傘と『夏物語』だけを手にして改札の近くで待つ。ちょうど第一部の終盤、お母さん、ほんまのことを、ほんまのことをゆうてや、と緑子が言っている場面で、待ち合わせをしていた友人のA.Iさんがやってくる。Aさんがその言葉を発語するのを聞いたことがあるような気がする。リキッドルームに移動して、ドリンクチケットをビールに替えてフロアに入る。一段高くなった場所の最前列に陣取ることができた。ライブが始まるまでのあいだ、ここまでの感想を話す。あれこれ話しているうちに、いつか橋本さんに読み聞かせたのは、あの銭湯の、ヤマグの場面やで、とAさんが言う。あれはいつだったか、どこかでお酒を飲んだとき、まだ(『文學界』に掲載された)「夏物語」を読めていないから、その話はしないでほしいと前置きしたところ、でも、どうしてもこの箇所を読みたいから読むと、Aさんはその一部を読んだのだった。あれはいつのことだっただろう。

 マーキームーンが鳴り響き、ZAZEN BOYSのライブが始まる。この日のハイライトを書こうとすれば、40代男性から、ハートウォーミングなお手紙をいただきましたので、それを読みたいと思いますと切り出し、A4サイズの紙を手に朗読を始めた場面だろう。その内容を要約すれば、ある男が、京王線で新宿に出て、鶯谷に出て、「信濃路」で一杯やり、勢いをつけてラブホテルに入り、女性を呼び、二度チェンジし、三人目にやってきた女性と一戦交え、「俺は何をやっているんだろう」と冷静さを取り戻す――こういうものは内容を要約してしまっては元も子もないけれど、そんな話だ。それを講談調に語り終えると、そこから「はあとぶれいく」に、「なんで俺はこんなところでこんなことしてる いつまで経ってもやめられないのね」という歌詞の登場する曲に突入する。手紙の「朗読」は、少し講談ちっくに行なわれた。客席からは笑いも起きていたけれど、その時間もまた、一体これは何であるのか、形容しがたい時間であった。向井さんは、松鶴家千とせ師匠のステージを観たことで、一段階これまでとは違う境地にたどり着きつつあるように思う。今から12年くらい前、弾き語りのライブで童謡を歌い始めたあたりから、それまでとは違う境地に向かおうとしているなと思ったことをおぼえているけれど、それから干支が一回りした今、また違う境地に達しつつある(そう考えると、童謡は松鶴家千とせ師匠にも通じる要素であり、偶然というのは面白いなと思う)。わかるかなあ、わかんねえだろうなあ。そんな境地にたどり着きつつある男が、ライブのアンコールに歌ったのが「Crazy Days Crazy Feeling」だというのも感慨深かった。そこで歌い上げられる「頭どんだけ狂っても 生の実感だけは持っておこう」という言葉は、30代前半の向井秀徳が歌うのと、今、そんな境地に達しつつある向井秀徳が歌うのとでは、響きが異なっている

 しかし、個人的に印象深かったのは、「Cold Beat」――この曲ではMIYAのベースがうなりまくっている――に続けて演奏された「CHIE chan's Landscape」だ。後ろの方から観ていたので正確なことはわからないけれど、仕草をみるに、順番を替えて急遽そこで演奏されたようにも見えた。この曲がとても印象深く、それは『夏物語』の世界にも近いように感じられ、明日はどうにかして『じゃりン子チエ』を手に入れようと、そんなことを思った。ライブが終わり、じりじり出口に向かって歩いていると、Aさんが「あ、K君!」と声をあげた。F.Kさん――僕の数少ないもうひとりの友人であるF.Tさんの弟だ――は、今日ひとりでライブを観にきていたのだ。何百人と観客がいるなかで、ばったり出くわすことができるなんて。思い返してみると、一年前の7月にもAさんを誘ってここリキッドルームZAZEN BOYSのライブを――現在の体制になって東京では初となるライブを――を観にきて、そのときもKさんと遭遇することができたのだった。あれからもう一年が経つのか。7月12日という日付は見覚えがある気がすると思って写真フォルダーを遡れば、1年前の7月12日は那覇にいて、新体制となって初めてのライブを見届けている。去年と同じように恵比寿駅近くの焼き鳥屋に3人で入り、ウーロンハイと白ワインとホッピーで乾杯。AさんはKさんが7月生まれだということをおぼえていて、聞けば昨日が誕生日だったのだという。Kさんが自分への誕生日プレゼントに買ったものの話を聴きながら、杯を重ねる。

7月11日

 10時50分、近所の歯医者さんに行き、抜糸してもらう。「穴、結構大きいですね。ちょっと消毒しておきましょう」と言われる。親知らずを抜いて一週間が経ったけれど、痛みを感じることもなければ、腫れることもなかったので、穴も小さいのかと思い込んでいた。ということはやはり、抜いてくれた先生が上手だったのだろう。帰り際に、もう運動や飲酒は問題ないですかと念のために確認する。アパートに戻り、歯を磨く。この一週間は血餅が剥がれるのが怖くてあまり歯を磨けなかった。いつもは5分でも10分でも磨いているので、食事に制限があることよりも、お酒が飲めないことよりも、それがいちばんつらかった。久しぶりに思う存分磨く。

 昼、川上未映子『夏物語』を読み始める。発売日は今日だけれど、予約した書店から「ご用意ができました」と連絡をもらっていたので、昨日のうちに買ってきていた。昨日は『乳と卵』を読み返しておいたので、どの部分の解像度がどのように増しているのか、どこが新たに書き加えられたのかを感じながら、読み進める。夏子が暮らしていた大阪の町、『乳と卵』では「京橋」だったのが、『夏物語』では「笑橋」に変わっている。実際の地名を離れることで何かが企まれているのだろうかと思いながら読み進めていくと、夏子が上京して暮らしている町は変わらず「三ノ輪」と書かれてある。三ノ輪。『乳と卵』を初めて読んだ頃、僕は高田馬場に暮らしていて、それはどこか遠い場所だと思っていた。都電で繋がっているけれど、早稲田からはいちばん離れている、終点だ。でも、千駄木に引っ越した今となっては地図で見るとすぐ近くにある。サキ先輩が先日引っ越した町でもあり、セトさんやムトーさんと遊びに出かけた町でもある。昨日、『乳と卵』を読み返したときにもその地名に行き当たり、漠然とGoogleマップを眺めていた。そこに「一葉記念館」の文字があった。それを思い出し、三ノ輪はうちから歩いて1分の場所にあるバス停から繋がっているので、出かけてみることにする。

 竜泉でバスを降りて、一葉記念館にたどり着く。閉館まで30分しかないので、駆け足で展示を観る。これまで樋口一葉について調べようとしたことがなかったなと気づく。そして、展示の中に枕草子を書き写したものがあり、そのキャプションに「樋口夏子」とあるのに目を見張る。樋口一葉の本名は「奈津」であるけれど、自身のことを「夏子」と書くことがあったのだという。ああ、そうか、だから主人公は「夏子」であったのかと、今になってようやく気づく。母親によって「女子に学問は不要」と進学させてもらえなかった、代わりに通うことになった塾で王朝文学や詩歌を学びながらもその発表会で他の生徒たちが着飾る中でそのような晴れ着を持ち合わせていなかった、父を早くに亡くして家長として駄菓子屋を営みながら文学を志していた、夏子。

 16時半に一葉記念館を出て、歩く。いつだか同業者のNさんとこのあたりにきたことがある、と思い出す。久しぶりに飲みませんかと誘ってもらって、このあたりで飲むことになったのだ。Nさんは大阪出身であり、Nさんがまだ大阪に暮らしていた頃に京橋を案内してもらいながら飲み歩いたことがあったなと思い出す。前にこの界隈で飲んだときにはライターではなくある会社の記者になっていて、そこで記者として働くことのつらさを聞かせてもらったことを思い出す。それ以来Nさんとは会っていないけれど、元気に過ごしているだろうか。明日のジョーの像があり、お久しぶりですねと心の中でつぶやき、路地に入る。近くの酒場からはもうカラオケの音が響いている。そういえばこのあたりは坂がない。東京だというのに平らだ。その平らさに、大阪の町並みを思い起こす。夏子はどうして、上京して暮らす町に三ノ輪を選んだのだろう。進学や就職が理由ではなく上京して、三ノ輪を選ぶというのは渋過ぎると思っていたけれど、やはりこの町だったのだろうなと思う。

 歩いていると煙突が見えた。銭湯があるらしかった。銭湯がある路地に出てみると、向こうにスカイツリーも見えた。『乳と卵』にも『夏物語』にも(そして記憶に焼き付いている『少女はおしっこの不安を爆破、心はあせるわ』にも)銭湯は登場する。今日は親知らずの痕の抜糸も終わり、入浴してもよしとお墨付きをもらった日でもあり、普段は出かけることの滅多にない銭湯に入ってみることにする。靴を預け、460円を支払って中に入ると、椅子というのか、腰をかけられる畳一枚分くらいの台のところに寝そべっている人がいる。足には刺青がある。それは絵画のような刺青ではなく、何かの印として刻印されたように見える。ここはこうやって寝そべりながら過ごすスペースなのかしらと思いながら服を抜いでいると、番台からスタッフの方がやってきて、「大丈夫ですか」と声をかけている。近くにいた、こちらも風呂上がりのお父さんが「いつも言ってるじゃないか、あんなに浸かってたらノボせちゃうよ」と身体を拭きながら語りかける。そうやって寝そべっているというよりも、ノボせてしまってぐったりしているらしかった。ただ、スタッフの方も含めて顔見知りであるらしく、ここに流れている日常に触れたような心地がする。 

 備え付けのボディソープで身体を洗って、湯につかる。「41.7℃」と電子の水温計で表示されている。『乳と卵』に、『夏物語』に登場する姉妹のやりとりが思い出される。

 

「新しいやん」と巻子は云い、「新しいねん」とわたしは答え、鏡が並んであるところに椅子と洗面器を持っていきそこを確保、まず湯に浸かろうと巻子が云うので、わたしは髪の毛をゴムでくくって、湯を股と脇にかけて流し、四十二度、と赤い電子文字で表示のある一番大きな湯船に浸かった。(略)

「全然あつない」と巻子は云い、「なんなん、東京の湯ってこれが普通?」「や、味じゃないから東京も何も」「でもぬるい。そやのにあの人、あんな汗かいてる」「ほんまや」という具合で浸かってみても、やはり熱的に物足りなくどれだけ浸かっていてもきりがない感じがして、じゃあミルク風呂は、というので石枠をまたいで真っ白な湯に足を入れればそこもぬるい。

 

 僕には41.7℃でも熱く、数分も浸かっていると限界となり、露天風呂であれば多少は涼しげである気がしたのでそちらに移動した。案の定こちらのほうがぬるかったけれど、お年寄りが次から次へと入ってきてみちみちになり、こちらも数分浸かって上がることにした。さきほど寝そべっていた男性は少し回復したらしく、椅子に腰掛けていたけれど、まだやはりしんどいのかじっとしたまま動かなかった。ドライヤーはコイン式になっていたので乾ききらぬまま服を着て、番台で缶ビールを買う。ここはいつからやっているんですかと尋ねてみると、「銭湯としては古いですよ、でも、二年前に改装して露天風呂をつけたんです」と言う。

 缶ビールを手にぷらぷら歩き、三ノ輪駅にたどり着く。今日はこれから、下北沢に行ってみるつもりだ。今日の夜にトークイベントがあり、当日券もあるという情報がSNSから流れてきて、そのトークに登場されるのは僕が来月トークをしてもらうことになっている作家の方だったのだ。その方とは面識がなく、当日いきなりお会いすると「ああ、この方はこんなふうに話す方だったのだなあ」としみじみ思ってしまって、そのことに気が行ってしまって話に集中できない気がしたので、その方が話す姿を見ておこうと思ったのだ。しかし、トークは20時からで、下北沢に向かうにはまだ早かった。その前にどこかで腹ごしらえをと思っていると、駅の近くに古びた中華料理店があった。小説の中でも、湯に浸かったあと、彼女たちは中華料理店で食事をする。せっかくだからと扉を開くと、小学校高学年くらいの女の子がオレンジジュースの栓を抜いているところだ。店の子なのだろう。店内にはまだ誰もお客さんはおらず、店内はどこでも空いていたけれど、その隣の席に促され、「寄り道セット」を注文する。干し豆腐と、餃子と、チューハイ。水墨画がプリントされた壁紙が貼りめぐらされている。女の子はオレンジジュースを飲みながら餃子と麻婆ライスを頬張っている。小さい頃、父に連れられて中華料理店に出かけた日のことを思い出す、田舎だから中華料理店と言っても餃子とラーメンとチャーハンぐらいしかなかったような気がする、外食すると父はいつもビールを飲んでいた、僕はオレンジジュースを飲んでいた。今では中華とオレンジジュースなんて考えられなくなってしまった。いつのまにビールになってしまったのだろうと思っているうちに女の子は食事を終えて、塾に出かけてゆく。

5月16日

 7時過ぎに起きる。温泉があるというので、朝から湯につかる。他の人に聴こえないくらい小さな声で、「恋しい日々」を歌う。歌詞をキッチンに貼り出してあるので、歌詞をすっかりおぼえている。風呂から出ると、自分のスリッパが消えている。他の人とは混じらないように、ちょっと離れた位置に置き、絶対に間違われたくないから変な置き方をしておいたのに、どうして間違えて履いていくのか。腹立たしい気持ちになり、ちょっとだけ引っ掛けて、ほとんど裸足で部屋に戻る。昨日と同じ服で撮影したほうがよいのだろうなと、シャツと靴下だけコインランドリーで洗濯する。

 洗濯しているあいだに、最上階のレストランで朝食バイキング。入ってすぐの場所にジンギスカンがあり、嬉しくなってついたくさん取ってしまう。「ななつぼし」のごはんもうまく、おかわり。10時にロビーで集合して、ロケに出る。正面に見える山にはまだしっかり雪が積もっているけれど、田んぼには水が張られていて、水色に光っている。あぜ道にはたんぽぽが咲き乱れている。チューリップが植えられた道も多く、風景が鮮やかである。出番が終わってインサートを撮影しているあいだ、店主の方にあれこれ話を伺う。昨日のお店でも、ロケとは別に、いつでも原稿を書けけるようにと店主の方に話を聞かせてもらっていた。若い世代より、高齢の店主の方に話を聞く方が性に合っているなと思う。それを突き詰めるのがよいのか、そこに安住せず挑戦するのがよいのか、わからない。まあでも、それを決めるのは自分ではなく、仕事を依頼してくれる編集者なのだろう。

 16時に旭川空港に到着して、お礼を言ってお別れをする。どうか企画が好評で、第二弾がありますように。わざわざ航空券とホテルを手配してくれて、取材先まで連れて行ってくれて、おまけに出演料まで払ってくれるなんて、なんてありがたいことだろう。「出演料が安くて、ほんとお恥ずかしいです」なんて謙遜されていたけれど、これまですべて自腹で取材を重ねてきたので、なんて幸せな環境だろうと嬉しくなる。搭乗時間まで3時間半あるので、電源の使える喫茶店に入り、パソコンを広げて仕事をする。ふと空港の外に目をやると、牛が放牧されているのが見えた。お土産を購入したのち、せっかくだから最後に寿司でもと思ったけれど、お寿司屋さんのショーウインドウを確認すると、一番安いセットでも1600円とある。寿司は諦めてラーメン屋に入り、サッポロクラシックと醤油ラーメン。札幌は味噌、函館は塩までは知っていたけれど、旭川は醤油なのだと今回の旅で知る。そういえば昼も醤油ラーメンを食べたのだった。

5月15日

 5時15分にセットした目覚ましで起きる。シャワーを浴び、洗濯機をまわし、「7時になったらちゃんと干してね」と知人に伝えてアパートを出る。6時25分のスカイライナーで成田空港に向かい、第3ターミナルへ。いつもはジェットスターだが、今日はバニラエアだ。手続きを済ませて、ローソンでサンドイッチを買い求める。長い行列ができている。それに並んでいると、常温の棚にサンドイッチが放置されている。店員さんに「そこに置かれてましたよ」と渡そうかとも思ったけれど、いつから置かれているのかわからず、いずれにしても廃棄されるのだろう。一体どういう神経をしていたらそんなことができるのだろう。

 飛行機に搭乗してみると、これまで乗ってきた飛行機の中で一番格安だという感じがする。決して足が長いわけではない僕でも、前の座席に膝がつく。9時50分、新千歳空港に到着して、スタッフの方に電話をかけ、ロケ車に乗り込んだ。17時頃までロケ。印象に残るのは海だ。どんより曇り空の下に、暗い色をした海が広がっている。北海道の海を思い浮かべると、晴天の海ではなく、こんな色をした海を思い浮かべてしまう。21時に旭川の宿にたどり着き、チェックイン手続きを済ませ、スタッフの皆さんと飲みに出る。飲み放題だったので気兼ねなくビールを飲んだ。

 注文の段階で「ラーサラ行っとく?」「ああ、いいね」という会話があり、ぽかんとしていると、「ラーサラって、わからないですよね」と話を向けてくれる。ほどなくしてラーメンサラダが運ばれてくる。ラーメンサラダというメニューが存在することは、居酒屋「北海道」のおかげで知っていたけれど、それが「ラーサラ」と略され、「とりあえず」と満場一致で注文するものだとは知らなかった。飲みながら、生中継とロケの違いなど、あれこれ話を聞く。自分が「生中継とロケの違いを身につけよう」と思っているわけでは当然なく、外側にいる人間として、興味深く話を聞く。23時過ぎにおひらきになり、ローソンで缶ビールを買って宿に戻る。