4月2日

 8時過ぎに目を覚ます。コーヒーを淹れて、たまごかけごはん。10時過ぎ、第一牧志公設市場の組合長であるAさんに電話して、解体工事の進捗状況を伺う。かなり工事は進んでおり、4月30日までの工期に収まりそうとのこと。ただし、新市場の建設工事については、まだ入札者が出ておらず、工事の目処が立っていないそうだ。僕は「地鎮祭の様子を取材できないか」とタイミングを伺っているのだけれど、それは7月頃になるかもとAさんは言う。ついでに先日の官房長官の沖縄入りの話をする。国際通りの土産物店は視察していたようだけど、仮設市場にはきたんですかと尋ねてみると、「いや、急遽の視察だったみたいだから、こっちには見えなかったですね」とAさん。

 正午頃になって近所の八百屋に出かける。店頭でオクラと巨大な春キャベツを手にとる。安い豚バラ肉があるので、夜は回鍋肉にしようと決めて、回鍋肉の素と一緒に買う。お昼に納豆オクラ豆腐そばを平らげて、アパートを出る。近くのマンションの駐輪場では自転車が根こそぎ倒れている。セブンイレブンの前に、虫取り網と小さなバケツを持ったこどもたちがいる。千代田線で西日暮里に出て、山手線に乗り換える。一番後ろの車両に乗り込んで、端っこの席が空いていたので座ったものの、駒込あたりで隣に別の乗客が座ると、つい席を立ってしまう。過敏だとはわかっているけれど、反射的に立ってしまう。

 14時少し前に高田馬場駅。よく見かけるホームレスのおじさんが、道端にいつも持ち歩いている毛布を置き、セブンイレブンに入っていく。パチンコ店の前には女性がいて、客を呼び込むでもなく立っている。何のために立っているのかと思ってよく見ると、消毒スプレーを手にしていた。14時、美容院へ。髪が伸びてきて、そろそろ鬱陶しくなってきていた。美容院という空間にとどまることは少し躊躇われたけれど、今のうちに切っておかなければ、出かけられなくなるかもしれない。それで今日のうちにと切りにきたのだ。

 美容院の扉は開けっぱなしになっている。外から風が吹き込んでくる。まずは髪を洗われて、席に戻ると、いつも切ってくれている女性は別の客にかかっているところだ。それとは別の客が僕の隣に座っており、髪を染められながら、ずっと話し込んでいる。カッパみたいなアレをかけられた状態のまま、店の外に出て、「準備が整ったら呼んでください」と言おうかと頭の中で考えてみたけれど、そんな態度を取ってしまったら、もうここにはきづらくなるだろう。野口冨士男の『わが荷風』を読みながら5分ほど待っていると、「橋本さん、お待たせしました」と言われて、無言でうなずく。そのまま無言で切ってもらう。

 15時に美容院を出て、新目白通りに抜け、前に暮らしていたアパートを見上げながら明治通りに出る。坂を上がっていくと陸橋が見えてくる。別にどうという風景でもなく、何度となく目にした風景であるのに、まぶしく見える。日が少し傾いてきて、風景がちょっとだけ黄色く輝いて見える。なんだか久しぶりに外に出たような気持ちになるけれど、それは「久しぶりにこの坂を上がった」ことが生んだ感慨なのだろう。それにしても雲ひとつない素晴らしい天気だ。

 「古書往来座」をのぞいたのち、池袋東口にあるユニクロに出る。こないだの土曜日にこけたとき、ズボンの右膝に穴が空いてしまっていた。ずうっと履き続けてきたせいで繊維が薄くなっていたところに、こけた衝撃で脆くなっていたのか、帰り道にしゃがみこんだところで股まで裂けてしまっていた。これで長ズボンは1着しかなくなってしまったので、同じものを買いにきたのだ。ずっと同じユニクロのチノパンを履いているのだが、棚にそれが見当たらず、「感動パンツ」とかいう名前のズボンを買い求める。ついでに無印良品にも立ち寄り、切らしていた化粧水を2本と、こちらはまだ残りがあるけど乳液を1本買っておく。

 山手線で日暮里まで帰ってくる。久しぶりで「越後屋本店」に寄り、アサヒスーパードライを飲んだ。客足に影響が出ているのか、いつもに比べると「椅子」(ビールケース)の並べ方がゆったりしている。ほんと、「いつまで」ってわからないから困っちゃうわよねえとお母さんがこぼす。帰りにスーパーにも立ち寄り、黒霧島の2Lパック、トリスウィスキー、ササニシキ5キロを抱えて帰途につく。指がちぎれそうになるので、米袋は肩に担ぐ。団子坂を上がっていると、新聞が舞っており、配達員が回収しようと駆け下りてくる。

 夜、かぼちゃの煮物を作っているうちに知人が帰ってくる。回鍋肉づくりは彼女に任せ、『わが荷風』を少しだけ読み進める。20時15分から晩酌。来週後半に大阪の取材が入ったけれど、どうなるだろう。でも、どうせ行くなら1泊2日で駆け足に移動するより、スケジュールに余裕を持たせて2泊3日としたほうが、混雑を避けて移動できるし、身体への負荷も少ない気がする。それに、先日の半日店長のときに「青いカバ」で配布した、「貝殻」と題した文章が掲載されたリーフレットを、お礼もかねてHさんとEさんにそれぞれ渡しておくべきでは――いやいや今は誰かと会う約束をする時期でもないか――そんなことをぶつくさ言っていると、「そもそもこの状況で大阪まで移動するなんてどうかしてる」と知人が言う。いやいや、あなただって毎日会社に行ってるでしょう、会社まで往復15分はバスに揺られていて、それを毎日重ねてるのと、がらがらの新幹線で移動するのと、どちらがリスクがあるんでしょうね――そんなようなことを、もっと荒っぽい言葉で言い返す。

4月1日

 8時過ぎに起きて、米を研ぎ、炊飯器にスイッチを入れる。残りが少なくなってきた。お腹が減ったので、炊きあがりを待たず、冷凍してあったごはんを解凍し、たまごかけごはん。炊き上がったごはん、お昼に食べるぶんを残して、3パック冷凍しておく。コーヒーをたっぷり淹れて、まずは昨日撮影した写真を整理する。少し前に、ムトーさんから「はっちが撮った写真って、はっちだなーって感じがする」と言われたことがある。市場界隈のアーケードを写した写真を見て、そう言われたのだった。自分が撮った写真を自分が見ても、どこにそういう性質があるのか、よくわからない。インスタグラムを眺めていると、未映子さんがストーリーに写真を載せている。「元気だそうとタラを焼いただけでこんなんですよ」と、身がぼろぼろになったタラの姿。その写真に、われらのみえこよ!という気持ちになる。

 午前中は資料として必要な本を読んだ。雨が降っているので気分が晴れない。外出できない日がきたら、どうなってしまうのだろう。テーブルの左手に大きな窓があり、通りに面している。いつもは締め切っているカーテンを開けて、外の景色を眺めながら本を読んだ。時間が経つうちにカーテンを開けていることを忘れ、だらしない姿勢になっていることに気づき、閉める。正午過ぎにスーパーに出かける。ごはんが多めにあるからと、レトルトカレーを手にとる。雨の中をもう一度出かけるのは面倒だからと、晩のおかずも買っておく。すぐに食べる予定はないけれど、冷凍うどん(5個入り)も買ってしまう。このスーパーだと米は2キロのものしか売っておらず、2キロの袋を2つ購入すると買い溜めしているようで気が引けて、米は買わなかった。

 じゃがいもをレンジでチンして、ごはんの横に添え、レトルトカレーをかけて食べる。午後も引き続き読書。資料なので必要なところだけ、斜めに読んでしまう。参議院決算委員会で、首相が「今この時点で緊急事態宣言を出す状況にはないと考えている」と発言したというニュースが流れてくる。この政治家はいつからこうなってしまったのだろう。最初に政権を担った頃から、なにかしらの功績を挙げて歴史に名を残したいという気配が漂っていた。今こそリーダーシップめいたものを国民に示す好機であるにもかかわらず、ひたすら無策だ。いつからこうなってしまったのだろう?――そう考えているうちに、去年の11月で憲政史上最長任期の総理大臣になったことを思い出す。そこでもう糸が切れてしまったのだろうか。

 世が世なら暴動が起きていただろう。最近日露戦争の頃のことを調べていたこともあり、日比谷焼打事件のことが思い出される。しかし、今の状況下では、そんなふうに集まることさえできない。琉球新報の連載のことを考える。すでに取材してあるお店は1軒あるから、それで1回は書ける。でも、渡航できるうちに他にも取材しておかないと、ロックダウンとなればしばらく休載せざるを得なくなる。ジェットスターのサイトを開き、値段を確認すると、ゴールデンウィークあたりでも5千円台のチケットがある。しかし、この時期に「取材のために」と移動することを、どこまで正当化できるか心許なくなる。

 18時頃まで本を読んで、きんぴらごぼうと、こんにゃくの炒め物を作っているうちに知人が帰ってくる。餃子は知人に作ってもらう。つい最近の『マツコの知らない世界』で「お取り寄せ餃子の世界」をやっていたらしく、そこで紹介されていたやりかたで作るのだと息巻いている。焼き上がった餃子は、たしかにいつもよりぱりっとしてる。いくつかバラエティ番組の録画を観る。21時過ぎになって「QJWeb」の記事が公開される。今年の1月26日に、京都・紫明会館で開催された弾き語りライブを皮切りに、カネコアヤノのツアーをずっと追いかけていた。ライブを観て、すぐに原稿を書き始めて、2日後には完成させる――そんな日々を2月の終わりまで続けていた。

 記事には、「取材・文・写真」として僕の名前が入っているが、それとは別に、「編集」とクレジットが入っている。編集とは一体何を指すのだろう。ツアーが始まってから、どの公演でどのポイントに触れながら、どの曲に言及しながら書くのがよいか、ひとりで頭を悩ませながら過ごしていた。リアルタイムで原稿を送り続けても、ほとんど感想らしい感想ももらえなかったけれど、それでも「これを今記録しておかなければ」と書き綴ってきた。この企画も、「ライブのルポを書きませんか?」と依頼があったわけではなく、昨年のパンダ音楽祭で彼女が歌う様を目の当たりにしてから、「この人のことを言葉にしなければ」と思い立ち、いくつかの偶然が重なって本人と話す機会を得て、ツアーに同行させてもらえることになった。交通費や宿泊費が出るわけでもなく、それでも「今観ておかなければ」と急き立てられるように書いたルポの一部がこうして日の目を浴びることになり、嬉しいというより、ほっとしている。

qjweb.jp

3月31日

 8時頃に目を覚ます。つけっぱなしになっていたテレビでは、『グッとラック』が流れている。『8時だョ!全員集合』の映像が映し出される。これはTBSでやっていたのか。小さい頃はほとんどテレビを見せてもらえなかったこともあり、タイムラインを埋め尽くしているような思い入れというのが僕の中には薄く、思い出すのは『タケシムケン』だ。そういえばまずいラーメン屋選手権みたいな企画に出ていた「彦龍」は、僕が今暮らしている町にあったはずだ。10年以上前、同じ企画に登場した新津の「東花食堂」に立ち寄ったときのことも懐かしく思い出す。まずいというより、味をあまり感じなかった。

 「やなか珈琲」に電話をかけ、コーヒーの焙煎を注文。いつもは200グラムだけど、しばらく取材に出かける予定もないので、300グラム注文する。8時45分にアパートを出て、受け取り、帰ってきてコーヒーを淹れる。匂いを感じるから、まだだいじょうぶだ。午前中は何本かメールを送る。昨日までの取材は、ウェブで掲載するのは難しいかもしれないと言われている。時節柄、どこからどうケチがつくかわからないという理由だ。それもわかるし、ウェブ掲載にこだわる気持ちはまったくないのだけれど、でも、「今こそ」なのではという気持ちがあり、それをメールにしたためる。この状況で、いろんな判断を迫られながらも営業しているお店のことを、リアルタイムで書くべきなのではないか、と。

 13時過ぎ、千代田線で西日暮里に出る。改札で知人と落ち合って、柵越しに忘れ物の鍵を手渡す。たくさん淹れてしまったコーヒーも、魔法瓶ごと渡す。山手線のホームに降りて、いちばん人が少なそうな端っこまで歩き、電車に乗る。端っこの席に座ることができた。ひと席あけて乗客が座っている程度の乗車率だが、それでも妙に不安になる。窓が開いているのと、扉の近くの席だから2、3分ごとに扉が開くのが救いだ。思いのほか恐怖を感じているのだなと実感する。しかし、通勤電車に揺られている人たちは今、何を思っているのだろう。早く目的地に着かないかとモニターを見上げると、「高輪ゲートウェイ」という文字が窮屈そうに書かれている。

 品川駅で電車を降りる。勝手に電車に乗っていただけなのに、ようやく解放されたような心地がする。初めて新幹線の入場券を買い求めて、売店崎陽軒シウマイ弁当を購入し、ホームに降りる。最初は下り側のホームに行き、新幹線を見送っていたけれど、今日僕が座るべきは上り側のホームだろうと思い直す。ベンチに座り、上京してくる新幹線を眺めながら、シウマイ弁当を平らげる。弁当ガラを捨てて、改札を抜け、第一京浜を歩き出す。来年度から始めるシリーズ企画のために、「路上」を歩く。2020年4月からスタートして、月に1回ずつだけれども、ふと思い立って2019年度最後の日である3月31日に歩いたほうがよいのではという気持ちになった。最終回も3月の「路上」を歩き、4月は不在のまま終わるほうがよいのではと思ったのだ。2時間ほど歩き、新橋にたどり着く。

 そこからは電車で移動して、16時半にYMUR新聞東京本社へたどり着く。並べられたテーブルがいつもと変わらぬ感覚で、少し動揺する。発言するときにマスクをずらす方も多く、おお、マスクの意味よ、とそのたびに思ってしまう。委員会が終わると、32階にある「スエヒロ」で食事会となった。皿に盛られた豪華な料理を、トングで取り分ける。フロアはガラス張りになっており、東京タワーがよく見えた。今日はここを歩いてきたのだなと思う。路上を歩いていると、ビルの群れは目に入っていても、そこからこうして見下ろす視点があるということは、まったく意識していなかった。ビールを3杯、赤ワインを1杯飲んだ。

 またしてもハイヤーに送られて、おかしな気持ちになる。新橋駅近くで降ろしてもらって、界隈を歩く。結局どこにも入らず、1時間ほどで今日の取材は終わりとする。日比谷まで歩き、千代田線のホームに降りる。すぐにやってきたのは我孫子行きで、少し混んでいたので一本見送り、次の北綾瀬行きに乗り込んだ。根津で降りて、「バーHSGW」に立ち寄る。すごく悩みながら営業されているようで、今日も4人組のお客さんから電話があったけれど、4人だとどうしても飲んでいるうちに声が大きくなって、飛沫だなんだと考えてしまうと、お断りしてしまったとHさんが教えてくれる。昨日の会見でも「バー」って言われてましたしねと伝えると、「小池百合子は、バーテンダー協会の名誉会員なんですよ」とHさんが言う。「もう、日本中のバーに貼り出されるかもしれないですよね。『小池百合子お断り』って」と。静かにハイボールを2杯飲んで、帰途につく。

 

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3月30日

 夢を見た。朝になって目を覚ますと、口の中に異物感がある。ぺっと吐き出してみると、陶器の破片が口から出てくる。沖縄のやちむんの破片だ。口をゆすぐと、次から次へと灯器の破片が出てくる。枕元に置いてあったはずの陶器がなくなっていて、どういうわけだか、それを食べてしまっていたらしかった――という夢である。この夢を定期的に見ている。

 7時過ぎに起きると、テレビでは土日の東京の様子をリポートしている。そして、自宅で退屈をまぎらす人たちの動画や、家の中で楽しく過ごすためのグッズを紹介している。この国のテレビは、この明るさを手放せずにいる。現実を直視しなくて済むように、内容としても、物理的な照明としても、底抜けに明るい。

 10時近くになって志村けんの訃報が飛び込んでくる。ハリセンボンの春菜が涙を流し、言葉を失っている(こう書いていて気づいたけれど、観ないと誓った『スッキリ!!』にチャンネルを合わせてしまっていた)。『スッキリ!!』が終わると、『バゲット』が始まる。冒頭に志村けんの訃報を速報として伝えると、当初予定されていたのであろう明るい企画に移ってゆく。人が死んだのだから喪に服せと言いたいわけではなく、どうしてこんなに明るくしようとするのだろう。たとえば10年前のバラエティ番組の映像が流れると、スタジオが暗く見えて驚くことがある。それはつまり、画面がどんどん明るくなっているということだ。

 10時半にアパートを出て、「青いカバ」へ。昨日までは外出自粛要請が出ていて、今日は自粛が求められていない日だ。それは一体どういうことなのだろう。行政を批判するためにこう書いているのではなく、ほんとうにその線引きの意味が理解できずにいる。曜日とは無縁に生きている僕からすると、どうしてそこに線が引かれるのか、わからない。11時過ぎに到着して、21時の閉店時間まで滞在する。

 途中、「ロックダウンが発表されるのでは」という情報が舞い込んでくる。それからしばらく経って、20時から小池都知事が緊急会見と正式に報じられる。いよいよ、都市封鎖なんて事態が到来してしまう。不思議と「そんな東京を目のあたりにするのか」と、どこか高揚した気持ちになっている。20時になると記者会見を配信するYouTubeのアカウントにアクセスして、会見が始まるのを待つ。30分遅れて始まった記者会見に、心底がっかりする。ロックダウンを決断したとばかり思い込んでいて、「やればできるじゃないか」という気持ちになっていたけれど、結局のところまたしても「自粛」を要請するだけの内容に、心底がっかりした。

 21時に店を出て、差し入れでもらった缶ビールを手に、染井霊園まで歩く。桜の名所として名前は知っていたけれど、上京20年目にして初めて訪れる場所だ。霊園だから当たり前なのだけれども、自粛を要請されなくたって、特に花見ができるようなスペースは存在しなかった。すっかり散ってしまっているかと思っていたけれど、思いのほか花は残っていた。夜桜を見物する人の姿はどこにも見当たらなかった。『消しゴム山』に繰り返し登場する、「観客はいなかった」という言葉がよみがえってくる。霊園で桜が咲き誇っている、そこに観客はいなかった。

3月29日

 8時に起きて、コーヒーを淹れる。昨晩のうちにエアコンの予約を入れておいたので寒さは感じないが、窓は結露で真っ白になっている。タオルで拭いてみたが、まだ雪は降っていないようだ。炊飯器のスイッチを入れたものの、炊き上がりを待つにはお腹が減っている。埼玉で仕入れてきたぶんを平らげようと、パスタを茹でてツナ缶と和え、少し醤油をたらして啜る。沖縄でM&Gに同行したときの音源をテープ起こししているうちに、雨が雪に変わる。まだ眠っていた知人を抱えて起こし、ほら、雪になったでと窓を開けて見せる。だから何なのだという表情を浮かべて、知人は布団に戻ってゆく。

 11時半にアパートを出る。少し身構えながら千駄木駅の階段を降りてゆく。ホームで電車を待っているのは、僕のほかにはひとりだけ。西日暮里で乗り換えると、乗り換え口にはいつものように警備員がふたり、少し離れた位置に立っている。警備が必要なほどの人通りはなかった。山手線に乗ると、座れるくらいには空いてるけれど、思ったより人が乗っている。雪が降る車窓を眺める。

 駒込駅で降りて、少し散策する。後ろに羽みたいなのをつけた車がうなりながら走ってきて、降り積もっていた雪を巻き散らし、僕の右半身が濡れる。追いかけて同じダメージを与えてやりたいけれど、あっという間に走り去ってゆく。そんなに飛ばしたいなら、右車線を走ればいいのに、腹立たしい。こういうときに「同じ傷を与えてやりたい」という復讐心を抱きがちだと、最近になって気づいた。霜降銀座商店街を少し歩き、うどん屋で昼食をとる。お昼時なのに、他に客は一組だけ。店員さんは厨房に3人、ホールに3人もいる。

 13時に「青いカバ」にたどり着く。半日店長2日目。19時にお店をあとにして、セブンイレブンアサヒスーパードライのロング缶を購入し、飲みながら歩く。手がかじかんでくる。今日は3月29日だ。今から4日前、与野本町からの帰り道、埼京線に揺られながらバドワイザーの缶ビールを飲んでいた。僕は立ってつり革につかまっていて、目の前にA.IさんとK.Mさんが座っていた。そのとき、今日が3月25日だったことが思い出され、「ほんとうは今日が卒業式でしたね」と伝える。その言葉をAさんとKさんに向かって言ったのかどうか、自分でもよくわからないけれど、そう告げたことを思い出す。ひめゆり学徒隊として動員された子たちは、3月25日の卒業式は中止となり、動員先の南風原陸軍病院で簡易的な卒業式が行われた。それが75年前の今日だ。

3月28日

 7時過ぎに起きる。昨日の鳥野菜みそ鍋の残りに、冷凍うどんを2玉投入する。ひとりで朝食をとり、「昨日の残りのうどんあるけえの」と知人に伝えてアパートを出る。まだ雨は降っていなかった。家を出た瞬間に非難の目を向けられるかもしれないなという覚悟でもって外に出ると、いつも通りの世界が広がっている。近所の肉屋にはぎゅうぎゅうに人影が見える。家族5人で犬を散歩させている、あれは外に出る言い訳を作っているのだろうか。

 角を曲がると、歩道橋のある交差点が見えてくる。ああ、あそこを越えるのは少し時間がかかる。それならばと、ちょうど車が途切れたところだったので、片側2車線の道路を、横断歩道のないところで飛び越えようとする。足元ではなく、車がきてないかどうか左右を見ながら小走りで渡っていると、何かにつまずいてしまう。あ、つまづいてしまったと意識が働く。でも、つまづいたのとは反対の足で踏みとどまれるだろうと楽観的に思う。でも、からだはとどまる気配がなく、そのまま前のめりの体勢になる。あれ、こけるのか。たしか今、カメラを提げてるんだけどと思っているうちに手が地面につき、それでも勢いはとまらず、顔もアスファルトに擦り付けられる。急いでからだを起こして、路上に散らばった荷物を急いで集めて、対岸まで渡りきる。散歩していた老夫婦がこちらを見ている。心配するでもなく、ただ見ている。横断歩道ではないところを突っ切ったバチがあたったのだろう。勝手に転んだのはこっちなのに、あー、見てんじゃねえよと思いながら歩き去る。老夫婦は興味を失ったように地下鉄の入り口に進んでゆく。顔面がひりつく。マスクをずらしてみると、うっすら血がついている。左右の手にも少し擦り傷がある。左手は手のひらの側に。右手は甲の側に擦り傷がある。右肩にカメラを提げていたから、それをとっさに庇ったのだろう。歩きながら、もう一度マスクをずらしてみる。さっきより少し血の色が濃くなっている。もう一度マスクを押し付けてみると、もう少しだけ血の色が濃くなる。それを何度か繰り返しながら、傷の深さがどれくらいなのかを探る。まあ大した傷でもないだろうと思ったところで、こんな血のついたマスクで今日一日過ごすのかと我に返る。マスクではなく、ティッシュを使えばよかった。今日は夜まで取材だというのに、どうしよう。途中でセブンイレブンを見つけたけれど、マスクも消毒液も売っていなかった。知人に連絡して、取材先までもってきてもらえないかとお願いする。

 10時半、駒込にある「BOOKS青いカバ」にたどり着く。今日から30日まで、「半日店長」としてお店に滞在させてもらいながら、「東京の古本屋」の取材をさせていただく。イベントのほうは直前に告知しようと思っていたところに、25日に外出自粛要請が出た。迷ったけれど、お店は営業されるというので、特に「イベントを開催します」と告知は出さずに、3日間滞在させてもらうことになった。店内に張り出してくれた市場の風景に、キャプションを書き加える。

 開店時刻になるとHONの雑誌社のTさんがやってきて、お客さんに配布するためのリーフレットを渡してくれる。せっかくイベントを開催するなら、何か配布物をと提案されたのは3月24日のこと。「東京の古本屋」の第1回の原稿や、『市場界隈』刊行記念で開催したトークイベントの採録を印刷して配布してはどうかと提案してもらったのだけれども、せっかくのイベントなのにウェブで無料で読めるものを配るのもと気が引けて、「明日までに1600Wぐらいのテキストを書きます」と返信して、「貝殻」と題した文章を書いたのだった。「リーフレット」と言っても、ぺらんと出力しただけのものだろうと思っていたのだけれど、しっかりデザインされた仕上がりになっていて驚く。わざわざデザイナーさんに作ってもらったのだという。「使って欲しい」という意図もなく、沖縄の砂浜に貝殻を並べた写真も原稿と一緒に送っていたのだが、その写真もカラーで掲載されている。「デザイナーの方も、この写真に感じ入るものがあったと言ってましたよ」とTさんは言う。そこには何があったのだろう。僕の中ではほとんど無意識のことだから、自分では察知できずにいる。

 今日は短縮営業とのことで、19時にお店をあとにする。セブンイレブンに寄り、缶ビールを2本購入する。ウェットティッシュを取り出して、ひとしきり拭いてから飲んだ。飲まなければ済む話なのだけれども、こうして歩きながら缶ビールを飲むのが好きなのだ。今日は20時から高円寺の「円盤」で見汐麻衣さんのライブがある。本当はそこに行くつもりでいた。でも、昨晩のうちに更新された見汐さんの「続・寿司日記」にはこう書かれていた。

明日、ご来場をお考えの方がいらっしゃるとすれば(あなたも私もくれぐれも予防は怠らず)
いつものようにノントークで。(生活圏内以外からの移動はノンノン!)
いつものように、まんじりともせず1時間10分を感じてください。
そしていつものごとく、終了後には蜘蛛の子を散らすように皆様、気をつけて帰って下さいね。(生活圏外への移動はノンノン!)

 高円寺の「円盤」までは、電車を乗り継いで30分以上かかる。さすがに「生活圏内」とは言い張れないだろう。昨晩目にしたこの言葉を、今日はずっと反芻して過ごしていた。缶ビールが滲みる。上唇に擦り傷ができている。なんて不便なところに傷を作ってしまったのだろう。食事をするたびに、そこから雑菌が入り込むことを懸念して過ごさなければならなくなってしまった。風が強く、マフラーをしていても肌寒く感じる夜道を、20分かけて歩きながら、ビールを2缶飲み干した。

3月27日

 7時過ぎに起きて、コーヒーを淹れる。8時50分にアパートを出て、与野本町へ。昨日や一昨日より早い時間帯なので、多少混雑しているのではと気が重かったが、今日も座れるほど。9時45分に劇場にたどり着き、ファミリーマートで買ってきたハムサンドを頬張り、オーディションを見届ける。終了後、その場に残った何人かで、泡盛で乾杯。請福と残波。2時間ほどその場で過ごす。夕方から飲み屋に行くようだったけれど、今日はもうこれ以上話せる言葉はない気がして、途中でそっと抜ける。

 帰り際、駅前のスーパーをのぞく。またパスタとそばを一袋ずつ買ってしまう。王子から駒込に出て、「青いカバ」をのぞく。棚を眺めていると、聞きおぼえのある声がする。HONの雑誌の担当編集者・Tさんだ。Tさんに挨拶して、そして、店主のOさんにも「明日からよろしくお願いします」とご挨拶。20分ほど歩いてアパートに戻る。知人もほどなくして帰ってくる。夜は鳥野菜みそ鍋を作る。今シーズンはこれで食べ納めだろうか。

 鍋をつつきながら、最初のうちはバラエティ番組を観ていた。でも、どうしても散漫に感じる。前はあれほど魅力的だったのに。これは一体どうしたことだろう。もう一台のブルーレイレコーダーを記録して、毎週自動的に録画され続けているドキュメンタリー枠のラインナップを見ても、心惹かれるものが見当たらなかった。こう、切実なものが観たいのだと思って、舞台上で披露されている漫才の動画や、ライブ動画をいくつか観る。9年前に何度も聴いた曲でも、今はもうあまり響かなくなっている曲があると気づく。その一方で、踊ってばかりの国の「東京」は、2011年以降のことを歌っている曲だけど、今のこの状況にも直接的に言い当てているように感じる。

 呼吸ができなくなって死ぬのは苦しいだろうなと、ふいに想像してつぶやく。だから、できれば溺死は避けたいところだ。火事で死ぬのも苦しいだろう。最近になってようやく、ホテルに宿泊するとき、扉に貼り出されてある避難経路を目にして、「もしも火事が起きたら」と想像するようになった。だからといって、避難経路を念入りに確認するわけでもないけれど、一瞬だけ頭を過ぎる。9・11の映像を思い出す。高層階から飛ぶ状況に追い込まれるのはしんどいことだ。寿命で健やかに死ぬ以外であれば、せめて事故死か、銃で撃たれて殺される方向でお願いしたい、刺されるのは痛そうだ。そんなふうにつらつらしゃべっているあいだ、知人がずっと嫌な顔をしている。