夕方、早稲田へ。佐々木敦さんの授業に森山裕之さんと清田麻衣子さんがゲストスピーカーとして登壇し、「モグリ歓迎」とあるので出かけることにする。文キャンを歩き、AV教室に入ってみるとほぼ満席で驚く。授業を待つ学生たちがお菓子を食べていて、大学ってこんな感じだったか。僕が学生だった頃でも小さなお菓子をこっそり食べている人はいた気がするけれど、スナックの袋菓子をパーティー開けして食べている。豪快だ。こんなだったっけと思い出そうとするが、僕はほとんど授業には出ていなかったことを思い出す。

 ほどなくして講義が始まる。スタッフが出席カードを配る姿を見て、そうか、それでこんなに混んでいるのかと納得する。親にも安心してもらうように、基本的に出席を取らせることになっているのだろう。それにしても、大学は何を考えているのだろう。最後列から見渡してみると、顔をあげているのは2割か3割ほどで、あとはずっと俯いている。

 本を読んだり、何かの勉強をしている人もいるけれど、大半の学生はケータイをいじり続けている。どうすればあんなに電池が持つのか、不思議なほどだ。あのペースでいじっていたら、モバイルバッテリーだって空になるだろう。出席を取ってこんなふうに縛り付けるくらいなら、どこかで遊んでいた方がためになるのではという気がする。

 そんなことを考えてしまうのは、自分が学生の世代から遠ざかったからなのか。彼らはひとまわり年下だ。僕が唯一出席し続けた授業は坪内さんの講義で、授業後には「金城庵」で飲み会が開かれていた。そこには担当編集者の方たちもよく参加してくれていた。ゲストスピーカーである森山さんもその一人だが、あの頃の森山さんは、今の僕より年下だったはずだ。僕は学生と話すときに何が言えるだろう。

 ゲストスピーカーの二人に共通するのは、一つは“ひとり出版社”を立ち上げたことで、もう一つは『マンスリーよしもとPLUS』という雑誌を作っていたことだ(その前に『dankaiパンチ』編集部にいたということも共通する)。僕は『dankaiパンチ』と『マンスリーよしもとPLUS』という雑誌で二人と一緒に仕事をしていたこともある。

 印象的だったのは、「それまで思うように本を作る現場にいられなかったこともあり、お笑いという枠があるけれど、逆に言えばお笑いという枠があれば何でもできると思った」という清田さんの話。また、森山さんは太田プロという芸能プロダクションから出発した太田出版が独立し、独自のジャーナリズムを突き進んだことを例に挙げ、「吉本にいながらジャーナリズムをやるんだという意気込みだった」と話していたことも印象的だ。

 最後にこれからのことについて振られたとき、森山さんがこう切り出した。たとえば自動車産業であれば一人でトヨタに対抗できないけど、僕も清田も講談社に対抗できる。もちろん営業面を含めていろんな違いはあるけれど、1冊の本を作るってことでは勝負できるし、ひとり出版社で100万部の本を出す可能性はある。僕も40歳になって、現役でやれるのはあと20年だってなったときに、売り上げのために本気で本は作らないと思う。そこで何をやるかと考えたときに、自分の責任で、自分の判断で、今の時代にどんな本が必要かってことを考えたい――と。

 講義を聴いていると知人からメールが届いた。蜷川幸雄が亡くなったのだという。講義が終わったあと、高田馬場にある店で飲み会が開かれるというので、僕も参加することに決めた。建物が壊されていることもあり、文キャンのスロープからは風景がよく見渡せる。西の空には真っ赤な夕日が浮かんでいる。今年の2月、『蜷の綿』という作品が延期になり、その代替公演が上演されることになった。その公演を観た日も、こんなふうに綺麗な夕焼けを見渡したことを思い出す。