「今度『書を捨てよ町へ出よう』の特集を企画してまして、そこで橋本さんにドキュメントをお願いしたいんです」。そう電話がかかってきたのは、2015年10月21日のことだ。何でそんなにハッキリ覚えているかといえば、その日僕は川崎に出かけ、映画を観ていたからだ。映画というのは『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2』で、劇中でタイムトラベルするのがまさに10月21日だったのである。

 映画を観終えて、せっかく川崎まで来たのだからと競馬場で酒を飲んだ。いい加減に馬券を買ってみたが当たるはずもなく、100円ずつ馬券を買ってはホッピーを飲んで過ごした。ほろ酔い気分でアパートに戻っている途中に電話が鳴り、冒頭の言葉につながるのだが、僕は返事に困った。口には出さなかったが、心の中で数秒うめいて、ぜひ書かせてくださいと返事をした。

 マームとジプシーの活動を、ここ数年はずっと追いかけてきた。2015年の春は、『cocoon』という作品に先だって原田郁子さんと青柳いづみさんと藤田貴大さんが全国を旅した『cocoon no koe cocoon no oto』という公演に同行した。そのときは影のように3人の後ろを追って、ある一日に至っては朝から開演直前までピンマイクをつけてもらった。彼らの語る「声」と彼らが耳にした「音」にひたすら耳を澄ませて、それをドキュメントとして記した。その半年後、2015年の秋にはケルン・北京・ポンテデーラの3都市で、それぞれ別の作品が上演されたが、その3つの公演も追って滞在記を書いた。それはここにまとめてある。

 フィレンツェの喫茶店でポンテデーラ滞在記を書き終えたとき、これで一区切りだろうなと漠然と思っていた。僕の中では毎回違う心持ちで彼らに同行して、違った形のドキュメントを書かなければという気持ちでいたのだが、こうして同行し続けていても「ああ、橋本君はまたマームを追いかけてるんだね」という印象しか持たれていないのだろうなということを、自分でも薄々感じていたというのが一つの理由だ。

 誰かに評価されたくて同行していたわけではなく、「とにかく彼らの今を書き留めておかなければ」というだけで追っていたのだが、このまま「いつも同行している」となってしまうと、マームに対してもプラスにならないだろうなと思っていたのだ。もう一つの理由は、「今の自分にできるドキュメントは、他に何があるだろう?」と考えるようになったことがある。そんなタイミングでの依頼だったから、心の中で数秒うなってしまったのである。

 電話をもらった翌日から、僕は稽古場に通い始めた。本格的な稽古が始まるのはもう少し先だったが、プレ稽古のようなことが行われると聞いて、横浜は桜木町にある稽古場に通い始めた。彼らは稽古を始める前にまず、寺山修司について知ろうとしていた。僕はその様子を眺めながら、大宅文庫で資料を探し、新刊書店や古本屋で寺山修司の本を探しては読み漁った。稽古期間中に藤田さんが熊本で「仕立て屋のサーカス」に出演すると聞けば熊本に出かけたし、稽古は2、3日をのぞいて毎日見学した(途中でぎっくり腰になったが、タクシーで稽古場に出かけた)。3週間の公演期間中、1日をのぞいて毎日劇場に足を運んだ。

 あるとき、「仕事とはいえ、毎日大変ですよね」と労われたことがある。でも、単に仕事であれば毎日通う必要はなかった。稽古場のレポートを書くだけならそんなに通っても書ききれないし、編集者の方から「毎日密着してくれ」と頼まれていたわけでもないからだ。それでも毎日通ったのは、“観ること”について考え抜いてみようと思ったからだった。密着しているあいだに書き記したメモは、パソコンで記したものは7万字を超えて、手書きで記したものは手帖1冊ぶんになった。

 さて、問題は見聞きしたものをどう書き記すかということだ。今回上演された『書を捨てよ町へ出よう』は、稽古期間中に集めたいくつもの“素材”を縦横無尽にコラージュしたものだった。そうであるならば、その作品に対するドキュメントもただの見聞記ではなく、趣向を凝らさなければならないのではないか。そう思って原稿を書いた。その意味では――今回書いたのはドキュメントであり、事実を捏造してなどいないけれど、ある意味ではフィクションだ。文章の中で「藤田君」や「虹郎君」と書いているが、僕は彼らを君付けで呼んだことは一度もなかった。別に年上ぶって「君」を選んだわけではなく、彼らの感触を書くためには「君」がよかった。細かい話は措くとしても、自分が見聞きしたものや質感をごろんとパッケージして、自分がこれ以上なく面白いと思えるドキュメントを書こうと思ったのだ。

 そうして書き上げたまではよかったのだが、書き終えたところで不安になった。いわゆる稽古場ルポとは少し趣が異なるテキストに仕上がってしまったけれど、これを読んで編集者の方が何というかである。そわそわした気持ちで連絡を待っていると、電話がかかってきた。緊張して電話に出ると、「めちゃくちゃ面白かったです」と言ってもらえてホッとした。緊張してはいたけれど、「この人なら面白いと思ってくれるのではないか」とどこかで信じていた(そうでなければ「ドキュメントを」とは依頼されなかっただろう)。70枚近いドキュメントは、ほとんどそのまま掲載してもらえることになった。

 届いたばかりの『文學界』を手にしていると、しみじみ嬉しい気持ちになってくる。ここ最近はずっと「あと1週間だ」「あと3日だ」と指折り数えて心待ちにしていた。あまりに楽しみにしているせいか、知人は「そんなに楽しみにしてたら、反響なかったときに落ち込むからやめなよ」と心配していたが、そういうことではないのだ。もちろん、何の反響もなければ落ち込むに決まっているけれど、「ここまではできた」ということが嬉しいのだ。ここまではできたから、次の段階のものにたどり着くにはどうすればいいか、考えられる気がする。