橋本倫史『Firenze,2013』(HB編集部)

著・橋本倫史
発行・HB編集部
1500円(税込)
四六判 224ページ
2014年10月1日刊

『Firenze,2013』まえがき

 「今っていうのは春で、そして、朝なんだけど。春といえば、出会いと別れの季節、らしい。てんとてんを、むすぶせん。からなる、立体。そのなかに、つまっている、いくつもの。ことなった、世界。および、ひかりについて。」

 この言葉を、一体何度耳にしたことだろう。マームとジプシーによる、『てんとてんを、むすぶせん。からなる、立体。そのなかに、つまっている、いくつもの。ことなった、世界。および、ひかりについて。』という、妙に長いタイトルの作品の冒頭に登場する台詞だ。

 この作品はまず、2013年3月29日から31日にかけて、浅草・アサヒアートスクエアで上演された。それは吾妻橋ダンスクロッシングというフェスティバルでの上演で、わずか二十分ほどの短い作品だった。その小さな種は、場所を横浜にある十六夜吉田町スタジオに移して、稽古が進められた。4月16日からはAプログラムが、4月21日からはBプログラムが、4月26日からはCプログラムが上演された。それにつれて作品は少しずつ大きくなり、浅草では3人だけだった出演者も、プログラムを重ねるごとに一人ずつ増えていった。そうして5月1日に千秋楽を迎えると、その2日後、彼らはイタリアへと旅立った。季節はいつも春だった。

 マームとジプシーとして初となる海外公演に、なぜか僕も同行することになった。

 きっかけは、マームとジプシーを主宰する藤田さんのふとした言葉だった。2013年の2月、マームとジプシーの公演を観に行ったとき、藤田さんは僕にこんな話をした。

 「今年、海外公演が決まりそうなんですよ。まだはっきり決まってるわけじゃないんですけど、イタリアには行くことになりそうです」

 「海外公演、初めてですよね?」

 「初めてっす。いや、橋本さんも観にきてくださいよ」――藤田さんは笑いながらそう言った。どの程度本気で言っていたのかはわからないけれど、それも楽しそうだなと思った。そうして結局、藤田さんの言葉を鵜呑みにして、彼らと同じ便を手配し、劇場にほど近いホテルを予約し、公演を観るためだけにフィレンツェに出かけてしまった。

 僕は毎日、昼間からビールを飲みながら、稽古で繰り返される冒頭の台詞を耳にした。夜になると、本番でその台詞を聞くことになる。それを繰り返しているうちに、すっかり諳んじれるようになった。1年以上経った今でも言うことができる。その台詞を、吉田聡子さんがどんなトーンで、どんな間で語っていたかまでハッキリと覚えている。何気なくフィレンツェの街を歩いているとき、ふと口にしていることもあった。その台詞は、ほとんど呪文のようにして僕の耳にこびりついているのだった。

 イタリア公演を観に行くにあたって、僕は「ドキュメントを書く」と皆に宣言していた。でも、イタリアから帰国したあと、僕はすっかり途方に暮れていた。10日間の旅のあいだに記したメモは5万字にも及んでいた。これを、一体どうドキュメントとしてまとめることができるだろう……。

 途方に暮れているあいだに月日は流れた。この作品に出演していた荻原綾さんは、劇場で顔を合わせるたびに「イタリアの日記、楽しみにしてます」と、舞台に立っているときの様子が信じられないほど微かな声で僕に話しかけてくれた。そう言われるたび、まだ何も手を付けられていないことを思い出し、申し訳ない気持ちになっていた。しかし、ではどう書くかと考えると、また途方に暮れるばかりなのだった。

 そんなことを繰り返しているうちに、1年以上が経過した。荻原さんも、もう「日記、楽しみにしてます」と口にしなくなっていた。彼らが再び海外公演に出かけると発表されたのは、そんな頃だった。

 8月5日、ツアーに先立って一夜限りの国内公演が行われた。

 役者の皆が舞台に登場すると、僕は固唾を飲んで最初の言葉を待った。1年前に上演されたとき、それはたしかに春だった。あれから1年経った今はもう春ではなく、夏真っ盛りだ。冒頭の台詞はどうなっているのだろう――。

 数十秒間、客席をじっと見据えていた吉田聡子さんが、ようやく口を開く。果たしてそれは、去年と同じ台詞だった。

 そう、言葉としては同じだったのだ。でも、その音は、響きは、1年前に繰り返し聴いたそれとは違っていた。その違いを、僕はうまく説明することができないでいる。演出によって変更されたのか、役者の心持ちによって変わったのか、それとも偶然変わってしまったのか――それはわからない。僕にとって重要なのは、去年とは違っている、というその一点だった。

 別に去年のほうが良かったとか悪かったとか、そういう話でもないのだ。とにかく、去年のそれとは違っているということに、興奮もしたし、動揺もした。どれだけ時間が経っても、膨大な記録がある限りはいつでもイタリアの記憶は引き出せると思っていたのに、急に心許ない気持ちになった。舞台には去年と同じ出演者が立っているのに、皆いなくなってしまったような気持ちにさえなったのである。

 公演を観た翌日から、毎日ひたすら日記を書いた。膨大なメモを読み返し、8千枚にも及ぶ写真を見返して、あのときの気分を思い出しながら、書き続けた。そうして完成したのが、この一冊だ。

 これは、マームとジプシー初の海外公演に同行した記録である。それと同時に、僕の個人的な日記でもあるし、イタリアでボンヤリ考えたことを記したエッセイでもある。ようするに、いろんなものがごちゃまぜになっている。書き終えた今でも、これが一体何であるのかはよくわからない。皆に「ドキュメントを書く」と宣言していた頃は、彼らの旅を知らしめようという気持ちが大きかったように思うけれど、今はもう少し違った気持ちでいる。

 『てんとてん』という作品には、いろんな側面があるけれど、その中でも大きなウェイトを占めているテーマは「記憶」だ。

 中学を卒業すると同時に街を出ていく女の子を演じる吉田聡子さんは、舞台の終盤にさしかかったところで、こんなことを口にする。

 「あんな時間のこと。私は、きっと。この街から出て行ったら、思い出さないだろう。忘れてしまうだろう。でも、忘れてしまっても、いいのかもしれない。あんな時間のことなんて。記憶っていう、てんなんて。そんなもんなのかもしれない。では、てん、と、てん、を、むすぶ、せんは?」

 あるいは、その女の子と同級生だった男の子を演じる尾野島慎太朗さんは、中学を卒業した10年後、街に帰ってくる役を演じている。彼は、ビデオカメラを回しつつ、同級生に10年前のことをインタビューしてまわっている。インタビューを受けた男性――波佐谷聡さんが演じる男性とこんな会話を交わす。

「で、何? こんなことずっとやってるわけ最近は?」
「そうそうそう」
「何、カメラ持って?」
「うん」
「お前、変なヤツだな本当に」
「いや、記録しとこうと思ってさ」
「何でだよ」
「いや、忘れちゃうからさ。だって、実際忘れかけてるでしょ。十年前のことなんて、昔話でしょ」
「うん、だね」
「いや、いいんだけどさ。そういうもんだしさ。忘れちゃっても、いいんだけどさ」

 僕がイタリアで見聞きしたのは、たった1年前の出来事だというのに、もう既に記憶が曖昧になりつつある。すべての演劇作品は終演と同時に消えてしまうのだから、そのときのことだって、忘れ去ってしまってもいいのかもしれない。でも、僕はなぜか、薄れゆく記憶を必死でたどり、こうして日記に書き留めることにした。