12月16日から31日まで

 
12月16日(月)

 起きると9時過ぎだ。パソコンもケータイも充電しないまま眠ってしまっていたので、追加で千円支払ってチェックアウトの時間を遅らせてもらうことにする。11時過ぎにチェックアウトして、商店街をぶらつく。さて、今日は小倉で何をしようか――ぼんやり考えているとケータイが鳴った。藤田さんからだ。これから皆で門司港に行くので橋本さんも一緒にどうですかと誘ってくれる。駅まで戻る途中に「シロヤ」の前を通りかかった。このパン屋の前にはいつでも人だかりができていて気になっていた。ホットサンド用の食パンなんていうのも売っている。僕は一番人気だというサニーパンとたまごサンドを買って、近くのスタバでドリップコーヒーも買ってから小倉駅へと向かった。

 改札前で皆と待ち合わせ。昨晩の暴言のことがあるので緊張していたけれど(睨まれても仕方がないと思っていた)、皆、ナイスに接してくれてホッとする。門司で一度乗り換えて門司港駅に到着する。ここは「門司港レトロ」として売り出している場所で、駅員さんの服装からしてレトロな装いをしている。港の近くにある商店をひやかしたり、海沿いを散策したり。僕は地ビールを飲んで過ごしていた。海辺ではビートルズが流れていた。皆、ぞれぞれのリズムで海辺を歩いていた。向こうに見えているのは本州で、山口県だ。

 14時半に小倉に戻り、何人かで「菅生寿司」という店に入った。本来なら夜のみ営業している店らしいのだが、お願いして開けてもらったそうだ。そこで飛行機の時間まで食事をするというので、僕も同席させてもらう。ちなみに僕だけ皆より1時間早い飛行機だったのだが、その店の寿司があまりに美味しく、また僕だけ先に帰るのが寂しくもあり、結局飛行機の時間を無視して寿司を食べ続けることにした。あれもこれもうまかったが、やはり何と言ってもしめ鯖がうまかった。しめ鯖をにぎり寿司で食べるというイメージがなかったけれど、これが絶品だった。しめ鯖のイメージも変わった。まだ昼だというのに、僕は熱燗を何杯も頼んだ。おすすめの握りを一通り食べたところで、隣りの隣りに座っていた二人が「悲しい」とつぶやいているのが聴こえた。「もう過去になってしまった」と。まだまだ食べたいけどそろそろ満腹かもという声に、「寿司でお腹いっぱいにしようと思ったら、クルクルに行ったらいい。腹八分目よ」と大将は言っていた。僕はバクバク食べてしまった。

 皆の飛行機の時間が近づいてきたので個別に会計をしてもらい、駅まで歩く。劇場のMさんたちと一緒に、皆が乗ったバスを見送る。バスはすごい勢いで走り去って行った。僕はすぐに小倉駅から新幹線に乗って東京に戻る。5時間の旅、22時過ぎに高田馬場まで戻ってくる。スーパーに立ち寄ると数の子がたくさん並んでいる。もう年末なのだなあ。その風景を見るたびそう思って買ってしまい、「どうやって食べるんだっけ」と毎年インターネットで検索している気がする。そして「すぐには食べられないのか」とがっかりしている気がする。ほぼ同時刻に帰ってきた知人と一緒に「THE MANZAI」観る。ウーマンラッシュアワーの1本目の圧倒的な勢い。声を出して笑ったのは東京ダイナマイト


12月17日(火)

 朝8時に起きる。午前中はジムに出かけてジョギングをした。午後は『S!』誌構成を。そこで主に語られているルー・リードの音源を聴きながら。19時過ぎになって完成。夜、新宿はフラッグスビルにて知人と待ち合わせて買い物。上っ張りのサイズが合わなくなってきていたので。結局、数日前に「SHIPS」で試着していた上着を購入した。「こないだ来たときから、もふはそれ買うだろうなと思ってたよ」と知人は言う。さっそくその上着を着て向かったのは高円寺。「コクテイル」で飲むつもりだったけれど、そうだ、今日は火曜だから定休日だ。『S!』誌の入稿日はいつも木曜だから、今日も木曜かと勘違いしていた(祝日の影響で入稿日が早まっていた)。結局、ガード下のもつ焼き屋に入り、レモンサワーを飲んだ。


12月18日(水)

 朝8時に起きて、北九州で書いたメモを元に、マームとジプシー「モモノパノラマ」の感想を記す。書いているうちに日が暮れていた。夜、今日こそはと高円寺「コクテイル」の扉を開けると、入ってすぐの席に、取材で何度かお会いしたことのある芸人さんが座っていた。何人かでいらしていたので、「お久しぶりです」とだけ挨拶をしていたのだが、トイレに立ったタイミングで話しかけてくれる。「橋本さん、最近向井さんとは会われてるんですか」「いや、あんまりお会いしてないです。今度ライブは観に行くんですけど」「あの翌日、僕、ほんまにレスポール買ったんですよ。もしお会いする機会があったら伝えといてください」。その日、その方は向井さんから「レスポールを買ったらいい」と薦められていたのだ。

 この日、お店のKさんからはチラシをいただいた。年末恒例となった前野健太のライブ「今年のことは忘れない」のチラシだ。その場で予約をさせてもらい、3杯ほど飲んで店をあとにする。


12月19日(木)

 朝7時に起きる。枕元に置かれたグラスには赤ワインがほとんど口をつけないまま残っていたので、漏斗を使って瓶に戻す。たまには新聞でも読んでみるかと、朝日新聞を。国際面を読んでいると、「グルジア 有刺鉄線、家族を分断」や「ウクライナに1.5兆円、ガスも値引き」といった見出しが並んでいる。どちらもロシア絡みの記事で、前者はロシアとの紛争から5年が経過したグルジアで親露政権が誕生し変化の兆しがあるという記事、後者はEUへの接近を踏みとどまったウクライナにロシアが巨額の経済支援をしているという記事。ロシアはEUに似た関税同盟「ユーラシア同盟」を構想しているのだそう。僕がのんきに過ごしていても世界は動いているのだなあ。

 昼はジムに出かけてジョギングを。これまでは自己流で運動していたけれど、どうにも効率が悪い気がするのでトレーナーに相談。トレーナーと会話をしたのはこれが初めてのこと。アパートに戻ってからは、11月11日に取材したままになっていた原稿を考え始める。最初に設定されていた締め切りはとっくに過ぎているのだけれども、2度入院したこともあり延ばしてもらっていたのだ。

 夜は横浜に出かけた。風邪を引きかけているので、ニット帽をかぶり、マスクをかけて顔を風からガードして歩く。眼鏡は曇って真っ白だ。顔はほとんど隠れている。18時に神奈川芸術劇場についてみると既に11人が行列を作っている。当日券は買えず、キャンセル待ちになってしまったが、無事観ることができた。というわけでチェルフィッチュ「地面と床」観劇。おそろしい。ただ、これは「現在地」を観たときにも思ったことだけれども、この作品は今よりも、後になればなるほど効いてくるという気がする。30年後くらいに、しみじみ思い出しそうな気がする(そう考えると戯曲が読めるというのはありがたい――『新潮』に掲載されている)。観てきたことを反芻しながら、「山東」という中華料理屋に入って麻婆豆腐を食べた。辛い物を食べれば風邪が吹き飛ぶのではと考えたのだが、どうなるか。


12月20日(金)

 7時43分頃起きて新聞を読む。目に留まったのは、国会に参考人として呼ばれ特定秘密保護法に賛成の意見を述べた憲法学者・長谷部恭男さんへのインタビュー。いきなり「もしかして、「御用学者」と呼ばれていませんか」という質問から始まっている。「何のことでしょうか」と長谷部さんは答える。のっけからすごいインタビューだ。後半にはこんなやりとりもある。

――そうでしょうか。特定秘密を漏らせば厳罰が科されるのだから、社会の萎縮はどんどん進むでしょう。長谷部さんと違って、多くの人は世間の空気を読みますから。
 
 「すみませんね、空気も読まないで。そう。だからメディアが今、空気を作るべきなんです。萎縮する必要はないという空気を。それなのに『漏らせば厳罰』ばかり言ってむしろ萎縮ムードをあおっています」


 最後には「取材を終えて」と題して記者の言葉が綴られてもいる。そこに「線を越えて緩やかにつながり「次の一手」を探す。それが最も有効な抵抗のはずだ」と書かかれていることからも、あえてそうした言葉でインタビューしているのだろうけれど……。妙にモヤモヤした気持ちが残る。新聞を読み終えたところで、昨日に引き続き原稿を考える。おそらく2万字を超える原稿になるから、しっかり設計図を作らなければならない。

 昼過ぎ、レトロ印刷から宅急便が届く。新しいミニコミ『SKETCHBOOK』だ。これは同世代の友人であるM田さんから「橋本君は東京論を書くべきだよ」と言われたものの、僕には論なんてものは書けそうにないので、せめて東京の風景をスケッチしようと始めたもの。毎月出し続けたいと思っているのだが、僕は納品書を書いたりキチンと在庫管理したりする能力がどうにも低いので、南池袋にある「古書往来座」だけで販売することにした。僕はわりと池袋で飲むことが多いので、ここなら飲みに行く途中に納品できる。……と書くとアホみたいだけど、1店舗だけで扱うことには、もうちょっと積極的な理由もあるにはある。


12月21日(土)

 8時に起きて、原稿を考える。ようやく設計図が固まってきたので、実際に書き始める。午後、郵便受けをのぞくと病院から封筒が届いている。入院していたときの費用が出たのだろう。その値段に軽くめまいをおぼえる。予想していた倍の値段だ。仕事がなくなったらと思うとゾッとする。しかし、1度目の入院のときの診断も2度目の入院のときの診断も間違っていたことが判明した今になってみると、少し腹立たしい気持ちにもなってくる。体を壊してしまったのは自分なのだし、入院の結果元気にはなっているのだけれども。

 昨日は原稿料が振り込まれた日だった。2つの雑誌の原稿料がまとめて振り込まれていたのだけれども、「どうせ入院代で消えていくのだから散財してしまおう」という気持ちになってくる。お金をおろしてビックカメラに出かけ、1時間半ほど迷った挙げ句、新しいカメラを買った。ずっと「気軽に持ち運べるサイズのカメラが欲しい」と思っていた。いや、コンパクトなカメラは既に持っているのだけれども、どうも写りに満足できず、「それならケータイで撮ればいいや」と持ち歩かなくなっていたのだ。オリンパスのものを買うつもりだったのに、店員の話を聞いているうちにソニーのカメラを買っていた。

 ほくほくした気持ちで東池袋へ。ムトーさんと待ち合わせて焼き鳥「幸や」に入る。昨日刷り上がった『SKETCHBOOK』というミニコミの題字はムトーさんに描いてもらっているので、そのお礼にご馳走することにしたのだ。出てくる焼き鳥はどれもうまく、僕もぱくぱく食べる。ムトーさんは最近、偶然永ちゃんのコンサートに出くわし、その“ファンの文化”に強く惹かれ、連日日本武道館に足を運んでファンの人たちを眺めていたという。たしかに、長く活動している人たちのファンの文化というのは気になる。人でなくても、こないだ話を聞いた宝塚のファンの文化も独特だったし、知人から聞くジャニーズのファンの文化も独特だ。そこに自然と暗黙のルールが生まれていくのも興味深い。誰かのディナーショーにも行ってみたいという話をしていたのはおぼえているのだが、この日の僕のメモには「エリザベス女王」という謎のメモが残っている。

 帰宅後、iPhone、前持っていたオリンパスのカメラ、新しく買ったソニーのカメラで知人を撮り比べてみる。ビックカメラにいた店員は「写りの違いは、もう素人が見てもわかります」と言っていて、その人はどうもソニーの担当者らしかったので、「言いくるめられてるのかもしれないな」なんて思っていたのだけれども、撮ってみるとたしかに違いは一目瞭然だ。疑って申し訳なかった。


12月22日(日)

 8時に起きて、日が暮れるまで原稿を書いていた。本当は今日が締め切りだったが、どうにも完成しそうにない。いや、「これで完成でいいや」と終わらせてしまうこともできるのだが……。もう少し粘りたい旨連絡し、もう少しだけ締め切りを延ばしてもらう。ズルズルと申し訳ない気持ち。そういえば今日は朝から冬至だとニュースでやっていた。カピバラのゆず湯の映像を繰り返し見たせいか僕もゆず湯に浸かりたくなり、22時過ぎになって銭湯に出かけたのだが、湯に浸かりながら歯を磨いている老人がいたせいで歯磨き粉の臭いしかしない。一度アパートに戻り、書きかけの原稿をプリントアウトして町内の酒場に出かける。原稿に赤を入れつつ、はちみつ柚子サワーを飲む。そういえば『HB』というミニコミの由来は、この店のものではないけれど、はちみつ柚子サワーに由来しているという説もある(はちみつ→みつばち→honey bee→HB)。


12月23日(月)

 朝7時に起きて、バタバタと身支度をして出かける。下落合から高速バスに乗車して向かうのは新潟だ。今から2週間前にも高速バスで新潟を訪れた。そのときは着いてすぐに貧血で倒れてしまい、すぐさま新幹線で東京に引き返して即入院となった。2013年という年を終えるにあたって、新潟でうまい酒と魚を食っておいたいと思って再訪したのである。12時過ぎに新潟に到着し、荷物だけ預けようとホテルに向かってみる。もう部屋の準備ができているとのことなので、チェックインを済ませて少し休憩する。今回は体調も大丈夫そうだ。

 13時過ぎ、「日本料理 蘭」へ。以前新潟に出かけたときに訪れた店で、僕が毎週楽しみにしている「食彩の王国」というテレビ番組で取り上げられていた店だ。僕が死ぬ前に食べたいメニューが問われたら、仙台「北辰鮨」のぼたん海老かたらの白子、金沢・近江町市場「いきいき亭」ののどぐろ、それかこの店の南蛮えび丼を挙げる。南蛮えびというのは甘エビのこと。「食彩の王国」でこのメニューが取り上げられたとき、僕はさっそく自宅で再現しようとしたのだけれども、スーパーで買ってきた甘エビではテレビで見たようにしっかりとした丼にならない。それで今年の初めに新潟を訪ねた際に現物を確かめようと「蘭」という店を訪れていたのだ。3900円と相当高級だけれども、その値段にふさわしい味だ。

 僕が店を訪れたのはラストオーダーぎりぎりだったせいか、他に客はいなかった。つまり貸し切りだ。その時間のせいか、板前さんも奥で調理をしていて、その空間には僕一人きりだった。こんな空間にひとり座っていて、こんなにも美味しいものを食べていると、本当にこのまま死んでしまうような気持ちになってくる。それも悪くないかもなと少し思った。お酒を2本飲んだ。ほろ酔いで心地良い。会計を済ませて、近くにあるスタバに入り、電源のとれる席を確保してパソコンを広げ、ずっと取りかかっている原稿を書く。一杯目はコーヒーを飲んだけれど、少しお腹の具合が不安になり、「カフェインは大腸によくない」と聞かされていたことを思い出して二杯目は紅茶(ハイビスカスブレンド)を選んだ。

 20時頃まで仕事をして、藤田さんに教えてもらったうまい刺身と日本酒が飲める店「しののめ」へ。休日だからかまずは熱燗にしてうまい酒を注文する。紫雲というお酒。「県外からいらしたんですか」と店員さん。旅行で来てるんですけど、仕事が終わらなくてどこも観光していないんですと伝えると、「でも、新潟って観光で行く場所がないんですよね……」と店員さんは悲しそう。熱燗と一緒に注文したポテトサラダにはおしゃれな葉っぱが入っていた。わさび菜とレッドリーフという葉っぱらしい。ポテトサラダも、焼き里芋(帛乙女)も、どれもうまい。もちろん日本酒も美味しい。朝日山も、〆張鶴(月)も、〆張鶴純米吟醸)も、〆張鶴(しぼりたて生原酒)も、村佑も、鶴飛千尺も、細かい感想は書かないがどれもうまかった。最後、隣りのお客さんが注文していたソースカツ丼があんまりうまそうだったので、ダイエット中にもかかわらず注文した。

 23時頃になって店を出た。会計がいくらだったかは覚えていない。ふらふらと通りを歩き、「拾番」というラーメン屋を訪ねた。何年か前に、この店で向井さんや吉野さんと並んでラーメンを食べたおぼえがある。あれも年の瀬だった気がする。思えば、2年に一度くらいのペースで年の瀬に新潟を訪れている。この店については、向井さんに『HB』(vol.07)のラーメン・インタビューで話をしてもらったこともある。

――以前、新潟のラーメン屋でバッタリお会いしたことがありますよね。
 
向井 ああ、〈拾番〉ね。よく行きます。
 
――味について伺ったら「味がないやろ、アレ」とおっしゃってましたよね。
 
向井 お湯みたいなスープやろ(笑)。すっごい薄い。
 
――それなのに、どうして何度も通ってるんですか?
 
向井 いや、スープを啜った瞬間は「お湯か?」と思うんだけど、そこからこう、シモのほうから滋味深いものがクる感じが、夜中に食うとうまい。
 
――ああ、なるほど。
 
向井 冷静になって食べると物足りんかもしれんけど、毎回行ってしまう。


 ふと、せっかくだから大将の写真を撮っておこうと思った。どうしてそんなお願いをしようと思ったのかはいまだにわからない(酔っ払っていたせいではあるのだが)。断られるだろうなと思っていたのに、「ああ、記念に撮っておいて」と大将は言った。「明日病院に行って検査してもらうんだけど、ちょっと病気かもしれなくて。お兄さんはもううちのラーメン食べられないかもしれないから、記念に撮っといて」と。また次に来たときも食べられることを祈りつつ、何度かシャッターを切った。


12月24日(火)

 深酒をしたせいか、5時には目が覚めてしまった。南蛮えび丼は食べたし、うまい酒と魚も堪能したので、7時のバスに乗って帰ってしまうことにする。市街地を抜けると、ずいぶん見晴らしのいい風景になる。ずうっと田んぼが広がっている。空はどんより曇っている。少しウトウトしていたのだが、妙な音がして目が覚めた。何の音かとキョロキョロしてみると、それは雪がフロントガラスにぶつかる音だった。目が新潟市内は雪なんて降っていなかったのに、いつのまにか銀世界にいる。一番雪深い地域はもう、見渡す限り真っ白で不安になってくる。

 僕が生まれた町も多少は雪の降るところだったけれど、これくらい雪深い地域に暮らすと何を感じるのだろうなと思う。僕は別に、そんなに忙しく過ごしているわけでもないのだし、全然知らない街に暮らして、取材のある日だけ東京に戻るという生活を送ることだって不可能ではない。そんな生活を送るとすれば今のうちだという気もする。知人のこともあるので完全に拠点を移すわけにはいかないけれど、どこかに部屋を借りて、週の半分くらいをそこで過ごしてみるということはやってみたいと思う。こんなふうにバスで、比較的スムーズに移動できる範囲で気になる街となると、新潟か長野か仙台だろうな。ただ、仙台以外の街だと知り合いが誰もいないから、ただただ滞在するだけになってしまいそうだけれども。

 昼過ぎにはアパートに着いた。近所のセブンイレブンでは、店の前でクリスマスケーキを販売している。サンタの格好をしたアルバイトの女性はとても寒そうだ。その斜向いにあるファミリーマートは、ワンピースのキャラクターの着ぐるみ(?)を着た店員が接客をしていた。夕方になってアパートを出て、伊勢丹のデパ地下に出かけた。平日にしては賑わっているけれど、思っていたほどの混雑でもない(身動きを取るのが難しいくらい混んでいたり、どの店にも行列ができていたりするのかと思っていた)。フロアを2周ほどして、「Salumeria Garibaldi」という店でお買い物。今日の目当てはチキンだ。知人はケーキ担当、僕はチキン担当である。と、こう書くと知人もイベントをきっちりやるタイプみたいになってしまうけれど、知人のほうは基本的にイベント事に関心は薄い。僕がしつこく言うから付き合ってくれているだけだ。

 伊勢丹の地下には、いろんなチキンが売っていた。クラシカルなチキン――白地に赤と青のラインの入ったリボンが巻き付けてあるようなチキンもあったが、「Salumeria Garibaldi」のチキン――知床鶏のロースト(赤すぐり入りバルサミコソース)が一番華やかに見えた。本当はチキンだけ買うつもりでいたけれど、詰め物をしたホロホロ鳥のロースト(トリュフ風味)が気になってそのハーフサイズも購入する。ついでにオードブルも買ってしまった。あまりにも楽しみでつい奮発してしまった。19時、仕事帰りに目白のお店でケーキを受け取ってきた知人を待ってシャンパンを開ける。ずいぶん前、新宿5丁目「N」でライブの撮影をした際にお礼としてもらっていたシャンパンだ。美味しいシャンパンを飲みながら、知人とふたりで笑いながら「ロンドンハーツ」を観た。



12月25日(水)

 9時に起きて、昨日書き上げていた原稿を知人に読ませる。ひっかかるところや邪魔くさいところがないか、確認してもらった。「良いと思う」とのこと。ただ、もう少し気になるところがある。せっかく天気も良いことだし、その原稿にも出てくる「大坊珈琲店」に行ってみようかと思ったが2日前にもう閉店していた(年内一杯は営業しているのかと勘違いしていた)。とりあえず外に出て、新宿方面に向かって歩く。新大久保の落書きに心が痛む。まず落書きがあるというだけで嫌だというのに。

 どこに入るか迷ったものの、そのインタビューを収録した場所の一つ、小田急百貨店の2階にある喫茶店に入った。ブレンドコーヒーをお代わりしつつ、プリントした原稿に赤を入れていく。それが終わると、パソコンを取り出して赤字を反映させて、もう1度頭から読み返し、メールで送信した。オーケーが出るまではわからないけれど、これで今年の仕事はすべて終わったことになる。病気で倒れたとき、「このまま死ぬのかな」という気がした。そのとき考えたのは、書いておかなければならない原稿が少なくとも3つはあると思っていた。そのうちの一つがこの原稿だった。残りの二つは来年の課題とする。

 外に出るとすっかり日が暮れている。高田馬場まで戻り、「米とサーカス」を訪ねる。クリスマスイブとクリスマスの2日間、先着50名までの客にはお店のオリジナル手拭いがもらえると聞き、やってきたのだ。残っていたキンミヤのボトル(一升瓶)を飲み干し、新しいボトルを入れて、大好きなTKG(たまごかけごはん)を注文する。食べていると、さっき送信した原稿にオーケーが出る。嬉しくなって2杯目のTKGを注文した。店員さんは「えっ、またですか?」と戸惑っていたが、今日は2杯くらい食べるつもりでいた。ある人が、インスタグラムで「食べおさめ」という言葉を使っていて、僕が食べおさめるなら何だろうと考えたとき、最初に浮かんだのがこのTKGだったのだ。

 機嫌良く飲んでいるうちに酔っ払ってしまった。この日、知人を店の近くまで迎えに来させたらしかった。翌朝になってカメラを確認すると、どういうわけだか「富士そば」の前での記念写真が残っていた。ずいぶん浮かれた顔をしている。おそらく知人に撮らせたのだろうが、なぜそこで写真を撮らせたのか、今となっては知る由もない。


12月26日(木)

 7時に目を覚ますと、ファミリーマートのたまごサンドの包装紙が転がっている。同じくファミリーマートの割り箸もある。たまごサンドと、他にもないか食べたらしいが、まったく記憶にない。不安になって知人を起こしてみるとむすくれている。酔っ払ったときの僕と同じような言葉遣いでしゃべる。「おいてめえ、二度と酒飲むんじゃねえぞ」と知人。僕はずっと敬語で話していた。午後はジムに出かけ、最近の暴飲暴食をチャラにするべく2時間近くジョギングをした。走っているあいだ「クレイマー、クレイマー」を観た。古典という感じがする。僕が観てきたいくつかのドラマ――草なぎ君主演の「僕の生きる道」なんかの源流はこの映画なのだろうなと、今さらながら思う。

 夜になってアパートを出た。渋谷駅ハチ公口を出ると、黄色いボードに聖書の言葉を記した看板を掲げた人がたくさん立っている。カメラを買った日――21日の池袋でも、昨日の新宿西口でも見かけた。じっくり観察してみると、案外外国の人が多いことに気づく。そして、去年どうだったかは覚えていないけれど、どの看板も蛍光灯かなにかが仕込んであってとても目立つ。しばらく眺めていると警察がやってきて、掲げるのをやめるよう促されていた。


 

 19時ちょうどにSHIBUYA-AXへ。ボードを眺めているうちにギリギリになってしまったが、今日はZAZEN BOYSのライブがあるのだ。ドリンクチケットをビールに引き換えて2階席に上がると、すぐにライブが始まる。そういえばこの会場は来年5月で閉館する。ZAZEN BOYSが東京でライブを行うときは大半がこの会場だったが、この会場でライブを観るのも今日が最後かもしれないと思うとしみじみした気持ちになる。去年ほどの数彼らのライブを観たわけではないけれど(それでも地方公演を含めて何度か観ているけれど)、他のどのバンドよりも僕の中に刻まれているサウンドであり、年の瀬にまたライブが観られてよかったと思う。去年に続いて行われた坂田明氏とのセッションも素晴らしかった。

 ただ、ライブ全体の感想としてはやはり「しみじみ観る」という感じであった。もちろん、彼らのライブはひと公演ごとにまったく違ったアウトプットがあるという類いのものではない、が、今日の公演と去年の年末の公演を比べたときに、そこにまた一つ確かな年輪が刻まれたという感触があったかと言われると、そうだとは言いづらい。これはライブが悪かったという話をしているわけではまったくない、実際僕はハイボールを5杯ほどお代わりするほどライブを楽しんだ。あくまでこれは「欲を言えば」というレベルの話。

 相当酔っ払ってしまったこともあり、アンコールを見届けずに会場をあとにした。ゲストに椎名林檎が出たと知ったのは翌日になってからだ。外では小雨が降り始めていた、僕はすぐにタクシーを拾い、表参道へと向かった。今日はここで、僕が唯一声をかけてもらった忘年会が開かれているのだ。会場である「ロータス」という店に到着すると、ずいぶんオシャレな店で少しうろたえる(あとでオシャレカフェのはしりのような店だと知人に教えてもらった)。階段を上がると入口のところに役者の石井さんが立っていた、既にへろへろの僕を見て「また橋本さんのあの発言が出ますか?」と石井さんは言う。中に入り、いろんな人に挨拶しながらビールを飲んだ。ほどなくして2軒目に流れて、2時近くまで飲んだくれた。翌朝になってカメラをみると、zAkさんが撮った素敵な写真がたくさん残っていた。


12月27日(金)

 10時過ぎに起きる。昨日も酷く酔っ払ってしまったせいでグッタリしている。からだも、内臓も重く感じる。「今日は駄目だ」と思って、一日中からだを横にしていた。18時過ぎに起きて、コンソメスープを作って食べた。20時過ぎ、新宿駅東口改札前で知人と待ち合わせて、何か良い服はないかと買い物。またしてもSHIPSに入ると、「もふと私は仲良しだねえ。こんなに毎日SHIPSに来て」と知人。先日観た「アメリカン・グラフィティ」――映画の主人公の夢が「ケネディと握手すること」ということに色々思う――でロン・ハワードが交際していた女の子が着ていた感じのカーディガンを探していたはずなのに、買ったのはGAPのシャツ2枚だった(40パーセントオフのクーポンが当たったのでGAPで買い物をした)。

 知人と外で飲むのは今日が最後のチャンスだろうから、飲んで帰ることにする。この日で仕事おさめの人も多く、今日が忘年会のピークだろう。街は賑わっている。いつもよりほころんだ空気が流れているように感じる。年末のこの空気感が好きだ。誕生日に入った居酒屋「鼎」を覗いてみると、ちょうど入れ替わりのタイミングだったのか席につくことができた。21時を過ぎているせいか、もうなくなっているメニューがいくつもある。そのなかから何品か選んで注文して知人と乾杯していると、僕らのすぐあとに隣りのテーブルに座ったカップルの女が「全然残ってないじゃん」「玉子焼きがないってどういうこと? 玉子なんか走って買ってくればいいじゃん。なんなら私が作るけど」と文句を言っている。「この店、明るい!」と8回くらい口にしている。段々腹が立ってくる、それに気づいている知人はいつもよりテンポよく話をする。が、どうしてもその女の声が耳に障る。「全然食べるものないじゃん。ここはハズレだね。残りものなんか食べてもしょうがないし」と店員に言ったりしている。店員もさすがに腹に据えかねたのか「残り物ではないですよ」と言っている、僕も腹立たしいので知人に向かって大きな声で「いやあ、この店は何を食べてもうまいねえ」と口にする。それでも女はずっと文句を言っていた。文句を言いながらも帰ってくれそうにはないので、早めに店を出た。帰り際、そんなに不平不満を並べ立てるのはどんな顔をした女なのだろうとちらりと顔を見た。

 せっかく新宿三丁目にいるのだからと、「パンとサーカス」という店に流れた。ここは高田馬場にある「米とサーカス」の姉妹店だ。「米サー」が和風テイストのメニューが多いのに対して、こちらの「パンサー」は洋風のメニューが多い。黒豚のリエットと鹿のタルタルステーキ、それに「せっかくパンとサーカスに来たのだから」と(?)パンの盛り合わせを注文する。どれもうまいので、看板メニューの熟成牛のグリルもオーダー。飲んでいると、以前よく見た顔がそこにあった。かつて高田馬場店にいた店員さんだ。本当はグラスワイン1杯で帰るつもりだったのだけれども、懐かしい気持ちになってつい何杯か飲んでしまう。結局今日も酔っ払ってしまった。


12月28日(土)

 9時頃起きて、大掃除に取りかかる。大掃除と言っても、部屋の大掃除に取りかかるほどの元気はないので、まずはパソコンの中の整理を始める。整理をしているうちに15時近くになっていた。しまった、と慌てて六本木に出かける。15時半から六本木「新世界」にて、マームとジプシーの1年間を振り返るイベント「ラジオ藤田」。去年も同じタイトルのイベントがあったが、昨年は終電を逃す人が続出してしまったらしく、今年は昼の部と夜の部の2部制だ(昼の部が1月の「あ、ストレンジャー」から「cocoon」まで、夜の部が引き続き「cocoon」から「モモノパノラマ」まで)。僕にとっては忘年会のようなイベントなので、昼の部からじゃんじゃんお酒を飲んだ。夜の部は急遽登壇したけれど、既に出来上がっていたので何を話したのかあまり記憶に残っていない。あんまりヘロヘロになったので、終演を待たずに帰ってしまった。

 ところでこの日、会場には役者さんたちもたくさんいた。帰り際、入口近くにいた役者さんたちは「今年も一年、ありがとうございました。良いお年を」と声を掛けてくれた。去年は顔見知りではあっても話したことのある役者さんはほとんどいなかった。こちらこそありがとうございました、良いお年を、と言って階段を上がった。ヘロヘロだったので危うく階段から転げ落ちるところだった。しかし、毎年思っていることだけれども、「良いお年を」というのは良い言葉だなあ。今年はマームにすごく良くしてもらった一年でもあった。その恩を少しでも返せるように、いい加減海外公演で見聞きしたことを言葉にしなければ――そんなことを考えながら歩いていると、自分が今どこにいるのか見失ってしまい、知人に迎えにきてもらった。そこはもううちのすぐ近くだった。


12月29日(日)

 昨晩飲み過ぎたせいで3時過ぎには目が覚めてしまった。内臓がぼろぼろだ。まだ日も昇らない頃から、年末年始の録画に備えてDVDレコーダーの中身を整理するべく必要なものは次々DVDに焼いていく。それをやっているうちに日が昇り、知人を起こして布団を畳む。知人は例によって畳んだ布団の上で小さくなって眠っている。「鏡餅だけど」と知人。数日前にワインをこぼしてしまって布団を買い換えたばかりで、まだ布団に厚みがあるので、たしかに鏡餅のようでもある。

 この日は朝から晩まで大掃除をしていた。積み上っていた本を整理し、『HB』のバックナンバーを整理(一部処分)をして、来年は効率よく過ごせるように引き出しやらを整理、窓と網戸を拭き、着なくなった服をすべて処分し、ソファや棚の下に溜まっていたホコリをすべて拭き取る。この時点でもう18時をまわっている。本当はキッチンの油汚れも今日のうちに落としてしまいたかったけれど、これはもう明日にまわすことにして、自転車こいで南池袋「古書往来座」に本を売りに行く(別段「往来座」向きの本でなくて申し訳ない)。Uさんが店番をしていた。「良いお年を」と挨拶をして店を出て、借りっぱなしになってしまっていた本を図書館に返却する。自転車で街を走っていると、ピザ屋のバイクと何度もすれ違った。アパートのエレベーターからもピザの匂いがした。

 帰宅後、「痛快!ビッグダディ」(テレ朝)最終回を眺める。その感想(でもないけど)は別枠に記す


12月30日(月)

 8時過ぎに起きて、昨日の大掃除の続きを。午後は歩いて高円寺へと向かった。早稲田通りを歩いていると、中野と落合のあいだに洗車場があるのだが、そこに長蛇の(クルマの)列ができている。皆年を終える前に綺麗に洗い流しておきたいのだ。行列の先を見ると、10人以上のスタッフが洗車をしている。1台につき2人から3人で洗っている、つまりあちこちで同時に洗車が行われている。年の瀬だ。今年はクリスマスが終わったあたりから押し寄せるように大晦日が近づいてきているのを感じている。

 今日は高円寺の北中通り商店街にある「コクテイル」で、年末の風物詩と呼ぶべき「前野健太の今年のことは忘れない」がある。今年は昼の部が店主のKさんと前野さんのトークで、夜の部がライブだった。僕はお願いをして写真を撮らせてもらった。詳しいことはまた別の機会に書くが、帰り際、前野さんと力強く握手をして別れた。これが今年の(酒場での)飲みおさめであり、ライブおさめだ。


12月31日(火)

 6時半に起きる。朝早い時間の新幹線で帰る知人を「良いお年をー」と見送ったのち、洗濯、荷造りをして、9時45分にアパートを出た。ここから数時間のことも別の機会に書くが、10時半に東京駅に到着したものの、僕が乗ったのは13時30分発の新幹線だった。別に混雑し過ぎていてその時間になるまで乗車できなかったわけではない。普通の指定席は満席になっていたけれど、グリーンにはまだ空きがあったので数日前に切符は買ってあった。グリーンなんて、たまに湘南新宿ラインで(移動中も仕事をするために)乗車するくらいのものだ。新幹線のグリーン席の勝手がわからず、コンセントがすべての席についていることや(普通の指定席だと窓際の席にしか付いていない)、おしぼりを持ってきてくれることに一々驚いているうちに、実家のある広島に着いてしまった。

 18時半に実家に到着して、「NHK紅白歌合戦」の開始時刻にあわせて年越しそばを出してもらって夕食。こうして今年も、例年と同じように年越しそばを食べることができた。良かった。母は煮しめを作っていた。僕はリビングにあるテレビの前に陣取り、ツイッターでつぶやきながら「紅白」を観ていた。去年もこんなふうに過ごしていたけれど、やはり不思議な感じがする。台所で母が煮しめを作っている音と気配を感じているその場所もお茶の間だけれども、ツイッターで皆が、いつも以上に文字通りの“つぶやき”をしているのを見ると、その空間もまたお茶の間だと思える。今年は何と言っても「あまちゃん」絡みのコーナーが良かった。特にユイちゃんが東京にきたところからは圧巻だった。それと、知人に関ジャニ∞ばかり聴かされてすっかりファンになってしまっているので、関ジャニ∞が観れてよかった。とりわけ渋谷すばるという男は、「歌がうまい」というのとは違うと思うけれど、独特の歌い方をする。知人がiPhone関ジャニの音楽を流していても、今のところ、シブタニじゃない?とつい反応してしまう。

 関ジャニ∞を観終えたところで満足して部屋に戻り、こうして日記を書いている。僕がライターとしてやっている仕事は構成の仕事が多く、そんなに書き仕事があるわけではないのだが、今年はポツポツとではあるけれど書かせてもらえる機会があって嬉しかった。『あまちゃんモリーズ』では長めの北三陸ルポを書かせてもらえたのも嬉しかった。それから、これはまだ発売されていないけれど、ある人について長い原稿を書かせてもらえたのも嬉しかった。今年は『hb paper』こそ出していないけれど、ずっと近くで観させてもらっている快快については『faifai ZINE』を、マームとジプシーについては『沖縄観劇日記』と題して舞台版「cocoon」に向けた取材の同行記を書けたのもよかった。

 ……なんだか自分で自分を褒めているみたいになってしまった。ここまでの日記でも書いたことだけれども、今年は11月末から2度入院したこともあって、「書いておかなければいけないことは何だろう?」と意識するようになった。僕が「書いておかなければならない」と思っていることの2つに関しては、来年何らかの形にしたいと思っている。

 今年もたくさんの場所に出かけた。たくさんお酒を飲んだ。たくさんお世話になった。来年もたくさんの場所に出かけて、来年もまたたくさんお酒を――たくさんだとまたからだを壊してしまうかもしれないから、多少健康に気を配りつつ酒を飲んで生活できたらなと思う。そして、きっと来年もまたお世話になると思います。皆々様、来年もまたよろしくお願いします。この日記を書き終えた時点で今年も残すところあと40分になろうとしていますが、それでは、良いお年を。

あ、その前に。「今年のうちに書いておかなければ」と思っていたあの作品のことを書いておく。