マーム同行記24日目

 朝9時、キッチンにいた荻原さんに部屋の鍵を渡す。皆は二人一部屋で過ごしているけれど、僕だけ一人部屋になっている。今日は集中して手紙を書いてもらうべく、部屋を貸すことにしたのだ。荻原さんが手紙を書いているあいだ、僕はキッチンでオニオンスープを飲んでいた。酔いが醒めた状態で飲んでみても、スープはちゃんと美味しかった。

 ちなみに、昨日の晩に僕が書いていた手紙はこんな内容だった。


荻原さんへ

 アンコーナにきて、初めて手紙を書きます。海を眺めながら滞在することになるとばかり思っていましたが、海からは遠く離れた場所でしたね。イタリアで海沿いの街を訪れるのは初めてだから、海を見ながら皆で散歩するかと思いきや、完全に山の中の生活でした。ここはここで、いかにもイタリアの田舎町といった佇まいで楽しくもありますが(『ゴッドファーザー』でアル・パチーノが潜伏していたシチリアの田舎の村を思い出しました)、もしかして海を眺めて歩くことはできないのかと思うと、少し寂しくもあります。

 僕が楽しいと感じるのは、たとえば、昨日の夕食みたいな時間のことです。そのとき荻原さんにも話をしましたが、自宅でひとりで食事をしているとき、僕はあんまりお酒を飲みません。ビールのロング缶を開けると、少し残してしまう程度にしか飲みません。もちろん、一人でお酒を飲みに行くことはありますし、そのときは結構な量を飲んだりします。ただ、それはなぜかというと、僕の仕事は基本的に部屋でひとりで過ごしていることになるのですが、僕の部屋はせまくて、気分転換に外に出かけたくなるのです。だから、昨日みたいに皆で食事をしてお酒を飲む機会があると、とても楽しくなってきます。皆でそうして時間を過ごしていることがかけがえのないものに思えてきて、それで余計にお酒を飲んでしまうのです。

 ああいう時間を過ごしているとき、荻原さんはどんな気持ちでいますか?

 昨日の夜のことで、もう一つ強く記憶に残っていることがあります。それは、劇場まての行き帰りのバスから見えた景色のことです。

 バスの車窓から見えた景色は、ごくたまに灯りが見えるぐらいで、あとはアンコーナの駅前に出るまで、本当に真っ暗な景色でしたね。

 あの真っ暗な景色を見ていると、自分が生まれた町のことを久しぶりに思い出しました。僕が生まれた町も、ここまで広大な自然が広がっているわけではないけれど、山に囲まれた盆地にあって(最寄りの駅は山陽本線の中で一番標高の高い駅です)、夜になると本当に真っ暗です。大学受験のために上京したとき、早稲田から高田馬場まで友達と一緒に歩いたのですが、街があまりにも眩しいので、心底驚いたのを覚えています。12年も住んでいるとその光にもすっかり慣れてしまって、今は実家に帰るたび、その暗さにハッとさせられます。

 ちょっと個人的な話が続いてしまいますが、僕が高校を卒業して最初に住んだのは、神戸と大阪のあいだあたりの街でした。でも、そこに半年住んでみたものの、結局そこを離れて上京することに決めました。それにはいくつか理由があるのですが、その理由の一つは、高田馬場で感じた眩しさが忘れられなかったというのがあったのだと思います。

 東京に出て何がしたいというわけではないけれど、何かそこには希望みたいなものがあるのではないかと、あの頃の僕は思っていたように思います。

 荻原さんは、東京出身ですよね。しかも、かなり都心で生まれ育っていますよね。荻原さんにとって、東京の眩しさは、どういうものとしてありますか? そして、ここアンコーナにある暗さに、何を感じますか?

 『てんとてん』の中には、「私には、光が、見えない」という台詞が出てきますよね。これも荻原さんの台詞ですね。あの作品のことを考えるとき、僕はいつも、光を求めて(あるいは見出して?)街を出ていく“さとこ”というキャラクターのことのほうを強く考えていた気がします。ただ、ポンテデーラで公演を観たときには、光を見ることができなかった“あや”のことがとても強く印象に残りました。

 荻原さんは、あの作品の中で語られる“ひかり”ということについて、何を思っていますか?


 荻原さんは2時間ほどでキッチンに降りてきた。部屋に戻ってみると、机の上には2通目の手紙とねこじゃらし、それに何かの実が置かれていた。


橋本さんへ

アンコーナ、静かで落ち着きますね。想像とはまったく違ったけど、(アマルフィみたいな海の町だと思ってた!!)山にかこまれ、私もおばあちゃん家を思い出しました。

 お母さんの田舎は長野県の北部で、小さい頃は、連休が続くと、よく田舎に帰っていました。朝は空気がひんやりしていて、日中は太陽と土の匂いがいっぱいして、夜はぽつぽつと遠くの家の光が山にもれて、空には一面の星でした。6年くらい前におばあちゃんが亡くなってからは私は一度も帰ってなかったのですが、今年の9月、(1ヶ月くらい前)お葬式後、初めてお墓参りに行ってきました。お母さんが暮らしていた家には、今は、お母さんの一番上のお兄さん(おじちゃん)とその息子(こうじにいちゃん)の2人暮らしで、農家(お米を作ってる)です。久しぶりのおばあちゃんの家は、男だけの家になっていて、ほこりだらけでした。おじちゃんもこうじにいちゃんも、私が知ってる2人よりもずいぶん歳をとったように見えました。

 ただ1つ変わらなかったのは、山にかこまれた風景と、匂いがそこにあったこと。私は田舎で生まれたわけではないけれど、都心にはない自然が、いつもそこにいてくれたこと。そういうことを知ってるってことはとても幸せなことだなって思います。

 私にとっての東京は、人が出たり入ったりする、ギラギラのネオン管がいっぱいついた箱みたいな場所です。眩しすぎて、目をつむったらすぐどこかに流されて、一生帰ってこれないような、人の渦がたくさんできて、1つの塊になっているような、イメージです。

 都会の眩しさも、田舎のような暗い静けさも、私はどっちも好きです。どこにいても、結局のところ、その光をどう感じるのかは、自分の目と、心のような気がしています。なので、私にとっての場所は眩しさも暗さも平等にそこにあります。

 山とか草とか家・人・犬・猫がそこにふといるように眩しさも暗さも、都会と田舎両方にふとそこにある感覚です。1人でいるときも、みんなでいるときも、場所は関係なく、ふと、それはやってくるもので、その光景にわっと感動したり、楽しい気持ちになったり、何かを思い出したり、いやな気持ちになったり、何気ない風景が心に焼きついたり、それをまたふと思い出したり、そんな感じで過しています。

 最後に、あの作品の中で語られる「ひかり」について。私は去年から、真っ白いイメージでいますよ。それは何でかはわからないけど、いつもイメージして頭にふとうかぶのは真っ白です。

 2通目なのに、こんな手紙になってしまった。。

 本当はもうちょっと、何も考えないで書きたかったなー

 ただ質問に答えるだけの手紙でごめんなさい。

 次はもっとくだらない手紙を書きたいなー

 あと5通は文通しないと慣れないかもしれない。よ!!

2014.10.29 お昼
オギワラ アヤ

 昼過ぎ、ワークショップの参加者がぽつぽつ集まってくる。14時、アンコーナでは2日目となるワークショップが始まった。

「僕の芝居は結構身体を動かすから、いつも入念にウォーミングアップをするんだけど、日本では皆でウォーミングアップをするのね。それはこっちの人にしてみたら結構変わった体験だと思うから、皆にも味わってみてもらいたいと思います」

 聡子さんの指導のもと、皆で40分ほどかけてアップをする。僕も久しぶりに参加してみたけれど、毎晩酒を煽るように飲んでいるせいか、メイナのときよりも身体は思うように動かなくなっていた。アップが終わると、5分ほど休憩を挟んで、「名前鬼」と「椅子取りゲーム」、それに「番号ゲーム」をおさらいする。

「番号ゲーム」では、昨日とおなじように、藤田さんの「ウノ!」「デュエ!」「トレ!」という号令によって参加者が決まった位置に移動させられていく。さらに、「ウノ、ワンエイティー!」と言えば、部屋の中心を軸に配置が180度回転させられ、「ウノ、シンメトリーア!」と言えば、鏡合わせのように左右反転した位置に移動する。皆、昨日よりもスムーズに動けている。

「今日の発表会でやるのは、たぶん1時間弱の作品になると思うんだよね。今日のスケジュールを説明すると、17時まで稽古をやって、そこから1時間の休憩を挟んで、18時から発表会を始めたいと思います」

 昨日のワークショップの後半で、参加者の皆に、その日の朝のことをインタビューしていた。そして全員に、朝の過ごし方を再現してもらってもいた。

「昨日、皆に一人一人の朝のシーンを作ったよね。皆がどんな部屋で寝てて、、どんなふうに起きてどんなふうに過ごしたかっていうことを決めたけど、どっちに頭を向けて寝ていて、どこにキッチンがあってトイレがあるかって位置も一緒に決めたよね。皆に今日楽しんで欲しいのは、僕がどうやってアングルを決めたかってことで。番号ゲームのときに、『ワンエイティー!』とか『シンメトリーア!』とかってアングルを変えてたけど、作品を作るときにも僕はいろんなアングルを検証して行くんですね。昨日作った皆の朝のシーンも、いろんなアングルを検証して、昨日よりもクオリティの高いものにしていきましょう」

 まずは1人目のベロニカという女性から、昨日作ったシーンを再現してもらう。ただ、昨日は「自分はどんなふうに過ごしたか」を藤田さんに向けて説明しながら再現していたのだけれど、ベロニカは無言のまま朝のシーンを始めてしまった。

「ストップ、ストップ」と藤田さんが中断させる。「昨日は僕に説明しながら、朝のシーンをやってくれたよね? 皆にはパントマイムをやって欲しいわけじゃなくて、『私は何時に起きました』とか『服を着替えて』とかってことを、全部説明しながらやって欲しいんだ」

 ベロニカは不思議そうな顔をして、「説明しているあいだ、動きはどうするのか」と訊ねる。「言葉で説明してるときは止まっていたほうがいいのか、それとも説明しながら動きをやったほうがいいのか」と。

「そうそう、口で説明しながらやって欲しいんだ。それで、説明は英語じゃなくてイタリア語がよくて。イタリア語のほうが皆もテンポ良くできるだろうし、言葉がわからなくても伝わるから、イタリア語でやってみて」

 話を聞きながら、参加者の皆は頷いている。昨日、最初にワークショップが始まったときは本当に発表会までたどり着けるのだろうかと不安に感じていたけれど、今ではもう、藤田さんが日本語で何か指示を出すと、通訳が入る前に「オーケー!」と理解できるほどになってきている。綿密に稽古は進められ、予定をオーバーして17時40分まで続けられた。発表会が始まるまでの短い休憩時間、「良い作品になりそうな気がする」と藤田さんはつぶやいた。

 18時、ワークショップ発表会が始まった。アンコーナの発表会は、ここまでのワークショップの中でもかなり愛おしい内容になった。

 最初に登場するのはベロニカという女性だ。彼女は、「まずどんなふうに寝てましたか?」と訊ねられたとき、「彼氏と一緒に寝ていた」と答えた。「じゃあ、彼氏役は誰にしようか?」――ここまでのワークショップでは、ベロニカならベロニカが「この中で言えば誰に似てるか」を基準に彼氏役を選んでいた。でも、ここアンコーナでは、ロッサーノという男性が「はい!」と自ら立候補して彼氏役を演じている。そんなふうに、皆が積極的に参加して作られている発表会であることが、愛おしさの一因でもあると思う。

 ベロニカはまずトイレに行き、服を脱いでシャワーを浴び、鏡に向かって歯を磨く――この風景が再現されていく。このとき、トイレの役を尾野島さんが、シャワーの役を聡子さんが演じている(メイナのワークショップでも、トイレ役とシャワー役はこの二人がやっていた)。他に誰かが登場するのは、ベロニカの彼氏役をロッサーノが演じているように、誰かが登場したときにほぼ限られていたけれど、ここアンコーナのワークショップでは、脱いだ服を入れる洗濯機(洗濯カゴ)をアンドレアという男性が、洗面台のシンクをテオドロという男性が、鏡(の中に映るベロニカの姿)をサラという女性が担当している。こんなふうに大所帯であることが、このワークショップを愛おしいものにしたもう一つの要因だろう。ベロニカ以外の皆の朝も、そんなふうに大所帯で演じられていた。

 お母さんがテレビを観ながら歌をうたっているのを眺めつつ、「便座が冷たいから座らずに」と言ってトイレに入ったチーチ。

 先に起きていた恋人に、離れた部屋から「アモーレ!」と呼ばれていたものの、「ここでおはようのキスをして」とベッドから動かなかったロベルタ。

 恋人と猫と3人で暮らすマッテーロは、そっと寝室を抜け出して猫に餌をあげる。

 窓を開けてコーヒーを入れ、無言で食事をしながら「私はひとりだ」とつぶやくサラ。

 「私の朝はドラマチックです」と前置きしたものの、わりといつも通りの朝といった雰囲気だったテオドロの朝。ただ、彼は家を出てカフェに入ったのだけれども、彼が座ったソファの役をアンドレアが、読んでいる新聞役をロベルタが演じていた――こんなふうに新聞役を誰かがやるなんてことは、全然想定していなかった。しかも、ロベルタは「新聞も必要でしょ」と自らその役を買って出て、足を新聞紙に見立ててページを移動すると、そのページに載っていそうな記事を口頭で説明してもいる。

 フランチェスカは、2匹の猫と暮らしている。彼女は猫の支度をしながら朝食の支度をする。猫、キッチンの棚、コンロ、シンク、鏡――このフランチェスカの朝は、皆がほぼ総出演で再現していた。

 せっかちなロッサーノは、飛び起きるようにして目を覚ますと、「ラッテ! ラッテ! ラッテ!」と言いながらキッチンに向かい、やかんを火にかけて、その隙に、本当に烏の行水のようにしてシャワーを浴び、熱々のコーヒーを大慌てで飲み干して家を出た。

 ロッサーノとは対照的に、アンドレアの朝は静かだ。妻を起こさないようにそっと寝室を抜けて、トイレに向かう。トイレ役の尾野島さんに「アイ・リスペクト・ユー、シンタロウ」と断ってから用を足すと、仏壇に向かってお経を唱える。それが終わると、妻と子供たちを起こし、朝食を食べさせてバタバタと皆を送り出す。そうして忙しさのピークを過ぎると、仏壇の前に座り、巻きタバコを巻いて一服する――そうして「これで私たちのプレゼンテーションを終わります」と語り、発表会を締めくくった。

「今日はほんとに、面白かったし楽しかったです」と藤田さんが挨拶をする。「僕が大切にしてる活動は――日常生活のことを、たとえばアングルを変えたりとかしながら考察していくってことで。そうやって作品が出来上がっていくんだけど、それを言語を違う人たちと一緒に出来たのが幸せでした。今日ワークショップでやったことは、アイディアとしてはすごくシンプルなことなんだけど、こういうことから始めていかないとどんな大きな物語にも挑めない気がしていて。しかも、今回は2日間で面白い作品ができたと思うから、すごい楽しかったです。グラッツェ!」

 ワークショップが終わってからも、何人かは一緒にコーヒーやビールを飲んでいた。すぐ近くのホテルに泊まっているというベロニカは、キッチンで一緒に食事もしていくことになった。

 ベロニカは別に、去年のフィレンツェ公演を観たわけでも、今年のポンテデーラ公演を観たわけでもないという。じゃあなぜ参加しようと思ったのかと訊ねてみると、「アンコーナの劇場から届くメールマガジンに『日本からきたマームとジプシーという劇団がワークショップをやる!』と知って、それでここに来たんだ」とベロニカは言った。「私はミラノに住んでるから、メイナでのワークショップのほうが近かったんだけど、メイナでやってるなんて知らなかった」

 話をしているうちに、ベロニカは「アンコーナのあとは、メッシーナに行くんでしょう?」と言った。「私のおじいちゃんはメッシーナ出身で、シチリアに島にあるシラクーザって場所にはすごく歴史のある野外劇場があるから、時間があれば行ってみるといいと思うよ」

 僕が気になったのは、歴史的な野外劇場のことよりも、イタリアの南端にあるシチリア出身のおじいちゃんを持つベロニカが、なぜイタリアの最北端に近いミラノに生まれ育ったのかということだった。彼女のおじいちゃんは、上京するような感覚でシチリアからミラノに移動したのだろうか?――イタリアの人たちの中で、それぞれの街がどういう存在としてあるのかを聞いてみたくて、「どうしておじいちゃんはミラノに?」とベロニカに訊ねてみた。

「私のおじいちゃんはメッシーナに生まれたんだけど、第二次世界大戦のときに北に移動したんだ」とベロニカは言った。答えとして予想していなかった「World War 2」という言葉に、少し身が堅くなる。「おじいちゃんは北の国境線沿いにいて、そこでドイツ軍と戦ったんだ」ともベロニカは言った。

 ここで一つの疑問が浮かんだ。イタリアとドイツは、第二次世界大戦のとき同盟を結んでいたのではなかったか。どうしてベロニカのおじいちゃんはドイツと戦っていたのだろう?

「そう、たしかにイタリアとドイツは同盟を結んでいた」とベロニカ。「ただ、イタリアもドイツも、ファッシーズモだったでしょう? 私のおじいちゃんはパルチザンに参加していたの」

 聞けば、パルチザンは北部の山岳地帯に集っていたのだという。一つには山岳地帯であれば身を隠しやすく、もう一つには、そこを支配することでドイツとイタリアのファシズム勢力を分断する狙いがあったんじゃないか――そんなふうにベロニカは話していた。

「そういえば、イタリアって日本と同盟組んでたんですよね?」と藤田さんは不思議そうに言った。去年イタリアを訪れたときも、そして今年イタリアを移動しているときも、そこが第二次世界大戦のときに日本と同盟を組んでいた国だということをすっかり忘れていた。

 イタリアの人と話していると、「いつか日本に行ってみたい」と言う人によく出くわす。でも、皆が口を揃えていうのは「でも、日本は遠過ぎる」ということだ。これだけネットや何やが発達している今でも、僕たちがイタリアにはどんな文化があって、どんな歴史があって、どんなふうに過ごしているのか――それを知らないのと同じように、イタリアの人も日本のことを知らないでいる。「イタリア人」と聞くとついジローラモみたいに、すぐに女性を口説く陽気な人を思い浮かべてしまっていたけれど、イタリアではそんな人を一度も見かけたことはなかった。

 イタリアと日本の遠さを思い浮かべながら、皆でベロニカをホテルまで送り届けた。