マーム同行記29日目――2つのインタビュー

 仕込み2日目となるこの日は、午前中にセッティングが行われて、ランチを挟んで14時からテクニカル・リハーサルが行われた。17時半、予定よりもずいぶん早くリハーサルが終了したあと、2本のインタビューが収録された。

 1本は、プロデューサーのコラド氏が手配した取材だ。今回のツアー最後の地でようやく気づいたけれど、公演の前日、リハーサルで少しピリつき始めた日程で取材が組み込まれていることが多い。ここまで、どの土地でもそうだった。こちらでは、演出家というのはテクニカル・リハーサルにあまり付き合ったりしないのかもしれない(いや、僕はそもそも、日本の演出家がどう講演前日を過ごしているのかもわからないけれど)。

 藤田さんは、この日も朝から劇場入りして、たとえば角田さんがサウンドチェックをしているときも劇場にいた。そこにやってきたプロデューサーのコラド氏は、藤田さんの席に近づき、しばらく英語で話しかけていた。演出家がサウンドチェックに付き合う――そんな演出家は、少なくともここメッシーナでは例外的なのかもしれなかった。

 インタビューは劇場のロビーで収録されることになった。「入院患者みたいな格好になっちゃってるけど、大丈夫かな?」と藤田さんが言う。インタビュアーの女性が「別にどんな格好をしてても素敵ですよ」と返すと、「お世辞じゃん、それ」と藤田さんは笑った。

 インタビュアーの手元にある資料には、国際交流基金のサイトに掲載されたインタビュー記事があった。それを参考にしながら、インタビューは始まった。

――最初の質問なんですけども、藤田さんはThe Japan Foundationのインタビューで 「女性性を描きたい」と述べられていました。また、それが「マームとジプシー」というカンパニーの名前にも反映されているのだと伺いました。

藤田 マームとジプシーという名前には、二つ意味があるんですね。というのも、厳密に言うと、マームとジプシーというのは僕のカンパニーに役者さんがいるって構造ではないんです。僕が“母体”になって、作品ごとにいろんな人に出会っていく――そのイメージで「ジプシー」とつけたんです。それが一つ目の意味です。

 もう一つの意味は――こういう言い方をすると誤解されるかもしれないんだけど、男性に興味がないんですね。男性を描きたいっていう欲よりも、女性を描きたいっていう欲のほうが強いんです。

 僕にとって、母親という存在はすごくわからない人だったんですね。女性を描きたいってことの出発点には母親がいて、だから僕の作品の中には母性みたいなものや女性という存在がずっとあり続けるんじゃないかと思ってたから、「マーム」って言葉は団体名に入れたかった。

 質問の入口からしてそうだったけれど、インタビュアーの女性は、「女性性」というものに少しこだわっているように聞こえた。

――藤田さんは、男性の俳優よりも女性の俳優のほうが演劇的にふさわしいと考えていますか? また、女性の俳優が自分自身の感情を犠牲にして舞台に取り組むことについてはどうお考えですか?

はやし 「感情を犠牲にしてる」っていうのは、実生活のことを言ってるんですかね?

――なぜ今の質問をしたのかというと、マームとジプシーの作品には女優が多く出演しているからで。

藤田 うん、でも何でそれが犠牲になるんだろう? 役者さんがほんとに泣いてるように見えるってことに関して言ってるのかな。でも、女性ってことをモチーフにして作品は作ってるけど、役者が女性であるべきか男性であるべきかってことは全然こだわってるわけではなくて。ただ、僕は書き物として、女性が主役の書き物をずっと書いてきたってことなんですね。それはなぜかと言うと、さっきも言ったように、僕にとって母親という存在はすごく大きかったからで。

 だから、僕はまだジェンダーみたいなテーマには取り組めてないんだけど、そういうことにこれから取り組む気配がないわけではなくて。僕は女性の漫画家や女性の作家とコラボレーションしてきたんだけど、その女性たちはジェンダーの問題に対して彼女たちなりに取り組んでいる人たちでもあって。だから、そういう問題について取り組むことになるかもしれないですね。

 で、女優さんの話をすると、彼女たちがどんなふうに舞台に立っているかというと――これは“リフレイン”の話をするとわかりやすいんだけど、僕の劇におけるリフレインは、同じことを同じように繰り返すのではなくて、繰り返されることによって感情の嵩が増していくんですね。それは別に、役が憑依するとかではないんだけど、リフレインがかかることによって、感情が決壊するタイミングが出てくる。そこで感情を決壊させるために犠牲にしてるものはあるかもしれないけど。

――はやしさんの意見も聞きたいです。

はやし なんか、リフレインっていうことにも段階があると思うんですよね。マームとジプシーの作品の中でも、もっと身体を動かす作品があるんですけど、どんどん身体を動かしていくと、女性でも男性でもなくなる瞬間みたいなのがあるんです。今回の作品はそこまで身体を動かすわけではないんですけど、そういう瞬間は今回の作品にもすごく感じますね。登場人物としては女性だけれども、感情の嵩が増して行くと、男性でも女性でもなくなる瞬間がある――それはすごく演劇でしかない表現だと思います。

 ここメッシーナにおけるインタビューでも、また「ゼロ年代」という言葉を聞くことになった。ここまで公演をした各土地で「自分はゼロ年代の作家ではなく、テン年代の作家だと思っている」と藤田さんは話していたけれど、その話はまだイタリアに広まっていないようだった。

――藤田さんはゼロ年代を代表する作家であるわけですが、桜美林大学平田オリザさんに教わっていたそうですね。ご自身の作品の中に、平田オリザさんの作品に影響を受けた部分はあると思っていますか? それとも、自分の作品は別だと思っていますか?

藤田 別だとは思ってないし、最初は本当に、平田オリザさんに似た作品を作ってました。日本だと、演劇=「正面切ってお客さんに語りかけるお芝居」だった時代もあるんだけど、そうじゃなくて、日常会話を演劇にしたのが平田オリザさんで、それは日本の演劇シーンにとってすごく新しいことだった。だから、平田オリザさんの影響からどう抜け出すかってことは皆考えていて、そのときに生まれたのがたとえばリフレインだったっていうことですね。

――マームとジプシーの作品には、地理的な要素が散りばめられた作品もありますね。実際の生活を再現するようにして舞台にのせるということは、記憶を再現するということでもあると思います。たとえば、私が自分の人生を舞台化するとします。その場合、人生を舞台化するということはどのようにして可能なのでしょうか?

はやし でも、藤田君の個人的な記憶をそのまま舞台で扱っているわけではなくて、個人的な記憶をモチーフにして、それを現代的な演劇作品として発表してるってことなんですね。だから、彼の記憶だけではなくて、たとえば役者さんの記憶がモチーフとして作品に影響を与えることもあるんです。だから、藤田君の個人的な記憶を舞台化してるってことが重要なわけじゃなくて、作品というところで記憶を扱うことがすごく重要なんだと思います。

――役者さんの個人的な記憶というのは、稽古のときにだけ使用されるのであって、舞台作品の中には反映されないのでしょうか?

はやし 藤田君が皆にインタビューをして、モチーフとしてあがってきたことに藤田君が興味があるものがあれば、作品にも反映されるってことです。

藤田 インタビューするのは、ほんとに小さいことですね。「どういう料理を食べて育ったか」とか、ほんとに小さいことをインタビューして、それをモチーフとしていただくこともある。

はやし ただ、それは別に、完全なノンフィクションってことではないんですよ。いろんなモチーフがピースとしてあって、それを藤田君が編集・構成して、一つの演劇作品として仕上げるってことです。

 はやしさんは「藤田君の作品の作り方をもう少し説明したほうがいいんですかね?」と言ったけれど、インタビュアーの女性は「大丈夫です」と断った。「舞台で表現されているものは、国を問うものではなく、非常にユニバーサルなものだと思う」と。

「では、最後の質問です」とインタビュアーは続ける。「藤田さんは、西洋の戯曲を読んだり、西洋の演出家の作品を観たことはありますか?」

「戯曲は読んでるけど、今も生きている演出家の演劇はそんなに観れてないです。だから、教えてほしいぐらいですね」

シェークスピアとか」とインタビュアーの女性。

シェークスピアはもう、全部読んでますね」――藤田さんの答えを翻訳した上で、「彼はたぶん、今も生きている作家について知りたいんだと思います」と門田さんは言葉を添えた。すると、インタビュアーの女性は「でも、シェークスピアの作品は、今も十分に生きていると思います」と返した。

 これが、この日収録された1本目のインタビューだ。2本目のインタビューは、僕が聞き手で、質問に答えるのは波佐谷さんだ。一度ホテルに帰ったあとで、近くのバーに出かけ、ビールを飲みつつ話を聞く。波佐谷さんは、この日お土産として買っていたゴッド・ファーザーTシャツを着てきてくれた。

――波佐谷さん、Tシャツ1枚で寒くないですか?

波佐谷 大丈夫です。全然寒くはないですね。


――今回のツアー、ほとんど雨に降られてないですよね。もっと雨の日があるかと思ってたんですけど。

波佐谷 でも、先週のメッシーナはずっと雨だったらしいですよ。

――そうなんですね。もう10回くらい聞かれてるかもしれないですけど、波佐谷さん、シチリアの印象はどうですか?

波佐谷 シチリアは――いや、楽しいですよ。イタリアの中でも、シチリアは一番来たかった場所なんですよ。何でかはわからないけど、南のほうだし、陽気な人が多い土地だったんで。実際に来てみても、言葉が通じないからすべてを味わい尽くしてるとは言えないですけど、天気がよくて暖かいってのは大きいですね。アンコーナが寒くて辛かったから、余計にそう感じるのかもしれないですけど。

――アンコーナ、かなり寒かったですよね。

波佐谷 でも、気温的には10度前後だと思うんですよね。寒さだけで言ったら、ポンテデーラの2日目か3日目の朝、5度ぐらいのときがあったんですよ。ポンテデーラの宿は鍵がないと中に入れないのを忘れてて、煙草を吸いに外に出たら閉め出されちゃって。そのときはすごい寒かったですね。

――よく風邪引かずに済みましたね。

波佐谷 そうですね、意外と平気でした。9月の末に1回引いてたからっていうのはあるんですけど。ポンテデーラに比べると、アンコーナは気温的な問題よりも、風が強かったじゃないですか。あと、街の雰囲気が暗かったのもありますよね。あの暗さは、海岸沿いの街特有の感じがしました。海沿いの街は陽気と陰気に分かれますけど、シチリアのあるほうは太平洋って感じですけど――。

――アンコーナのあるアドリア海日本海って雰囲気でしたね。ここまでいろんな街を移動してきましたけど、波佐谷さんが一番印象的だったのはどこですか?

波佐谷 作品は発表してないですけど、メイナは結構楽しかったですね。ワークショップの参加者の人と4日間一緒に過ごして、あそこまで密接に外国の人と話したことってなかったから。ボスニアでもタイダさんと色々話せましたけど、タイダさんは日本語がしゃべれるから、あんまり外国の人って感じがなかったんですよね。メイナでは作品もがっちり作れて楽しかったし、最後の日に皆と別れるのが寂しかったのは覚えてますね。まあ、どこも楽しかったですけど。

――波佐谷さんは、イタリアの雰囲気が合うってところもありそうですね。

波佐谷 そうですね。大学生のときにカナダに行ったことはあるんですけど、それは5日間ぐらいしかいなかったし、ずっと日本人と一緒だったし、ごはんもチャイニーズタウンで済ませてたんですよ。そのあとに去年、イタリアに行って、チリに行って、今年はボスニアとイタリアに来て――結局、イタリアが一番滞在してる時間が長いから、イタリアしかわからないと言っても過言じゃないですけど。でも、やっぱ楽しいですね。街の雰囲気が好きなのかもしれないです。東京に出てきてホームシックになったことはないんですけど、去年の5月にイタリアから東京に帰ったときはホームシックみたいになりましたね。「あ、イタリア帰りたいな」って。

――もう、第二の故郷ですね。

波佐谷 前回は10日間ぐらいしかいなかったけど、今回は3週間ぐらいイタリアにいるじゃないですか。そこで出会った人がことごとく素敵な人だったのもあるかもしれないです。ルイーサとも、去年は話したか話してないかわからないぐらいの印象しかなかったんですけど、今年はずっとついてくれていて。その感じも楽しいですね。

――去年と比べると、作品自体も結構変わりましたよね。その中でも、大きな変化の一つは、“はさたに君”ってキャラクターが前に出てきたってところがあると思うんです。“はさたに君”と“しんたろう君”がラップバトルみたいになるシーンもありますけど、あそこは結構時間を割いて稽古したんですよね?

波佐谷 他のシーンに比べると、時間を掛けて稽古をやったかもしれないです。たしか、3、4時間ぐらいやってたんじゃないですかね? 公演が終わったあと、藤田君は「波佐谷さんの稽古をやり過ぎましたよ」って言ってましたけど。あのシーン、去年のバージョンだともっと冒頭にあって、全然ラップとかじゃなかったんですよ。それは僕と荻原さんと尾野島さんの3人でオオカミの話をしているシーンで、僕はそのあと“毛むくじゃらのおっさん”に弟子入りするって話になってたんですよ。それを今年のバージョンにリニューアルしたわけですけど、キャラクターをわかりやすく書いてくれたから、僕としては作りやすかったですけどね。去年もそうでしたけど。

――“はさたに君”ってキャラクターは、不良的なにおいがありながらも、誰ともつるまずに、群れずにいるキャラクターなわけですよね。このメッシーナという街を歩いていると、“はさたに君”みたいな人が結構いそうだなって感じがするんです。

波佐谷 そうですね。でも、僕の街にもいましたよ。僕の高校は進学校だったから、あんまり不良みたいな人はいなかったんですけど、僕が1年生のときの3年生にすごい怖い先輩がいたんです。その人、学校帰るときに2階のベランダから1階まで飛び降りてたって話がまことしやかに広まっていて。

――“はさたに君”が語る台詞は、最初の印象としては面白さのほうが強いですけど、すごく良いことを言ってるなと思うんです。特に、「何を知った気になってんだよバカが」っていう台詞はすごく良い台詞だな、と。ポンテデーラのときに、藤田さんは「どの土地のことだって知った気にはなれないよね」って話をしてましたけど、それを言い表すような台詞を各土地で言ってる波佐谷さんは、どういう気持ちで言っているのかな、と。

波佐谷 ああ、なるほど。「何を知った気になってんだよバカが」って台詞は――それを言ってるときは、『てんとてん』っていう作品のシチュエーションのことでしか考えてないんですけど、でも、たしかにそうですね。それは藤田君が前に話してたことと重なるかもしれないですけど、「わからない」ってことを前提にコミュニケーションを取らないと、誰のこともわかれないと思うんですよ。最初から「俺はお前のことわかってるから」って態度で行くのと、「わかりたいけど知りたいよ」って態度で行くのとでは、全然違うと思っていて。僕はどっちかと言うと「知りたいよ」ってタイプではあるんで、そういうところは常に無意識で入ってるかもしれないです。

 僕らはいろんな街をまわってきたじゃないですか。でも結局、どの街にも1週間ぐらいしかいられないから、どの街のこともわかれなかったと思うし、もっと言えば自分が生まれた街のこともわからないなと思うんですよ。こういう人がいて、こういう建物があって、こういう道がある――それはわかるんですけど、街っていうのは一つの集合体でもあるじゃないですか。一人ひとりのことはわかれたとしても、その街全体はずっと漠然としていて、いつまで経ってもわからないなって気持ちが強いんです。だからこそ「知りたい」と思うのかもしれないですけどね。まあでも、今回のツアーで一番わからなかったのはアンコーナですけど。

――アンコーナの街は全然歩けませんでしたからね。

波佐谷 その街にどういう人が生活してるかってことは、僕なりにウィキペディアで調べたりできるじゃないですか。たとえば「移民の人が多い」とか、「工業都市だ」とか。でも、それはあくまで街の輪郭だと思うんです。それはあまりにも大き過ぎて、せいぜい「わかりたい」って態度を示すぐらいのことしかできないんですよね。このメッシーナって街も、やっぱり僕のイメージしてたシチリアとは違いますもん。

――たしかに、イメージとは違いましたね。でも、今日はメッシーナ3日目ですけど、到着した初日にも波佐谷さんと街を歩きましたよね。昨日も、そして今日も劇場まで歩いて、3日目ともなると「はいはい、ここね」って感覚になることが増えてくると思うんです。段々待ちにも慣れてくると、「この街のことを知った気になっちゃってるんじゃないか」と不安にもなるんです。

波佐谷 そうですね。初日はいつも、街ゆく人にビビるんですよ。メッシーナに着いた初日、橋本さんと歩いたときも、2人組に話しかけられたときもビビりましたし。

――ああ、煙草の自販機の前で話しかけられましたね。買い方がわからなくて困ってたとき、若い2人組に話しかけられて。でも、イタリア語がわからないから、「買い方を教えてあげる」って善意で話しかけてくれてるのか、何か悪意を持って声をかけられたのか、判断しづらいですよね。

波佐谷 そうなんですよ。初めて行った街だと、いる人皆に気を留めますけど、何日か経つとサーッと歩いちゃいますもんね。今日の帰り道、尾野島君と歩いて帰ってきたんですけど、尾野島君は横断歩道を渡るとき、手でクルマを止めて歩いてたんですよ。そんな感じで、段々慣れてくるんでしょうけどね。

――着いた初日は「いる人に皆に気を留め」るとすれば、それは何を見てるんですかね?

波佐谷 なんか、人の感じって街によって違うじゃないですか。意識的にも無意識的にも、人が接してきてくれる感じというか……。昨日、スーパーのちょっと先にあるお菓子屋さんに行ったんですけど、そこのおっちゃんがすごく良い人で、色々説明してくれて――いや、イタリア語だから内容は全然わかんなかったんですけどね。あの、「活気のある街」って言葉があるじゃないですかメッシーナはそのイメージに近くて、僕の中では港町ってこういうイメージなんですよ。

――波佐谷さんの出身地も港町ですよね?

波佐谷 そうですね。自分が生まれたところは港町じゃなくて漁村なんですけど、家からは海が見えてましたね。幼馴染とか同級生とか、親が漁師をしてる家は結構な比率であって。僕が小学校の頃によく遊んでた海は岩場が多いんですけど、小学生でも潜れるぐらいの浅さで、サザエとかいろんな種類の魚が捕れる岩場なんですよ。でも、近くに志賀原発ができて、うちの漁村も改良工事をされて、岩場はもうなくなっちゃったんですけどね。

――そろそろツアーが始まって1ヶ月が経ちますけど、1ヶ月も過ごしていれば誰かのことを「わかった」と思っちゃうんじゃないかと心配してたんです。でも結局、誰のこともわかれてないなって気がするんです。

波佐谷 僕も皆のことをわかろうとはしてますけど、やっぱりわからないなと思うんです。あと、1ヶ月も共同で生活するのはもっと大変だと思ってたんですけど、皆デリカシーあるじゃないですか。お互いに気を遣って過ごしていて――気を遣うってことは、わからないってことですよね。皆もそんな、すべてをわかってほしいとは思ってないんじゃないですかね? 僕も「お前のこと、わかるよ」って言ってくる人、嫌いだから。

――そんなこと言ってくる人、います?

波佐谷 言葉で言われることは少ないですけど、そういう態度の人はいますよ。そういう人はもう、「人の心に土足で踏み込む人」だと思ってますから。

――そうか、波佐谷さんは土足じゃないわけですね。

波佐谷 僕はちゃんと靴を脱ぎますね。それは最初、伊野さんに言われたんですよ。「バイト先にはさっちみたいな人がいる」って。「はさっちみたいによく話しかけてくる人がいるんだけど、はさっちと違って、何かムカつくんだよね。それって何でだと思う?」って聞かれたんです。たぶんその人は、伊野さんの話をちゃんと聞かずに、人の心に土足で上がり込んで自分の部屋にしちゃうタイプなんだと思うんですよ。僕も人の部屋には入るけど、ひとさまの家に上がるときは靴を脱いで裸足で入ろうとは思ってますね。