朝8時に起きる。トーストとヨーグルトを食べながらテレビをつけると、中学生が自殺したことを報じている。そこで生徒と担任のやりとりが記されたノートが取り上げられ、「なぜ生徒からのSOSに気づかなかったのか」と担任を責める論調が目立つ。でも、ノートを見るだけでは担任が放置していたとまでは言えないだろう。あれだけの情報で非難されるのはかわいそうだ。もちろん一番かわいそうなのは自殺した生徒だが、先生だってひとりの人間で、その先生をこんなに責めてどうしようというのか。

 午前中は『S!』誌の構成を進める。池袋に出て、11時45分に劇場に到着してみると、もう既に当日券の列ができている。僕で13番目。当日券が販売される13時には70人近く並んでいたけれど、チケットを買えたのは僕の後ろの3人くらいまでだ。知人からは「もふが当日券の列に並ぶと迷惑だよ」と言われていた。その距離感にいる人間が並んでると、制作の人間が「えっ、何で橋本さんを並ばせてるの」と言われるんだと知人は心配していた。でも、当日券を用意できずに帰すお客さんがこんなにたくさんいるときに「今日も席を用意してもらえませんか」と言い出すほうが迷惑だろう。

 14時、開演。今日は上手側の一番奥の席だ。ここは見切れ席で、千円引きだったので嬉しい。見切れ席だから全体像は見えないけれど、これまでとはまた違った角度で見ることができて、また違う印象を受ける。まず、この席からだと、幕の奥にいるときから飴屋さんの姿がよく見える。プロローグから、飴屋さんは射抜くように音を鳴らしている。それと、この角度からだと“マユ”がよく見えるし、“マユ"の背中越しに――つまり“マユ”の視点に近い角度で“サン”の姿が見える。

 特に印象的だったのは、解散命令を聞いているときの“サン”の表情だ。皆が呆然とした、あるいは淡々とした、あるいは悲しそうな表情を浮かべているところで、彼女だけは決意を内に秘めた顔つきになっていた。

 学校生活を送っているとき、“サン”は皆のあこがれの的だった。何をやっても“マユ”にはかなわない――そう思わせてくれるヒーローだった。皆を守ってくれる、まさに繭ような存在だった。だが、“戦争”が始まって、看護隊としての活動が始まると、その繭はほころび始める。戦争の、男の人の前で、彼女は無力だった。皆を守ることはできなくて、“タマキさん”も“さっちゃん”も死んでしまった。ガマの中で、“マユ”は皆とはまた違った無力感を味わったのだろう。その果ての解散命令だ。そこで彼女は、ある決意を胸にしていたはずだ。何があっても“サン”は守る、と。ガマで味わった無力感と決意とが、「男の人は皆白い影法師」と繰り返し語りかける“マユ”の(ある種の)狂気を、“サン”を犯した男を殺めてしまうほどの怒りを生んだのではないか。

 もう一つ、見切れ席の角度で印象的だったことがある。それは、今言った、“サン”が犯されるシーンだ。このシーンで、“サン”と一緒に逃げていた4人は、“えっちゃん”を亡くしたショックもあり呆然としていた。“マユ”もまた、しばらく呆然と立ち尽くしている。僕の席から見ると、その手前に、椿組の3人組が座っていた(彼女たちは、このシーンでは待機しているだけだが、マームとジプシーの舞台ではシーンに直接関与していない役者も舞台上にいることが多い)。椿組の3人は、涙を流して背中を震わせているようだった。それは演出として泣いているわけではなく、そこに座っている“誰か”が泣いているのだった。

 その背中を見ていた時に、ある考えが浮かんだ。ひょっとしたら、椿組の誰かは、こんなふうにして少し離れた場所から犯される“サン”の姿を目撃したのではないか――。

 これは単純に僕の妄想であることはわかっている。それを意図してこのシーンは作られていないだろう。だが、3人のうち誰かが偶然目撃していた可能性がないとは言えないだろう。「私たちの兵隊さんだったのに」と“サン“は語る。お国のためにと奉仕していた相手が、あんなふうに自分たちの純潔を奪ってしまうかもしれない――そうしたどんづまり感が、椿組を自決に導いた可能性だってある。ただ、だとすれば、「あいつら(=米兵)はケダモノだから」「純潔を守るために、死のうと思って」と語り、“サン”も一緒に死のうと語りかける台詞が、すごくえげつないものに聞こえてくるけれど(いや、“サン”のつらさに心底同調して、もうこんな世界に生きていても仕方がないんだ――そう思って「一緒に死のう?」と誘っているとも受け取れる)。

 終演後、僕にとって兄貴と言うべきM山さんに声をかける。今日の当日券に並んだのは、M山さんと同じ公演を観て、作品について語りたいと思ったからでもある。二人で「ふくろ」に入り、久しぶりに乾杯。今日はツマミが半額の日だったので、まだ16時過ぎだというのにほぼ満席だ。Mさんは2年前にもこの作品を観ているけれど、「想像以上だった」と興奮した様子で言う。「10年に1度――いや、それ以上の傑作かもしれない」と。ひとしきり感想を言い合ったところで、お互いの近況についても話した。最近の仕事を話しているうちに、「そういえば、『なんクリ』に載った橋本君の原稿、完璧だったね」とお褒めのことばをいただく。「橋本君が書いた原稿の中で一番じゃないかってぐらいよかった」と。嬉しい限りだ。「あの原稿を書くときは、M山さんに言われたことを思い浮かべながら書いたんです」と伝える。以前、あるルポを書いたとき、M山さんにアドバイスされたことがあった。「ルポとかドキュメントっていうのは、本人が『ちょっとこれは書いてほしくない』ってとこまで踏み込まなきゃダメなんだよ。もちろん、嫌がられることを書けばいいってことじゃないんだけど、本人が『この話はちょっと』と思ったとしても、全体の原稿を読んだときに『まあ、ここまで書いてくれるなら』と思ってもらえる原稿が、ルポとして優れた原稿だと思う」と。M山さんは「俺、そんな偉そうなこと言ったっけ」と照れくさそうに笑いながらも、「そんなこと、言った気もするね」と話していた。

 すっかりご馳走になって「ふくろ」を出る。まだ小雨が降っていた。M山さんと別れて、そうだ、そろそろ夜公演が近づいてる時間だろうと劇場に戻ってみると、なんだか空気がざわついている。一体何事だろうと思っていると、エスカレーターのところで『T.B』誌のM田さんとばったり出くわす。M田さんは夜公演の当日券に並ぶつもりだったけど、公演が中止になったのだという。えっ、公演が中止――? 一体どういうことだろうと立ち尽くしていると、ちょうと出演者のTさんが通りかかり、少しだけ事情を聴く。「橋本さん、楽屋に行きますか」と言ってくれたけれど、アルコールの入った状態で踏み入るのも悪い気がして遠慮しておいた。

 ぽっかり時間の空いたM田さんを誘って、「一軒め酒場」に出かけた。ハイボールを飲みながら話したことの半分以上はテレビのことだった。僕は、こないだ日記にも書いた『MUSIC DAY』への不満を語った。それに続けて――これは最近構成した原稿の影響をすごく受けた発言だったのだけれども――今年は戦後70年で、ぎりぎり戦争にリアリティを持った人たちが生きてるけれど、これが戦後80年になると、終戦の年に6歳だった人でさえ86になるわけだから、戦争にリアリティがなくなるんだと思う。僕がそんな話をすると、「たしかに」とM田さんは頷いたあと、「そうすると、あの戦争ってことが、今の僕らにとっての大塩平八郎の乱ぐらい遠い出来事になるのかもね」と言った。すごく腑に落ちる表現で、すっかり感心しながらハイボールをおかわりした。

 2時間ほどで店を出て、酔いをさまそうと「伯爵」に入る。ホットコーヒーを啜っていると、「休演にしてしまいました」とLINEがくる。僕は今日観ていたときの感想を、Fさんは常日頃から思っているのであろうことをそれぞれ言い合っているうちに酔いが覚めてくる。パソコンを広げ、『S!』誌の構成を完成させて送信する。よろよろとアパートに戻り、ベビースターラーメンをぽりぽり食べているうちに眠ってしまった。