朝6時に目をさますと、コートも脱がずに眠ってしまっていた。ホテルの1階に入っていたセブンイレブンでサンドウィッチとホットコーヒー、それにヨーグルトを買ってきて食す。7時50分にチェックアウトして、広瀬通一番町から高速バスに乗る。乗客は僕も含めて5人だけだ。目的地は会津若松である。『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』に登場する磐梯山の風景を目にした瞬間から、「会津を再訪しよう」という気持ちになっていた。

 初めて会津を訪れたのは2013年のことだ。大河ドラマ『八重の桜』に登場する磐梯山の姿が美しく、2年前の2月上旬に一人で会津を訪れた。そこで食べた馬刺がいたく気に入り、同じ年の6月と10月に会津を再訪している。6月のときは知人と一緒で、酒蔵を見学したり、白虎隊自刃の地にも足を運んだ。馬刺の「コウネ」という部位が好きな知人が、「ほっぺたのところにキープしといて、時々取り出して食べたい」と言っていたときの顔をすぐに思い出すことができる。

 2時間半ほどでバスは会津に到着した。お昼を食べるにはまだ早く、鶴ヶ城を見物することにする。会津にも中国人観光客の姿がある。1階は常設展ではなく企画展だったらしく、展示が変わっていた。以前は「下級武士の生活の糧になるように」と殖産興業が奨励され様々な工芸品が作られた歴史であるとか、武士や町人の暮らしであるとか、興味深い展示があったのだが、今は普通に刀や兜が展示されているだけだ。別のフロアには著名な会津藩士の紹介もある。そこに広沢安任の名前を見つけて立ち止まる。先月三沢を訪れた際にも目にした名前だ。移封を命じられた会津藩士たちを率いて斗南藩下北半島)に入り、現在の青森県に通じる「弘前県」を作り、様々な困難に遭いながらも近代的な牧場を開設したのが広沢安任だ。

 天守閣から街を展望しているうちに11時20分だ。そろそろあの店が開く時間だということで、お城を出て歩く。10数分歩いた場所に、目当ての店「鶴我」がある。僕が口開けの客だ。板前おまかせコースと、やわからという日本酒を注文する。燻製卵、天麩羅饅頭、棒鱈煮。次々運ばれてくる料理を平らげながらお酒を飲んでいると、待ちに待った馬刺が運ばれてくる。僕はそんなに馬刺が好きというわけでもないけれど、ここの馬刺は別格だ。とにかく肉厚で美味い。あとで馬刺だけ追加するつもりでいたのだが、その後箱バレてきた料理で満腹になってしまった。2013年に知人と訪れたときはコースに鍋と蕎麦をつけ、馬刺を追加し、別の店でラーメンまで食べたのに。少しずつ食べられなくなる。

 午後、電車に乗って猪苗代駅へ。ドラマ『いつ恋』では、練を乗せた高速バスが到着するのはこの猪苗代駅になっていた(実際には猪苗代駅発着の高速バスは存在しないが)。この駅を訪れるのも3年ぶりだ。駅前にいた猪苗代タクシーに乗り込んで、「長浜に行ってください」と伝える。少し走ると猪苗代湖が見えてくる。「お客さん、今日の湖は綺麗ですよ」と運転手が言う。「今日は真っ青です。ああ、向こうの山の風力発電まで見えてる」。運転手によると、今年は数十年ぶりの暖冬で、こんなに雪の少ない冬は珍しいのだという。15分ほどかかって到着すると、「すみません、どうしても、ね、遠いから、結構な金額になってしまいました」と申し訳そうに言う。

 今日は平日だが、浜には観光客がポツポツ立っていた。観光客より目立っているのは鴨と白鳥である。この浜は白鳥の飛来地として有名で、遊覧船も運航している。亀をかたどった遊覧船と、白鳥をかたどった遊覧船が停泊しているが、出航する気配はなかったので浜に出る。本気の望遠レンズを構える老人、若いカップル、小さな子どもを連れた夫婦に混じって、売店でパンの耳を買って餌をやる。

 人に慣れているのか、すぐ近くまで迫ってくる。鴨ほうがより近くまでやってきて、白鳥はやや遠巻きにいる(遠巻きと言っても、相当間近ではある)。そうすると、パンを食べるのも鴨ばかりになってしまう。たまに白鳥の近くに投げても、ちょこまか動ける鴨が食べてしまう。鴨の口が水面に近いが、白鳥は首が長いぶん反応が遅くなるのも原因だ。なんだか不憫に思えてきて、ダイレクトキャッチできるように投げてみるが、嘴で弾いてしまう。お前、下手だなあ。さっきから全然食べれてないなあ。いつのまにか独り言をつぶやいてしまっていることに気づく。4回くらい投げて、ようやく白鳥はパンを口にした。

 知人に写真を送ると、「のんきさがすごいけど」と返ってくる。たしかに、平日の昼間から白鳥にパンの耳を投げて、ぼんやり湖を眺めているだなんて、一体何をやっているのだろう。でも、今日は「湖を見ておこう」と決めていた。白鳥が飛来しようがどうしようが、ただずっとそこにあり続ける湖という場所。

 1時間半が経とうとする頃に路線バスがやってきた。それに乗車して猪苗代駅まで戻る。乗客が少ない路線だからか(このときも貸切だった)、450円もかかった。駅の売店アサヒスーパードライを購入して磐越西線に乗り込む。磐梯山を眺めながらビールを飲んでいると、少し緊張しているのがわかる。昨日の朝からずっと、5年前に耳にした音が頭の中でリフレインしている。それはマームとジプシー『Kと真夜中のほとりで』という作品に流れていた音だ。

 5年前の感触が、今もずっと残っている。彼らの作品を最初に観たのは2011年の春のことだ。自分から劇場に足を運んで同世代の作品を観たのも、それが最初の経験だったと思う。そこから少しずつ興味を持ち、彼らが公演を打つたび劇場に足を運ぶようになったのだが、決定的だったのが駒場で上演された『Kと真夜中のほとりで』という作品だった。何が決定的だったのかを表現するのはとても難しい。演出方法や物語の中身が云々ということを超えて、舞台上にある断片と断片から伝わってくる感触に圧倒されたのをおぼえている。同じ作品を繰り返し観るというのも、この『Kと真夜中のほとりで』が初めてのことだった。

 それから5年間、作品やライブを観るべく、国内/国外を問わずあちこち出かけてきた。いや、正確に言えばZAZEN BOYSのことが好きになった2005年の夏以降、つまりこの10年はそんなふうに過ごし続けているとも言える。フィールドワークと呼べるほどの目的意識もなく、趣味のような定規もなく、ただぶらついているようなもので、何か蓄積があるというわけでもない。一体どこを、何のためにぶらついているのだろう。

 僕の無目的なぶらつきと重ねるのは失礼かもしれないけれど、この5年間、マームとジプシーもいろんな場所を旅してきた。北海道、いわき、京都、北九州、新潟、フィレンツェ、沖縄、大阪、熊本、サラエボ、メイナ、ポンテデーラ、アンコーナメッシーナ豊橋、山口、ケルン、北京……。旅する場所に僕もついていって、その姿を眺めていた。いろんな夜があった。様々な土地を旅してきた今、再び『Kと真夜中のほとりで』という作品が上演されることになった。『夜、そのまま』(06年)、『夜が明けないまま、朝』(09年)の2作を含めて再構成し、上演するのだという。彼らが今、どんなふうに夜を描くのか。昨日の朝からずっとドキドキしていた。

 郡山から東北新幹線に乗車し、南下する。大宮が近づいてきた頃になると、ずいぶん日が傾いてくる。車窓から見える景色はずっと平野が続いていて、広々とした空に夕日が浮かんでいる。遮るものがない場所で夕日を見るたび、武田百合子がそれを枇杷に喩えていたことを思い出す。きれいだなあ。ボンヤリ眺めていたのだが、ある瞬間から急速に地平線に沈み始め、あっという間に消えてしまった。そして夜がやってくる。


 与野本町駅に到着すると、街はすっかり暗くなっている。劇場まで歩いていく途中にある鈴の湯という銭湯に立ち寄り、湯に浸かってサッパリ。観劇前に銭湯に入るつもりでいたから、1日分余計に着替えを持ってきていた。湯から上がると「華屋与兵衛」に向かって、鴨せいろを注文する。開場時間まで30分あるからまだ余裕だと思っていたが、店内はがら空きなのに、一向に運ばれてこない。老人ふたりがお互いの病状を語り合う声だけがフロアに響いている。20分ほど経って運ばれてきた鴨せいろを30秒で食べ終えて、劇場へと急いだ。

 整理番号は10番だったこともあり、最前列の通路脇の席を確保する。客席にいると周りの会話に気が行ってしまうので、ロビーに引き返し、舞台上の様子が映し出されるモニターを見つめて過ごす。いつにもまして神経質になっているのがわかる。観るだけだというのに、こんなに緊張したことがあっただろうか。Hさんが「今、劇場の方に紹介してもいいですか?」と声をかけてくれたけど、終演後でもいいですかと断ってしまった。

開演5分前に客席に戻り、観劇。3作は再構成され、それぞれがリンクしてもいるのだが、それぞれのパートに分かれてもいる。『Kと真夜中のほとりで』の最初の台詞を吉田聡子が語り始めた瞬間に、腿を叩く音が響き始めた瞬間に、ずっと僕の頭の中に残っているmúmの「smell memory」という曲が流れ始めた瞬間に、初演の風景がフラッシュバックする。まさかこの作品をもう一度観られるとは思っていなかった。

 こう書くと、“あのときの感触”を再び味わうような時間だったようになってしまうけれど、僕が感じたのはむしろ「5年という時間が流れたこと」だった。冒頭の吉田聡子のモノローグからして、記憶にある5年前の声とは違って力強さがある。皆タフになったのだなあと感じる。そのことは、初演にはなかった(つまり加筆された)台詞にもよくあらわれている。吉田聡子と尾野島慎太朗がそれぞれ語る、「私たちは探していこう、真っ暗闇を行こう、今夜、たった一つの弱々しい光を探して」という言葉は、タフになった役者の身体だからこそ語らせることができたのだと思う。

 今回上演された夜の3作は、不在を描く物語だ。小さな町で、誰かが亡くなった。あるいは、誰かが姿をくらました。残された人々は、その不在に引きずられている。10年経った今も、いなくなってしまった誰かを思い出している。あるいは、探し続けている。初演のときに印象に残ったのは、過去に引きずられて足元を見続けている姿だ(マームとジプシーが「シューゲイザー」になぞらえて語られているのを目にしたことがある)。

 今回の“再演”でも、過去に引きずられてはいるのだが、それでも前に向かって歩いている――私が何を思ってどんなふうに過ごしていたって、「今」という時間は前に進み続けて、私という存在も強制的に未来に進められてゆく――ということが、際立って見える。

 作品を観ているうちに、ここ最近の藤田作品には二つの系譜があることに気づいた。一つの系譜は、「不在」を描く物語だ。今回の作品や、海外公演でよく上演されている『てんとてん〜』がこの系譜に当たる。不在というのは、つまり、生き延びてしまった私たちの話である。もう一つの系譜が、最後に「決定的な瞬間」を迎えてしまう物語である。これには『カタチノチガウ』や、昨年末の『書を捨てよ町へ出よう』が当てはまり、死をにおわせる瞬間がラストに登場する。

 この二つを横断しているのが『cocoon』だ。ひめゆり学徒隊に想を得た『cocoon』では、少女たちの日常にするりと戦争が忍び寄り、彼女たちは銃弾に倒れ、病に倒れ、自決を選んでゆく。決定的な瞬間、死を迎えることになる。舞台に立つ役者たちほぼ全員にその瞬間がやってくる。だが、その果てに、主人公のサンだけが生き延びてしまう。そして「だから、生きていくことにした」と口にして幕を閉じる。この『cocoon』という作品を二度上演したことは、彼らにとってとても大きなことだったように思う。

2015年の『cocoon』には、こんな台詞が登場する。

「皆、皆、死にたくなかっただなんて、そんなことはわかっているのに、何で、何でなんだろうね。過去にとって未来はさあ、現在なわけなんだけれど、現在って未来を過去の人たちは想像していたのだろうか、こんな現在を未来ってことで想像していたのだろうか?」

 初演の『K』では、今という時間は一つの点として描かれていたように思う。今という点に立つ私が、過去の点を思い出している。それに比べて、今回上演された『K』における今はもっと流動的だ。固定された点ではなく、流動的に動き続けている。成田亜佑美の語る「今は過去ではない、今を重ねて未来へ行く」という台詞にも、それは集約されている。

 終演後は楽屋に案内してもらって、初日乾杯に混ぜてもらった。どこかで飲もうということになり、皆で電車に乗る。僕はアサヒスーパードライを買ってから乗車した。上り電車は比較的空いていて、ロングシートの両岸に分かれて座っている。僕は立ったまま、その風景を眺めながらビールを飲んだ。暗闇の中にポツポツ灯りのともった風景を眺めて酒を飲むだけでも楽しいのに、車内では皆があれこれ話している。嬉しくなって、あっという間に3缶飲んでしまった。新宿で電車を降りると、藤田さん、それに編集者の二人と一緒に「呑者家」に入り、緑茶ハイを飲んだ。その緑茶ハイ、粉末っぽい感じがうまそうですねと誰かが言った。