夜、新宿へ。今日のルミネtheよしもとの出演者が知人から送られてきたのだが、それが東京ダイナマイト次長課長、千鳥、シソンヌ、チョコレートプラネット、スーパーマラドーナ、和牛、タケトと完璧なラインナップだったので、急遽観にくることにしたのである。エレベーターを降りると人の群れだ。18時からの公演を観終えた修学旅行生と、20時からの公演を観る修学旅行生でごった返している。僕が観た回は7割が修学旅行生であった。15分前に開場すると、彼らはすぐにお弁当を食べ始める。

 20時、和牛の漫才から公演が始まる。僕がお笑いの取材をしていたのは、2010年頃までだ。2011年以降、僕は多少なりとも演劇を観るようになったが、そのせいか漫才を観ていても少し印象が違っていることに気づく。和牛の「口裂け女」の漫才を観ていても、トーンの違いが際立って聴こえてくる。ツッコミがいかにも漫才師らしく語るのに対して、ボケのほうはぽそぽそ話す。それは衣装にも現れており、ツッコミはスーツであるのにボケは普通の格好だ。

 それは格好だけでなく、ネタの構成もキャラが立っている。お笑いというのはすごい仕事だなと改めて思わされる。教科書的にネタを作ったからといって面白い漫才ができるわけもなければ、流行っているネタや誰かのネタを真似したところで面白くわけでもない。「この人が、この間で、このトーンで語るから面白い」ということがある。演劇であれば演出家がそれを役者から見出し、演出を加えるわけだが、芸人であれば自分が自分を理解し、ネタに反映させ、自作自演で舞台に立つ。これはなかなか大変な作業だと思う。

 2組目に出てきた次長課長は不動産屋のコント。これも面白かった。テレビでも観たことがある、妙な日本語を話す店員を河本準一が演じるコントだ。物件を紹介されるとき、途中までは普通の日本語なのだが、「キンタイ(賃貸)ですか、クンジョウ(分譲)ですか」と急に妙な日本語になる。このへんてこな日本語と普通の日本語の行き来が絶妙だ。一か八かで「キンタイです」と井上が答えると、少し間をおいて「キンタイってなんですか」と河本が聞き返す。このときはへんてこな日本語ではなく、普通のトーンで語る。ずっとへんてこなトーンで語り続ければウケるというわけでもなく、このアクセルの踏み方が大事なのだろう。

 それと、ここでも「自作自演」のすごさを感じる。しばらく河本が妙な日本語でまくしたてているあいだ、井上は特にツッコむでもなく、ただ「変な店員に当たっちゃったな」と戸惑った様子で座っているだけだ。そのただ戸惑っている姿というのがキャラクターにとてもマッチしているし、そこもまた笑いに繋がる。「文章を書くためにはまず自分がどういう人間であるのか知る必要がある」という言葉を以前構成したことがあるけれど、お笑いも同じだ。

 しかし、ガッカリしたのは千鳥だ。この日一番楽しみにしていたのは千鳥の漫才だったのだが、あきらかに抜いた感じの漫才だった。修学旅行の中学生たちが「クセがすごい」というフレーズに歓喜の声をあげると、千鳥の二人も思わず笑いながら漫才を進める。漫才でもコントでも、やっている本人たちが笑ってしまうことはしばしば起こる。でも、それとは少し違う笑いであるように思えた。漫才自体も「クセがすごい」というフレーズをふんだんに詰め込んだネタで、そんなことになっている自分たちを笑っているように感じられた。これだけ売れてきたタイミングで、こんな漫才をやっていてどうするのだろう。楽しみにしていたぶん、やるせない気持ちになった。

 他に印象に残ったこと。タケトが登場した時、周りのお客さん(これは修学旅行生ではない)が「誰?」と囁きあっていたこと。普段ルミネにくるお客さんはお笑いファンだけかと思っていたけど、普通のお客さんもふらりとやってくるのだなと思った。後半に登場したシソンヌは、修学旅行生を相手に下ネタをぶつけていて笑った。あえてぶつけたのだろう。会場が静かになってしまったのもおかしかった。最後の東京ダイナマイトは貫禄すら感じる。気合の入った漫才だったし、最後に「ボケとエクササイズ」も観れて嬉しかった(しかし吉本の劇場スタッフは優秀だ)。