朝6時に目をさます。周りの客は寝づらかったかもしれないけれど、思いの外ぐっすり眠れた。9時頃まで二度寝、三度寝を繰り返して、シャワーを浴びる。シャワールームも十分な数があり、特に不便を感じることはなかった。外国人観光客も多く泊まっているようだ。今後、手頃なホテルがなければここに泊まることにしよう。

 10時、「ジュンク堂書店」で九鬼周造『「いき」の構造』を買って、「イノダコーヒ」(三条支店)。ホットコーヒーをブラックで飲みつつ、ミックスサンドを食す。30分ほどで店をあとにして、鴨川に寝転がって『「いき」の構造』を読んだ。こないだ収録した『S!』誌の対談で話題にのぼり、その「いき」の定義が「永遠に交わらない」ことだと聞いた。その言葉に『てんとてん』という作品との関連を感じたので、読んでみることにしたのだ。本の感想は『てんとてん』の感想と結びつけて既に書いた。

 京都の町を歩いていると、「禅―心をかたちに―」展のポスターをよく見かける。京都国立博物館で開催されているらしいので、観に行くことにする。結構な賑わいだ。中に貼ってみると、禅宗のお坊さんを描いた絵がたくさん並んでいる。禅僧を描いた画や彫刻を「頂相」と呼ぶらしい。臨済義玄像が眉間にしわを寄せ拳を握りしめているのに対し、臨済と同時代の禅僧・徳山の姿はそれに比べると柔和だ。

 ずらりと並ぶ頂相を観ているうちに、何だろうこれはという気持ちになってくる。虚堂智愚像の説明書きに「大徳寺の開山・宗峰妙超が師事した南浦紹明が帰朝するにあたり、虚堂が伝法印可の証として与えた」とあるのを見ると、「そこで自分を描かせた絵を渡すってすげえな」と思ってしまう。Wikiを読むと「禅宗では言葉や仏典に拠らず、人と人との交流の中で直感的に悟りに至ることを重視しており、師匠の人格そのものが仏法として尊ばれ」たので、「印可状の一部として自賛の肖像を与え、弟子はそれを師そのものとして崇め」たとあるのだが、現代の感覚ではすごく権威的だと感じてしまう。

 展示を見ていても、権威や系譜が重視されていることが伝わってくる。だからこそ、関山慧玄というお坊さんが死後に丁相を描くことを禁じたという話や、一休宗純が遺誡に「一人も印可を与えていないのだから、自分の死後に彼らが一休の禅を人に説こうとするならば、それは「我門之怨敵」である」と記したのも納得がいく。印象的なのは愚中周及の丁相で、「まいったなあ」といった表情で頭に手を当てている。他の丁相は厳格な表情が多く、展示の第3章で示されているように武将たちと(武士道と)結びつくのも当然だという感じがする。

 数年前に「禅についていつか勉強しよう」と思っていたことがある。でも、展示を観ているうちにそんな気持ちがどんどん消えていく。ストイック過ぎて自分には合わないだろう。前回京都を訪ねたとき、六波羅蜜寺で閻魔の像を見かけた。平安から鎌倉にかけて冥府信仰が流行り、それで閻魔の像が多く作られるようになったのだと聞いたことを思い出す。死者を裁く閻魔に対する信仰と禅宗とが同じ時期に隆盛したのは偶然ではないだろう。いずれにしても、なじめないという気がする。

 1時間強で展示を観終えると、バスで移動して「ホホホ座」をのぞく。そこから二条まで引き返し、今日も「UNITÉ」。アイスコーヒーを飲みつつ、30分ほど絵を眺める。昨晩飲んだとき、「あの2枚のどちらかを表紙に使わせてもらえませんか」とお願いをした。どちらがいいだろうかと、ずっと眺め続ける。

 17時、開店直後の「赤垣屋」に入ってみると、開店直後なのにもう最後の1席だ。ホッと胸を撫で下ろしつつ、瓶ビールを注文する。ツマミははも落しを選んだ。玄関は開け広げられており、西日と風が差し込んでくる。その風にのったおでんの匂い、反対側からは焼き物の匂いが漂ってくる。店内にはBGMは流れておらず、軽妙な会話とてきぱきした接客だけが聴こえてくる。最高だ。

 はもを食べただけで満腹になってしまって、ビール1本と熱燗2本飲んで店を出る。どうしてしまったのだろう。京都を去る前にと「木屋町サンボア」に入り、ハイボールを飲んだ。「また2ヶ月後に来ます」と言って店を出て、新幹線に乗車する。帰りの電車ではずっと眠っていた。