6月28日

 朝8時、コンビニに出かけてサンドウィッチとアイスコーヒー、それに新聞を買ってくる。食事を終えると部屋の掃除をする。ソファの下に溜まっていたホコリも全部掃き出して、雑巾掛けをする。ホッと一息ついているとチャイムが鳴る。赤帽だ。「午後納品」ということだったが、思いのほか早く届いた。2年前からずっと「早く書かなければ」と思い続けてきた『まえのひを再訪する』、ようやく完成だ。15冊が一包みになっており、それが49個運び込まれる。ソファの下に滑り込ませたり、本棚の前や玄関にある洗濯機の前に積み上げたり。部屋が包みでいっぱいになるのもすっかり慣れてしまった。

 窓の外を見てみる。まだ雨が降っているようだが、小雨のようだ。昨日のうちに買っておいたクロネコヤマトの小型段ボールを4個組み立てて、本を詰める。明日の天気予報を調べて、2箱はビニル袋で包んでから箱に詰めることにする。納品書とちんすこうをのせて、ちんすこうが粉々にならないよう新聞紙をクッション代わりに詰めて、コンビニに出しに行く。4568円也。アパートに戻り、今度は通販と献本ぶんをクッション封筒に詰めて、ゆうメールで発送する。3900円也。

 お昼ごはんを済ませると12時だ。ここからは納品の旅だ。まずは自転車に乗って池袋「往来座」、早稲田の「丸三文庫」と「古書現世」をめぐり、一旦アパートに戻る。今度はキャリーバッグとリュックに本を詰めて出発し、新宿の「紀伊國屋書店」。注文をしてくれたのはOさんだったが、「今日はOは休みです」と言われてしまって、しまった、アポイントを取っておけばよかったと反省する。そういうところに気が回らない。それでも納品を受けてもらえたのでホッとする。そこから小田急線で下北沢に出て、「古書ビビビ」を目指すがシャッターが降りている。そういえば今日は火曜日で、火曜日は定休日なのだった。やはり間が抜けている。

 「B&B」に納品したのち、井の頭線で吉祥寺。メールを送っておいたお店を「取り扱っていただけませんか」と訪ねるつもりでいたのだが、こちらも閉まっている。だめだ、根本的に準備不足だ。今度は営業していることを確かめてから荻窪に出て、「Title」に納品する。喉が渇いたので、奥の喫茶エリアでハートランドを注文し、一休みさせてもらう。ビールがたいそううまかった。飲み干したところで棚を眺めていると、店主のTさんから「何でこんなドキュメントを書こうと思ったんですか」と尋ねられる。答えていると、「内容も面白そうだし、表紙もいいし、売れると思います」と言ってくれて、当初の予定の倍の数を扱っていただけることになる。うれしい。

 納品書を書き直していると、さきほどまで奥の喫茶エリアでコーヒーを飲んでいた女性に「もしかして橋本さんですか?」と声をかけられる。これまで出してきた本も買ってくださっていたらしく、『まえのひを再訪する』はどこで買えるんだろうと気になっていたところだと言って、目の前で1冊購入してくれた。嬉しくてしばらくぼんやりする。中央線で中野に出て、「タコシェ」に納品を終える頃には17時になろうとしていた。18時から取材に同席する約束があるのだ。

 取材が終わったのは19時半だ。歩いて雑司が谷に出て、絵を装画に使わせてくれたムトーさんと待ち合わせ。「升三」に入ってビールで乾杯し、「ありがとうございました」と本を3冊渡す。ほどなくしてセトさんも合流して、トマトハイをたらふく飲んだ。


6月29日

 午前中は『S!』誌の構成に取り掛かる。午後、キャリーバッグにリュックを背負って納品の旅に出る。まずは日暮里に行き、「古書信天翁」に納品する。ボエーズのボーカルであるムトーさんが装画を描き、ギター・セトさんの「古書往来座」、ベース・羊三さんの「丸三文庫」、ドラム・ザキ先輩の「古書信天翁」で扱ってもらう本を、ボエーズを眺める役である僕が書いたということになる。パッと売れそうな本でなくて申し訳ないけれど、どうしても扱ってもらいたかった。

 千代田線で新御茶ノ水に出て、神保町の書店へ。「扱ってもらえませんか」と話しかけるつもりでいたけれど、誰に話しかけることもできず、都営新宿線小田急線を乗り継いで下北沢に移動して、「古書ビビビ」に納品する。これならキャリーバッグを引いてこなくてもよかったなと思いつつ、アパートに帰り、『S!』誌の構成を進める。

 夜、末広町へ。今日はアーツ千代田3331東葛スポーツ『東葛沈没』を観るのだ。時間ギリギリまで表で構成仕事をして、なんとか送信する。缶ビールを3本買って(何度でも書くが東葛はビール飲みながら観れるのが素晴らしい、おしっこのことを気にしなくていい上演時間であるのも最高だ、何より缶ビールが300円というのは良心的過ぎる)蓋を開けておき、開演を待った。

 『東葛沈没』には、尾野島慎太朗が東葛スポーツの作品に初めて出演している。その尾野島さんによるラップと演技も良かったが、印象的だったのは何かこう、普遍的なテーマが含まれ始めているということ。それが『日本沈没』からのサンプリングであるにせよ、生命の誕生(であり、向井秀徳のいうところの「繰り返される諸行無常 よみがえる性的衝動」)というイメージがそこにある。今回のメインテーマはそこではなかったけれど、これを東葛流に描くとどうなるのだろうかと夢想する。ビールがうまかった。

 電車を乗り継いで新宿に出て、思い出横丁「T」へ。ホッピーセットを注文して、焼き鳥を何本かツマんだ。昨年の12月から通うようになった店で、店の壁には何枚かポスターが貼られている。今回の『まえのひを再訪する』は、はがきサイズのフライヤーも作ってみた。「これを貼ってもらえませんか」とお願いしようかとも思ったのだが、まだ通って半年の人間がそんなことをお願いするのも気が引けて、言い出せずじまいで店を出た。

 言い出せなかったけれど、今日は良い気分だ。最近は糖質を気にして控えていたけれど、久しぶりで「博多天神」に入ってラーメンを食らう。ここのラーメンは最高だ。この気軽さがいいし、しあわせな気持ちになる。「すいません、13名って入れますか」と言って断られているサラリーマンの団体に「そんな人数でくる店じゃねえだろ」と毒づきつつ、ラーメンを平らげた。ふらふらと靖国通りを西に歩き、新宿3丁目「F」に入る。選挙の話を少しだけした気がする。最後に『まえのひを再訪する』とフライヤーを何部か渡して帰路につく。


6月30日

 ぐずぐずしているうちに午後になってしまった。14時過ぎ、スターバックスでグランデサイズのアイスコーヒーを買って、品川から新幹線に乗車する。いつもは自由席だが、今日は仕事をしなければならないので指定席を取ったのだが、ぼんやりしていたのでのぞみではなくひかりの切符を買ってしまっていた。まあでも、急いでいるわけではないので、仕事が捗ってよかったのだが。京都に着くとまず、銀閣寺方面のバスに乗車する。幸運にも座れたのでよかったが、途中から宿を目指す修学旅行生が大量に乗車してきて、車内はえらいことになっていた。

 浄土寺でバスを降り、「ホホホ座」へ。納品を終えて店内を物色していると、明日から京都精華大学で開催される『Fashioning Identity』展のチラシを見かける。実物を観るのはこれが初めてだ。「この展示の中に、この本で書いているマームとジプシー『まえのひ』に関する展示もあって、明日はオープニングイベントとしてパフォーマンスもあるんです」と店員のUさんにお伝えする。数冊(と数個)購入して河原町まで引き返し、ホテルにチェックイン。

 朝から作業を進めてきた『S』誌(『S!』誌ではない)の構成を送信したのは18時頃だった。さて、飲みに出かけるか。シャワーを浴びて、「赤垣屋」に出かけてみると、幸運にも1席だけ空いており、そこに収まる。おでんをツマミに冷や酒を飲んだ。両隣とも選挙の話をしているが、京都はやはり“革新”側が強い地域だ。何杯おかわりをしたのか数えられなくなったあたりで店を出る。さて、あとは「木屋町サンボア」で1杯飲んで帰るかと信号を待っていると、「橋本さん!」と声がする。

 その声はたしかに聞こえたのだけれども、京都で僕に声をかける人なんていないだろう。そう思って無視していると、何度も「橋本さん!」と声がする。そちらに目を向けると、白いハイエースが停まっている。助手席から顔を出しているのは青柳さんだ。中にはマームの皆と、それに新プロジェクト「ひび」のメンバーだという何人かが乗っている。僕が信号待ちをしているのを、運転していた石井さんが気づいたのだという。これから焼肉屋に行くのだという皆と一緒に運ばれていたはずなのだが、どこで皆と別れたのか、気づけば京都の路上に立ち尽くしている。


7月1日

 昨晩は酔っ払い過ぎてしまって、記憶がおぼろげだ。クレジットカードとアイフォーンケース、それに飲み始める前にロフトで買ったものがなくなっている。アイフォーン自体は枕元にある。「これを僕の分のお会計にしてください」という気持ちで、焼肉屋にそっと残して帰ってしまったのだろうか。まあ、それはあとで考えることにして、『まえのひを再訪する』という本に関する日記を書いてアップする。奥付的には今日が発売日だ。

 13時、四条大橋のところにある「東華菜館」へ。エビチリと水餃子、それに瓶ビールを注文する。隣の老夫婦が「麺料理はないんやて、立派やなあ」としきりに感心している(それとも嫌味で言っているのだろうか)。エビチリを食べ終えたところで8個入りの水餃子が運ばれてくる。それを2個食べたところで満腹になり、「エビチリだけにしておけばよかった」と後悔する。食後はロフトに出かけ、昨日と同じ便箋を購入する。それを持って「イノダコーヒ」(三条支店)に入り、添状を書き上げ、郵便局から本と一緒に送る。

 16時、京都精華大学へ。2階からリハーサルの音が響いてくる中、『Fashioning Identity』展を見学する。外のベンチで開場を待つ。16時50分、はやしさんが「橋本さん、開場したよ」と教えてくれたので、2階に上がる。こじんまりしたスペースだということもあって席はあっという間に埋まり、立ち見のお客さんも大勢いた。ふっと香水の匂いがしたかと思うと、青柳いづみが舞台(というより展示会場の隅に用意されたマイクの前)に姿を現す。「今日は、まえのひ」と語ってから、「冬の扉」のパフォーマンスが始まる。

 この日披露されたのは「冬の扉」と「先端で、さすわ さされるわ そらええわ」の2篇だ。2篇とも、2年前の『まえのひ』ツアーで上演された作品であり、そのときと同じ楽曲も使用されている。楽曲というのは録音されたものであり、その音は2年前と変わらないものだ。もちろん、響かせる空間によって違いはあるし音量も違っているのだが、とにかく同じ音だ。だからこそ、その楽曲と一緒に空間に響いている青柳いづみの声が2年前とまったく違っているということが際立っていて驚く。

 特に印象的だったのは「先端〜」のほうだ。2年前に観たとき、この詩を読み上げる青柳いづみの姿は強烈な閃光のようだった。特に中盤と終盤に登場する、爆音とともに言葉がまくし立てられる箇所は圧巻だった。しかし、語られる言葉のBPMは2年前に比べて緩やかになっている。何より驚いたのは、何度か言葉に詰まったことだ。

 彼女は以前、「自分は筒のようなもの」だと語っていたことがある。俳優である私は、人の言葉が入っている筒である、と。だからこそ、あれだけ驚異的な速度で台詞をインプットすることができたのだろう。あれだけ閃光のように舞台に立っていたのも、筒であればこそだと思う。しかし、ここ最近の青柳いづみは「人間になったんです」と語るようになった。そうした変化は、2014年に上演され、そこから2年が経ったという時間の流れも含めてまとめた『まえのひを再訪する』の中でも取り上げている。

 人間になってしまったことで、以前はするすると語れていた言葉の通りが悪くなり、言葉に詰まるという事態にまで至ってしまった。では、俳優としてつまらなくなったのかといえばそうではない。さきほども書いたように、2年前に上演されたときに印象的だったのは「中盤と終盤に登場する、爆音とともに言葉がまくし立てられる箇所」なのだが、今回はその間に登場するとても静かな箇所が強く響いてくる。街を歩いているときに、ふとした路地の暗がりと目があったような存在感があって、目が離せなくなった。あの暗闇は、人間であるがゆえの暗闇だろう。その変化をふまえて書かれた言葉を彼女が発する姿が観てみたいという気持ちになる。

 パフォーマンスが終わったあとで、しばらく展示を眺めていた。ツアーのときに僕が撮った写真も展示してくれてある。しげしげ観ていると、藤田さんと青柳さんに声をかけられる。「全然違ってびっくりしました」と感想を伝えると、二人もそれに近いことを言っていた。「ちょっと、いきなりできる作品じゃなかったね」とも。マームとジプシーの展示は、写真と、「まえのひ」のテキストと、青柳さんが「まえのひ」を朗読する映像だ。今回のために改めて撮影したのだという。すっかりひと気のなくなったギャラリーで、僕はその映像を眺めていた。映像の中の青柳さんは、もう死んでしまった人みたいに見えた。

 18時からはレセプションがあるというので、僕も混ぜてもらった。会場には川上未映子さんの姿もあり、ようやく『まえのひを再訪する』を手渡すことができた。サインを求められたので、小さく名前を書く。1時間ほど歓談したのち、飲みに出かけることになる。店の名前は覚えていないが、鳥料理と海鮮料理を出す店だ。今日は半夏生と言ってたこを食べる日だと未映子さんに教わり、皆でたこを食べたのをおぼえている。

 僕は京都の「松本」という酒を飲んでいた。最初はグラスで提供されていたのだが、何度もおかわりするものだから店員さんが気を利かせて徳利で提供してくれるようになった。僕が座っているのはお誕生日席のような場所で、酒を飲んで言葉を交わす皆の姿が見渡せる席だった。ああ、今死んでも不満はないなと思ったが、ここで死なれても皆のほうは迷惑だろう。よほど楽しかったのか、「ええのう」とツイッターでつぶやいているが、つぶやいた記憶は残っていなかった。この晩もまた、どうやって帰ったのか、まったく記憶に残っていない。


7月2日

 10時、ホテルをチェックアウトする。大きな荷物を預け、まずはホテルの1階にあるスターバックスコーヒーへ。今日は土曜日だから混んでいるかと思ったが、思いのほか空いている。高田馬場の喫茶店は土日になるといつも満席なのでうらやましくなる。『S』誌の構成に修正を加えて、11時50分に送信する。これできっと大丈夫だろう。12時、開店直後の新京極「スタンド」に入り、一番奥の席に座って瓶ビールを注文する。店員さん同士の会話がよく聞こえて愉快だ。

 途中からたる酒に切り替えて、テレビを眺める。バングラデシュの事件に動きがあったと報じられている。画面には高温に注意を呼びかける表示がずっと出ている。京都では夕方まで35度以上が続く可能性があるという。天気予報を見ると沖縄よりも高温だ。ほどなくして『とと姉ちゃん』が始まる。先月下旬の沖縄旅行で見そびれてしまって、それ以来録画はしてあるが観なくなっていた。いつのまにか登場人物たちはよれよれの服装になっており、玉音放送を聴いているところだ。会計を済ませて表に出ると、真夏のような陽射しでくらくらする。

 とある書店に出かけ、見本として1冊差し上げる。「ご興味を持っていただければぜひお取り扱いをお願いします」と言づけをしておく。さて、これから何をしようか。今日は日テレで「THE MUSIC DAY」が放送されている。昼から晩までずっと生放送で、ジャニーズもたくさん出演する。そのせいか「今日も京都に泊まればいいのに」「終電くらいに帰ってきたら」と知人に言われていたが、財布の中身が薄くなってきたので、もう東京に戻ることにする。新幹線の中では白ワインを飲みながらバングラデシュの事件に関する報道を読んでいた。「コーランを暗唱させて、暗唱できなかった人を刺した」との情報もある。おそろしいことだ。日本語訳の『コーラン』を持ち歩いているくらいでは許してもらえないだろうか。

 19時過ぎにアパートに到着して、お土産の柿の葉寿司をツマミにして、知人と一緒に「THE MUSIC DAY」を観る。途中で渡辺直美が出てきた。唐突な登場に最初は面白がって観ていたけれど、あまりにも“コント顔”を作るのでシラケてしまう。全力でアーティスト然とした顔のほうが突き抜けていて笑えるのに、どうしてこんな注釈をつけてしまうのだろう。終盤にはTHE YELLOW MONKEYも出てきて「バラ色の日々」を歌っていた。最後の「ARE YOU A BELIEVER?」というフレーズにハッとする。ダッカの事件を思い出す。そんなことを連想する日がくるなんて、あの頃は予想すらしていなかった。


7月3日

 昼、スーパーで買い物。エビと青梗菜の炒め物、それにマルちゃん正麺にひき肉とニラをのせたものを作り、知人と一緒に食す。午後は自転車で目白に出かけ、「ブックギャラリー・ポポタム」に納品する。お店が休みだったり、僕が京都に出かけたりが重なって納品が遅くなってしまった。今度は電車で学芸大学駅に行き、「SUNNY BOY BOOKS」に納品する。これで現時点で連絡をもらっているお店にはすべて並んだことになる。

 夜、久しぶりで高円寺「コクテイル」へ。曜日の感覚がないので忘れていたが、今日は「斎藤バル」として営業している日だ。おつまみカレーを注文して、ちびちび食べながらトリスハイを3杯飲んだ。休日出勤中の知人に連絡を入れてみると、そろそろ帰ろうかなというので高田馬場にある沖縄料理屋で待ち合わせ、にんじんしりしりをツマミに泡盛を飲んだ。どうすれば本が売れるだろうかと話しているうちにケンカになる。


7月4日

 午後、取り扱ってもらえる店を増やせないか、あれこれ考えをめぐらせる。都内の店は、現時点で取り扱ってもらえてない店となると、何か方策を考えないと難しいだろう。『まえのひ』ツアーで訪れた街では買えるようにしたいところだけれども、リトルプレスを扱っている店となると限られてくる。あれこれ調べているうちに日が暮れていた。

 夜、渋谷へ。今日は「LOFT9」にて向井秀徳アコースティック&エレクトリックのライブがある。20時開場、20時半開演と遅めのスタートだ。以前『FAKE』を観たとき、1階にあったカフェが何やら工事をしているなと気になっていたのだが、そこにオープンしたのが「LOFT9」なのだった。僕が向井秀徳の弾き語りを観るのは3ヶ月振りだ。3月21日、那覇の「output」でライブを観たときに「あのときのことを書いておかなければ」と思い立ち、そこから『まえのひを再訪する』を書き始めたのだったと改めて思い出す。『まえのひを再訪する』はマームとジプシーのツアーに関するドキュメントで、向井秀徳の歌と直接的なつながりはないのだけれども、「記憶」ということが大きなテーマであるということで、僕の中では繋がっている。「omoide in my head」を聴きながら、そんなことを考えていた。

 圧倒されたのは岩見継吾服部正嗣をゲストに迎えた第2部だ。『ディストラクション・ベイビーズ』の楽曲はこの3人で演奏されているが、MCで向井さんが二人と出会ったきっかけを語っていたのが印象的だった。曰く、酔っ払って下北沢を歩いてたら、地下の店から音が聴こえてきた、と。そこはジャズ飲み屋で、セッションをしている人の中に岩見継吾服部正嗣がおり、その場で「一緒にやりましょう」と誘ったのだという。それで、『ディストラクション・ベイビーズ』は街を歩いて喧嘩を吹っかける映画だけど、「私も街で彼らと出会って、吹っかけたんですね」と。

 そうして出会った二人とのセッションに度肝を抜かれた。向井秀徳の加わったセッションを何度か観たことがあるけれど、持ち技という言い方で正しいのか、それを挟み込むという印象のほうが強かった。「繰り返される諸行無常」というフレーズであるとか、チャルメラを弾いてみるだとか。でも、昨日のセッションはまったくと言っていいほど違っていた。向井秀徳の頭の中にある混沌とした音が丸ごと放出されたようなセッション。一体どうしたことだろう。ZAZENのライブの開場中によく流れていたマイルスの音源を思い出す。今後のライブがますます愉しみになるセッションで、僕は何杯もハイボールをおかわりした。