マーム・イン・京都(3)あたらしいひび

 外はよく晴れていて、蝉の声が教室にまで響いてくる。午前だというのに34度を超えているけれど、元・立誠小学校の1階にあるカフェはよく冷房が効いていて快適だ。8月2日、僕はこの店でマームとジプシーの制作・林香菜さんと待ち合わせをして、アイスカフェオレを飲んでいた。

 数日前、林さんは「この夏はめっちゃタクシーを使っちゃってます」と言っていた。京都は狭い街だとよく言われるが、実際に移動していると――しかもこの暑さの中を移動していると――それなりの規模だということを実感させられる。元・立誠小学校と春秋座は5キロほど離れており、バスで移動すると30分近くかかる。『A-S』と『0123』、2つの作品が同時に制作されている中で、この時間のロスは痛いし、自転車で移動するには京都の夏は暑過ぎる。

 今年の夏は大変ですね――そう話を向けると、林さんは「去年のほうが大変でした」と笑う。

 「今思うと、去年の夏に『cocoon』をやったときはまだ、自分の立ち振る舞いとか、プロジェクトの中での自分のポジショニングみたいなものがまったくわかってなかったんです。でも、ツアーの中で、『あなたはこの作品に関わってくれている人たちに対して『ありがとう』って感謝を伝えていく立場なんだから、それをおざなりにしてはいけない』ってことを藤田に言われて。『もちろんそれだけじゃないけど、あなたがきちんと「ありがとう」って伝えたり、「ごめんなさい」って謝ることで解決することがいっぱいあるんだ』って。それまで、自分がそういう立場だと思ってなかったんですよ。自分の言葉で関わってくれる人の何かが変わるなんて事も全く思ってなかったし、それは藤田に言ってもらう事であって、自分が伝えるポジションだと本当に全く思ってなかった。だから、精神的には去年のほうが大変で、劇場サイドとの付き合いにしても、どこまで頼っていいのかわからなかったり、関係性の取り方だったり、関わる人がどんな制作的な言葉を求めているのか、とにかくそれを対応するだけでいっぱいいっぱいだったけど、今はそういう立ち回りが自分の中で徐々に解決してきたんです。まだまだですけど……」

 ここ数年、マームとジプシーの創作スピードは上がり続けている。2014年春に全国7都市をめぐった『まえのひ』ツアーは、バン1台で日本を横断する過密スケジュールの旅だった。しかも、『まえのひ』ツアーが行われていた時期には『ΛΛΛ かえりの合図、まってた食卓、 そこ、きっと──────』という作品の稽古も始まっており、ツアー先と稽古場を藤田さんは何度か往復していた。

 あるいは、2014年秋には『小指の思い出』という作品が上演された。その公演が楽日を迎える前に藤田さんは劇場を離れ、『てんとてんを、むすぶせん。からなる、立体。そのなかに、つまっている、いくつもの。ことなった、世界。および、ひかりについて。』のツアーに向かわなければならなくなった。2つの作品が並行して上演され、自分の作品が上演される現場に藤田さんが立ち会えなくなったのは、このときが初めてのことだ。

 今年の夏は、さらにスピードが増している。『A-S』と『0123』、2つの作品を並行して立ち上げたのである。どんどんクリエイションの速度が加速しているが、マームとジプシーの制作として、林さんはどう対応しているのだろう。

 「私のことだけを言うと、現場に入ってからはみんなに任せるしかない部分が多いし、今回もとにかく優秀なチームを作る事が出来たので、とても楽しいです。藤田はもちろん、俳優さん、スタッフチームには大変な思いをさせてしまってると思うし、みんな『一つの作品に集中してくれたら、もっとよい作品になるのではないか』とか『これでいいのかな』と当たり前に思ってると思う。でも、藤田がいないときこそ、時間をかけて培った、それぞれのマームとジプシー的な美意識できちんと作品を守ってくれる人たちなんだと再確認しました。だから、今回のプロジェクト2つは、私が対応しているというよりも、それぞれがそれぞれの立場で踏ん張ってくれているという感じです。

 今回の京都に関して言うと、そうなる予定だったし、しょうがない事なのですが、立誠の『0-1-2』が初日を迎えたら藤田が『A-S』にほとんどの時間を費やすことになってしまいました。だから『0123』に関しては、もちろん藤田の言葉やディレクションがあってこその作品だし、藤田の作品なんですけど、今まで以上に作品を豊かにしたのはスタッフであり役者さんだなって思っています。もちろん全ての決定権は藤田にあるのだけれど、藤田がいない状態でも、細かな部分で皆の美意識で作品が豊かなっていく感触があって、その作業を見ていて、私としてはすごく充実感があったんです。作品が藤田の物だけではなくなる感覚というか。それは『A-S』にも言えることで、この場所での創作をとても理解して、ゆりりともりっち(舞台監督 森山香緒梨)で踏ん張ってくれた。皆はそれぞれの立場でほんっとに大変だったと思うんですけど、それだけ強靭なチーム力が備わっているんだなってことが感動的でした。

 これまでも、0を1にするのも、1を100にするのも藤田だって大前提でやってきたんです。今でも藤田が1を100にする前提は変わらないんだけど、これからの藤田とそれぞれとの作業も、少し変わって来るのかもと思いました。俳優陣やテクニカルチームは『藤田の作品に関わる』ってことで集まってきているんだけど、皆もマームとジプシーという場で自分の表現をしている。そういう場になってきたなっていう気がするんです。私がこれから先出来ることは、予算やスケジュールでの対応力とかってことじゃなくて、このそれぞれの特別な力をもっと存分に発揮出来るような場を整えていくことだと思ってます」

 マームとジプシーにかかわるメンバーの多くは、大学時代に出会った人たちだ。その彼らも今、全員が30代になろうとしている。こうして話を聞いている林さんもまた、この翌日が誕生日で30歳になる(その日の飲み会では皆でお祝いをした)。強靭なチーム力を培ったのは、一つにはかかわってきた時間の長さがある。彼らは20代を駆け抜けてきたけれど、30代という曲がり角を迎えた今――しかもいよいよ速度が上がり、活動の規模も大きくなりつつある今――林さんは制作としてどんな環境を整えようとしているのだろう?

 「正直、ここまでは無理せず、自然に来れたなっていう感じがあるんです。でも、いつか痛い目に遭うんじゃないか、いつか続けていけなくなるんじゃないかって怯えながらここまでやってきました。予算規模もどんどん上がってはいるんだけど、制作的にはいきなり新しい境地に踏み入れた感じは全くないんですよ。これからも、たとえばびっくりするぐらい大きな予算の仕事をやることになったとしても、いきなり無理することにはならないんじゃないかな。

 私にできるのは、力になりたいと思ってくれている人たちが手を伸ばしてもらえる環境にしていくっていうことで。今回の京都でも、『これから先も、この人たちに手を貸してもらいたいな』と思っている人たちはほとんど、京都まで観にきてくれたりして。マームとジプシーに自分が関わっていなくても、作品や活動をいつも気にしてくれている。そういう人が本当にいっぱいいるので、その人たちに助けてもらえる、巻き込まれてもらえるような環境にしていくことが大事だなって思っています」

 制作という立場にある林さんに話を聞いているからこそ思うのだが、どうやって活動の規模を大きくして、より多くの人に届くようにするのかという問題は、いろんな人が頭を悩ませてきた問題だろう。どうやって活動の規模を大きくするかを考えたときに、テレビや映画で活躍する俳優を起用することで集客を増やし、大きな劇場で上演するという選択肢もある。それとは反対に、テレビの世界に進出するという選択肢もある。しかしマームとジプシーは、演劇という場を維持しながら、これまでのメンバーで大きな規模に挑もうとしているのだろう。

 それは別に、「テレビや映画で活躍する俳優とは一緒に作品を作らない」ということではないはずだ。実際、藤田さんが演出した『小指の思い出』や『書を捨てよ町を出よう』には、テレビや映画、舞台で活躍してきた俳優がキャスティングされていた。そこで問題となるのは、これまでのマームとジプシーの制作方法を維持できるかどうかだ。演出家は演出のことだけ、俳優は演技のことだけ、照明家は照明のことだけ、音響家は音響のことだけ考えるのではない現場といえる――それを全員と共有できるかどうかにかかっている。

 『小指の思い出』の稽古が始まったとき、僕は何度か稽古場を見学させてもらったことがある。あのときは、そのスタイルを共有するという段階で少し苦労があったように思う。だからこそ、『書を捨てよ町へ出よう』で村上虹郎さんや又吉直樹さんという人とあらたに出会って作品を作るときに、一緒に時間を過ごして何かを共有するということにエネルギーを費やしていたし、これまでマームとジプシーがどんなふうにクリエイションを行ってきたのかを丁寧に言葉で説明してもいた。つまるところ、その制作方法を共有できる人を増やしていこうとしているのが、マームとジプシーの現在と言えるのではないか(その意味では、『小指の思い出』以来となる東京芸術劇場・プレイハウスでの公演が楽しみでもある)。

 「『小指の思い出』の頃はまだ、自分がマームとジプシーの人だと思ってなかったんです」と林さんは言う。「思ってないっていうのは違うんだけど、皆にとってはマームとジプシー=藤田で、それがすべてだと思ってたんです。でも、それこそ『小指』のときに、自分の立ち回りとしてもっとできることがあったんじゃないかってことを思ったんです。あの時期、大人計画の長坂まき子さんに食事に誘っていただいて、話をする機会があって。そこで長坂さんが言ってくれたのは、『思ったことがあるなら言ってあげなさいよ、作品を一緒に作るために、そんなの当たり前だよ』ってことで。元気ないなと思ったら『ごはん行きましょうよ』と誘うとか、この人はなにか納得してないなと思えば飲みに誘うとか、自分自身がひっかかる事があるなら、実行に移せばいいのよ、と言ってくれたんです。

 それまで私、自分がそんなこと言っても何も変わらないと思ってたんです。さっきの話ともつながるんですけど、それを言うのは藤田じゃないとダメだと思ってたんですけど、長坂さんの言葉で『ああ、そうなんだ!』って思えたんですよね。たとえば藤田が『あのシーン好きだな』と言っていたとしたら、そのことを伝えるだけでも変わってくることだってありますよね。それだけじゃなくて、私がこの作品についてどう思っているかとか、関わっている人に伝えていくこともとても大切な事なんだと気づかせてもらいました。劇場の方に対しても、『藤田が楽しかったと言ってました、また一緒にやりましょう』とちゃんと伝えることで変わってくることもあると思います。当たり前にみんな作品のために集まってきてる訳だし、最初からネガティブな思いで関わる人なんて本当に一人もいない。それはどんな立場の人もそうで、それぞれの美意識とかタイミングが違って、それがうまく噛み合ってないだけのことってたくさんあるから、ちょっとした一言と話の仕方や考え方で変わったり、うまく噛み合ったりすることってあると思うので、そういうのを大事にしたいなって思ってます」

 マームとジプシーの制作環境を考える上で、今年は大きな変化がある。それは、新しいプロジェクト「ひび」が始動したことだ。今年の春、メンバー募集の呼びかけが始まったとき、こんなふうに説明がなされていた。

 この度、マームとジプシーは2016年6月より新しいプロジェクト「ひび」を始動致します。このプロジェクトは私たちの「活動」に共感し、興味があるひとが、マームとジプシーの活動に関わりながら、約1年後に予定されている藤田貴大との作品発表を目指します。つきましては、「ひび」のメンバーを募集します。

 現在までにオーディションとして出演者募集は実施してきたものの、このようなカタチでの試みは初めてです。「ひび」のメンバーのなかには、もちろんこれからマームとジプシーの舞台に立ちたいひとがいてもいいですし、演劇を目指すひとじゃなくてもいいです。服をつくりたいひとがいてもいい、音楽をしたいひとがいてもいい。これからお店をしたいひとがいてもいい。「ひび」という場所、「ひび」での時間が、これからのマームとジプシーや藤田貴大の活動を支えていく大切な出会いの場になるように願っています。沢山のご応募お待ちしております。奮ってご応募ください。

 オーディションを経て、6月3日に「ひび」のメンバー22人の名前が発表された。しかし、この新プロジェクトが一体何を目指しているのか、外側から観ているとよくわからないところがある。一体なぜ、この新プロジェクトを始動させたのだろう?

 「これまで関わってきてくれた人たちっていうのは、利害関係がお金ではないなか、藤田の作品を作るために集まって来た人たちが、関係としてもそのままお仕事に繫がってきました。だから、マームとジプシーの考え方とか立ち振る舞いが自然にできているんです。色んなジャンルを巻き込む事を楽しめる人達だし、とにかく面倒くさがらずとことん付き合ってくれる。例えば、俳優さんは舞台に上がるだけの存在じゃなくて、作家が自身を削って産み出した、そして、沢山の人で立ち上げた”作品”の最終的な”出口”という責任感とか、マームとジプシー的な俳優としての興味の持ち方みたいなものが潜在意識として共有出来てるんだと思います。世の中には役者として舞台に上がることにだけ興味があるって俳優もたくさんいると思うけど、それだけじゃないマームとジプシー的な俳優の素質がある人たちっていうのも結構いると思っていて、そういう人たちにも出会いたいなと思いました。

 それはもちろん、俳優だけじゃなくて、各ジャンルにいると思うんです。そういう素質がある人たちに、作品にかかわるスタンスを1年かけて身につけてほしいというか、確認して欲しいと思ったんですよね。その中からマームとジプシーに関わり続ける人と出会えるかもしれないし、舞台美術をしてもらう人が出てくるかもしれないし、もしかしたら藤田が誰かの才能を認めて、その誰かの言葉を藤田が演出することだってありえるかもしれない。今まで、内側を固めるチームは外部を寄せ付けない潔癖を貫いてきたので、出会おうと思う機会って本当になかったけど、そういう人達に出会いたいっていうのが大きかったんです」

 その理念はわかるけれど、一つ気にかかることがある。それは、「ひび」の最初の活動がダイレクトメールづくりだったということだ。

 もちろん、マームとジプシーにおいてDMをつくる作業だって重要だということはよくわかる。彼らのDMや当日パンフレットは常に凝ったものを用意しているけれど、それだって彼らの作品の一部であり、役者も一緒に制作作業を行ってはいる。ただ、「ひび」としての最初の活動がその作業となると、「体よく使ってるんじゃないか」と言われかねないのではないか。

 「そうですね。そう見られる可能性は大いにあると思います。まず、正直、本当に人手が足りなくなってきてるので、手を増やしたいっていうのもあるんです。自分たちが思い通りに成立させようとしたときに、時間もかかるし人手も足りなくて、限られたメンバーでやるしかないっていう状況があったんですよ。それには一人一人の負担が大きくて。それで、『ひび』のメンバーは、そういう事も含めて、私達の活動に関わってもらう事が大前提で、みんなDMとか当パンに関しても共感してくれている人達だと思うので、メンバーの中にはたぶん体よく使われているという感覚はないと思います。

 『ひび』のメンバーって、本当にいろんな人がいるんです。服飾をやりたいっていう人もいるんですけど、その中でも服飾デザイナーになりたい人もいれば、パタンナーになりたい人もいるし、舞台衣装をやりたいって人もいる。グラフィックをやりたい人もいれば、大学生もいるし販売員もいるし、俳優もいる。ほんとに色々で、ていよく使ってると言われてば使うことになっちゃってるんですけど、関わり方については絶対に強要しないで、経験値をあげる現場を提供して、彼女たちも彼女たちなりにかかわって、現場を見つめて、自分の生活に戻っていく。1年間はそれでもいいけど、それを経てどうなっていくのかってことは、もうちょっと考えなくちゃいけないとは思っています」

 マームとジプシーは、これまでもいろんな人を巻き込んで活動してきたけれど、巻き込む人をさらに増やしていこうとしているのだろう。その上で、どう巻き込むかは大きな課題になってくるはずだ。少しでもバランスが崩れると、人というのは「何でこんなにしんどい思いをしなくちゃいけないんだ」、「何でこんなことまでやらなきゃいけないんだ」と思ってしまう。そのバランスを保っていくのは大変なことだ。それを伝えると、「自分は喪主だと持ってるんです」と林さんは言った。

 「喪主っていうとわかりづらいかもしれないですけど、マームとジプシーとプロジェクトとの折り合いの付け方とか、作品の終わり方とか、関わる人と作品との折り合いの付け方とかをきちんと考えていきたいなと思っています。自分で折り合いをつけられる人は藤田との作業の中で見つけていけると思うのだけれど、自分自身では確信に変えられない人とか、そういう事が出来ない時期とかもあると思うので、ただツライ時間なだけだった、みたいな事は避けたいなといつも思っています。そういう折り合いがつかないと作品は最終的に昇華されない気がしていて、作品にとっても、それって本当に不幸な事なので……。

 最初にそれを思ったのは、『カタチノチガウ』の初演のとき、青柳が声を枯らしたときです。公演中止になった対応などをした時に、これってなんか喪主っぽいと思いました。このまま終わらせちゃうと、青柳にとっても作品にとっても何もプラスにならないし、どう考えても折り合いをつける事が出来ないと思ったんです。VACANTの大神さんがもう一回公演してもよいよと言ってくれて、それで作品自体がやっと作品として昇華した実感がありました。この時、初めて、作品の“終わり方”ってとても重要だなと思いました。関わってくれる人たちに『良い作品だった』って思わせるのは藤田がやってくれることだし、それだけで折り合いがつく事はほとんどですが、それ以外の部分で、作品をきちんとした形で終わらせるために、私が出来る事はしていきたいと考えるようになりました。そういう意味で作品にとっての喪主的な役割なんだと思っています。昔はそんなこと思ってなかったんですけどね」

 窓の外には裏庭のような場所がある。かつてプールだったその場所は埋め立てられており、向こうに講堂が見える。講堂へと続く道を、石井亮介さん、それに『A-S』の出演者であり、「ひび」のメンバーでもある辻本達也さんが機材を運んでいるのが見えた。あの講堂で、今日の夜から『0123』の『3』が――『カタチノチガウ』が――上演される。これで、この夏に京都で上演されるマームとジプシーの作品がすべて揃うことになる。