朝8時に起きる。昨晩の満月はすごかった。テレビではプーチン来日で山口の人たちが浮かれている様子が報じられている。ロシアの調味料を使った焼き鳥を出す店や、ピロシキをメニューに加えた店の主人たちが、「プーチンさんに食べてもらえたら」なんて話している。山口出身の知人は「田舎モンがばれるけ、やめえ」とボヤいている。僕は朝食におでんを食べたのち、久しぶりでジョギングに出た。日陰を走っていると寒くて滅入る。昼は雑誌を読んでいた。若手の俳優や気になるジャニーズが特集されることの多い『+act』や『person』、目に留まるたびに買ってしまうけれど、いつもインタビュアーの距離感が引っかかる。たとえば『+act』における菅田将暉インタビューでのやりとり。

「(略)本当に面白いものをかましていこう! っていう中で、来年は音楽っていうのがひとつ、テーマで。ちゃんとギターもやりたいし、ホントはね、作詞作曲が出来たら一番面白いんですけど…」
――出来そうですけどね。
「勉強中です。それが本当にビジネスになるのか、曲が出来てみないとわからないけど。なんか、そういう世界もあるんだ! っていうのが、少しだけ現実味が出てきたというか」
――菅田君が歌っても、「えっ、歌っちゃうの(どん引き)?」みたいな悪い感じ、イメージが全くないですよね。
「それ、嬉しいですね。なんか、きっと…、僕が好きな音楽って、統一性はないけど、全部『これ、俺の歌やんか!』みたいなのが多いからだと思うんです」
――ははは、なるほど。

 何だろうこの距離感は。こうした雑誌はコアなファンが主なターゲットだから、これくらいカジュアルに話している雰囲気がウケるのかもしれないが、妙に引っかかってしまう。そして、菅田将暉という俳優にはかなり興味を抱いているのだけれども、語られている言葉を読むとやはり幼く感じる。今引用した箇所もそうだけれど、その後で「『これ、俺やん!』ってものを、ちょっと…作ってみたいなっていうのはあります」「何気ない日常の中に溢れてるエモさ(エモーショナル)って、おそらく世の中も気づき始めてるし、そういう今の自分にしか出来ない、言えないことっていうのは、きっとある」という言葉。これを読んだあとにチーフマネージャーのコメントを読むと、「何事も俳優としてちゃんとした“実”が伴っていなければ絶対に長続きしないので、本末転倒にはなってほしくないですね。だからもっと勉強してほしい」と語られており、その冷静な分析に共感してしまう。菅田特集の次に登場するのは『わたしは真悟』に出演する高畑充希。こちらはミュージカル出身だからか、語られている内容がテクニカルな印象を抱く。これは映像中心の仕事をしている俳優と舞台から出てきた俳優の違いでもあるのかもしれない。映像の仕事はどうしても瞬発力勝負だけれども、舞台の仕事は稽古も本番もひたすら繰り返しだ。

 夜、おでんをツマミつつ録画したドキュメンタリーを観る。1本目はBS世界のドキュメンタリーで年始に放送されたノルウェー制作の『密航 地中海を渡ったシリア難民の記録』。アラブ首長国連邦でITの仕事をしていたシリア人男性のラミは、何戦が始まったあとに帰国し、反アサド政権の抗議運動に参加していたところを当局に拘束されて国外退去を命じられる。が、シリアのパスポートで渡航できる国は限られており、当時としては最善の選択肢に思えたエジプトに避難する。しかし、エジプトでの生活は順調とは言えず、2014年の夏、地中海を越えてイタリアへの密航を企てる。それと同時に防水のカメラを購入し、旅の記録を残すことになる。「世界の人たちに僕らの置かれた状況を理解してほしい。こうして逃げようとするのは、よりよい生活を得ようとしているだけではなく、ただ生きるためだ」。ラミはそう語る。

 密航業者との“商談”もこっそり記録されている。何人ぶんの料金かわからないけれど、「シリア人なら80万だ」と業者は告げる。何人でその金額なのかわからないが、僕は到底払えそうもなく、シリアで暮らしていれば脱出することすらできないだろうなと思う。密航業者は、「船が沈んだら、それが神の思し召しってことだ」と告げる。当初の話では、港からまずボートに乗船し、沖に出たところで大きな船に乗り換えるのだという話だ。密航が見つかれば逮捕されるため、当局の目を避けて荷台に乗り、息を潜めて港を目指す。映像が途切れ、次の場面ではもう沖の上だ。船上の難民たちが港での出来事を振り返る。ボートには店員以上の難民が押し込まれ、そこに高い波がきて転覆したのだという。そのうちの何人かは別のボートに乗り換えて出航できたが、遅れた人たちは警察に捕まってしまった。しかし、出航できたから安心できたというわけにはいかない。「大きい船に乗り換える」と聞かされていたのに、実際には小さな船であり、しかも船長は二十歳そこそこの素人で、海を越えるのは初めてだというのだ。

 カメラが捉える水平線は大きく上下する。地中海は穏やかな海だというイメージを勝手に抱いていたけれど、酷い揺れだ。船上にはマルセルという小さな男の子がいる。密航前には「ぴかぴかのゴーグルもきちんと鞄にしまったんだ」とはしゃぎ、船に乗った直後――転覆したボートから何とか別のボートに乗り換えた直後――も「僕は強いから、海の中でも溺れなかったよ!」と勇ましく語って見せていたけれど、一日、また一日と時間が経過するうちに様子がおかしくなっていく。大丈夫かと声をかけられると、叫ぶように「大丈夫!」と語るが、目の焦点があっていないようにも思える。飲み物も十分に用意されておらず、衛生環境も最悪な船で何日も波に揺られているのだからそれも当たり前だ。

 エジプトを出発した1週間後の真夜中、彼らのボートは大きな船に出くわす。「もしや最悪の事態?」と緊張が走る。「どこへ行くんだ?」難民が尋ねる。 「我々はイタリア沿岸警備隊だ」と返事がある。 「君たちを赤十字に連れていくように言われてきた。この船に乗ってくれ」――この言葉に、難民の一人が答える。「頼むから正直に欲しい。本当にイタリアへ行くのか?」と。その猜疑心に、彼らが置かれてきた状況の影が見える。その船は本当にイタリア沿岸警備隊のもので、彼らは無事に保護されることになる。新しい服を渡され、お揃いの格好になった彼らの表情は晴れやかだ。「僕ら、難民というより旅行者に見えるよね」「ああ、どこへ行こうか。ジェノバ? ヴェネチア?」なんて冗談を言う余裕も出てくる。ジェノヴァに到着し、イタリア北西部の難民収容所に移送された彼らには、安心して眠れる場所と食料が供給された。「見ろよ」と、ある男がヨーグルトをカメラに向ける。そこには「LAND」と書かれている。「陸地だってさ。僕ら、たった3日前までは海の真ん中にいたんだぜ」。そう語ると、嬉しそうにヨーグルトを頬張る。

 当然ながら、彼らを待ち受けていたのは順風満帆とは程遠い新生活だ。言語の問題もあり、手続き上の問題もあり、すぐに就労するというわけにもいかないのだ。そして、同じ船に運命を託した彼らだが、家族でなければまったく別々の場所で生活せざるを得ないのだ。「時々、なんてことない普通の生活が懐かしくなる。そんなときは僕のことをよく知っている昔の知り合いに会いたくなるんだ。長い時間をかけて、僕のことを理解してもらった人たちにね。ある日突然、僕は別の大陸の見知らぬ場所に行くしかなくなった。そして会う人、会う人全員にまた一から自分のことを説明しなければならない。それはまるで、履歴書をおでこに貼りつけて街を歩かなければならないみたいな感じだ。毎日、ストレスが溜まる。いつもとても気が張っている」。カメラの前でそう語るラミの姿。

 この番組を観終えると、続けて『ヨーロッパ難民危機 越境者たちの長い旅路』を観る。こちらもBS世界のドキュメンタリーで年始に放送された、BBC制作のドキュメントだ。先ほどの『密航』が2014年夏の記録であるのに対し、こちらは2015年9月の記録だ。この1年で、難民が目指すルートには大きな変化があった。長い航海が必要で危険性の高い“地中海ルート”(アフリカ大陸からイタリアを目指すルート)ではなく、トルコからバルカン半島に渡りドイツを目指す“バルカンルート”を選ぶ難民が急増したのだ。その背景には、2015年8月にメルケル首相が「ドイツは助けが必要な人を助けます。他人の尊厳に疑問を投げかける人や、法的・人的助けが求められる状況で援助に前向きでない人などを容認しません」と演説したことが影響している。

 BBCの記者は、このルートを辿る難民の旅に同行する。最初に向かった先はギリシャのコス島だ。この島はトルコからわずか6キロほどの場所にあり、対岸にはその灯りが見える。アフリカから地中海を越える旅路に比べると随分短いこともあり、このルートを選ぶ難民が増えているのだろう(とはいえ、密航業者が用意するのは粗末なボートばかりで、難民からは「死の旅」と呼ばれており、浜辺に打ち上げられた姿が世界に衝撃を与えた小さな男の子もこのコス島を目指していたのだ)。コス島に渡った難民はまず、ここで難民申請を行う必要がある。申請には時間がかかるため、そのあいだ彼らは簡易テントで過ごしており、BBCの記者は「リトル・ダマスカス」と形容する。8月だけで10万人以上がこの島に密航したそうだ。この島はバカンスに訪れる人も多く、リトル・ダマスカスを観光客が歩いていく奇妙な姿も見受けられる。

 撮影クルーはここで一人のシリア人難民と出会う。男の名前はソブヒ。妹とその子供たちと一緒にこの島にやってきたのだが、難民申請をしてもう8日も経つというのにまだ手続きが終わらないのだという。彼は全員分のパスポートを海に落としてしまって、そのせいで審査に時間がかかっているのだ(このソブヒという男がドキュメンタリーの鍵を握る)。申請が認められた難民はフェリーに乗り、アテネを目指す。手続きを終えた難民はちゃんとその船に乗れるのだけれども、不安からか皆、ゲートが開くと一斉に駆け出す。アテネに到着するとバスに乗り換え、マケドニアとの国境地帯まで運ばれ、最後は線路沿いに歩いていく(ここから先も、政府が用意したとおぼしき交通手段で運んでもらえる区間と自力で歩かなければならない区間が繰り返し登場するのだが、どういう理屈でそういうことになっているのかはわからなかった)。圧倒的に多いのは若者で、「内戦を口実にしてヨーロッパを目指す者もいる」と 記者は語る。たとえばあるシリア人の若者は、13年前からドバイで航空宇宙エンジニアとして働いていたのだが、ドバイから飛行機でトルコに渡り、そこから密航してきたのだと語る。あなたは難民ではないのではないかと質問されると、「シリア人だとどこにいても迫害されるし、居留ビザも発行してもらえないのだ」と彼は語る。

 マケドニアに入国した難民たちは、警察の指示に従って臨時列車に乗り、6時間かけてセルビアに入る。国境を越えるたびに登録手続きが必要であり、混乱が生じ、難民キャンプに収容される。難民が密航を企てる理由は様々だ。日本人からすると隣国のトルコで暮らすわけにはいかないのかと呑気に考えてしまう。実際、シリアからトルコに避難した人は200万人にも及ぶが、トルコでは就労できず、子供に教育を受けさせることも叶わないのだという。取材班が出会ったある夫婦は、アレッポからやってきた。彼らが街を出る決心をしたのは、夫が民兵に逮捕されたこと。その容疑というのは「妻に車を運転させたこと」である。そんな環境では生きて行くことはできないと、彼らは赤いメルセデスベンツを売って街を出た。彼らが目指すのは、大多数の難民とは異なり、イギリスだ。「イギリスに行くのが夢だ」と語る彼らが取り出したのは、10ペンス硬貨だ。女王陛下の肖像が刻印された硬貨を見て、「女性が国家元首になれる国に行きたい」と思ったのだという。

 長い旅を続けているうちに、疲労の色が濃くなってゆく。それは距離の長さだけが原因ではなく、国によっては難民への対応が劣悪だということもある。イギリスを目指していた夫婦は、ハンガリーに入国すると大きな刑務所に連行され、無理やり指紋を取られ、3日間も食事なしで過ごすはめになったのだという。ハンガリーからは再びEU圏内となるが、ここではイスラム教徒は特異な目で見られており、ハンガリーの首相は「大勢のイスラム教徒が国内に留まるのは望ましくない」と発言している。また、この時点では国境は開かれていたものの、「ヨーロッパの境界線を守る義務がある」として真新しいフェンスが築かれ、国境を閉鎖する準備が勧められているところだ。ある糖尿病の女性は、オーストリア国境付近まで歩いたところで意識を失ってしまう。引き返して治療を受けるように勧められたが、彼女はハンガリーに留まりたくないのか体にむち打ち歩き続け、オーストリアに入国してからようやく救急車に乗ることを受け入れた。

 その過酷さが際立てば際立つほど、印象的に映るのがさきほど紹介したソブヒという男の姿だ。コス島では、彼は女性や子供たちと一緒だったが、セルビアで取材クルーと再会したとき、彼は一人きりだ。そこで彼は、「妹だと言っていたのはまったくの他人だ」と語る。妹と説明していた相手とはボートで知り合い、その女性が「自分と子供たちだけでは不安だ」というので、兄妹だということにして一緒に旅をしていたのだという。しかし、金の入った鞄を落としてしまったことで喧嘩となり、セルビアに入国するあたりで別れたのだという。それからしばらく経ち、ベオグラードでまた偶然再会を果たしたとき、ソブヒは車椅子の女性と一緒に旅をしていた。ソブヒは英語を話せるために重宝されるのだ。ソブヒはソブヒで、障害のある人を介護していると列の一番前に通してもらえるメリットがあり、ウィンウィンの関係というわけだ。そこからさらに進んだハンガリーで、取材班は再びソブヒの姿を見つける。ソブヒはまた別の人たちと旅をしていて、「僕の新しい子どもだよ」と笑っている。

 「こうなるとわかっていても、旅をしたかな」と記者が質問する。「したと思うよ」とソブヒは答える。「酷い目にもあったけど、地獄よりはましだから」と。彼らにどんな未来が待ち受けているのか、想像もつきません――ナレーターがそう語る。そしてこう付け加える。「しかし、ソブヒはうまくやっていくような気がします」と。ソブヒがあまりにも巧妙に世渡りをしており、最初に他人を「僕の妹だ」なんて言っていたものだから、記者は「あなたは本当にシリア人なのか」と疑う。ヨーロッパを目指す難民のほとんどが「シリア人だ」と名乗るが(そのほうが申請が通りやすいのだ)、あまりシリア人らしく見えない人も混じっている。ソブヒは「シリア人だというのは本当だよ」と答える。あなたのことを本当の難民ではないと言う人もいるのではないか――この記者の質問に対するソブヒの答えがとても印象的だった。それは、こういう内容だった。「そう言われてもね。難民じゃないっていうなら、じゃあ何なんだよ。何十万人か知らないけど、これだけ多くの人間がヨーロッパへ向かってる、向かおうとしてる、その少なくとも8割は難民なんだ。(あなたも?)そう」

 このドキュメンタリーが撮影されてほどなくして、ハンガリーの国境は封鎖された。また、ドイツも難民政策の転換を余儀なくされ、バルカンルートは断たれてしまう。今ではまた、大きな危険を伴う地中海ルートに難民が押しかけているのだという。

 夜、渋谷へ。シアターコクーンにて『シブヤから遠く離れて』観る。昨年12月の『書を捨てよ町へ出よう』で初舞台を踏んだ村上虹郎の2度目の舞台だ。シアターコクーンで芝居を観るのは初めてだが、ロビーのバーカウンターが営業していて嬉しくなる。しかも途中で休憩が挟まれるのでトイレの心配もないのだ。思わず「休憩時間にも営業してますか」と確認してしまったが、「営業してますよ」と言われてさらに嬉しくなる。舞台の感想はそんなにないのだけれど、会場に入ると巨大なセットが目に飛び込んできて「おお……」となる。普段はしっかり舞台セットを組んでいるような芝居を観る機会がなく、開演を知らせるブザーが鳴って暗転し、再び明るくなるとそこら中にすすきが配置されているのにも驚いてしまった。あと、役者たちはマイクをつけているのだが、ちゃんとそこでしゃべっているように聴こえることにも。役者の演技にはあまり見入ることがなかった。もちろん完璧に役をこなしているのだけれども、どこまでも安心したまま客席にいることができた。