朝8時に起きる。曇っているせいでこんな時間まで眠ってしまった。夏らしさを欲してYouTubeで蝉の声をかけながら、起きて3分でパソコンを広げ、構成仕事にとりかかる。知人が目を覚ます。昨日まで夏休みで関西に出かけていたので、横に知人がいるのは久しぶりだ。顔がむくんでるねと言うと、むくでーす、と嬉しそうに言う。そして二度寝する。シャワーを浴びて、洗濯物を干し、出かける。最近腹の具合が悪く、セブンイレブンでR-1を購入し、すがるような気持ちで一気に飲み干す。10時から駅前のルノアールで構成仕事をする。ビターブレンド。『S!』誌の構成仕事が終わると、次は単行本の構成に取り掛かる。2時間ほどで切り上げ、セブンイレブンで麻婆豆腐丼を買って帰る。

 ぼんやり考え事をする。少し前に、一番親しいつもりでいる友人に話しかけられたのに、無視してしまったことがずっと残っている。「言葉を発しなよ」と言われても、うまく言葉が出てこず、というよりも言葉を発することがためらわれ、何も言わずじまいで過ごしてしまった。それは、最後に沖縄で言葉を交わしたことが影響している。

 今年の6月もまた沖縄を訪れた。それは『月刊ドライブイン』の取材のためではあるけれど、取材をしたのは6月27日と28日で、6月22日には沖縄入りしていたことや、水納島に泊まることにしたのはそれだけが理由ではない。この4年間、繰り返し沖縄を訪れてきた。友人もまた繰り返し沖縄を訪れていて、今年は数日だけ一緒に行動した。その最終日、沖縄料理屋で飲みながら、そうしてぐるぐる再訪を重ねる中で考えたことを僕は話した。いくつか質問をしたけれど、友人からの答えはなかった。それもそのはずで、僕の質問はどれもすぐに答えられるようなものではなく、友人はただ考えているようだった。

 小一時間ほど話したところで、友人が口を開く。「前に『話すことなくなりましたね』と言って傷つけた気がしますけど、そういうことじゃないんですけど、今一番言わなきゃいけないことが言葉として全然出てこないから、言葉にならないですね」。

 「もう話し尽くしましたね」と言われたのも沖縄だった。あれは2014年のことで、思えばあの時も6月だった。そう言われて、あの時の僕は傷ついた気がする。それで、「別に友人として関わっているわけではなくて、取材するために関わっているんだ」と改めて思い直した。あれから3年経って、考え方は変わっている。僕はその人のことを親しい友人だと思っている。思っているからこそ、そこで交わす言葉がすべてだと思っている。僕がぐるぐる考えてきたことを、友人は真剣に聞いてくれて、だからこそ「言葉にならないですね」という答えになる。そのことは、今では嬉しいことだと思える。その日は24時ぐらいまで飲むつもりでいたけれど、話し尽くしてしまったので、友人とは小一時間で別れた。

 そこで話したことは、僕がその友人と話したいと思っていることの核心のようなものだ。その核心のようなものは、友人もまた考え続けてきたものだと思う。それを話した上で、日常会話というものに戻ることができず、思わず無視してしまった。無視、というよりも、頷いたりして反応はするのだけれど、言葉を発することができなかった。友人は傷ついただろうか。おそらく傷ついただろう。でも、ここ最近は、自分に何が言えるのかについて過敏になってしまっている。

 麻婆豆腐丼を食べたのち、部屋で構成仕事を続ける。やはり捗らず、15時、デニーズへ。ミニパフェを食べてエネルギーを送り込み、気合いを入れて仕事を進める。17時過ぎ、ようやく完成する。この2週間、ひたすら構成を進めてきた語り下ろしの単行本、ようやくまとめ終わる。締め切りはずいぶん過ぎてしまって申し訳ない気持ちになりつつ、メールで送信。肩の荷が下りる。

 夜、日暮里へ。T・Sさんの出演するダンス公演を観る。上演時間は50分だというので、受付で販売されている缶ビールを2本飲んでから観た。白鳥の湖を様々なダンサーが上演する企画なのだけれど、やはり僕はクラシカルなものに持てないことがわかった。舞台上で表現されているものは、どこまで行っても白鳥の湖だ。すでに存在する白鳥の湖を解釈し、それが身体に落とし込まれる。ひとつひとつの動きは白鳥の湖の中の何かを象徴している。ここでは白鳥の湖の物語が上位にあり、身体はそれに従属する。それを観ることに僕はあまり楽しみを見出せなかった。ただ、T・Sさんが登場するシーンは美しく、その美しさだけが印象に残る。

 会場には見知った顔が何人かいた。T・Sさんも出ていた舞台に出演していた人たちだ。僕がT・Sさんに「美しかったです」とだけ感想を伝えると、「橋本さんが直接感想を言うなんて」と誰かが言う。たしかに、僕は感想を伝えるということをほとんどしてこなかった。なぜ言おうと思ったのだろう。せっかくだからと皆で飲みに行く。その中のひとり、H・Hさんが「10周年本、ありがとうございました」とお礼を言ってくれる。いや、こちらこそありがとうございましたと返事をしたあとで、「そういえば、なんか淡々とした渡し方になってすみませんでした」と言葉を添える。「いや、ちょっとびっくりしたんですよ。楽屋に戻ったら、テーブルの上に付箋で名前が貼って皆のぶんが置かれていて。この渡し方、橋本さんのオッケー出てるの?って不安になったんです」とH・Hさんは言う。

 10周年本が完成した日、制作のH・Kさんに「どうやって渡します?」と相談されていた。「橋本さんから皆に手渡す儀式、やります?」とも提案されていた。僕はその本が完成することを本当に心待ちにしていて、それを全員に手渡すぐらいの気持ちでいた。でも、実際に刷り上がった本を目の前にしてみると、直接手渡すという気持ちは消えていた。仕上がりに不満があったとか、そういうことでは微塵もなく、むしろその逆だ。現時点の僕が皆にできることは、この本がすべてだ。その本の形状と、そこに書かれてある言葉がすべてだ。直接渡せば喜んでくれたり、労ったりしてくれるだろうけれど、それが重要なことだとは思えなかった。だから「いや、もう、H・Kさんから皆に渡してください」とお願いしたのだ。

 23時頃まで飲んだ。その酒の席にいたのは僕を含めて6人で、その人数になると普段は皆の話を聞くだけになることが多いのだけれども、この日はどういうわけだかたくさん話をした。僕が話すと、どうしても固い話になってしまう。だから普段はあまり話さず、皆の話を肴にひたすらお酒を飲んでいる。でも、そうであるならば、僕はお酒の席が好きなのだろうか。飲み会こそが自分のいるべき場所だと思っていたけれど、飲み会を楽しいと思ったことがあるだろうか。高田馬場に住んでいるせいか、酒に酔って無駄にはしゃぐ学生を目にする機会は多いけれど、僕は彼らの姿を軽蔑していた。それはサラリーマンであっても同様だ。でも、彼らのほうが人生を正しく理解しているのではないかと思うようになった。人生は一瞬の出来事だということを彼らは理解していて、だから割り切って過ごしている。僕は未練がましく、何かを欲してしまっている。