朝6時に起きる。障子越しに差し込む朝日と、子供の声で目が覚めた。同じ民宿に家族連れが宿泊している。久しぶりに扇風機の風に吹かれて眠ったが、案外快眠である。7時半、朝食。ご飯、味噌汁、アジのみりん干し、牛肉と炒り玉子、タコさんウィンナー、そのほか小鉢までついている。豪華だ。一生懸命食べる。朝の集落を散歩するつもりでいたけれど、うだるような暑さなのでやめにする。昨日はビーチサンダルで歩きまわったせいで足の裏が硬くなっており、ニベアを塗りたくる。塗っているうちに8時15分を過ぎてしまっている。

 シャワーを浴びて、10時に宿を出る。まずは町の小さな図書館で調べ物。90分ほどで終えて、今日もドライブインへ。取材したい店には、昨日のお昼時に訪れて、夕方にもう一度立ち寄っていた。そこで雑誌を手渡し、「明日改めて伺いますので、お話を聞かせてもらえないか、ご検討いただけないでしょうか」とお願いしておいた。普段は現地で直接お願いするのではなく、メールなり手紙なりで打診するのだけど、こんなスケジュールになってしまって申し訳ない気持ち。

 出迎えてくれたのはお母さんの息子さんで、「お帰りなさい」と言ってくれる(昨日の夕方は不在だったけれど、お昼にはお店に立っていた)。取材を断られたらどうしようと緊張しつつ、席につく。まだ朝食が腹に残っているので、まずはアイスコーヒーを注文する。メニューを眺める。僕の大好物である甘海老丼がある。死ぬ前に食べたいメニューの一つは新潟で食べた甘海老丼だ。それは生の甘海老がドンブリにのっているのだが、ここのは甘海老入りの玉子丼のようである。

 甘海老好きとして、甘海老丼を食べておくべきではないか。でも、もう一つ気になるメニューもある。表に「名物」と銘打って貼り出してある能登ラーメンだ。結局決めかねて、お兄さんに「どっちがおすすめですか?」と質問する。「昨日泊まったってことは、たぶん刺身はたくさん食べてますよね。だったら、意外とラーメンがおいしいと思います」とお兄さんは言う。それに、能登ラーメンには地元で獲れたワカメがふんだんに使われているというので、能登ラーメンを選んだ。ワカメはしっかり歯ごたえがあり、胡椒がいい塩梅で振られたラーメンは大変ウマかった。

 食事を終えたところで、明日か明後日、話を聞かせてもらえないか相談する。快く引き受けていただきホッとする「明日の午前中は富山で取材の予定があるんですけど、そこから電車とバスを乗り継いで引き返してきますので、明日の夜か明後日の午前でお願いできれば」と伝えると、それは大変だから、今からでもいいですよと言ってくださる。気を遣わせて申し訳ないけれど、ありがたく話を聞かせてもらうことにする。途中で涙が出そうになるけれど、人の人生を涙で片づけるわけにはいかないと踏ん張る。16時過ぎに話を聴き終えて、店の前で写真を撮らせてもらう。お母さんは写真が苦手らしく、撮影中に「これを遺影にすればいいんじゃない?」と息子さんが言う。「ほんとよね」とお母さんは笑う。

 ドライブインをあとにして、少し海沿いを走ってから七尾に向かう。レンタカーを返却し、電車を乗り継ぎ富山へ。明日のお昼は富山で取材がある。その取材が終わったらどこへ行こう。せっかく北陸にいるのだから、『月刊ドライブイン』を扱ってもらっているホホホ座金沢に行ってみようかと調べてみたけれど、明日は定休日らしかった。それなら京都に立ち寄って帰ることに決めて、ホテルの予約をする。富山駅に到着し、トラムに乗り換えると、車内に設置されたモニターに台風の進路が表示されている。ギョッとする。台風5号はまさに僕が京都入りする時間帯に関西を通過するようだ。飲み歩くつもりでいたのに、これでは店が閉まっているかもしれない。

 いくつか気になる店はあったが、まっすぐホテルに向かう。今日の宿は天然温泉つきのドーミーインで、湯につかるのを楽しみにしていたのである。チェックインを終えると、まずは大浴場へ。備え付けのシャンプーを使うと、懐かしい香りがする。ボトルを確認すると別物だが、匂いはティセラだ。中学生の頃、気になる女の子がティセラを使っていると知り、母親に「シャンプーはティセラにして」と言った記憶が瞬時に甦ってくる。あの頃からじとっとした性格だったのだなあと苦笑いする。30分ほど温泉を満喫して、部屋でノンアルコールビールを飲んだ。入院していた時期をのぞいて、こんなに断酒していた期間があるだろうか。酒を辞めるつもりなんてないけれど、酒を飲まずに過ごすことにも慣れてくる。こうなってくると、誰と飲むかが問題だ。次に酒を飲むのは誰と過ごすときだろう。広めのベッドに転がって、そんなことを考える。

 それにしても、はてなカウンターは本当に終わってしまうのだろうか。この日記は誰かに読まれることを前提に書いているわけではない。つまり、メッセージとして書いているわけではないということだ。この日記を読んで、「あの時ハシモトさんはそんなふうに思っていたのか」ということを知って欲しくて書いているわけではなく、ただ純粋な記録として書いている。ただ、文字にするということは、誰かに読まれることを期待することではある。大してアクセスはなくても、その数字を見るのは一つの楽しみだったのに。これからどうすればよいのだろう。ハロー、ハロー。