朝5時に目を覚まして、シャワーを浴びて身支度をする。まだ眠っていた知人を起こすと、半分眠ったまま「よいおとしを」と言う。「よいお年を」と返事をして、アパートを出る。東京駅から新幹線に乗車し、電車を乗り継ぎ、某県某村のドライブインへ。地元のお客さんで溢れ返っている。3時間ほど滞在し、『月刊ドライブイン』を手渡し、「また改めて以来のお手紙をお送りしますので、もしおひまな時間があれば、読んでいただけると嬉しいです」と伝えてお店をあとにする。再び電車に乗り、新幹線に乗り換えて岡山に出て、マリンライナーで瀬戸内海を渡る頃にはすっかり夜だ。コンビニエンスストアでチキンを買って食べるつもりでいたのにチキンは売り切れていて、がっくりしながらソーセージと赤ワインを購入し、ホテルにチェックインする。移動しているあいだも、ホテルにチェックインしてからも、12月16日に観た作品のことを日記に書いていた。年末年始で気が急いていることもあって、うまく書き記すことができたという感触はまったくないけれど、それでも今思い浮かべていることの断片として記録しておく。メリークリスマス。


12月16日

 正午頃にアパートを出て、原宿に向かう。前は原宿まで4駅だったのに、引っ越したせいで遠くなってしまった。とはいえ、千代田線に乗っていれば乗り換えなしでたどり着けるのだから楽な方だろう。今日は原宿「vacant」にて、マームと誰かさん 穂村弘×マームとジプシー×名久井直子『ぬいぐるみたちがなんだか変だよと囁いている引っ越しの夜』が初日を迎える。それに先立って、昼のゲネプロを撮影して欲しいと頼まれていたのである。13時半にゲネプロが始まり、撮影。昨日の場当たりを見学させてもらっていたので、その記憶を辿りながら撮影する。ゲネプロが終わると、すぐに写真を選別する。僕はプロではないので、「ここぞという場面だけシャッターを切る」とはいかず、とにかく撮るので3千枚近くになる。2時間ほどかけて選別し、何枚かの写真を現像しているうちに開演時刻が近づいている。ゲネプロの印象から「ここで観たい」という場所を選び、ビールを3本手にして席につき、開演を待つ。

 場当たりやゲネプロを観ているので、すでに内容は知っているようなものではあるけれど、本番を観るとまったく違う感触がある。それは、観客がぎっしり詰まっているということもあるけれど、一体なぜなのだろう。公演を観ながら、2014年の春のことを思い出していた。あの年、2月28日から3月2日にかけては『マームと誰かさん・よにんめ 穂村弘さんとジプシー』が「vacant」であり、3月9日に早稲田大学で、3月21日にはいわきで、川上未映子さんのテキストを一人芝居で上演する『まえのひ』という作品が上演され、3月29日と30日には再び「vacant」で『マームと誰かさん・ごにんめ 名久井直子さんとジプシー』という作品が上演されていた。いずれも青柳いづみによる一人芝居だ。

 あれから4年近くが経っている。舞台を観ながら、その時間の経過に思いを巡らせた。開演前、スクリーンに映し出されていたテキストの冒頭は「WHAT’S GOING ON?」で、これは作品タイトルを英訳したものであるのだが、そこで何が起きていたのか、この4年に何が変わったのか、考えておきたいと思う。

 舞台の冒頭、青柳いづみは「しまった、またやってしまった」と口にする。食べかけの菓子パン――昔は9本1パックで、今は8本1パックで販売されている棒状のパン――を食べたまま眠ってしまって、パン粉が散乱し、服の隙間に入り込んでちくちくしている。ここで語られているのは、穂村弘の最初のエッセイ集『世界音痴』に収録されている「菓子パン地獄」で綴られていたエピソードだ。読者であれば「ああ、あの話だ」と思うだろうし、熱心な読者でなくとも、ほどなくしてスクリーンに穂村弘の姿が映し出され、寝そべったまま手を使わずに棒パンを食む姿を見れば、それが穂村弘のエピソードであることを察するだろう。

 舞台はプロローグからチャプター1に進んでゆく。スクリーンには再び穂村弘の姿が映し出されている。テーブルの上にはたくさんの荷物が広げられている。それは青柳いづみ自身が旅に持っていく荷物で、その荷物について、青柳いづみはスクリーンの中の穂村弘と対話してゆく。チャプター2では、穂村弘と旅先の青柳いづみが交わした手紙が読み上げられてゆく。創作の可能性もあるかもしれないけれど、おそらく実際のやりとりだろう。チャプター3に至ると、スクリーンに穂村父が登場し、彼の半生が語られる。そこで舞台に上げられているものはドキュメントだ。ほとんどNHKの『ファミリーヒストリー』のようでもある。これを歌人穂村弘のルーツを知るためのものとして観ることだってできる。その意味では、穂村弘の愛読者であればあるほど愉しむことができるだろう。しかし、舞台を観ていると、そこに立ち現れているものはそれだけではないということを強く感じる。

 舞台上には穂村(家)のエピソードが満載ではあるけれど、それをフィクションに――といってしまうと言葉が過ぎるかもしれないけれど、極私的なエピソードを普遍的な何かに感じさせる言葉というものが、ところどころに、楔のように打ち込まれている。それは、「言葉のない、ただの容れ物。名前も、だれかによるもの」であるとか、「ひとひとりが、移動するために必要な、質量」といった台詞だ。

 青柳いづみは、時に穂村弘になり、時に名久井直子になり、時に穂村父になり、時に自分自身として舞台上にいる。さまざまな人物をクルクルと演じていく様を観ているうちに、観客である私の感覚に変化が生じてくる。ごく個人的な話を聞いているはずなのに、次第に固有名詞がほどかれていくような感じがする。とりわけそれを感じさせられるのは、少年時代の穂村弘の作文だ。

「ぼくは、一年じゅうどんなことをしても、おこられなければいいなぁとおもう」。こうした書き出しの作文を書いたのはひとりの少年であり、歌人穂村弘ではない。しかし、そのテキストはすでにして穂村弘だとも言える。何より印象的なのは、最後の一文が「もうなにがなんだかぜんぜんわからなくなったのでもうやめます」しめくくられていることだ。今引用した箇所には、おそらく先生によるものだろう、赤ペンで打ち消し線が引かれている。このありようもまたとても印象に残る。その線が意味するものは否定であり、その時点ですでに、彼は世界から隔てられている。

 「世界音痴」というエッセイは、「飲み会が苦手である」という一文から始まる。飲み会なんて自然に楽しめばいいじゃないかと言われるけれど、その「自然に」が苦手だ、それは寿司屋における注文にも共通する――と。この「世界音痴」には続きがあり、「再び、世界音痴」というエッセイもある。そこでほ改めて世界音痴という言葉の意味するところが説かれている。それは決して「他人との距離感がつかめない」ことや「人の輪の中に入れない」ことを指すのではなく、世界から隔てられてしまっていることだ、と。

 毎年、半袖に着替えるのが人よりも一日だけ遅れる。町に出て人々が半袖になっているのを発見して、初めて自分も半袖を着るからだ。たった一日の差はたいしたことではないと思われるだろうか。そうではない。その一日は「人間」と「人間外のもの」を分ける一日なのである。人間たちはみな「自然に」衣替えを行う。私は彼らの真似をして半袖を着るのだ。

 こうした言葉に胸を打たれる時、私たちの中には何が生じているのだろう。わたしにもそういう節があるという共感でも、そんなことも出来ないのかという嘲笑でも、そんな人もいるのねという同情でも、適当ではないという気がする。それらすべてを合わせてもまだ足りない。では、そこに生じているものは何か――それを考える手がかりになるのはチャプター3.5「ラインマーカーズ」だろう。

 このチャプターで語られているのは、名久井直子穂村弘の詩集『ラインマーカーズ』の装丁を手がけたときのことだ。装丁の話を語り終えると、青柳いづみはこんな台詞を口にする。

「わたしは、言葉を持っていません。だれかが書いたもの、描いたものにては加えるけれど、言葉を持っていません。わたしも、言葉を持っていません。だれかが書いたものを、こうして口にしているけれど、これは、わたしの言葉ではありません。言葉を持たないわたしたちは、でも、書かれた言葉たちの、描かれた言葉たちの、出口でもあるわけです」

 ここで「わたし」として語られるのは、第一義的には名久井直子であり、青柳いづみである。しかし、「わたし」という言葉の射程はもう少し広いものであるように僕には思える。

 ところで、今引用した台詞は2014年の『名久井さんとジプシー』でも語られた台詞だ。今回の『ぬいぐるみたちがなんだか変だよと囁いている引っ越しの夜』において、その台詞が再び語られ、リフレインされる。ただ、「言葉を持たないわたしたちは、言葉の出口でも、ある?」と、語尾に疑問符がつくようにリフレインされる。この疑問符にこそ、4年間のあゆみを感じる。

 4年前の『穂村弘さんとジプシー』において、青柳いづみは「わたしはわたしの手紙が欲しい」という言葉を語っていた。これは青柳いづみに対する取材をもとに穂村弘が書いたテキストだろう。この言葉もまた今回再び語られるのだが、そこにはやはり疑問符をつけた形で語られているように感じた。

 今振り返ってみると、僕が青柳いづみという女優に初めてインタビューしたのは4年前の『名久井さんとジプシー』が終わった頃のことだ。そのとき彼女は「わたしは筒だ」と語っていた。あるいは、本番以外は死んでいるようなものだと語っていたこともある。そこから今に至る時間の中で転機となるのは2015年初めの『カタチノチガウ』という作品で、私は人間だったと、私にも本体があったのだという気づきを得る。それまで舞台上での彼女は巨大な何かの一つ――一つというよりも、舞台上に存在する巨大な何かそのもの――であったのに、私も一個の人間であると気づく。この発見によって、新たな問題が生じる。それは「人間になった私が、舞台上ですごいものを見せることができるだろうか」ということだ。

 この状態を脱するきっかけになったのは今年のゴールデンウィークに上演された『sheep sleep sharp』だろう。この作品について細かく立ち入るとさらに長くなってしまうので手短に書くけれど、この作品では“世界”ということが強く意識されていたように思う。もちろん、マームとジプシーの作品が“世界”を意識し始めたのはこの作品が始めてではなく、2011年頃のことだろう。10周年を振り返るインタビューで、藤田貴大はこう語っている。

――『帰りの合図、』と『待ってた食卓、』に出演した尾野島さんや成田さんに話を聞くと、「『ストレンジャー』以降、稽古で求められるもののハードルが全然変わってしまって、どうすればついていけるのかわからなかった」と言っていたのが印象的なんですけど、それは何が変わったんですかね?

藤田 ドライな言い方をすると、彼らの悩みはわかんないです。ただ、『ストレンジャー』では「世界」っていうことを考え始めたんだと思います。それまで世界について考えることなんて望んでなかったし、自分の言葉に自信を持ててなかったと思うんですよね。僕の感情に共感してくれる人はいるけど、そこで描いているのは僕の話でしかなくて、僕の話の中で作品を感じてくれているだけだと思ってたんです。でも、『ストレンジャー』はそういうふうに思わなかった。「僕も観客の皆さんもこの世界に生きている一部でしかなくて、そこで共有することってある」というふうに輪郭が変わったんです。だから、たとえば『コドモ』の稽古をやっている時までは、もし役者に伝わらないことがあったとすれば、「それは僕が伝えきれてないんだろうな」と思っていたんです。そこで描いている世界は僕の記憶の世界だから。でも、『ストレンジャー』はそういうことじゃなくて、「こんな世界に生きてしまっている僕たち」というつもりでいたから、わかんないと言われると「え、なんでわかんないの?」「ふざけてんの?」と思うようになってしまったんですよね。ただ、それは対等になったとしか思ってないんです。役者と演劇作家とかじゃなくなって、この世界に生きている人間として対等になったんだと思うんですよね。

――それ以降の作品でも記憶というモチーフは描いてますけど、少しずつ普遍的になるというか、描かれる世界が少しずつ開かれていく印象はあります。

藤田 そうですね。たとえば「帰れるのかな、どうかな」っていう言葉を言う時に、「実家を出たことがないからわからない」と言われたとしたら、「え、なんでわかんないの?」と思うようになったんです。それは別に、僕のパーソナルな話をしているだけじゃなくて、帰る場所をなくした人は世界に溢れてるわけですよね。それは震災があったからとかでもなくて、ニュースを見ているとそういう出来事で溢れてますよね。そういうレベルの話をしてるだけなのに、そんなことさえ僕頼りで考えるって何なのって思うようになったんだと思います。

 『あ、ストレンジャー』からから6年が経過した春に上演された『sheep sleep sharp』において、“世界”ということとして藤田貴大という演劇作家が想定している領域はとても広範囲であるように感じられた。それは、今あるいは過去のある時点において生じた特定の問題ということではなく、いつの時代にも起こってしまう問題が想定されている。そうした普遍的な広がりを持つ『sheep sleep sharp』という作品を終えて、青柳いづみは「最近は私の世界像を更新中みたいになっていて、視界がパチパチしてる」と語っていた。

――最終日のエピローグは、青柳さんが揺らいでるようなところもありましたね。それは今の話に近い気がします。

青柳 あの作品では「全部わたしのため」ってことを言いますけど、その「わたしのため」ということをそのとき初めて言えた気がする。「わたしのため」というのはどういうことなのか。あの場であの言葉を発することが許されているのは私という個体だけれども、観ている私たちも含めて、すべてがわたしであるという。

――それはでも、わたしという存在を発見したというより、ようやく他者を発見したということじゃないですか?

青柳 そうかもしれないです。

――最初の「視界がパチパチしてる」って話も、今の話に近い気がします。わたし以外のひとりひとりが存在していて、そこに一つ一つの感情があることにようやく気づいたという。

青柳 それは思います。別に「生きとし生けるものすべて愛しい」みたいな感じではないんですけど、同じ言葉を言われたとしても、それを気にせず生きていける人もいれば、その言葉によって苦しみ続けて言葉で死んでしまう人もいるわけですよね。今回の作品でも言われていたことではあると思うんですけど、そういう苦しみが存在するんだなってことを思ったんです。大切な人が殺されたとか、好きな人にフラれたとか、そういうこととは別個の苦しみが世界に存在しているらしい、と。でも、そういう苦しみは感じられる者にしか感じられなくて、物語を書く人たちはそういうものを言葉にしているのかと思ったんです。今はそれを「苦しみ」と言ってしまっているけど、まだ言葉としては発見されていない感情があって、それを私は物語を書く人の媒介になって身体を使って表現するのかと思ったんです。そういう考えに至ったときに、「わからない」ということはないんだろうなと思いました。

 それからさらに半年が経った今、青柳いづみはこんな台詞を口にする。

「わたしだけだった世界から、その外の世界、あなたが“みえる”ようになった。あなたは、観客のあなただけではなく、わたしのまわりすべてにいあるあなた。いまわたしのまわりはとってもチカチカしていて、まばたきするたびにまったくちがうあなたがみえる」

 そして、彼女は最後に「わたしはあなたの手紙がほしい」と語る。これは、「わたしはわたしの手紙がほしい」に比べると、一見普通に見える。しかし、“わたし”ということを、“あなた”ということを突き詰めて考えたときに、どこまでそれを普通と言えるだろう?

 チャプター4のラスト。舞台も終盤に差し掛かり、青柳いづみは旅行鞄を抱えて部屋を出てゆく。その直前に、ティモシーの着ぐるみをきた誰かが登場する(その着ぐるみはティモシーにはあまり似ていないのだけれど、舞台上にダンボのぬいぐるみが置かれていることがティモシーを想起させる)。ティモシーを目の前に、舞台上の“わたし”はこう語り出す。

 「会えなくて残念でした。あなたはそっちでもう少し、風や星や抱擁や誤解や靴擦れやバンドエイドを頑張って。また、いつか、どこか、べつの場所で。お会いしましょう。そのとき、わたしはこんな風にするね。しーっ」

 これは穂村弘の『もうおうちへかえりましょう』に収録されている話だ。そのエッセイではまず、こんな短歌が紹介される。

 唇に人差し指をあてているきれいな娘の霊前写真 北宮隆行

 この短歌から、穂村弘は想像をめぐらせる。そうして先ほど引用したテキスト――「会えなくて残念でした。」から始まる言葉たち――が導き出される。このエッセイを再読して思い出したのは、以前穂村さんと交わしたメールのやりとりだ。2015年にマームとジプシーが『書を捨てよ町へ出よう』を上演したとき、映像で出演していた穂村さんに、短歌における“わたし”と“あなた”の関係について質問したことがある。穂村さんにとって、語りかける“あなた”は誰ですか――と。そのメールに、穂村さんはこう返信してくれた。

 私にとってというよりも韻文にとっての「あなた」は一義的には「神」ですね。
 内容的に恋愛の歌で恋人である「あなた」が詠われていても、歌自体は「神」への捧げものというベクトルがありす。
 橋本さんが「「彼方」を見据えている」とおっしゃっているのはそのことだと思います。
 これは人間を読者とする散文との違いでも思います。
 小説には成功作があるけど、詩歌はすべて「あなた」への思いが未遂に終わる失敗作なのね。
 青柳さんの演技にもそういう印象がありますね。

 今この返信を読み返してみると、常に失敗するのは韻文だけでなく、人間というものがほとんど失敗に終わるのではないかと思えてくる。私たちが日々の生活の中で抱いた感情というものは、ほとんどの場合言葉にされることはなく、誰かに届くことなく、消えてゆく。そうしていつしか死んでしまって、忘れ去られてゆく。しかし、それは常に失敗するわけではなく、ごく稀に成功することもある。その成功例というものが、まさに『ぬいぐるみたちがなんだか変だよと囁いている引っ越しの夜』だと言える。

 エピローグにおいて、スクリーンには再び映像が映し出される。空はよく晴れていて、ずうっと向こうまで平野が広がっている。そこに穂村父が姿を現し、誰かを呼び寄せる。後を追うように穂村弘が登場し、二人は風景を眺めている。そのスクリーンの手前に立つ青柳いづみは両手を前に伸ばしている。その姿は、穂村弘と穂村父、二人に手を伸ばしているようにも見える。手を伸ばすということは、想像するということだ。ここには、何かを観ること、何かを読むこと、何かを知ることの根底にあるものが詰まっている。

 誰かの手紙に、誰かの短歌に、誰かのエッセイに、誰かの言葉に、誰かの写真に、私たちは想像する。そこにいた誰かのことを想像する。ただ生きているだけでは視界に入らなかった――視界に入っているのに気づいていなかった――誰かの姿に、何かを観ることで、何かを読むことで私たちは気づく。『ぬいぐるみたちがなんだか変だよと囁いている引っ越しの夜』の中で、僕が一番印象に残ったのは、穂村母の存在だ。穂村母はもう亡くなっており、穂村父のように映像で登場することはない。しかし、彼女が残したアルバムはスクリーンに映し出される。そこには穂村父と見合いをした当時の写真も含まれている。新婚旅行で浅虫に出かけたときの写真には、こんな言葉が書き添えられている。

「空の青さも松のみどりもすべて美しく見えました」
「この感激を忘れまいと……」

 私は穂村母のことをまったく知らないけれど、この言葉に、どうしても立ち尽くしてしまう。その言葉を書き綴ったときの彼女の気持ちを、その写真を撮ったときの彼女の気持ちを想像してしまう。想像したって何一つわからないことはわかっているのに、だ。自分とは会うこともなかった誰かのことに、そんなふうに立ち尽くしてしまう。もちろんそれは、見知らぬ誰かの姿であるにもかかわらず、観客である私たちを立ち止まらせるように設計している演出家がいるからこそだ。演出家は写真や映像や言葉を配置することで、私たちがこれまで見ることのできなかった何かを見せてくれる。その経験を経ることで、私たちは何かが見えるようになる。

 「今日からはすべてがよくみえる」。これは『ぬいぐるみたちがなんだか変だよと囁いている引っ越しの夜』で青柳いづみが口にする言葉だ。この言葉は、川上未映子の詩「夜の目硝子」に登場する。今回の作品を終えると、次は川上未映子の詩を青柳いづみの一人芝居で上演するツアーが待っている。このツアーのタイトルは「みえるわ」だ。そこで私たちは、一体誰を目にすることになるのだろう?