朝6時に起きる。昨日は22時半には眠りについたので、無事に早起きできた。祖母の暮らす棟に顔を出す。祖母はまだ眠っていたが、声をかけるとすぐに起きた。

 「今日帰るけん、東京に」
 「ありゃま。もう帰るん。何時頃出るん?」
 「あと30分ぐらいよ。あーちゃんも元気でおりんさいね。また夏に帰るけん」
 「夏にね。夏まで元気でおらんといけん。ありがとう。よかったよ、帰ってきてくれて。ありがとうねえ」

 枕元には僕が小さい頃の写真もあれば、最近撮った写真も飾られている。父が撮影して現像してきたものを母が飾ったのだろう。兄夫婦が祖母と一緒に写った写真の日付は昨年5月のものだが、それと比べると愕然としてしまうほど祖母はすっかり年を取ったように見える。昨日の夕方、両親と祖母とでケーキを食べた。祖母はもう体起こすことができず、母に促されて僕がケーキを食べさせた。そこを父が写真に撮ろうとして、自分でもびっくりするぐらい拒絶してしまった。そんな写真は撮られたくなかった。一体何のためにそんな写真を撮っておくというのだろう。そんな証拠写真のようなものは残したくなかった。夜になってひとりで祖母の元を訪ねて、祖母が横たわる姿を写真に収めた。あのときは僕のことを誰だか認識できていないようにも思えたけれど、今は意識がはっきりしている。夏、というのがあるのかどうかはわからない。

 7時半に実家を出て、山陽本線の鈍行に乗る。比較的空いている。電車の中では構成の仕事をしていた。このお正月は毎日21時頃まで仕事をしていた。こんな正月は初めてだ。10時に岡山に到着し、今夜宿泊するホテルに荷物を預け、駅から少し離れた場所にあるクリーニング屋――そこが岡山駅に一番近い場所にある当日仕上げの店だった――でジャケットとセーターをクリーニングに出す。用事を済ませると山陽本線で少し引き返して倉敷に行く。時間が限られているので、レンタサイクルで「蟲文庫」に向かい、新年のご挨拶。気になった文庫本を購入しようとしたところで、「ちょっと、コーヒーを淹れますね」と言ってくださる。いつもこんなふうにコーヒーかビールをいただいてしまっているので、実家の近くでつくられている賀茂鶴を差し出す。すると「じゃあ、ちょうど近所で買っていたお酒があるので」と、馬が合うという日本酒を出してくれる。辛口ですっきりしていて、うまい。午前中から日本酒を飲んでいると、ああ、正月だという気分をようやく感じることができた。

 ぽつぽつ話をしていると、どうしてもKさんの話になる。ちょうどその話を始めたところで、ふと、むしさんが「あ、Kさん」と言う。えっ。驚いて振り返ると、Kさんのお父さんが入っていらっしゃる。「昨年は色々ありがとうございました」と挨拶するお父さんに、むしさんが僕のことを紹介してくださる。一度スイスでもちらりとお会いしたんです。「ジャコメッティ? お恥ずかしい。いや、去年はお騒がせしました。本年もよろしくお願いいたします。また寄ってくださいね」。そう挨拶すると、お父さんは深々とお辞儀をして去ってゆく。あまりのタイミングに、少し呆然とする。むしさんはお酒のおかわりをついでくれようとしたけれど、2杯飲んでしまうと「取材はもういいか……」という気持ちになってしまいそうだったので、1杯だけでおいとまする。

 レンタサイクルを返却し、「ふるいち」で肉ぶっかけ(と瓶ビール)を食したのち、児島へ。今日はドライブインの取材だ。ただし今も営業している店ではなく、もう20年前に閉店してしまった店である。これまで4度も児島に足を運んできたが、いまだに何の手がかりも得られていない。いろいろ資料を探したり、近くの店に聞き込みをしたり、地元の新聞社や出版社に尋ねてみたりしたが、ほとんど情報を得られていなかった。今回こそはと意気込んでいたのだが、詳細は省くが、空振りに終わる。日が暮れかけたところで、前回訪れた際に立ち寄ったタコ料理の店へ。名刺入れを忘れてしまっていたのだが、「また1ヶ月後にお邪魔するので、預かっておいていただけませんか」とお願いしていたのだ。軽くツマんで熱燗をいただき、店をあとにする。

 18時過ぎ、岡山駅まで帰ってくる。クリーニングを受け取り、岡山駅近くにある焼き鳥屋へ。歴史のある店らしく、大賑わいだ。カウンター席に座り、熱燗を注文する。ひとりのお客さんというのはほとんどいなかった。今日からの営業だったのか、店員さんと常連さんが新年の挨拶を交わしていたり、そのまま話し込んだりしていて注文できず、あまり楽しめる予感がしなかったので熱燗2杯だけで店を出た。倉敷なら行きたくなる店がいくつかあるけれど、岡山ではいまだに見つけられずにいる。カレーうどんを啜り、21時になるまえに眠ってしまった。