深夜2時に目が覚めてしまう。なんとか眠りにつこうとケータイを眺めていたが目は冴えるばかりで、3時にはベッドを出て構成の仕事を進める。5時から2時間だけ仮眠して、構成を完成させてメールで送信する。間違えて喫煙室を予約していて、窓を開けっ放しで寝ていたので少し熱っぽく、風邪薬を飲んでおく。

 10時にチェックアウトし、ドトールでホットコーヒー(M)を買ってマリンライナーに乗り、今日も児島に向かった。詳細は伏せるが、ついに手がかりにたどり着く。まだ取材できると決まったわけではないが、ようやく光が指してきた。実は昨日の段階で諦めかけており、「今日はもう、別の仕事をして過ごすか」とも思ったのだが、すぐ近くにいるのだから今日も児島に足を運ぼうと思ってやってきたのだ。諦めないでよかった。今後の取材をスムーズに進められるのではないかと、児島図書館で10月3日の山陽新聞(夕刊)を探す。『月刊ドライブイン』を扱ってくださっている「451BOOKS」の根木さんが紙面で紹介してくださっているので、それを複写する。

 児島駅セブンイレブンでタン麺を買って昼食にする。岡山のホテルに預けていた荷物をピックアップして、西へ。同じように青春18きっぷで移動している人が多いのか、大きな荷物を抱えた人で一杯だが、かろうじて座ることができた。相生、姫路、神戸で乗り換えて、元町で途中下車し、「1003」へ。『月刊ドライブイン』を扱ってくださっているお店で、取り扱ってくださっているお店はどこも足を運んでみたいと思っているので、この「1003」もいつか訪れたいと思っていた。今回は青春18きっぷで移動していることもあり、途中下車して立ち寄ってみたのだ。時間は限られているので、急いで棚を眺める。見たことのなかったリトルプレスもあり、5千円以上散財してしまう。お店の方にご挨拶。しかし、こうして取り扱ってくださっているお店で、その置かれ方を見ると参考になるというか、考えが膨らんでくる。ここはビールも飲めるお店なのに、ビールを飲めなかったことだけが心残りだが、スーツケースを引いて元町駅へと急ぐ。

 京都から湖西線に乗り換え、北に向かう。いつのまにか日が暮れている。このあたりの鉄道は車両も多く、混雑する時間帯だが座ることができたので、原稿を書いていた。いつのまにか窓の外には雪が積もっている。19時過ぎ、今日の目的地である敦賀にたどり着く。駅前は再開発されており綺麗なロータリーだが、ホテルが数軒あるくらいで真っ暗だ。ホテルにチェックインしたのち、駅前にぽつんとある「まごころ」という店に飲みに行く。良い店だ。へしこを注文すると、お店のお母さんが「しょっぱいから、ちょっとずつ食べてな。これがあれば何杯でも飲める」と言う。

 熱燗を6杯飲んだが、会計は3000円程度で済んだ。ホテルに戻り、日記を書く。12月29日にも1年前の日記を書いたが、今日もまた1年前の日記を書く。2017年1月5日、あの日は知人とKさんの見舞いに出かけたのだった。


2017年1月5日

 11時過ぎに実家を発って倉敷を目指す。13時半、駅で知人と待ち合わせて、せっかくだからとまずは散策することにした。美観地区の入り口にある「浅野屋本店」にて、屋台で出している棒天ぷらと地ビールを買い食いする。今日も美観地区は大賑わいだ。缶ビールを飲み干したところで阿智神社に参拝。つい最近もお願いしたばかりですがと手を合わせたのち、知人の“おば立ち写真”を撮っておく。参拝したのとは違う道を下り、「蟲文庫」にお邪魔する。むしさんは知人のことを「河村さん」と本名で呼ぶ希少な存在なので、3人で話していると新鮮な気持ちになる。

 15時に面会時間が始まるのにあわせて倉敷中央病院に向かった。知人が事前にLINEで連絡を取っていたのだが、Kさんから「来る途中にコンビニとかあったら買い物お願いしたいよいか」とメッセージが届いていた。飲むヨーグルト的なものとバニラかチョコのアイスをご所望とのことで、近くのセブンイレブンに立ち寄る。アイスクリームはバニラとチョコのハーゲンダッツを買って病室に向かう。今日のKさんはベッドに横たわっていて、「ようこそ」と出迎えてくれた。体調は悪くなさそうだ。「OL食、買ってきたで」と知人が袋を差し出す。冷蔵庫はあるが冷凍庫はないとのことで、Kさんがバニラを、僕と知人がチョコを食べることにする。

 忘れないうちにと思って、ハロルド作石「7人のシェイクスピア」の話を切り出す。昨日、Kさんが「『7人のシェイクスピア』連載再開されてたの知らなかったビビった」とつぶやいていたので、スクラップして持ってきていたのだが、Kindleで買って読んだと言うのでそっと鞄にしまう。「しかし、ヤンマガKindleで買うのも屈辱だけど、寄付が集まったから財布の紐が緩くなってしまった」とKさんは笑う。「来週には退院するから、コンビニで立ち読みもできるけど、車椅子で立ち読みにこられても困るだろうから、さすがに買おうかと思ってる」と。

 アイスを食べ終えたところで、「ところで、おめえら今年の抱負とかあるんか」とKさんが唐突に切り出す。僕は「だらだらすることです」と答える。だらだらしようと思っても、数日経つと何か目標を持たなければと思ってしまうし、だらだらテレビを観ているはずがいつのまにか真剣に観て何か読み取ろうとしてしまうけど、なるべくぐうたらしたい、と。「テレビって、そんなに面白い?」とKさん。「こないだ正月に実家へ帰ったときに、昼間のどうしようもない時間帯に眠れもせず、しょうがないから居間でテレビをつけたら沢口靖子のドラマをやってたけど、脚本が存在しないんじゃないかって思った。スコープで検査してるシーンで繋いどるけど、スカスカのサスペンスだった」。Kさんの言葉に、「でも、すげえ人気よ。うちの母ちゃんも大好きだし」と知人が返す。「うちの母ちゃんを見よったらわかるけど、サスペンスはスカスカぐらいのほうがええんよ。途中で絶対寝るんやけど、最後だけ起きて『ああ、やっぱりこいつが犯人やったんや』っていうのでオッケーなんじゃけ」。そういうもんなんかとKさんが不思議そうにしていたことを、1年経った今、鮮明に思い出す。僕はテレビが大好きだけど、テレビが今まさに終わりつつあるのを肌で感じる。*1

 「今年の抱負な。何だろうな。いやー、全然思い浮かばんわ」。そう語る知人に、Kさんは「快快の公演はあるん?」と尋ねた。「あるある。2月じゃけ、もうすぐよ」「どんな内容になるん」「宇宙人がね、人間になりすましてるっていう」「ああ、『ゼイリブ』みたいな感じか。ってことは『ウェルカムチキュージン』のつながりで――後藤さんとか出るん?」「そう、ごっちんは出る」「後藤さんも出てたけど、国分寺大人倶楽部の解散公演は面白かった。ああいうちゃんとした劇団が解散するのは寂しいな。快快とか悪魔のしるしがのさばってるのはおかしくて、ちゃんとリアリズムができる劇団がもうちょっと人気がないとまずいと思う。リアリズムは大事だよ」。

 知人がいることもあり、この日は演劇のことがよく話題に上がった。「こーじ君が一時期、鈴木メソッドをやってみせてくれたりしよった」という知人の言葉に、「ああ、こーじ君がSCOTに出てるところは一生に一遍観てみたい」とKさんがつぶやく。一生に一遍、という言葉に少し戸惑う。沈黙が生じる。そのことを察したのか、Kさんは「俺、鈴木忠志のことは尊敬する」と言葉を継ぐ。「本気っていうのは格好良い。本気のものっていうのは、やっぱりね、胸を打つ。去年利賀村に行ったけど、なかなか面白かった」。そう語る姿を眺めながら、『桜の園』のラストに、全力で壁にぶつかっていた――文字通りの意味で全力で壁にぶつかっていた――Kさんの姿を思い出す。あの姿は今思い返しても本当に格好良かった。

鈴木忠志のことを茶化してた人たちっていうのは、結局のところ、鈴木忠志より生き延びられなかった。まあ基本的に俺も茶化しの文化圏にいて、その文化圏を出ることはないだろうけど、茶化す対象を考えなきゃいけない。自分が尊敬できるものを馬鹿にするんじゃなくて、心の底から『こいつを馬鹿にしなきゃいけない』と思うやつを馬鹿にしなきゃいけない。しかもそれは弱いものいじめじゃ駄目で、俺の愛する世界の敵だと思えるものを茶化しに行きたい。そう思うよ」

 Kさんは「いつもより体調が良い」と言っていた。演劇に限らず、第三の新人深沢七郎野坂昭如保坂和志辻井喬糸井重里、さまざまな名前が話題に上がった。30分ほど経ったところで、「あんまり長居しても悪いか」と言っておいとましようとすると、いや大丈夫、よかったら談話室に行きませんかという話になり、車椅子を押してエレベーターに乗る。「そういえば、制作座談会の記事が出るらしい」とKさんが言う。その座談会に、悪魔のしるしの制作・Tさんも参加したそうだが、「良いこと言おうとしたけど、弁当の話しかできなかった」とこぼしていたそうだ。「いや、Tさんのケータリング力はすごいけんね」と知人は言う。「直島のイベントのときも、西瓜を一口大に切って、そこにちっちゃい旗を一杯立ててて、『あのケータリング力、見習いたい』って皆が言いよったもん。私は唐揚げがあれば満足してしまうから、そこまで考えられんけど」

 知人のざっくりした話にKさんは肩を震わせて笑う。笑いが落ち着いたところで、「やばい、唐揚げ食いたくなってきた」と漏らす。「今の楽しみは、退院したときにジャンキーなものを食べれることでさ。年末に実家に帰ったときも、最初にカレーを食いたいって。普通のハウスのカレーだけど、うまかった」。Kさんは味を思い出すようにしみじみ語る。「胡椒がきいてて、それがうまかったんよ。それはたまたま、具を炒める時に親が胡椒を入れ過ぎたんだけど、病院の味つけはちょっとぼんやりしてるから、香辛料がうまかった。今度退院したらラーメンが食べたい。ほんとはどろっとしたとんこつラーメンが食いたいんだけど、今は体力的に、4、5口でストップになると思う。だから、誰かと一緒にいて、ちょっとだけでもいいから食いたいな」

 Kさんは未来のことをたくさん話していた。「基本的には大いなる仮構の中のアップダウンだから、過度の期待は禁物だけど」と言いながらも、最近は治療の効果が出ているのだと語っていた。退院したら京都に旅行に行きたいし、TPAMも観に行きたい。でも、癌はしょうがないけど、下半身付随は要らんもんをもらったなあ。しょうがないけど、要らんものまでもらってしまった。そう繰り返しながらお手洗いに行った。しばらくすると、慌てた様子で看護師さんが男子トイレに入っていく。しばらくして出てきたKさんは「流すボタンとヘルプボタンを間違えて押してしまった」と気恥ずかしそうだ。

 「悪魔のしるし、倉敷公演はあるん」と知人が尋ねる。

 「そうねえ、Tさんと考えよるんやけど、現実的だとは思う」とKさん。「倉敷でもできなくはない。ただ、倉敷で公演してもどうせお客さんは来ないから、周りの人を皆呼ぶことになりかねない。それはちょっと申し訳ないから、せめて京都でやりたい。それなりのものはできると思うけど、せっかく公演をやるんだったら3桁ぐらい来て欲しい。京都だったらお客さんも多少はくると思うし、出来ることなら横浜でやりたい。それが演劇になるのかどうかって問題はあるけど、やっぱり演劇をつくりたいから」そこまで言ったところで、そして、できればなるべく遺作じゃないようなものをと付け加えて笑う。その感じがいかにもKさんらしいなと思う。

「そうね。三部作ぐらいで」と知人が返す。

「それもいいな。『続』で終わる。ただまあ、身のまわりのことから題材を取るから、どうしてもこの状況を扱うことにはなると思う。実際面白いんよね。病院って面白いもので、患者を生かすための施設でもあるけど、職員を食わせる場所でもある。職場の人としては有能だけど、患者からすると『何この人』っていうのもある。病院って基本的に忙しいから、いろんなタスクが発生するわけよ。それをウェイターみたいにこなす人もいるんだけど、運ばれてるのは料理じゃなくて人間だから、こなされてるのは伝わってくる」

 Kさんは僕や知人に向かって話しながら、言葉をまとめようとしているように見えた。本当は書いておきたいことが山のようにあるのだろう。退院したら湯船に浸かりたい。そんな話から、Kさんは11月のことを思い返し始めた。11月、まだ横浜にいた頃は毎日のように銭湯に通っていたこと。湯船に浸かると痛みが軽減されたこと。どうすれば痛みを散らすことができるものかと、変なポーズで過ごしていたこと。11月のことはもうちょっとちゃんと文章に書いておきたいんだけど。Kさんはそう言っていた。

「11月にはもう病院に通ってたけど、まだ癌だって確定されてなくて、誰にも言えず、家でひとり、なんか痛えなって思いながら生きてたもんな。中旬の頃は痛みがキツくてさ、バファリン買って飲んだりして、まったりした音楽聴いてた。ベックのアルバム、すげえ地味なんだけど、すげえよかった」。そこまで語ったところで、11月下旬のことを思い出したのか、「ああそうだ、もふさんが書いてくれた日記も読んだよ」とKさんは言った。「もふさんの日記とかたまに読むけど、面白い」と言ってくれる。そして『HB』も買っていたと言われて少し意外に思う。『HB』を出していた頃はまだKさんと面識はなかったのだが、どこで知ってくれたのだろう。

 「ありがとうね。ほんとに」。しみじみ語るKさんに、「何、じじいみたいなこと言い出して」と知人は笑う。「いや、自分の身体のことをどこまで把握できとるかはわからんけど、今日・明日に死ぬわけじゃなくて、もうちょい大丈夫だろうっていう感じはある。やっぱり、畳みたいっていうのがあるわけよ。散らかしたまま終わりたくない。だから、じじいみたいなことを言うかもしれんけど、まあ美意識の問題として、畳みたいとは思ってる。多少散らかってたとしてもご愛嬌で、そこは許してもらいたいけど」

 病院を訪れてから1時間半が経とうとしていた。そろそろ病室に戻りましょうかと引き返す。「引き止めてしまって申し訳なかった」とKさんは少し申し訳なさそうだったが、少しでも気晴らしになっていればいいなと思う。知人が「ちょっと写真撮っといてよ」というので、ふたりの写真を撮る。ベッドにもどりながら、「向こうに戻ったら、皆によろしくお伝えください。なんとか無事に生きてると」とKさんは言う。「じゃあ、2月の公演、行けたらいくわ」。じゃあ、また。「またまた」。そう言葉を交わして病室を出た。今思えば、あれが最後に交わした言葉だった。

*1:2017年の秋頃から、テレビの終わりを感じ始めている。それを強く感じたのは、インターネットで『72時間ホンネテレビ』をやっているときに『めちゃイケ』と『とんねるずのみなさんのおかげでした』の打ち切りが報じられてたときだが、その少し前から感じていたことだ。『とんねるずのみなさんのおかげでした』と言えば、昨年は保毛尾田保毛男が猛烈に批判された。あの時に引っかかったことがある。とんねるずを擁護したいわけでは全くなくて、どうしてこのタイミングでとんねるずが批判されるのかということだ。『とんねるずのみなさんのおかげでした』は現代的な正しさとはずっとかけ離れていた。たとえば、コールドストーンでアルバイトを体験する企画のとき、指導をしてくれたマネージャーの女性の容姿を石橋はしつこくいじり続けた。コールドストーンという企業の性質からしても、現代的な正しさからしても、女性の容姿をあのようにいじることはアウトだろう。しかし、それを観ていた人は決して多くなかったのだろう、さほど批判を受けたという印象は受けなかった(実際、同じコールドストーンのマネージャーを起用した第2弾の企画が放送された)。保毛尾田保毛男が登場したのは30周年スペシャルの中で、ビートたけしを招いた回でもあり、反応する人が多かったのだろうけれど、結局のところ普段は誰もバラエティを観ていないからこそ乖離が生じるのだと思う。今年――というのはこの日記を書いている2018年の今――の年末年始の特番でいうと、たとえばベッキーがお尻にタイキックをされて、そのことが「ありえない」と批判されてもいる。もちろん一般社会に置き換えて、それが会社という組織の中で行われていたらハラスメントだし傷害事件だろう。しかし、それをテレビの画面の中に適用させることができるのだろうか。テレビカメラに映っていないところでそのような行為が行われていたら問題外だけれども、バラエティに生きる人たちはフィクションを生きているように思うのは僕だけだろうか。トーク番組などで、タレントや芸人がとっさに答えられず考え込むと「いや、なんでもいいから何か答えろよ!」とツッコミが入る。そこでは本当は何を思っているかなどどうでもよく、ただテレビバラエティという虚構の中を皆で泳いでいるだけだ。もちろんそのフィクションを強制されるべきではなく、そこから抜けたいと思えば抜ける自由は担保されていなければならないが、そうでなければ必ずしも常識で判断できることではないだろう。それを言い出せば、カミナリの漫才だってアウトで、あそこまで叩かないにしてもツッコミで叩く動作だって許されないはずだ。落とし穴にかけるのだって、ドッキリにかけるのだって許されないはずだ。あんなふうに人を騙すことは許されないだろう。でも、僕はドッキリ番組を観ていると笑ってしまう。『水曜日のダウンタウン』のクロちゃんの企画はどれも腹がよじれるほど笑ってしまうけれど、勝手に部屋に上がり込んで隠しカメラを設置したり、勝手に追跡してその様子を配信したり、一般社会では到底許されないものだろう。でも、それに笑ってしまう。もちろん「テレビは嘘なんだから何をやっても許してやろうぜ」と言いたいわけではない。同じ『水曜日のダウンタウン』のドッキリでも、ダイノジ大地が大事にしているスニーカーを知らない男たちが勝手に履いていた企画なんかはさすがに可哀想だろうと思った。そのドッキリには本人ものっかりきれず、ショックを受けている感じが伝わってきたからだ。いずれにしても笑いというのはとても微妙なバランスの上に成立しているものだと思う。そして、万人が笑えるものというのは存在せず、ある範囲において成立するものだろう。もちろん、まずは届ける側が「どういう人がこれを観る可能性があるのか」ということに慎重であるべきではあるけれど、今の批判の広がり方というのは普段からバラエティを好んで観ている層ではないところからも批判がなされているように思える。念のために言っておくと、そんなふうに批判するのは駄目だと言っているわけではない。公に発表されているものであるのだから、批判は当然なされるべきだろう。ただ、テレビを観る人が少なくなればなるほど、バラエティ番組と一般社会の溝は深くなっていく。その溝の深さを感じて、ただただ寂しくなる。なぜこんなふうに長々書いているのかというと、「テレビを批判している人たちが許せない!」と言いたいわけではなく、今はもうバラエティ番組を楽しんでいる層というのはいなくなってしまったのだと感じてしまって、寂しくなるということだ。そこにテレビの終わりを感じてしまう。