朝9時、まだ眠っていた知人を無理やり起こしてジョギングに出る。今のアパートに引っ越してきて初めてジョギングをしたのは一昨日のこと。ここ二年くらいは接骨院に通っているけれど、症状は多少和らぐものの根本的に改善されることはなかった。先日、ツアー中に「これはダメだ」というくらいしんどくなり、心斎橋にある接骨院に三日連続で通ったことがあるのだが、そこで「普段からストレッチと運動をしないと、どんなに施術しても元に戻ってしまう」と指摘されていた。

 一昨日は天気も良かったので、ふらりとジョギングに出た。そこで見た景色はとても印象的だった。引っ越してきて半年が経つけれど、近所を移動するとしても必要に駆られてのことで、基本的には同じ動線の中で生きてきたけれど、ジョギングで走った道はどれとも違っていた。うちの近所にはこんな景色が広がっていたのだなと、初めて立体的に掴めたような気がした。知人にもその景色が見せたくて、僕がジョギングする後ろを、自転車でついてきてもらった。3キロの道のりを、20分かけてのんびり走る。

 13時半、散髪に出かけた知人と三鷹駅で待ち合わせ。カフェのテラスに座り、カレーライスを1皿、それにビールを2杯注文。小一時間ほどぼんやり過ごしたのち、三鷹SCOOLで中林舞ソロ企画Vol.0 一人芝居『HAMARU』観る。これを面白いと言えるのは知り合いだけだろう。三鷹駅で惣菜と酒を購入し、電車を乗り継ぎ代々木公園へ。今日は「シャバの花見」が開催されている。毎年開催されているお花見で、いろんな人が参加する大規模な花見だ。周りではさまざまなグループが花見をしているのだが、立ったまま飲んでいる人たちが多くて驚く。外国人が多いからだろうか。

 こういう場で世間話をするのが苦手なのに、花見と聞くと参加してしまうのはなぜだろう。ぼんやり桜を眺めていると、一枚の紙がまわってくる。もう一緒に花見をすることができなくなってしまったふたりに捧げる俳句を、とある。30分近く考えて、書く。花見して酔いどれてゆく私たち。こうして花見をできるのも、酔っ払うことができるのも、今ここにいる私たちだけだ。大して気の利いた俳句でもないけれど、置いてゆく。それを書き終えると用事が済んだ気持ちになり、帰る。月がびっくりするほど大きかった。

 アパートにたどり着くと、37通目の『手紙』が届いていた。本当は「3月末日の消印で4月に届く」ようにしたかったのだが、今日は土曜日なので3月30日の消印にせざるをえず、3月のうちに届いてしまった。でも、これはこれでいいだろう。もし今日手に取ったとしても、読んだ人はもうすぐ終わってしまう3月という時間のことに思いを巡らせるだろう。「みえるわ」という公演のために未映子さんが書き下ろしたテキストにはこんな言葉がある。

 四月だいすきな四月だった四月
 四月もわたしを わたしも四月を みていた四月

 そして、ツアーに先駆けて行われた『美術手帖』の対談で、未映子さんは「四月はポエジーとともにある、始まりと終わりが同時にある月っていう感じがしますね、年末とか新年なんかよりも。残酷さもあるしね。今回の公演は、三月ではなくて四月だっていうのはあったかもしれないですね」と語っていた。いつまでも「みえるわ」の旅が続くかのように思えた瞬間もあったけれど、旅は終わってしまって、もうすぐ3月も終わり、4月がやってくる。これから先にどんな時間がやってくるのだろう。