朝7時に起きる。ジョギングをしたのち、コーヒーを淹れ、昨晩のうちに作っておいたコンソメスープで朝食をとる。今日は『S!』誌の締切だ。僕が最初にこの対談連載の構成を担当したのは2012年の3月のことだ。最初はピンチヒッターとして登板し、翌月からレギュラーとして依頼してもらえるようになった。あれから6年が経った。この仕事をするのも今日で最後だ。まずは2時間かけてテープ起こしを済ませる。部屋の換気をして、線香を焚き、曽我部恵一『東京コンサート』を聴きながら構成にとりかかる。

 さて、お昼ごはんは何にしよう――そんなことを考えていると、Tさんからメールが届く。還暦を祝う会が開催される旨。すぐに返信。出前でも取ろうかと思ったけれど、やはり近所の蕎麦屋にする。徒歩1分の場所にある蕎麦屋に入ると、今日は窓が開いていて、外から心地よい風が吹き込んでくる。この対談の最終回の構成をしている途中で蕎麦屋に入るなんて、ちょっと意識し過ぎていて野暮かなとも思ったけれど、とても落ち着く。鴨せいろとビールを注文。冷たいそばが食べたくて、かといって天ざるは重いなと鴨せいろを選んだのだが、鴨せいろを注文したのは今日が初めてだ。運ばれてきたやや大きめの器に、少し戸惑う。触ってみると汁は温かく、どうやって食べたものかしばし戸惑う。つけ麺みたいに食べてよいのだろうか。汁は飲んでもよいものなのだろうか。途中で蕎麦湯が運ばれてきたことでいよいよ混乱する。西日本出身の僕は、近所に蕎麦屋がある環境で育ったわけではなく、蕎麦湯が運ばれてきただけでドギマギしてしまう。

 アパートに戻り、引き続き『S!』誌の構成を続ける。手元にある今週号や、単行本化された対談を時々見返しながら進める。15時、ちょっとくたびれたところでチョコレートを食べた。友人がノルウェーに出かける際に、お願いして買ってきてもらったフレイアのチョコレートだ。僕は特別甘いものが好きというわけでもないけれど、以前古市憲寿さんがエッセイでフレイアのチョコレートを食べてチョコ好きになったと書かれていて、一体どんなものだろうと思っていた。ただし日本には輸入されておらず、現地でしか購入することはできないので、せっかくだからとお願いしたのだ。買ってきてもらってすぐに食べていたけれど、2片だけ残しておいた。僕がこの先ノルウェーに出かけることがあるとも思えず、そうすると人生でもう口にすることはないであろう甘い甘いチョコレートを、ちょっとしんみりした気持ちで食べ尽くす。

 16時、構成が完成。30分かけて見返し、地の文にあたる箇所を書き加える。もし可能であればキャプションで言及してもらいたいことを書き添えて、メールで送信。終わった。今日の原稿料のぶんで、何か大きな買い物をしよう――原稿料が入るのは来月だというのに、ふいにそう思い立ち、身支度をして銀座に出る。シャツを買おうと何軒かぶらついてみたものの、特に「これだ!」と思えるものがなく、予定より早くに渋谷に着いてしまった。のんびりセンター街を歩き、沖縄料理店の「やんばる」でやんばるそばを食す。このあとトイレが近くならないように、汁はあまり飲まないでおく。山路愛山終焉の地の碑を横目に坂を上がると、整理番号順に整列が始められているところだ。今日はWWW presents『dots』というライブがある。向井秀徳前野健太によるツーマンライブだ。

 1月29日にライブの情報が発表されたときから、今日という日を心待ちにしてきた。これは誰かが僕のために企画してくれたものだとさえ思った。ただ、ちょうどその時期以降は『手紙』のこと以外考えられなくなってしまって、旅が終わったあとで思い出した頃にはチケットが完売してしまっていた。ただ、WWWは「みえるわ」が上演された会場でもあり、A.Iさんが担当の方に連絡をとってくれて、関係者として予約を受け付けてもらうことができた。「関係者予約で観る」というのは僕が普段とても嫌っていることではあるのだけれど、このライブはどうしても観たくて、お願いしていたのだ。会場の前でAさんと待ち合わせ、中に入る。ドリンクチケットをビールに交換してフロアに向かうと、思いのほか空いている。開演時間が近づくにつれて少しずつお客さんが増えるものの、つい先日のLORD ECHOに比べると余裕のある状態だ。今日はWWWが主催の公演なわけだから、観客がある程度ゆとりのある環境でライブを楽しめるように、とにかく観客を詰め込むのではなく、早めにソールドアウトにしたのだろう。関係者予約で入っておいてこんなことを言えた立場ではないけれど、とても嬉しいことだ。

 最初にステージに姿を現したのは前野健太だった。前野さんはエレキギターを手に歌い始める。最初はビール片手にしっぽり眺めていたのだが、3曲目の「SHINJUKU AVENUE」、4曲目の「春の夜の夢のごとし」、5曲目の「オレらは肉の歩く朝」という流れにたまらない気持ちになり、ビリビリとノリながら観る。前野さんの歌はずいぶん太くなったという感じがする。以前はもう少し、自分の中にある詩情を最後の一滴までふりしぼるように歌っていたし、観客との応答の中であるピークにたどり着こうと奮闘していたように思うけれど、ふりしぼらずともそこには既に詩情がある。そんな太さを感じてシビれる。

 1時間ほどで前野さんの演奏は終わり、数分間の休憩時間で用を足し、バーカウンターでお酒を補給する。向井さんは椅子に座り、脇のテーブルに氷と焼酎と炭酸を置いて演奏を始める。1曲目は「The days of NEKOMACHI」だ。曲と曲のあいだに何かしら言葉を発する前野さんと対照的に、ほぼMCなしで演奏が続く。5曲目に演奏されたのは「SENTIMENTAL GIRL’S VIOLENT JOKE」で、この曲を弾き語りのライブで演奏することは珍しいことではないのだけれど、いつにもましてささくれだった感触があり、ギターの筆圧も強く感じる。ナンバーガール時代の曲を演奏するときにはささくれがあるのだが、その一方で、「サカナ」や「カラス」といった比較的最近の曲には、目の前に広がる風景をただ眺めている感触が漂う(もちろん、それらの曲よりさらに最近の曲である「約束」には強いささくれがあるのだが)。そのただ眺める境地に達した歌と、15年以上前に書かれたささくれだった歌との往復。そこには何があるのだろう。

 一番印象的だったのは「amayadori」だ。この曲は10年以上前に出たコンピレーショナンルバムに収録された曲ではあるのだが、歌詞が大幅に書き加えられている。その詩が本当に素晴らしく、記憶の海に潜り続け、何かを幻視する男にしか書けない詩だ。記憶、思い出、悲しいといったフレーズが随所に登場する。そして歌はこう結ばれる。「記憶が、悲しい思い出、思い出はなぜか悲しい、すべては悲しい、いや、この世のすべては、とても楽しい」。この詩に、向井さんという人が詰まっているように感じる。MATSURI STUDIOの地下室で、ひとりギターを奏でる。記憶を辿ってセンチメンタルな気持ちになることもあれば、今現在に対しても「すべては諸行無常であり、過去になってゆく」という気持ちであることもあるだろう。それはとても寂しく、悲しいことだ。でも、ふと考える。そのことをこんなにも考え続けていることこそが生きているということでもあり、別の角度から見れば、それはとても楽しいことではないか――と。そんなことを、地下室でたったひとり考えている向井さんの姿が浮かんでくるようで、とてもシビれる。ひとりであらねばならない。

 この数ヶ月を過ごしたことで、今までとはまた少し違った角度で向井さんの歌が響いてくるところもある。旅の過程で「未映子さんの言葉は、一生おぼえている言葉になっている」「それは、おぼえたというよりも、それを読む以前から知っていたような感覚に近い」とAさんが言っていたことがある。それに近い感覚を、僕は向井さんの歌に対して感じている。ただ、いつもはひとりでライブを聴いているのに、今日は友人と一緒だというのが不思議な感じがする。アンコールはふたり揃って舞台に姿を現し、交互に歌ってゆく。向井さんは「crazy days crazy feeling」、「ワインレッドの心」、「SI・GE・KI」、前野さんは「マシッソヨ、サムゲタン」、「とびら開けて」、「ボーイ・ミーツ・ガール」。前野さんのラスト2曲がカヴァーになったのは、向井さんが「ワインレッドの心」を歌ったことを受けてのことかもしれないけれど、向井さんのそれに比べると、やや衒いがあったように感じる(もちろん普段のライブでもカヴァーしている曲たちだということは知っているけれど)。

 これは永遠に続くのでは――と思いかけたところで、一瞬だけ唐突にステージの照明が消される。「これはもう終われってことですかね?」という話になり、最後は二人で松山千春の「恋」を歌って終幕。終演後、関係者予約で入れてくれたスタッフの方にお礼を言って、37通の『手紙』を渡し、Aさんと近くの酒場に飲みにいく。今日のライブは大変楽しかったせいか、思ったことをそのまま話してしまう。Aさんは「悔しい」と言っていた。僕は素晴らしいステージを観てもただ興奮して酒が進むばかりだけれども、舞台に立つAさんは悔しいと感じるようだった。僕がとても好きなふたりが「悔しい」と感じられることを、どこか誇らしく思う。