6時過ぎ、首が痛くて目をさます。ときどきこういう朝がある。これは枕が合ってないのではとスマートフォンで検索すると、やはり枕が高過ぎるようだ。1年以上使っている枕だが、中のパイプを抜いて調整する。8時、ジョギングに出る。コーヒーを淹れて、昨晩届いていた、ちょっと変わった取材依頼のメールに返信。取材する場合の日程を考える。

 昼、鶏ササミほうれん草そばを食す。そういえば今日は花まつりが開催されていたのだと思い出す。以前、小籔千豊が「何をキリストの誕生日を祝っとんねん。日本人やったらお釈迦様の誕生日を祝わんかい!」とバラエティ番組で言っていて、お釈迦様の誕生日が「花まつり」だということは知っていたのだが、自分の生活の中に「花まつり」はなかった。実家にいた頃にだって、その日に何か行事があった記憶はない。ただ、近くの商店に貼り紙があり、光源寺で催しがあると書かれていたので、散歩がてら出かけてみることにする。

 昨日までは嵐のような風が吹いていたのに、今日は穏やかで良い天気だ。縁日のようになっているのかと思っていたが、光源寺に着いてみると小さなテントが出ているくらいだ。そこで甘酒やお菓子が振舞われているようだ。テントの脇を通り過ぎてお堂のほうに行ってみると、花が飾られたお盆がある。それは「花御堂」といって、ブッダが生まれたルンビニの地を表しているのだという。いつだか兄に誘われてインド旅行に出かけた際に立ち寄った記憶があるけれど、のどかな場所だったということしか思い出せない。花御堂には小さな像があり、それがブッダだ。その下には甘茶――甘茶というものを35歳にして初めて耳にした――があり、「それをお釈迦様にかけてください」と促される。ブッダは生まれてすぐに7歩歩き、「天上天下唯我独尊」と語り、その誕生を祝って9匹の龍が現れて甘露の雨を降り注いだというエピソードに因んで、甘茶をかけるのだそうだ。龍でも何でもない僕がお釈迦様にお茶なんてかけていいのかわからないけれど、そーっと甘茶をかける。

 境内のベンチに腰掛け、ポケットに忍ばせていた“銀色の缶”を取り出しボンヤリ過ごす。仏教に対する知識は希薄ではあるけれど、お釈迦様というのは、何だろう、そういうキリスト的な人だったっけか。お釈迦様が素晴らしいとされるのは、神の子であるとか、奇跡を起こすとかそういったことが理由ではなく、修行して悟りを開いたからだったように記憶している。つまり、仏教は信仰というより哲学に近いものだと思っていたのだが、龍か。缶が空になったところでアパートに戻り、『月刊ドライブイン』の原稿を書く。17時、散歩に出る。アサヒスタイルフリーを片手に谷中銀座を歩き、日暮里駅で明日の切符を購入し、「古書信天翁」の前を通りかかると弾き語りをやっている。数曲聴いたのち、古本を数冊買って、ドラッグストアとスーパーに寄って帰る。知人の帰りを待って、餃子、回鍋肉、麻婆豆腐で晩酌。新ドラマや新番組をいくつか観たがつまらず、早送り。