朝5時に起きる。7時過ぎ、ジョギングに出る。明日は雨が降るというので、今日は長めに走ることに。上野桜木から鶯谷に出て、浅草にたどり着き、田原町から上野に抜けて――と10キロほど走る。知らない道を走っていると、気になる店がいくつもあり、メモがわりに写真を撮る。ざっと新聞を読んだあとで原稿を書いていると、「シリアに攻撃始めたって」と知人が言う。昼、鯖缶とトマト缶のパスタを知人に作ってもらい、昼食。午後も引き続き原稿を書く。今日も完成させられなかった。

 14時45分、「草63」のバスに乗る。自宅から徒歩20秒の場所にバス停があり、行き先は浅草寿町だ。いつかあのバスで浅草に出かけようと思っていたのだが、今朝浅草をジョギングしているときに「今日の夕方、知人と一緒に飲みにこよう」と決めていた。どういうルートで浅草寿町に行くのか調べずに乗車したが、西日暮里駅に出て、荒川、三ノ輪と北回りでバスは走る。このルートだと結構時間がかかるかなと心配になったが、25分ほどで浅草だ。朝は人がまばらだったが、この時間だとさすがの賑わいだ。まずは「水口」に入り、ビールで乾杯。知人はたこぶつを、僕はいり豚を注文する。甘いソースで豚肉を炒ったもので、ウマイ。来るたびに良い店だと感じる。知人とこの店を訪れるのは二度目だが、知人も良い店だと口を揃える。

 二杯目はチューハイにした。バスに乗っていたときから、知人は昨年末の話をしていた。北千住にできた会場を劇作家のK.Uさんと下見した帰りに、せっかくだからと浅草まで歩いたのだという。Kさんが煙草を吸いたくなり、煙草屋のある路地に入ると焼き鳥屋が見えた。そこは看板も出ていないような小さな店で、50円で焼き鳥を売っている店だった。そんな値段でやっているのは、脱サラして最近始めたのだろう。何にしても激安だ。知人とKさんは近くの酒場でビールを買ってきて、焼き鳥を食べることにした。そこで話を聞いてみると、そこはバブルの頃から営業していた店で、当時はものすごい売り上げがあったという。平成の三十年のあいだに、移り変わったものがある。それは千駄木のカラオケ酒場「S」で聞いた話とも重なる。下町というくくりで語るのでもなく、昭和風情ということで語るのでもなく、そこにある移ろいと、そこに暮らしてきた誰かの人生を書き留めたい。ただ、それをどんなフォーマットで括れば人に届くのだろう?

 「水口」を出たのち、街をぶらつく。ホッピー通りを歩くが、入りたい店は満席だったので、浅草寺にお参り。知人は頭とお腹に煙をあてていた。それにしても外国人観光客で大賑わいだ。いろんな国の人が歩いている。境内には屋台も出ており、こないだ不忍池でも見かけた「特選ずわい蟹棒」がここにも出ている。ポン酢、しょうゆ、コチュジャンの三つのタレを選べて、600円。ハングルと英語でも表記がある。外国人観光客はパシャパシャ写真を撮るが、店主はNO PHOTOと言うのを諦めたのだろう。意外だったのは、境内の隅で外国人がひとり、民芸品を広げていたこと。

 もう一度ホッピー通りを歩いていると、一番北側にある渋い店にみおぼえのある顔があった。先日のツアーのときに衣装を手がけていたひとり、Oさんだ。でも、あんなにおしゃれな感じの人が昼間からホッピー通りで酒を飲んでるはずないもんなと思いながらもしばらく立ち止まっていると、向こうもこちらに気づき、「あ!」となる。やはりOさん本人だったのだ。向こうは友人と一緒だったので、会釈をして通り過ぎ、「もつくし」に入店。巨大な店だが、若者でほぼ満席だ。数年前に取材したときと違って、伝票ではなくスマートフォンで注文を管理している。

 ホッピーセットを注文し、塩のもつ煮込みと揚げ物3点セットをツマミに飲んだ。しばらくすると、隣で飲んでいた二人組が会計を済ませて帰ってゆく。そこが片づいたところに、ちょうど二人組のお客さんがやってきた。ふと視線を向けると、Oさんたちが立っている。僕たちがいると気づいて入ってきたのではなく、「次はここにしよう」と偶然やってきたのだという。こんな偶然があるだろうかと嬉しくなる。向こうは少し仕事の話もしているようだったので、あまり直接会話はしなかったけれど、とても嬉しい。街で偶然誰かに出会えるなんて。そして、「デザイナー」ということでどこか遠い存在だと思ってしまっていたけれど、勝手に親近感を抱く。最初に入っていた店といい、次に選んだのがこの店であることといい、とても仲良くなれるのではないかという気がする。