朝7時に目が覚めてしまう。今日は夜更かしする用事があるので、遅くまで起きていられるようにと昨日は3時近くまでなんとか起きていたのだが、こんな時間に起きてしまって、二度寝しようとしても寝つけなくなる。どこにも出かけていないのに時差ボケしている。眠るのは諦めて、9時頃になって布団を這い出て、納品の準備を進める。10時半、月刊ドライブイン届く。通販で申し込みがあったぶんはすぐにスマートレターに封入し、近所のポストに投函する。11時半に知人と一緒にアパートを出て、近所の蕎麦屋でカレー南蛮を食す。いつも知人だけ汗だくになり、僕はまったく汗をかかないということが多いのだが、今日は湿度が高いのか、久しぶりに汗をかく。

 知人と別れ、12時過ぎ、段ボールを抱えてバスに乗る。池袋、新宿、中野、荻窪、吉祥寺、下北沢、渋谷と納品にまわる。ジョギングの成果が出てきたのか、段ボールを抱えていても軽やかに歩ける。中野サンモール商店街の人混みもスイスイ小走りだ。吉祥寺で京王井の頭線に乗ろうとしたところで、あまりの混雑ぶりにムッとした顔で歩いていると、ひよちゃんとばったり出くわしてしまい、眉間にしわを寄せて歩いていたことを後悔する。渋谷で納品を終えて、代々木公園から千代田線で千駄木に帰ってきたのは17時過ぎだ。もうすっかり眠くなってしまったが、シャワーを浴びて長袖に着替え、再びアパートを出る。

 18時半、六本木ヒルズアリーナに到着すると、ちょうどオープニングプログラムが始まったところだ。六本木では今日から六本木アートナイトが開催されており、六本木ヒルズアリーナでは金氏徹平「TOWER」が展示されていて、作品の前でパフォーマンスが繰り広げられている。作品の前には椅子が並んでいるが、関係者席らしく、半分くらいは空いている。一般の観客は立見スペースで観るのだが、すし詰め状態だ。周りから聴こえてくるのは「見えない」「あ、見えた!」という声が大半を占め、写真を撮ろうとケータイがいくつも掲げられている。これは一体、何が起きているのだろう。すぐ近くでは関係者らしき人がおり、「リハーサルの時は……」とずっと話し続けている。これは一体、何が起きているのだろう。誰が何を観に来ているのだろう。

 いろんな場所で「アート」が体験できるイベントとあり、オープニングパフォーマンスが終わると観客はあちこちに移動してゆく。人が少なくなってみると、見知った顔がいくつもあった。が、挨拶をして缶ビールをぼんやり飲んでいるうちに、気づけば皆いなくなっている。界隈を少し散策してみると、アートナイトのパンフレットを手にした人たちで溢れている。「青山ブックセンター」(六本木店)で数冊購入し、中華料理店「エイト」に入る。ここも六本木アートナイトのお客さんで大賑わいだが、ひとりだとすんなり入れた。200円の小皿を3つ注文し、紹興酒を飲みながら宮本常一『忘れられた日本人』を読んだ。年末年始に録画したままになっていたドキュメンタリーをつい最近観て、それが「土佐源氏」を50年上演し続ける俳優の話だったこともあり。『月刊ドライブイン』最終号の原稿の参考になるかと思ったが、さすがにそれとこれとは話が別だ。

 1時間ほど過ごしたところで、「TOWER」の前に戻る。赤ワインを飲みながらパフォーマンスを眺めたり、パフォーマンスとパフォーマンスのあいだに何かを吐き出し続けるTOWERの姿を眺めて過ごす。深夜1時、青柳いづみが出演する「おばけのレクチャー」「二種類のトリートメント」観る。これを観るためにこの時間まで粘っていたのだ。「TOWER」という作品は去年の秋にロームシアターで上演されているが、そこから演劇的なパートを抜き出し、この深夜帯に上演されることになったようだ。ロームシアターでの上演は面白く観たのだが、こうして演劇だけを抜き出して屋外で上演されると、演劇の重さが際立つ。他のパフォーマンスと異なり、言語を介するということの重さが際立ち、言語を介するが故に遠くまで想像力を働かせる――というところにまで到達できていないように感じる。「おばけのレクチャー」は、有孔体の理論についてレクチャーした言葉を、青柳いづみという女優がおぼえ、パフォーマンスをするのだが、そこで語られる言葉はモニターに表示され続ける。観客の大半はモニターを眺め、その台詞がするする出てくることに感心し、「まるで憑依してるみたい」といった感想を抱いているようだが(そういったツイートをあとでいくつも見た)、それだけではただのびっくり人間コンテストだ。

 やはり、このパフォーマンスは「この時間からパフォーマンスを上演します」と宣言するのではなく、深夜の時間帯、ふらりと舞台上にあらわれた誰かが語り出すぐらいのほうがよかったのではないかと思う。それと同時に、劇場という空間が持つ強さもあらためて感じる。しかし、それにしても、どうしてこんな時間まで夜更かししてしまったのだろう。とぼとぼと夜道をひたすらに歩き、アパートにたどりついてみると、郵便受けにはもう朝刊が挟まっていた。