8時頃起きる。曇りの予報だったが晴天だ。もっと早起きして、初日の出を眺めればよかった。9時過ぎ、「オードリーのオールナイトニッポン」を聴きつつジョギングに出る。いくつか建物が姿を消している。昔からあったラーメン屋が消えていたのが悔やまれる。何度か親に連れられて出かけた記憶がある店だ。田舎には「町中華」はなく、中華と言えるものはラーメンと餃子ぐらいで、あとは定食屋のような店。ああいった店がどういった由来で店が出来たのか、いつか聞きたいと思っていたけれど、「いつか」なんて言っていてもその日は訪れないのだなあ。7キロほど走る。

 

 シャワーを浴びて、スープはるさめを食し、少しだけ構成の仕事をする。12時過ぎ、おせちを囲んでお昼ごはん。昔はセブンイレブンのおせちだったが、近所にあったセブンイレブン――昔ながらの酒屋だった店で、経営する家族は顔なじみ――が閉店したのを機に、地元のスーパーマーケットのおせちが定番になっていたのだが、今年は見た目がきれいだという理由で隣町の大きなスーパーマーケットのおせちに変わった。来年、東京で正月を過ごすとしたらどうしよう。おせちはなくても、ぶりの照り焼きと、サトイモとシイタケとごぼう煮しめがあれば事足りるかもしれない。

 

 14時に記念写真を撮るというので、居間に降りて待機。兄が庭先までパターの練習に出たまま14時を過ぎ、父が不機嫌になり始め、面倒なので兄を呼びに行く。「三脚をセットしてくれ」と言われ、三脚の使い方なんてわからないふりをしていたけれど、このままだと永遠にこの時間が続くのではと思い、急に三脚の構造を把握している人になる。祖母、両親、兄と写真撮影。母が僕と祖母を握手させる。そこを父が撮ろうとするので、写しづらい場所に立って握手をする。祖母は「この人があなたの息子ね」と母に言う。そんな言葉を交わしているところを撮られたくない。そもそもこれまで祖母のことも、こういう日常の瞬間もほとんど撮影してこなかったのにと心が狭くなる。

 

 16時半、兄は東京へ帰っていく。結局「写真撮るみたいよ」と庭先に呼びかけたときしか言葉を交わさなかった。両親が兄を送りに出ているあいだ、炊飯器の中にある牡蠣めしをおにぎりにして頬張る。何度か迷ったのち、17時に近くのショッピングセンターへ。今日はさほど混雑していない。田舎のショッピングセンターなので通路が広く、東京であれこれ買い物しようとするとストレスが溜まるので、この機会に買っておくものがないかと物色する。一番買いたかったプリンターのインクと垢擦り用のタオルは見当たらなかった。いつだかどこかに忘れてきた水筒や、朝にまとめてコーヒーを淹れておくためのポットが目に留まるが、これを東京まで持って帰るのは手間だ。数日前に唇から血が出たことを思い出し、リップクリーム、ポケットテッシュ、あとはビールと柿の種(わさび味)を購入し、アサヒスーパードライを飲みながら実家に引き返す。すっかり日が暮れている。

 

 18時15分、晩ごはん。おせち。父はいつものように獲物を狙うように重箱を見つめ、つまみ、かきこむ。それを嫌だなと思うと同時に、昭和20年という年に大家族の末っ子に生まれた父の幼い頃を思う。そして、僕自身はこのように眼差されることがないのだなとも思う。〆の年越しそばを自分で準備して食したのち、おせちをワンプレートぶん用意して、今日はさっさと二階に上がる。

 

 パソコンの中の大掃除をしたのち、21時から「ドリーム東西ネタ合戦」観る。キングオブコントのときは完全にチョコレートプラネットびいきで観ていたので、優勝したハナコのことは「ちっ」という気持ちで眺めていたけれど、それ以降に登場するネタ番組で、僕が観る限りではすべての番組で異なるネタを披露していて驚かされる。しかも、「このコンビはこういうテイスト/構造のコント」というのが限られてくることが多いと思うけれど、ハナコのネタはどれも違う質感だ。印象に残ったのは、バカリズム野性爆弾、憔悴した感じを装うとろサーモン久保田、本当に達者なかまいたち。漫才やコントを眺めながら、白牡丹のカップ酒を飲み、トークイベントの告知文を思案する。