8時に起きる。つけっぱなしだったテレビでは、箱根駅伝のスタートに向けて準備が進められている。のんびりストレッチをして、年末の『岡村隆史オールナイトニッポン』を聴きながらジョギングに出る。出川さんがゲスト。あちこちに「謹賀新年」と書かれた貼り紙がある。それぞれの町内会の名前が書かれてあるから、配布されているのだろう。イノシシが描かれた絵馬、が描かれた貼り紙だ。こういう風景を眺めるのは初めてで、不思議な感じがする。

 

 不忍池をぐるりと走り、セブンイレブンでサンドウィッチを買って帰宅。コーヒー豆が切れているが、引き出しをがさごそすると、いつだかもらった小分けのドリップコーヒーを見つける。洗濯をして、録画した『クイズ正解は一年後』観る。途中で「安室奈美恵が最後に歌う曲は?」というクイズに、有吉チームが「NEVER END」と回答を出すと、それまで不機嫌(な振り)をしていた田村淳が「ありそうだね」とつぶやいたのが印象に残る。もう一つ印象に残ったのは「QRクイズ」。渋谷のセンター街の沖縄料理店「やんばる」の、落書きや貼り紙だらけの壁に「無料で10万円を簡単にGETできる裏技教えます」という怪しいQRコードを貼り、そのQRコードを読み込むと番組のサイトに接続され、「個人情報を入力してくれれば10万円差し上げます」と表示される、そこに応募してくる人がいるかどうか、というクイズだ。先日の『水曜日のダウンタウンSP』のモンスターハウス企画で、クロちゃんを見物してやろうという参加者をあぶり出そうとしたときといい、最近の藤井プロデューサーの企画はたまに社会実験のような質感がある。

 

 再生が停止されると、箱根駅伝の様子が映し出される。選手の後ろから監督が声をかけているが、宗教に近いものを感じる。これは別に批判しているわけではなく、身体というものはある程度は脳によって動いているのだとすれば、脳が「イケる」と判断するかどうか、そしてどのぐらい強くそれを思っていられるかが、歴然とパフォーマンスの違いに現れてくるのだろう。お昼はパスタを茹でて、昨年末のうちに買ってあったパスタソース(青の洞窟・蟹のトマトソース)をかけて食す。少し箱根駅伝を観たのち、『笑神様は突然に…』を眺めながらメールを返すなど。千鳥だけを目当てに録画したのだが、他の旅も案外面白く観る。

 

 17時、カップヌードルを食べてアパートを出る。上野駅中央改札で友人のA.Iさんと待ち合わせ。今日がUターンのピークなのか、スーツケースを転がし歩く人で溢れている。僕からすれば毎年のように眺めている(というかそのなかの一人になっている)風景だけれども、東京出身のAさんは珍しそうにしている。どこで飲むか決めていなかったので、なんとなくぶらつく。思いのほか営業している店が多いが、どこも人で一杯だ。「カドクラ」の前には10人近く列を作っている。F先生に教わり、その後何度か行ったことのある「T松」をのぞくも満席だと断られ、それならばと同じく「T松」の本店に移動する。外からのぞくと結構席が空いている。扉を開けて、「すみません、2名入れますか」と尋ねると、口を開くのも面倒だといった様子で顔を横に振られる。扉を閉めて、ああ、もう二度と来ないわと思わず言葉に出すと、「橋本さん、そういうとこあるよね」とAさんに言われる。××さんも、××さんもわりとよくそういうことを言うけど、私は「ああ、そっか〜」としか思わないから不思議だ、と。

 

 その後も何軒かに断られたが、屋台酒場というところに落ち着き、ハイボールと酎ハイで乾杯する。とりあえずポテトサラダと青菜のおひたしを注文。私はキャベツとレタスの区別がつかない人間として扱われる、とAさんが言う。数年前にツアー先でキャベツとレタスを間違えて言ったことがあり、それからずっとそういう扱いを受ける、と。一体なぜその話をしたのだろうと思いながら酎ハイを飲んでいると、店員さんが調理している野菜を指して、「あの野菜、何だっけ、何日か前からずっと『あれが食べたい』と思ってたけど、名前がわかんなかったんだけど、何だっけ?」とAさんが言う。「何だっけ、青唐辛子じゃなくて?」「青唐辛子は辛いやつだよね。辛いやつは食べられないけど、ほら、焼き鳥屋とかでもあるやつ」「焼き鳥屋……ああ、ししとう?」「そう、ししとう!」。そんな会話をしていたけれど、店員さんはその野菜を刻んでモツ煮に入れて、「はい、一辛です」と言って出していたから、やっぱりあれは青唐辛子だったと思う。

 

 ほどなくしてポテトサラダは運ばれてくる。上にのっかった葉っぱを見て、「これは何だっけ?」とAさんが言う。「これはさすがにわかりますよ、かいわれです」と、それくらいの知識で誇らしげになってしまう。でも、かいわれ大根はすぐにわかりませんか、ほら、昔、O-157が問題になったとき、かいわれ大根の安全性をアピールするためにむしゃむしゃ食べてた人がいたでしょう――そう説明してもピンときていない様子だったので、もしやと思って、あれは何年の出来事だったのか調べてみると、1996年だ。僕は当時14歳、Aさんは10歳。こういう記憶に年齢差が出るものだなと思う。ひとしきり飲んだところで、不忍池のほとりを歩いて根津に向かう。動物園の中から何かの鳥が鳴く声が聴こえてくる。今日はまだ早仕舞いだという「バー長谷川」で2杯だけ飲んだあと、もう少し飲める店はないかと彷徨い歩くが、千駄木駅まで歩いてもどこも開いていなかった(旧正月を基準にしていそうな中華料理店は営業しているかと思ったが、さすがに営業してなかった)。白山まで歩いてようやく営業している居酒屋を見つけた。来年から正月をどうやって過ごすか悩ましいと話していると、「うちのばばちゃんとじいちゃんと、××さんも、××さんも、それに橋本さんも一緒に花札をするのが夢です」とAさんが言う。それは楽しそうだなあと一年後を夢見ながら、黒霧島のお湯割を飲んだ。