8時過ぎに起きて、ジョギングに出る。あちこちでシャッターが上がっている。「はん亭」は戸を開け放って掃除しているところだ。町が動き出している感じがする。不忍池をぐるりと走り、湯につかる。昼はセブンイレブンで味噌ラーメンを買ってきて食す。そのついでに、分納にしてもらっている税金などの支払いも済ませたので暗い気持ち。録画した『ブラタモリ×鶴瓶の家族に乾杯 新春スペシャル』眺める。太宰府が舞台だ。太宰府天満宮の由来を聞いていると、人間はすごいなあと感じる。菅原道真が亡くなったあとで都が天災に見舞われ、「道真の祟りだ」と天満宮をこしらえる。そこを先年以上にわたって拝み続けてきたというのはすごいことだ。

 

 調子が上がらないけれど、少しでも仕事を進めておかなければとテープ起こしを進める。夕方、一階にいる大家さんに挨拶をして、もみじ饅頭を渡す。つつがなく任務を終えたぞとホッとしているとチャイムが鳴り、「帰ってくるはずだった兄弟が帰ってこなかったから」とお餅を20個近く渡してくれる。今年は早めに帰京して、お正月らしさをあまり味わえていなかったので嬉しい。さっそく3個焼いて食す。

 

 18時過ぎにアパートを出る。「やなか珈琲」に電話をかけて焙煎しておいてもらった豆を購入し、日暮里駅へ。新宿に飲みに出ようかと思っていたけれど、駅の改札をくぐろうとしたところでムトーさんからLINEがあり、セトさんと一緒に「A」まで新年の挨拶に行こうと思っているとお誘いいただく。駅界隈でしばらくぼんやり過ごしたのち、合流して「A」に入り、お二人に新年のご挨拶。椅子を用意してくれて、5人でささやかな新年会。セトさんが「どうしても先輩に食べてもらいたい」と持ってきていたコンビーフをつまみに、黒ラベルを飲んだ。

 「わざわざきてくれたってことは、はっちから何か聞いた?」と先輩が言う。「うん、ちょっとだけね」とムトーさん。どうしても浮き沈みがあるけど、今日は気分が良いからよかった。我ながら気が小さくて嫌だねえ。そういって、閉店を決めるまでの経緯と、これから閉店の日までどうするつもりか話してくれる。最近はね、インディードを見ながら、リゾートバイトの求人を見るのが楽しみだと先輩は語る。自身も古書店主であるセトさんは、どうにかして続けて欲しいという気持ちが強いのだろう、最近の若い古書店主たちはアマゾンに片っ端から登録しまくって、その売り上げで稼いでいる、そうすればまだ続けられるんじゃないかとセトさんは語るが、「でも、そうやってネットに登録し続けて、梱包と発送をするだけの店を自分がやりたいかと言われると、やりたくないけど」と自分でも語っているように、説得することの難しさは誰よりセトさん自身が感じているのだろう。先輩は黙って微笑んでビールを飲んでいた。「そうすれば、Kさんだって梱包は得意だから、帰ってきてくれるんじゃないか」とセトさんが言うと、それはない、とKさんが言う。その強い目に、誰かが自分の人生を注いできたことについて何か決断を下すということの重さを思う。僕は近所に引っ越してきて、引っ越しの手伝いをしてもらって、この町で最初の飲み会をしたときの面子もこの5人だった。『不忍界隈』というリトルプレスを扱ってもらっていたけれど、この雑誌は「売上に協力する」というほど売れることがなく、何も手伝えなかったと思ってしまう。せめて『不忍界隈』で話を聞かせてもらえないかと勇気を出して言ってみたけれど、いやいや、それはいいですよと先輩は笑う。

 気づけば3時間以上経っていた。二人にお別れを言って、ムトーさん、セトさんと三人で西日暮里駅を目指す。セトさんは「でもさ、さっきは先輩も断ったけど、はっちが毎日通ってお願いすればきっと受けてくれるよ」と言ってくれたけれど、もう閉店が決まっているのに、それを取材させてくれと毎日話に行くのは、先輩の何かを日々えぐることになってしまう。駅前の「餃子の王将」に入り、二人はラーメンを、僕は麻婆豆腐を食べながら、最後の一杯を飲んだ。気づけば3時間以上経っていた。二人にお別れを言って、ムトーさん、セトさんと三人で西日暮里駅を目指す。駅前の「餃子の王将」に入り、二人はラーメンを、僕は麻婆豆腐を食べながら、最後の一杯を飲んだ。