1月27日

 7時過ぎに起きる。シャワーを浴びて、荷物を少し整理しておく。8時、「金壺食堂」へ。今日は末雄さんがいる。ちまきを作っているところを撮影させていただき、バイキングをいただく。原稿をまとめたら事前にお送りしますと伝え、チラシを手渡すと、「頑張ってね」とちまきをサービスしてくれた。シャワーを浴びたのち、百合を入れたバケツを抱えてゆいレールに乗り、おもろまち駅に出る。前から駅名は目にしていたけれど、降りるのは初めてだ。駅から直通でショッピングモールがある。

 さて、レンタカー会社はどこだろう。ここで待ち合わせをしているA.Iさんに連絡を取ると、ショッピングモールに入ってすぐのところに受付があるのだと教えてくれる。自動ドアを抜けると、様々なレンタカー会社のカウンターがずらりと並んでいて驚く。そしてお客さんはほぼ中国人観光客だ。カウンターの前でAさんと落ち合って手続きをして、レンタカーが用意されている場所へと歩く。そこにはブランドの店が軒を連ねている。こうやって動線を作ることで買い物をさせるということなのだろう。こんな場所があるとは知らなかった。でも、沖縄のお金持ちの人たちはここで買うのではなく、東京や、あるいはヨーロッパに行って買うのだろうなあ。そんなことをつぶやくと、「ここで買っても、すぐに受け取れないんですよ」とAさんが言う。昨年の公演で沖縄を訪れた際、どうしてもGUCCIのサングラスが欲しくなって買いに来たけれど、「受け渡しは空港になります」と言われたという。

 レンタカーを借りて、出発。昨日の撮影の感想を話す。写真家のK.Kさんが撮影する姿を目にして、やっぱり写真家はすごいと思ったことを伝える。市場界隈の風景も、久高島の風景も、どこで撮影しても絵になりそうに思える。その風景の中をふらりと歩きながら、その風景の中に何かを見出して立ち止まり、ここ、といってAさんを立たせて写真を撮る。それはとてもすごいことだ。「でも、橋本さんだって、そういう風景の中で写真を撮ってるじゃん」とAさんは言うけれど、写真家の仕事を目の当たりにすることで、自分の仕事の輪郭がはっきりしたように思う。写真家は作家で、まだそこに被写体が立っていない風景に何かを幻視し、そこに手を加えて被写体を立たせ、写真を撮る。僕が撮影する写真も、書き記す文章もそれとは異なり、目の前にすでにある風景を記録することだ。どちらが優れているということではなく、それは大きな違いだと思う。

 ホテルの前でデザイナーのF.Yさんをピックアップし、北を目指す。後部座席に座るふたりの話を聞きつつ、高速道路を走る。自分は体育会系だから、下の子たちに厳しく接していたけど、それが響いている感じがしないから、最近は接し方を変えたのだとFさんが語る。そう語るFさんもまだ20代で、すごいなあと尊敬する。僕は後進を育てることなんて、まだ一つも考えられないでいる。 Aさんも若い人に厳しく接してしまうという話から、兄妹がいるのかという話題に切り替わる。「橋本さんはお姉さんがいそう」とFさん。そう思った理由を尋ねると、「やわらかい感じがするから」と。それに続けて、「でも、昨日飲んでるときに、やわらかい感じだけじゃないなと思った」と言われて驚く。初めて飲み会で一緒になった人からは、「すごい、穏やかな人ですね」と言われることが多い。穏やかなんてことはまったくないのだが、大抵端っこで静かに淡々と飲んでいるので、そう思われるのだろう。でも、Fさんに「やわらかい感じだけじゃない」と見抜かれたことにびっくりする。

 11時過ぎ、「シーサイドドライブイン」にたどり着く。窓辺の席に座り、ハンバーガーとスープをそれぞれ注文。食べながら、Fさんが今考えている企画について話してくれる。これはきっと、Aさんに伝えるために話しているのだろう――というくらいの気持ちで聞いていると、その企画でお客さんにアンケートのような形で質問に答えてもらうようにしたくて、橋本さんは質問するプロだと思うんですけど、どんな質問がいいと思いますかと尋ねられ、慌てる。その企画について説明する中で、Fさんが口にした「記憶の対価」という言葉のインパクトに、「自分は誰かの記憶を聞かせてもらって、それを言葉にする仕事をしているけれど、その対価として何を手渡しているのだろう?」とぐるぐる考えてしまっていたこともあり、あまり話を聞けていなかった。申し訳ないけれど、もう一度説明してもらって、あれこれ話す。Fさんのお仕事をそんなに知れているわけでもなく、Fさんとは言葉を交わすことができないのではと思っていたけれど(Fさんのことを敬遠していたということではもちろんなくて、誰かと言葉を交わすということはなかなか起こりえないことだと思っているということ)、言葉を交わせて嬉しくなる。

 食事を終えて、さらに北を目指す。そのあいだも、どんな質問がいいのか、あれこれ話す。キャンプ・シュワブのゲート前を通り過ぎて、瀬嵩という集落へ。4年前の春、ここの近くにある高台を紹介してもらって、そこから皆で海を眺めたことがある。その高台がどこにあったのか忘れてしまったので、介護施設にお邪魔して場所を尋ねる。そうして僕が聞き込みをしているあいだ、Fさんが「どうして橋本さんはあんなに優しいんだろう?」と言っていたと、あとでAさんに聞いた。それに対してAさんは「誰にでも優しいわけじゃなくて、優しい人には優しいってことだと思う」と答えたという。それはその通りだ。介護施設で教えてもらった場所に向かって、山道を歩く。真っ赤な花が咲いていた。しばらく歩くと風景が開け、海が一望できた。4年前より、たくさん船が浮かんでいた。

 5分ほど眺めたのち、テント村のある浜辺に移動する。4年前にも皆で訪れて、スカスカシパンを探した浜辺だ。クルマを停めて歩いていくと、そこではもう工事が始まっていて、あの浜辺にはもうたどり着けなくなっていた。4年。少し手前にある浜辺を歩いていると、Fさんがやどかりを見つけた。「ちゃんとヤドカリを見るの、初めてかも」とFさんが言う。スカスカシパンを探して歩きながら、「こうやってヤドカリを見ただけでも、自然を壊したら駄目だなと思う」とFさんが言った。そしてもう一つ、浜辺にたどり着いた漂着物を見て、私がやっている仕事はこれに近いのかもしれない、と。Fさんは、ずっと昔に作られた布や衣服に手を加えて作品にする、という仕事をされている。そう考えると、僕の仕事というのも、今ここにある誰かの生活を、100年後の誰かに届かせるために言葉に書き記すということだなと思う。今回の撮影に同行したことで、たくさん気づいたことがある。

 高速道路で引き返し、宜野湾市の陶器屋さんに立ち寄る。運転中に誰かから着信があったのだけれど、一体誰だろうと思って確認すると坪内さんだ。すぐに電話をかけ直す。「本、面白かったよ」と言ってくれる。最近は若い人で昭和のことを書き残そうとする人が結構出てきてるね、と。そして、「はっちゃん、『日本ボロ宿紀行』ってドラマは観てる?」と尋ねられる。「フルーツ宅配便」のあとにやっているドラマで、はっちゃんが観たらきっと、結構シビれると思うよ、と。陶器屋さんを観たあとで那覇市内まで引き返し、雑貨屋さんに二人を降ろしたのち、僕はレンタカーを返却する。一度ゲストハウスに戻り、明日の朝すぐにチェックアウトできるように、荷物をまとめておく。片付けが終わったところで連絡を取ると、ちょうどすぐ近くにある「喫茶スワン」でお茶しているところだというので、合流する。以前から気になっていた喫茶店だが、一度も入ったことがなかった。「市場界隈」では、もうすでに2軒のコーヒー屋さんに取材している。記事にする予定がないけれど、ぽつぽつ話を聞かせてもらったコーヒー屋さんは他に3軒ある。これ以上興味を持っても記録することができないと思って、入らずにいたのだ。でも、こうして入ってみると、やはり興味がむくむくと湧き上がってくる。

 国際通りに出て、陶器を探して歩く。陶器を探していたのはFさんだったが、眺めているうちに、僕もお湯割用のグラスが欲しくなってくる。お店の人に無理を言って、絶対に買うので、写真に撮って相談していいですかと許可をいただき、知人と相談しながら買い求める。別の店にも行ってみるという二人と一旦別れて、僕は土産物屋さんへ。古くからやっていそうなお店を二つ見つける。そこに入って買い物をするついでに、いつからやっているんですかと尋ねると、どちらも「50年以上になりますよ」との答え。「市場界隈」という連載をしていることを伝え、後日手紙をお送りするので、お話を聞かせてもらえませんかとお願いする。「もうこれ以上取材できる店はないのでは」と思っていたけれど、この数日の撮影を経たことでまた感覚が変わり、いくつか気になる店が出てきた。19時半、浮島通りでルーシーさんと合流して、ルーシーさんの運転する車で那覇空港に向かうFさんをお見送り。

 桜坂にある「カラカラ」という店――2014年春に桜坂劇場で作品が上演されたとき、ここで皆で飲んだ記憶がある――に入り、ビールと白ワインで乾杯。あれこれ話す。珍しくAさんも酔っ払うまで飲んでいて、なんだか嬉しくなる。途中でルーシーさんも合流して、23時頃まで飲んだ。思っていることを存分に話せて、楽しい気持ちでゲストハウスにたどり着く。