7月30日

 8時過ぎ、チャイムの音で目を覚ます。通販で注文していたボタンダウンのアロハシャツだ。ボタニカルなシャツが欲しいと思ってネットで探していると、サトウキビ柄という不思議なシャツが目に留まり、しばらく迷って購入ボタンを押したのだ。ポリエステルが入っているので着心地はもう一つだが、もうすぐ『市場界隈』の取材を受ける予定もあり、そのときに着ることにしよう。茹で玉子を3個食べて、まずは返信が滞ってしまっていたメールに返信。何通か送ると、昨日に続き、『B』誌の構成を進める。

 洗濯物を干したのち、シャワーを浴び、今度は布団のシーツを洗濯する。昼、パスタを茹でて、市販のミートソースを和えて食す。今日は知人も自宅で作業をしているので、ダイニングテーブルは譲り、午後は別のテーブルで作業を続ける。早く終わればお酒が飲めると思っていたのだが、思ったほどは捗らず。知人が自宅で作業をしていたのは、夜通し稽古があるからで、17時過ぎになってようやく仕事に出かけていく。知人がいないとなると、ビールを飲む相手もおらず、いよいよどこかに飲みに出かけたくなってくる。

 18時、気分転換も兼ねて「越後屋本店」に出て、アサヒスーパードライをいただく。賑やかな外国人観光客がたくさんいたので、あまりぼんやりした気持ちにならず、1杯だけでおいとまする。スーパーマーケットで食材を買って帰途につき、チューハイを飲みながら構成を続ける。21時近くになって、ようやく8割5分は完成する。あとは明日で大丈夫だろう。エリンギとししとう花椒炒め(谷中ぎんざの総菜屋にあるエリンギと青唐の花椒炒めをアレンジしたもの)、こんにゃくをめんつゆで煮たやつを作り、それに買ってきた鰹のタタキをツマミにチューハイで飲み始める。

 まずは録画したドキュメント『我がら“色川人”〜地元と移住者の40年〜』観る。昨日観た真備町は近くに水島工業地帯があり、そのベッドタウンとして高度成長期に労働者が流入した町だが、紀伊半島にある色川という集落は、かつて林業と銅山で栄えたものの、高度成長期に都市部に若者が流出してしまう。ただ、農業を志す都市部の若者が登場し、1975年に最初の移住者を受け入れ、今では半分が移住者で構成されている。昨日のドキュメントと続けてみたせいかもしれないけれど、戦後の日本の風景は――自分が昔から続く風景だと思ってきた風景は――戦後に人が大きく移動しながら形成されてきた風景なのかもしれないなと思う。その、戦後の人の移動によって形成された「歴史ある」風景と、それが今、移り変わりつつある――そんなことを軸にいくつかの地域を歩いたルポルタージュはどうだろう。戦後の歩みを描いているように見せつつも、最後にぐるりと視点が回転して、外国人労働者や現在の日本の姿も含めて、日本の姿を描くドキュメントが描けたらなあと夢想する。

 録画してあったドラマ『サ道』を観る。しばらく前に読んだ漫画版はもう少し印象が違ったのだけれども、『孤独のグルメ』に近い感触に仕上がっている。居酒屋を紹介する番組や、玉袋筋太郎町中華の番組もそうだけど、自分では食べ歩く気力もお金もないけれど、こうして深夜にぼんやりテレビ越しに眺めながら、「そんな世界があるのだなあ」と遠目に思って過ごす企画は、今更指摘するまでもないけれど、どんどん増えている。自分がまだ見ぬ世界、少し上の世代のものだと思っていた何かに、画面を通じて触れるという。自分がそういうテーマで何かを取材するとしたら何になるんだろう。気づけばもう36歳で、冬になれば37歳になる。数日前に、初めて北海道で会って、財布をなくした僕に4万円を差し出してくれた向井さんは何歳だったのだろうと振り返ってみると、31歳だったと気づいて愕然としたことがある。これまで「若い世代に何かを」なんて考えたこともなかったし、まあたぶんこれからも考えることはないけれど、何かがあるとすれば一体何だろうということだけをぼんやり考える。

 日付が変わっても眠れず、『ロンドンハーツ』を観る。芸人をふたりきりで飲ませるという企画で、アンタッチャブル山崎弘也野性爆弾のふたりが飲んでいる。その場でふたりは同期で、まったくの同学年だということが判明する。このふたりだとボケっぱなしで会話にならないのかと思いきや、かつてないほど真面目に語っている。今日は白塗りじゃないのかと言うザキヤマに、最近はもう白塗りは断っている、あれで出たとしても単発で終わる、こっちも生きていかないと駄目なんでと語るくっきーの姿に驚く。驚くというのもおかしな話なのだけど、メディア越しに観る姿は、ふたりともふざけっぱなしという印象ばかりだ。実際に取材したときもそういった印象だっただけに、驚いてしまう。スタジオでVTRを観ていた淳が、真面目に語る姿を茶化すのではなく、真摯に聞き入っていたことからも、番組としてもこうしてしっかり芸人の言葉を電波にのせることを意図していたのだと伝わってくる。