8月14日

 8時に目が覚める。体調が回復する気配はなく、起きてすぐに薬を飲んだ。外は晴れている。明日から沖縄に出かけるので、今日のうちに洗濯しておこう。そう思って洗濯機をまわし、ベランダに干して、シャワーを浴びているうちに雨が降り、ベランダが水浸しになっている。洗濯物を取り込んで、小説を読んで思い浮かんだことをワードに書き出していく。そのうちにまた外が晴れてきて、再び洗濯機をまわす。すぐに乾くようにと工夫して干して、作業を続ける。昼、知人は昨日のキーマカレーを、僕は山菜そばを食べていると、ベランダから猛烈な音が聴こえてくる。すぐに取り込んだけれど、洗濯物はずぶ濡れだ。

 知人を見送り、ワードに打ち込んだデータを出力して、今日のトークでどんなことを話そうかと考える。外はまた晴れ間がのぞいている。三度洗濯機をまわし、コインランドリーまで乾かしにいく。最初からこうしておけばよかった。18時過ぎに話したいことリストを書き終えて、シャワーを浴びてカップヌードルナイスを食べて、そうしているうちに時間がなくなって千駄木駅まで走る。こんなことならシャワーを浴びなければよかったと後悔しながら、千代田線に飛び乗る。車内はガラガラだ。端っこに座って息を整えていると、汗が噴き出してくる。その車両は弱冷車だった。隣の車両に移り、そこは弱冷車ではないはずなのに室温はあまり変わらず、汗が出る。駅について扉が開くと、少しだけ涼しい風が吹き込んでくる。空いていたはずの電車もいつのまにか満席になっている。30分ほど揺られて、下北沢にたどり着いたのは19時20分だ。下北沢「B&B」に向かい、楽屋に案内してもらって、緊張しながら柴崎さんを待つ。19時半を少し過ぎた頃に柴崎さんがいらっしゃって、はじめましてとご挨拶。あれこれ聞いてみたいことはあるけれど、どれも本題になってしまう。うまく話すことができるだろうかとそわそわしながら、本番を待つ。

 20時ちょうどにトークイベントが始まる。『市場界隈 那覇市第一牧志公設市場界隈の人々』の刊行記念トークイベントとして、柴崎友香さんをゲストにお迎えして、「まだ見ぬ『わたし』、見知らぬ街を書き記す」と題してお話しする。お盆のど真ん中だということもあり、なかなか予約が伸び悩んでいたのだけれども、蓋を開けてみれば40人以上のお客さんがきてくださった。集客が厳しかったとしても、今日という日に開催したいと思っていた。このトークイベントを開催するきっかけになったのは、『市場界隈』の取材に向けて最後に沖縄を訪れたとき、「市場の古本屋ウララ」の宇田さんから「柴崎友香さんの『わたしがいなかった街で』を読んでみてほしい」と言われたことにある。それは別に、ちょうどお店に在庫があるから「買いませんか」と薦められたわけではなくて、うちに在庫はないけど、橋本さんが読んだらどんなふうに感じるのか、機会があれば読んでみてくださいと伝えられたのだった。

 それですぐに『わたしがいなかった街で』を買って、チビチビ読み始めた。僕は本を読むのが遅いというところもあるけれど、この小説は何かこう、「ストーリーを追っている」という感触ではなく、いろんな人の頭の中に渦巻いているものに直接触れているような感触があって、一気に読み進めるという感じにはならず、チビチビ読んだ。ひとりで酒場に出かけるとき、財布と文庫本だけ持ってアパートを出て、少しずつ読んだ。昨日新たに読んだ5ページをまずは読み返して、その上で次の5ページを読み進める、といったペースだ。何行か読んでは本を置き、しばらく考え事をしながらお酒を飲んで、次の数行を読むという感じだったので、本当にじっくり読んだ。読み終えたのは本を買った2ヶ月後だ。この本を買ったのは沖縄で、それから東京に戻り、広島と大阪に出かけ、再び沖縄に出かけたところで読み終えた。偶然にもこの小説に出てくる地域をぐるりと訪れたこともあり、とても印象深い読書だった。

 小説の中に、空襲の話が出てくる。主人公の砂羽は戦争のドキュメンタリーをずっと観ている。戦時中に書かれた作家の日記を読んだり、自分がかつて暮らしていた街では、空襲で焼かれた地区と焼かれなかった地区とで風景が違っていたことに思いを巡らせたり、東京では路地が入り組んだ地区でも空襲があったのだと知ったりと、いろんな形で戦争が顔を覗かせる。物語と大きく関わりを持ってくるのは、大阪の京橋で起きた空襲である。京橋で空襲があったのは戦争が終わる前の日、1945年8月14日だ。僕はこの小説を読むまで、その日に京橋で空襲があったことを知らなかった。それで、柴崎さんがトークイベントに出演してくださることが決まったあと、日付の候補が挙がってきたときに8月14日という日付があり、『わたしがいなかった街で』をきっかけとして柴崎さんとトークするのであればこの日にしようと思ったのだった。

 トークイベントはあっという間に終わってしまった。聴く側からすると、90分というのは集中力が途切れずに済むギリギリの時間なのだと思うけれど、話しているとあっという間だ。話してみたいなと思っていたことの半分もしゃべれなかったけれど、印象深い話をいくつも伺うことができて嬉しかった。聞いてみようかと思ったけど聞かなかったことの一つは、新しい元号が発表された日、柴崎さんはどんなふうに過ごしていたのか、ということ。その日、僕は妙に浮かれた気持ちになって浅草の食堂に出かけ、昼からビールを飲んでいるおじさまたちに混じってテレビを眺めていた。それは新元号に興味があるというよりも、幼い日の記憶と結びついている。

 僕の中に最初の記憶として残っている、世の中で起きた出来事というのは、平成という元号が発表された日のことだ。その日に至るまで、テレビが特別番組ばかりになっていたことは記憶にないけれど、「平成」と紙が掲げられた映像を目にしたことはおぼえている。その音の響きが面白くて、仕事帰りの母に何度も「へーせーだって!」と言った記憶がある。あれは小学校に上がる少し前のことだ。『わたしがいなかった街で』の中にも、その時期のテレビのことが語られる。主人公の砂羽は、当時中学生で、「実際の身の回りの生活はどこも変わってないのに、テレビの向こうの世界は裏返しになったみたいに別のものになった」と感じて、それ以降、「わたしは周りの世界がハリボテみたいに見えるようになった」と振り返る。

 『わたしがいなかった街で』には、世界と隔てられているというか、世界に触れられない、という感じが漂っている。同僚と何気なく会話する場面でも、砂羽は「わたしは、なんていうか、何か言って相手を変えようって気力がないというか」と語っている。あるいは、戦争のドキュメンタリーを見続けていて、なぜそれを観ているのかを友人の父に説明していたとき、「誰かに話を聞きたいとは思わないの?」と言い返される場面もある。その、世界に触れられなさというか、ほんとうに言葉を交わすことなんてできるのだろうかという気持ちは僕の中にも常にあって、『市場界隈』の取材を始めてからも話しかけられずに一日を終えることは何度となくあったし、普段の生活でもそういう感覚は強くある。

 そんなことをぐるぐる考えながら、『わたしがいなかった街で』の文庫をポケットに入れてひとりで酒場に出かけ、2ヶ月かけてチビチビ読んだ。そこには沢の古い友人である夏が登場する。彼女は中井という男と会っているときに、「そうか、気になったら聞けばいいのか」と思い、小説の終盤、ある女性に「迷いなく」声をかける。そのあと描かれる場面と、そこで夏の中に浮かんだ言葉というのは本当に印象深いものだった。自分に縁もゆかりもない土地に出かけて行って誰かの話を聞き、それを言葉に書き記そうとするなんて余計なことだと思っているけれど、それでもそれを続けていかなければという気持ちになった。そんなことを話し始めると、一方的に感想を語るだけになってしまいそうで昨日は話さなかったけど、いろんなことを話せて嬉しい夜だった。

 トークを終えて、本を買ってくださった方にサインをして、控え室に戻る。荷物を片付けながら、もう少しだけ柴崎さんとお話しする。ミーハーで安直な質問になってしまうので、トーク中には聞かなかったけれど、『わたしがいなかった街で』の主人公である「平尾砂羽」という名前は、大正区の沖縄タウンがある「平尾」という地名と関係しているんですかと質問してみると、いや、なんで平尾にしたのかは忘れちゃいましたけど、それが理由ではないですねと柴崎さんが答えてくれる。そして、苗字のほうは忘れちゃいましたけど、「砂羽」のほうは――と教えてもらえたので、ミーハーな質問をしてみてよかったなと思う。荷物を増やしてしまうし、自分の書いたものを押し付けるのも躊躇われたけれど、『cocoon no koe cocoon no oto』と『まえのひを再訪する』の2冊を手渡して、「B&B」をあとにする。

 今日のトークを聞きにきてくれていたムトーさんからLINEが届いていて、隣にあるサイゼリヤで飲んでると書かれている。すぐに合流して、生ビールを注文し、乾杯。僕の隣に座るセトさんが、妙にそわそわしている。一体どうしたのだろうと思っていると、いや、社長が目の前にいると緊張しちゃって、とセトさんが言う。なぜか「社長」と呼ばれているUさんはそれを強く否定するでもなく、淡々と話が進んでいておかしかった。今日のトークで、「大学生の頃に、仲良くなった人たちがいて、夏その人たちの通っていた小学校を教えてもらって、夏休みにひとりで眺めに行った」という話をしていたのだが、その話が面白かったと言ってくれる。はっちはいつもそんなことをやっているけれど、それは一体何なんだろうね、癖なのか、いや巡礼ではないかと話している姿を眺めながら、追加で頼んだ赤ワインをデカンタからグラスに注ぎ、飲んだ。その4人が並んでいる姿というのは、不思議な組み合わせだった。こういう風景を写真に残しておきたいと思うけれど、カメラを持ち出した瞬間に風景が少し違ってしまうなと思って、カメラを持ち出さずに、ぼんやり眺めていた。