8月26日

 7時50分に起きて、ゴミを出す。布団に戻って携帯ゲームをやっているうちに時間がなくなり、茹で玉子を作ったものの、食べる時間もないまま10時過ぎにアパートを出た。10時半に茗荷谷駅前のサンマルクカフェでF.Yさんと待ち合わせ。Yさんの仕事を取材するシリーズの2回目だ。まずはコーヒーを飲みながら少しだけ話を聞かせてもらって、Yさんが仕事を依頼している染工場を見学させていただく。Yさんは手土産としてトマトジュースを渡していて、なぜトマトジュースなのだろうと思っていたけれど、工場の中はかなりの温度と湿度で、熱中症になりやすい状態なのだった。

 工場の成り立ちから話を聞かせていただいていると、「昔は裏手に川が流れていて、その川沿いには染め屋さんが何軒かあった」と聞き、そういえば前住んでいたアパートの近く、神田川沿いにも染め屋が並んでいたことを思い出す。そして、今住んでいるアパートの近くには藍染橋という地名があり、現在は暗渠になってしまっているけれどそこにはかつて川があり、そこで染め物をしていたはずだ。かつて川べりに存在していた営みのことを思い浮かべてみながら、工場を見学させていただく。

 見学を終えると、せっかくだからお昼でもということになり、Yさんと一緒に茗荷谷駅近くの中華料理店に入った。喫茶店かスナックを改造したようなお店だ。扉を開けると、店員さんに「すぐ片づけますから、少々お待ちください」と言われて待っているあいだ、Yさんは店内を見渡している。内観を観察しているのかと思いきや、「松岡修造が『飲食店に入ったときは“生のメニュー”を見ろ』と言っているのを聞いて、私も“生のメニュー”を見るようにしてるんです」とYさんが教えてくれる。“生のメニュー”とはつまり、先客が注文してすでにテーブルに運ばれてある料理たちだ。

 Yさんは日替わりランチを、僕はレタスチャーハンを注文する。僕はビールも頼んだ。Yさんはも一昨日のトークイベントに参加されていたので、その感想を話す。その日のトークでは、『夏物語』に登場する恩田という男のことも話題に挙がっていた。恩田は、精子バンクにみずからの精子をボランティアとして提供しており、それを人助けのためだと説明する。AIDを本気で考えていた夏子は恩田と会うことに決めるのだが、初対面の恩田は、自らの精子の活きのよさについて語り、「わたしのその、強おい強おい精子がですね、どこぞの子宮のなかでびたあっと着床するところとか想像すると、すっごく興奮しますよね」と述べたうえで、キットで採取した精子を提供するのではなく、実際に性行為を行う形で精子を提供することも可能だと夏子に語る。

 この恩田という登場人物に対して、男性の反応はふた通りに分かれるのだと未映子さんはトークで語っていた。「男を皆、恩田みたいな存在だと思ってくれるな」と自分と切り離して語る人と、「いや、俺たちは心の中に恩田を飼っているんだ、そういう支配欲があることを認めないことには始まらないんだ」と語る人と、その二種類がいるのだという。その話を受けて、Yさんに「橋本さんは恩田についてどう思います?」と尋ねられた。綺麗事を言っているように思われるかもしれないけれど、やはり僕は恩田のことをまったく理解できなかった。まず、そこでは「人助け」と「性欲」とが混同されている。それに、自分の性的な欲求を誰かに向けるということにも強い抵抗がある。男性には「自分の遺伝子をより多く残したい」という本能があるのだとしても、そうであれば本当に、採取キットで済む話だ。それなのに恩田のような言動を取る男性とそれ以外の男性とのあいだには、風俗店に行く男とそうでない男がいるように、深い壁があるように思える。

 取材のお礼にと、Yさんはお昼をご馳走してくれた。ビールまで飲んでしまったので、余計に申し訳ない気持ちになる。アパートに戻り、しばらく横になったあとで、15時過ぎ、千代田線で二重橋前駅に出る。KITTEの4階にあるカフェに急ぎ、打ち合わせ。テレビ番組の出演に関するものだ。『月刊ドライブイン』を出したときも、いち早く書評を掲載してくれたのは『テレビブロス』で、リトルプレスを書評で取り上げてくれたことは本当に嬉しかったけれど、それ以降は紙の媒体から取材や原稿の依頼などはなく、ラジオやテレビからのオファーが続いた。一冊の本として出版してからも、紙よりもラジオやテレビからの企画の相談のほうが体感としては多く、なんだか見放されているような気持ちにも少しなる。

 17時半に打ち合わせが終了。KITTEに入るのは久しぶりだったけれど、雑貨を売る店がたくさん入っていたので、何軒か冷やかす。欲しいものはいくつかあるけれど、背負っているリュックがぼろぼろなのが恥ずかしく、知人へのお土産としてイラストレーターの塩川いづみさんが描いたピション・フリーぜのキャラクター「MAMBO」のハンカチを買っただけで帰途につく。帰りにスーパーマーケットに寄って食材を買い、豆腐ハンバーグを作ってみる。思えばハンバーグを作るのは初めてだ。最初が豆腐ハンバーグでよかったのかわからないけれど、作ってみると案外簡単で、拍子抜けする。帰宅していた知人と乾杯し、豆腐ハンバーグとこんにゃくの麺つゆ煮をツマミに晩酌。ひとしきり飲んだあと、窓を開けてみると涼しく、今日はエアコンも扇風機もつけず、窓を開けて眠ることにする。もう虫の鳴き声が聴こえている。