9月18日

 7時に起きて、シャワーを浴び、実家を発つ。駅のホームで電車を待ちながら、20年前は毎日このホームで電車を待っていたのだなと不思議に思う。高校生の頃は、座って通学したいのと、早く登校して勉強しようと、始発に近い電車に乗っていた時期がある。今で言う朝活の走りだ。あの頃の自分が日々何を思っていたのか、まったく思い出すことはできないけれど、ただこのホームで同じ風景を眺めていたことは間違いないわけで、それがとても不思議なことに思える。

 9時に放送局の前で待ち合わせて、ロケに出る。12時にお店に到着して、取材できそうになるまで待機して、取材する。僕の本業はもちろん文章を書くことだけれども、媒体によってスタイルが違っているのだなと改めて思う。文章であれば、取材したい相手がとりとめのない言葉を話していたとしても、そのとりとめもなさを言葉にすることもできる。でも、映像、それもゴールデンと呼ばれる時間帯となると、もっと着地をはっきりさせなければならないのだろう。ぼんやり眺めている人にも何かの印象を抱かせるには、そうする必要があるのだろう。でも、書いていて思ったけれど、それは媒体の違いに限らず、活字の世界でもそういったことは起こりうる。たとえば政治家の不祥事が起きたときに、「こんなことが発覚したわけですけど、市民としてどう思いますか?」と、「許せません」という言葉を引き出すために質問を投げかけるということは、活字の世界にだってよく起きていることなのだろう。それはつまるところ、マスをターゲットにしているか、読み取ってくれる人をターゲットにしているかの違いなのだと思いつつ、その壁を崩す方法がどこかにあるはずだと僕は思っている。

 20時半に広島市内に引き返してきて、手配してくださっていたホテルにチェックイン。部屋に入ってみるとツインルームで恐縮する。すぐに着替えて部屋を出て、お酒を少しご馳走になったのち、23時、缶ビールを手に元安川沿いを歩く。ずっと楽しみにしていたカネコアヤノのアルバムがApple Musicで聴けるようになっている。これを聴く日をずっと楽しみにしていた。原爆ドームを眺めながら、聴く。先日のライブで聴いた演奏が素晴らしく、音源を聴いていても、その時間を思い返してしまう。