ナンバーガールを観た日

 朝8時に起きて、コーヒーを淹れる。やらなければならないことはあるのだが、うまく考えがまとまらなくて、洗濯機をまわす。洗濯物を干して、テレビを眺めているうちにお昼になっており、そばを茹でて食す。仕事に取りかかる気になれず、布団のシーツも洗濯して、部屋中に掃除機をかける。ずっとかけていたせいか、途中でバッテリーが切れてしまった。テレビには『ザ・ノンフィクション』が映し出されており、婚活クルーズのゆくえを見届ける。いつのまにか競馬中継に切り替わっており、関西では今年最後だというGIのファンファーレが鳴り響く。一番人気の馬が一着でゴールしたのを見届けたところで、もう15時45分だと気づき、急いで身支度をしてアパートを出る。

 喉が乾いている。駅の自動販売機でミネラルウォーターを買って飲む。飲んだ水がおしっこになるまで、どれぐらい時間がかかるのだろう。そんなことが気になり始めて、検索してみると3、4時間だとある。ああ、今飲んでしまうと、ちょうどライブ中に重なってしまう。もっと早くに飲んでおけばよかった。ライブ中におしっこに行きたくなったらどうしよう。そんなことばかり考えていると、地下鉄は二重橋前駅にたどり着く。どこで乗り換えるんだったか。出発のメロディが流れ始めると、ここで乗り換えるんだったように思えてきて、慌てて降りてしまったけれど、乗り換えは一つ先の日比谷駅だった。

 次の電車を待つよりも、歩いたほうが早いとGoogleマップが言うので、歩くことにする。なんだか気持ちがふわついている。長い地下通路を歩いていると、ふいに記憶がよみがえる。

 今年の2月、向井さんをゲストに迎えてトークイベントを開催した(その内容はウェブで読める)。会場は浅草にほど近い「Readin’ Writin’ BOOK STORE」。そこは本屋さんなので、楽屋として使える場所がないこともあり、開演までのあいだ、向井さんと近くの酒場に入ることになった。刺身の盛り合わせと、それにもう何品か、向井さんがツマミを選んで注文した。酒を飲みながら、何の話をしようかと緊張していた。トークの本題には触れないようにと考えをめぐらせていると、その日、MATSURI STUDIOのアカウントで「ZAZEN BOYSは現在レコーディング中」とツイートされていたことを思い出した。

 それはすこし不思議なツイートだった。新譜のリリースが発表されたのではなく、あくまで「ZAZEN BOYSは現在レコーディング中」である。それが気にかかっていたので、僕は向井さんに「今、レコーディングされてるんですね」と話を向けた。向井さんはお猪口を傾けながら、そうね、と言った。「明後日に、大きい情報が出るのよ。たとえば、たとえばね、今やってる大河ドラマに、俺が松鶴家千とせ師匠役で出るとかね。いや、出んよ? 出んけども、それぐらい大きい情報が出るわけ。それが出たときに、ZAZEN BOYSとしての活動がなかったことのように思われるのは嫌だから、書いておこうと思ったわけよ」と。

 その2日後に発表されたのが、ナンバーガールの再結成だった。そういえば大河ドラマは今日が最終回だったなと思っているうちに、有楽町線の改札にたどり着く。すぐにやってきた地下鉄に乗り込むと、ナンバーガールのTシャツを着た人を見つけた。なんだか緊張してしまう。そこから4駅で豊洲にたどり着く。一緒に電車を降りた人は皆同じ場所を目指しているように思えて、浮き足立ってしまう。いつもなら、知らない駅ではきちんと案内図を見てから地上に出るのに、何も確認せずに出てしまう。よくわからない場所に出てしまって、Googleマップを回転させる。早く行かなければと焦ってしまって、ライブ前におにぎりを食べておくつもりだったのに、コンビニに寄らずに会場に向かってしまう。

 空が赤く燃え始めている。こどもを自転車の後ろに乗せた母親とよくすれ違う。こどもは毛布に包まれて眠っている。そういえば僕の兄夫婦はこのあたりに住んでいて、少し前にこどもが生まれた。出産祝いを送ったものの、赤ん坊にどう接すればよいのかわからず、まだ遊びに行っていないことを思い出す。右手には高層マンションの群れがあり、隙間から東京タワーが見えた。道を曲がるとフットサル場があり、そこに併設されたカフェを見つけた。何か腹に入れておこうと立ち寄ると、店内は人でごった返している。ほとんどすべてのお客さんが今夜のライブを観にきた人たちで、ナンバーガールのTシャツを着ている人がかなりの割合を占めている。

 410円のホットドッグを買い求めて、自分でケチャップをかけ、かじりつきながら会場に向かう。開場は10分前に迫っており、豊洲PiTの前には人だかりが出来ている。ただ、整理番号が遅めの人はゆっくり会場を目指しているのか、思ったほどの混雑ではなかった。コインロッカーにコートを預け、係員に関係者受付の場所を訊ねると、入り口の隅のほうに案内される。関係者でこんな時間からやってくる人は他におらず、まだ扉が閉ざされた関係者受付の前で、気恥ずかしい気持ちになる。それに、会場を待っている、きちんと抽選に受かってチケットを手に入れた人たちに対する申し訳なさもある。

 ナンバーガールの再結成が決まってから、ライブがあるたび抽選に申し込んできた。でも、ことごとく抽選に外れ、チケットを手に入れることはできなかった。僕がライブを観るようになったのはZAZEN BOYSが結成されてからのことで、ナンバーガールを観たことは一度もなく、落選するたびに「そういう巡り合わせなのか」と思っていた。何人かに「向井さんにお願いしてみれば?」と言われたが、それは躊躇われた。ZAZEN BOYSのライブも、チケットを用意してもらって観たのは一度くらいだというのに、ナンバーガール時代を知らない僕が「チケットをお願いできませんか」とお願いするのは筋が通らないだろう。この豊洲PiTで開催されるツーデイズも、ことごとく落選し、諦めていた。Googleカレンダーには「ナンバーガール豊洲PiT」という予定を入れてあったけれど、すべての抽選に外れたあとでも消せずにいた。消す、という作業をすることで、「行けなかった」ということを再確認させられるようで、ずっとその予定は残ったままになっていた。

 「向井秀徳」という名前が携帯電話に表示されたのは、金曜日の朝だ。

 その表示を見た瞬間に、一瞬固まり、カレンダーに残ったままになっていた予定のことが思い出された。すぐに電話に出ると、「今度の土曜と日曜に、ナンバーガールのライブがあるんだけども、チケット取った?」と向井さんは言った。いや、ずっと抽選に申し込んでるんですけど、全然取れなくて。そう伝えると、向井さんはふははと笑い、「ゲストの枠があるんやけど、日曜、都合はどう?」と言った。すぐに「行きます、行きたいです」と答えて電話を切り、今日、こうして豊洲にやってきたのだ。

 17時に扉が開き、開場となる。関係者受付の扉も開き、名前を伝えて、パスとチケットをいただく。まだ入場が始まったばかりで、エントランスは静かで、不思議な感じがする。ちゃんとチケットを購入された方たちは、係員に先導されて入場している。事故が起こらないように、係員はゆっくりと先導している。せめて何かにお金を払わなければと物販に向かい、Tシャツを買い求める。白か黒と思っていたけど、鮮やかな色に惹かれて水色を選んだ。そしてトイレで用を足し、バーカウンターでビールを2杯購入し、フロアに向かう。一番後ろで見ようかと思っていたけれど、いざフロアに入ってみるとやはり前のほうで見届けたくなり、一段高くなったバーの端っこに居場所を決める。会場に音楽は流れておらず、静かで、緊張する。これからナンバーガールを観るのか。

 少しずつお客さんが増えてゆく。解散する前のTシャツを着た人の姿もある。その人たちは、今日という日をどれほど楽しみにしていたのかと考えると、途方もない気持ちになる。「あれ、一番前のブロックまで行けちゃうじゃん!」。若い男性が興奮気味に話しながら、ビールを片手に前方に進んでゆく。彼らはきっと、初めてナンバーガールを観るのだろう。そこにもまた別の興奮がある。

 17時50分、ベースの音が響く。そしてギターの音。ローディーのふたりがサウンドチェックを始める。初めてZAZEN BOYSを観た頃のことを思い出す。あれは2004年のこと。当時、プロレス専門チャンネルを観るためにスカパーに加入していて、基本パックとして視聴することができた音楽チャンネルをなんとなくつけて過ごすことが多かった。ある日、プロモーションビデオの映像が連続して流れていたところで、突然画面がライブ映像に切り替わった。そこにシャツをズボンにインした、眼鏡の男性が映し出されていた。その男性が「半透明少女関係を主張してみましょう」と語ると、ぎゅうぎゅうの客席から歓声が上がった。そこで奏でられたギターの音に、文字通り打ち抜かれた。それまであまりロックに興味がなく、音楽チャンネルを眺めながらも、そんなふうに画面を凝視してしまったのは初めてのことだった。すぐにインターネットで名前を検索すると、ホームページを見つけ、ライブ盤を通販で注文したことを覚えている。

 音源だけでは物足りず、直近で開催されるイベントのチケットを入手し、7月のある日、渋谷クアトロで初めてライブを観た。それまで自分でチケットを買ってライブに行くということも、ほとんどしていなかったように思う。渋谷で初めて観たライブでさらに打ちのめされ、「イベントではなく、ワンマンライブを観たい」と思った。ありがたいことに、ちょうど9月からセカンドアルバムのリリースツアーが開催されるところだった。僕は原付を購入したばかりで、「原付で出かければ、毎晩のようにライブが観られるじゃないか」と思い立ち、まずはツアー最初の地である帯広を目指した。ツアーはそこから札幌、函館とまわり、東北各地をめぐるスケジュールになっていた。

 札幌ではZAZEN BOYSのライブだけでなく、無戒秀徳アコースティック&エレクトリックのライブも開催された。そこは50人くらいしか入らない会場で、終演後にはそのまま飲み会が始まり、向井さんは椅子に座って飲みながら、観客ひとりひとりに「自分は何しとる人?」と話しかけていた。札幌に暮らしているわけでもないので、僕はなんだか気後れしてしまって、一番遠い場所からその様子を眺めていた。最後のほうになって、僕も「自分は何しとる人よ」と質問された。あの、東京で大学生してます。「大学生? ああ、実家がこっちで、夏休みだから札幌に戻ってきとるとか?」いや、実家は広島です。「広島? なんで札幌におるのよ?」いや、ライブをたくさん観たくて、東京から原付でやってきたんです――そう告げると、「ちょっとお前、こっちに座れ」と呼ばれ、あれこれ話して、最後はラーメン屋さんに連れて行ってもらった。あのラーメン屋さんは一体どこだったのだろう。まさか一緒にラーメンを食べに行くことになるとは思わず、呆然とするばかりだったので、店名のことはおぼえていないけれど、「自分は対象年齢35歳以上のつもりでやっている」と話していたことだけはおぼえている(あのときは35歳なんてずっと先のことだと思っていたけれど、気づけばその年齢を超えている)。

 その翌日には札幌でバンドのライブがあり、次は函館だった。札幌から函館を原付で移動するには300キロ近く移動することになる(羊蹄山ルートであればもっと近いけれど、帯広に向かう途中に峠でガス欠を経験したこともあり、遠回りになるけれど苫小牧経由で移動したのだ)。しかもその日は台風が近づいており、一日で移動するほかなかった。早朝からひたすら走り続け、函館に到着する頃にはすっかり日が暮れていた。しかも、最悪なことに、長万部セブンイレブンに立ち寄ったとき、財布を落としてしまっていた。それに気がついたのは函館に近づいてからのことだった。すぐに函館の警察署に駆け込むと、財布は無事交番に届けられていたが、函館から長万部は100キロ以上離れていた。財布が届いているのであれば、どうにか今晩の宿泊費を貸してもらえないだろうか。警察官にお願いしてみたのだが、「いや、警察は銀行じゃないんでね」と断られてしまった。ポケットに小銭は入っていたけれど、宿代はおろか、長万部まで移動するガソリン代があるかどうかも怪しいところだ。何より、すぐ近くまで接近している台風を、どうやってしのげばいいのだろう?

 警察署の前で途方に暮れていると、通りの向こう岸を、賑やかに歩いている集団がいた。こっちは財布を落としたっていうのに。勝手な苛立ちをおぼえて、むっとした表情で集団を睨んでいると、そのうちのひとりが視線に気づき、通りのこちら側に渡ってきた。男性は僕の顔を覗き込んで、「あれ、札幌に観にきてたよね?」と言った。ああ、この人もザゼンファンで、あの会場にいたひとりだったのか――そう思っていると、男性は振り返り、「向井さん、原付の青年ですよ!」と言った。何が何やら理解できないまま、男性が話しかけたほうに目をやると、Tシャツの襟を頭にひっかけ、雨除けにして歩いてくる向井さんの姿があった。僕が混乱したまま「向井さん、財布落としたんです!」と口走ると、向井さんは立ち止まることなく「ラーメン食いに行こう」と言った。

 ラーメン屋さんに入ると、まずは瓶ビールと餃子を注文した。しばらく向井さんはスタッフの方と仕事の話をしていたが、それが終わると、「青年、財布落としたか」とこちらに向き直った。財布自体は見つかったのだと伝えると、「そうか。まあ、百パー中身は取られとるけどな」と向井さんは言った。それもそうだよなとうなだれていると、向井さんはおもむろに財布を取り出し、中に入っていた4万円を抜き取り、「これ、とっとけ」と僕に差し出した。いやいや、財布は見つかっているので大丈夫ですと慌てて断ろうとしても、「いいから、とっとけ」と向井さんは繰り返した。あまり断り続けるのも失礼かと、何度目かで受け取り、財布を受け取ったらすぐに返しますと、僕はお礼を言った。「いや、返さんでいい」。僕の目を見ながら向井さんは言った。「返さんでいいから、誠意を見せろ」と。

 その日は結局、スタッフの方と一緒の部屋に宿泊させてもらえることになった。その部屋で、ナンバーガールを観たことがない僕に、スタッフの方がライブDVDを見せてくれた。その映像の中に、ZAZEN BOYSのローディーをしている人の姿も映り込んでいることに気づいた。違うバンドになっても、そうして続いていく関係もあるのかと思ったことをおぼえている。

 あれからもう15年が経つのか――。振り返ってみると、あっという間だったような気がする。でも、そのあいだ、何度となくZAZEN BOYSのライブを観てきた。「誠意」とは何だろうと考えながら、いろんな土地でその演奏を聴いてきた。でも、今日はZAZEN BOYSではなく、ナンバーガールなのだ。サウンドチェックの音を聴いていると、いよいよ始まってしまうのかと緊張が高まり、ビールも飲めなくなってしまった。

 18時ちょうどに、会場がふっと暗転する。這い上がるように歓声が湧き、「マーキームーン」が流れ出す。暗転した瞬間だけでなく、ずっと歓声が湧き上がり続けている。しばらくしてステージが明るくなり、酒を手にした向井さんを先頭に、メンバーが姿をあらわす。こんなふうに向井さんがステージに登場する様を、何度観てきたことだろう。だが、そこに続く3人の姿は(アヒトイナザワさんは初期のZAZEN BOYSで目にしてきたけれど)これまで一度も目にしたことがなかった。これは一体、何が起こっているのだろう。よく見慣れたはずの風景と、一度も目にしたことのない風景とが入り混じっていて、どうしても頭の理解が追いつかない。

 「マーキームーン」の音がフェードアウトしてゆく。観客の高揚は一段と高まり、あちこちから歓声が上がり続けている。ギターがイントロを奏でる。「年末、夕暮れ。銀座並木通り。人混みかき分け、勝鬨橋のボルトのあかぎれ。今日も、鉄のように――」。鉄という言葉に、観客の興奮はいよいよ最高潮に達する。「――鋭い風が、吹いています」。そうして最初に演奏されたのは「鉄風 鋭くなって」だ。そこから「タッチ」、「ZEGEN VS UNDERCOVER」と続いていく。風景がねじれて見えてきたのは、「Eight Beater」あたりからだった。その曲のライブ音源を、僕は何度も耳にしたことがある。そして、今目の前で演奏されているのは、たしかにその曲だ。でも、たとえばそのイントロで奏でられるギターの音色は、その音源とは違っている。それは、ライブごとに音が違っているという話ではなく、それは今の向井さんのフレーズなのだ。

 混乱と興奮が渾然一体となっているところで演奏されたのは、「IGGY POP FANCLUB」だった。あの曲を、今聴いている。それはとても不思議な時間だった。僕がライブを観始めた頃から、弾き語りでナンバーガールの曲を演奏することはあった。でも、「IGGY POP FANCLUB」と「Omoide in my head」を演奏することはなかった。それはきっと、バンドだから演奏する曲であり、しばらくのあいだ聴くことはなかった。今では弾き語りでも演奏されることはあるけれど、ナンバーガールの演奏を聞く日があるとは、思ってもみなかった。これまで何人かと、向井さんの音楽が好きだということをきっかけに親しくなった人がいる。大学の同級生にも、大人になってできた数少ない友人にも、取材を通じて知り合った相手にも、いる。知人と一緒に飲むようになったのも、思い返してみれば、彼女が「ナンバーガールが好きだ」と言っていたことがきっかけだった。いろんな人が頭をよぎり、全員に「いま、ナンバーガールを聴いてるよ」と話しかけたいような衝動に駆られる。しかもそれは、これまで何度も観てきたライブ映像とは違っている。田渕ひさ子さんによるギターソロは、これまで聴いたどの音源とも違う今の音で、ずば抜けて格好良い音が鳴り響いている。

 疾走感あふれる「裸足の季節」が終わると、「気づいたら、夏だった、風景」と向井さんは語る。「あるいは、ワタクシがそのとき観た姿は、いや、確実に――」。最初のフレーズを別にすれば、これに近いフレーズを、先日のZAZEN BOYSでも耳にした記憶がある。ZAZEN BOYSであればきっと、「天狗」か「TANUKI」が始まるところだ。でも、口上はこう続く。「あの姿は透明少女でした」と。

 その言葉に、観客が爆ぜるように盛り上がる。男性がふたり、ダイブして流れていくのが見える。最近はZAZEN BOYSのライブでも若い客層が増えている感じがするけれど、今日は若さに溢れている。その若さというのは、必ずしも実際の年齢層のことと重なる話ではないのだろう。

 「透明少女」が終わると、夕焼け小焼けで日が暮れて、と向井さんが歌い出す。向井さんから突然電話があり、浅草で飲むことになったのは、ちょうど1年前の12月のことだ。その日、向井さんは松鶴家千とせ師匠の舞台を観て、それに感銘を受けたらしかった。それ以降、向井さんはライブでしばしば「夕焼け小焼け」を歌うようになった。今日も「カラスと一緒に帰りましょう」のところまで歌い、最後の節を唸るようにしばらく歌い続け、隣にいる田渕さんも向井さんも思わず少し吹き出したところで、「わかんねえだろうな」とつぶやく。そうして「Young Girl Seventeen Sexually Knowing」が始まる。それを聴いていると、すべては繋がっていたのだと思えてくる。

 向井さんが松鶴家千とせ師匠の舞台に感銘を受け、そこにブルースを感じ、自分もそれに近いものをやっているのだと感じたのは去年のことだ。でも、今、こうして「Young Girl Seventeen Sexually Knowing」を聴いてみると、そこで歌われているのはまさしく夕焼け小焼けの時間であり、そこにはブルースがある。

 ライブは続く。「Num Ami Dabutz」を聴いていると、ずいぶん昔の記憶がよみがえってくる。あれはまだ、ZAZEN BOYSのウェブサイトに向井さんの日記が掲載されていた頃のことだ。何かのきっかけで、大学生ぐらいの若者と遭遇した際に、イラク戦争に反対するメッセージ(かなにか)を出さないのかと問われて、俺が音楽をやるだけだと答えた――と、うろおぼえだがそんなエピソードが記されていたことがある。今に比べると、ナンバーガールの「Num Ami Dabutz」にしても、ZAZEN BOYSの「Instant radical」にしても、政治的なメッセージを直接的に歌っているわけではないけれど、現代の情勢に対する意識というものを感じさせるところがあった。ZAZEN BOYSの最新作である――といってもリリースから7年が経過している――『すとーりーず』や、今年のライブで披露された新曲から、そういった感触を感じることはない。その違いについては、今年の2月に開催したトークでも語られていたように思う。

 向井さんはずっとCITYを歌い続けてきた。年齢ごとに変わってくる感覚があるのだとすれば、CITYに対する感覚も何か変わってきたことがあるのか。僕がそんな質問を投げかけると、向井さんはこう答えれてくれた。

 

街を変化させようとする勢いが確実に激しくなっているような感じというのは、肌で感じてますね。ただ、街というものは新陳代謝していくもので、しょうがないことなんだなとも思いますね。渋谷の再開発に対しても、「その再開発の波に乗っていかなければいけない!」という焦りみたいなやつはないんですよ。それはたぶん、年齢なのよ。もし若いときだったら、もっとガツガツした気持ちが生まれたかもしれない。でも、そういうのはないね。私は福岡から東京へ出てきてからずっと渋谷区民なんですけど、渋谷区にはなんとかアンバサダーという役割があるの知ってますか。昔、アンバサってジュースがありましたけど、ジュースじゃなくてアンバサダー。俺も渋谷区民だし、もうちょっと若いときであれば「何かをアンバサしたい!」と思ったかもしらんけど、全然思いませんね。

 

 トークの中で向井さんは、「街の見え方というのは、年齢を重ねるごとに変わってきた」ところもあるけれど、その一方で「夕暮れ時にはこんな気分になるっていうのは変わらない」とも語っていた。年を重ねるに連れて、輪郭がはっきり見えてきたものがあるのだろう。そんななかで歌い上げられる「Num Ami Dabutz」は、より一層尖ったものとして、線の太いものとして響いてくる。ライブを観るまで僕は、「あの曲がまた聴けた」という、懐かしさが前面に出たライブだったらどうしようと、余計な心配をしていた。でも、それはまったくの杞憂だった。

「Sentimental Girl’s Violent Joke」、「Destruction Baby」ときて、「Manga Sick」に差し掛かったところで、あることに気づく。ここまでずっと、曲に合わせて体を揺らしながら聴いてきたけれど、この曲に合わせて足を動かそうとしても追いつかず、足が釣りそうになる。DVDで観ていても、音源を聴きながら歩いていても、首を振ったり、くーたまらんと酒を呷ることはあっても、あまり立った姿勢で足を揺らしながら聴いたことはなかったのだなと初めて気づく。「SASU-YOU」、「ウェイ?」。「U-REI」のイントロが始まると、向井さんは後ろに下がり、一段高くなった(?)ドラムセットの段に立ち、ジョーカーのように両手を広げる。そうして玩具の拳銃を取り出し、客席に向かって構える。これはどちらだろう。「U-REI」が収録されているのは2000年にリリースされた『SAPPUKEI』で、そこには「ハンパな強がり TOKYO来てから?」というフレーズがある。今日のライブでも、まずこのフレーズを語ってから、演奏に入っていた。上京して20年が経ち、向井さんの中に去来するものは――そして観客の中に去来するものは――一体何だろうと、観客席を思わず見渡す。それは僕には推し量りようもないけれど、輪郭がはっきりしてきたのは間違いないということを、勝手に確信する。

 「Tatooあり」、ギターの唸りに、もう、茫然とする。なんと格好良いのだろう。

 ここで向井さんは、ようやくお酒のおかわりを頼んだ。ライブが始まって1時間以上が経過しており、ZAZEN BOYSのライブに比べると随分ゆっくりしたペースだ。運ばれてきた酒を受け取ると、「この類のドリンクをブラックライトの部屋で飲んでると、発光したように見えるんですね」と向井さんが語る。会場からは笑いが起きる。近くにいた若者が「絶対なんかやってんじゃん」と笑っている。若者よ違うのだよと、妙に年配者然と話しかけたくなる。ブラックライトで光るというのはおそらく単純な事実だろう。でも、もし光らなかったとしても、それが光ったように見えるというのは、やっているなんてことでは全然ないのだ。そんなことを思っていると、向井さんは酒を呷り、「その風景を歌にしてみましょう」と、「水色革命」に入っていく。そこで歌になった風景の、なんと瑞々しいことか。ライブの終盤で印象に焼きついたのは、瑞々しさとギラつきだ。「水色革命」に続いて演奏されたのは「日常に生きる少女」で、イントロの轟音に向井さんは思わず酒を手に取って煽り、間奏で中尾憲太郎さんは弾きながら後ろに倒れ込んだ。こちらもたまらない気持ちになり、トイレに行きたくならないようにとちびちび飲んできた酒を呷る。どの曲も、何度も繰り返し聴いてきたけれど、言葉を体感するような感覚があった。それはとりわけ、次の「転校生」で感じたもので、「案外、思い出すのはそんな風景」という言葉が際立って響いてくる。そして、それに続けて演奏されたのは「Omoide in my head」だった。

 「福岡市博多区からまいりました、ナンバーガールです。ドラムス、アヒト・イナザワ」。

 その言葉とともに演奏が始まると、観客席まで灯が照らされ、視界が明るくなる。目の前に広がる光景の中で、そこにいるほとんどすべての人が拳を掲げているのではないかと思うほど、たくさんの拳が掲げられている。イントロで観客は一様に飛び上がり、ひとり、またひとりとダイブしていく。そこでは「思い出」という言葉が違って聴こえた。これまでは、どうしても思い出してしまう過去に主軸が置かれているように思っていたけれど、そんな記憶に引きずられながらも、今この瞬間にわたしたちはいるのだと強く感じた。それにしても、この曲を何度聴いたことだろう。飛び跳ねる観客の姿もあいまって、涙が溢れてしまう。ラストに演奏された「I Don’t Know」まで、過去の懐かしさではなく、紛れもなく今の鋭さが、ギラつきが、瑞々しさが溢れていた。それを強く感じたのは、アンコールのラストで再び演奏された「透明少女」だった。

 『月刊ドライブイン』を出していたとき、向井さんのもとには毎号送りつけていた。向井さんはそれを読んでくださって、時折感想を送ってくれた。あるとき、「あなたの文章にはセツナミーがある」と感想を伝えてくれたことがある。そのセツナミーは、僕の中に元からあったものではなく、向井さんの歌を聴き続けるなかで育まれたものだと思う。そして今日、ここで受け取ったギラつきと瑞々しさを受け取って、また何か書かなければと思いながら、アンコール後に無言でハケてゆく姿を見送った。

 ライブにしても演劇にしても、終演後に楽屋を訪れるということは滅多にしないようにしている。ただ、今日はお礼を伝えなければと、終演後のフロアでじっと過ごし、関係者の方たちと一緒に楽屋まで案内してもらった。そこにはアサヒスーパードライが用意されており、僕も一本いただくことにする。ほどなくして、向井さんが姿をあらわす。気後れして隅っこにいると、向井さんが「ああ、はしもっちゃん」と声をかけてくれる。

「あれ、ナンバーガールは観たことあったんやっけ?」

「いや、僕はZAZEN BOYSで初めて観たので、ナンバーガールは観たことなかったんです」

「そうよな。そんなことを言いよったもんな」

まだライブの余韻で、耳がうまく聴こえず、自分の声のボリュームがよくわからないけれど、感想を伝えておかなければ。

「これまでずっと、僕は映像と音源でしか聴いたことがなくて、それはずっと昔に存在していたはずのものだったのに、それが今の音として届いてくるっていうのは、時空が歪んでるような感じでした」

 そう感想を伝えると、「そうね。なんやろうねこれは。不思議な感じがするね」と向井さんは笑った。僕はアサヒスーパードライをもう1本お代わりして、今日という日を噛み締めながら帰途についた。