3月2日

 7時過ぎにMR.KINJYOで起きる。那覇に宿泊するとき、ここ2年はずっと同じゲストハウスに宿泊してきたけれど、今回は編集部が宿を手配してくれた。いつも宿泊しているゲストハウスの窓からMR.KINJYOが見えていて、宿のようではあるけれど普通のマンションのようにしか見えず、ずっと気になっていた。しかも、那覇の街をジョギングしていると、あちこちで「MR.KINJYO」の看板を見かけるのだ。僕が宿泊したところは、ほんとうに普通のワンルームマンションで、冷蔵庫があってコンロがあり、洗濯機までついている。

 チェックインのときに朝食券をもらっていた。テーブルにそのチケットがある。でも、「バイキング」ということに、尻込みしてしまう。何をそんなに恐れているのだろう。服を着て外に出る。ケータイを取り出して――ああ、止まっている。宿に引き返し、Wi-Fiに接続して、ケータイ料金の支払い手続きをして、再び宿を出て、ファミリーマートで支払う。ホットコーヒーとミックスサンドを買ってきて、テレビを眺めながら平らげる。少し前まではファミリーマートのサンドウィッチが好きだったけれど、いつのまにかもう一つになってしまった。そのかわり、いまいちだと思っていたセブンイレブンのサンドウィッチのほうが美味しそうに感じる。でも、セブンイレブンのおにぎり、海苔で包んでないタイプ、あれはここ最近、あまりにも雑な仕上がりで悲しくなる。海苔で包んでないタイプのおにぎりをよく食べるので、あれを見るたび悲しくなる。 

 10時に宿をチェックアウトして、公設市場のあたりをぶらつく。まだ午前中とはいえ、観光客が少なく感じる。歩いていると、以前取材させてもらった方と出くわし、少し話を聞かせてもらう。1週間ごとに人の流れが変わっているという。このお店は市場中央通りにあり、通りの向かい側に旧・公設市場がある。今は解体工事が進んでいるところだ。市場は防音壁に囲まれているけれど、数日前に中の様子が見えたときに撮った写真があるというので、見せてもらう。もうすっかり外壁も解体されつつある。ぐるりと歩くと、「市場の古本屋ウララ」が開店準備中なので、ご挨拶。外の棚に1997年に出版された『やさしいオキナワ』という本を見つけ、これを刷新するのが自分の仕事であろうと、買い求める。ウララさんがガサゴソとビニール袋を取り出す音がしたので、あ、このままでいいですと伝える。ウララさんが取り出そうとしていたのは、本を入れるビニール袋ではなく、僕の連載「まちぐゎーひと巡り」が掲載された日の琉球新報の入ったビニール袋だった。ありがたく頂戴する。掲載紙はいつもウララさんからもらっている。

 11時、取材。1時間弱で終える。取材後、牧志公設市場まで移動して、皆で2階の食堂へ。お店選びはお任せして、「きらく」に入り、油淋鶏とラフテーとふーちゃんぷるー、それにひとりずつライスとスープを注文する。昔は台湾料理のお店だったけど、今は観光客が多くなったから、沖縄料理のほうが増えてる、と編集部のTさんが言う。僕はこのお店が台湾料理のお店だった時代を知らない。ちょうどお昼時だというのに、2階の食堂街は空いている。昨年7月1日に仮設市場がオープンして、しばらくはそれなりに賑わっているように見えたけれど、少しずつお客さんが減っているように思っていたところに、今回のウィルスだ。これはしばらく前からだけど、1階にも何箇所か空き小間ができている。今日、あらためて仮設市場がオープンしたときの地図と照らし合わせてみると、狩俣そばや、しんちゃんの店、本原食品店が空き小間になっている。このお店はどこへ行ってしまったのだろう。

 お昼を食べたところで別れ、ひとりで歩く。荷物を預けていた宿に引き返す。小学生が座り込んでいた。ほとんど夏のような陽射しの下、コートを抱えて歩く。途中で「桜坂セントラル」の前を通りかかる。来週の土曜日、ここでカネコアヤノのライブがある。それは淡い祈りだとわかっているけれど、どうか観れますようにと心の中でお願いする。今日で終業式になったのか、たくさん荷物を抱えた小学生が歩いてゆく。強い風が吹き、プリントが飛んだ。後ろを歩いていたスーツ姿の女性がそれを拾って、手渡してあげている。照れ臭いのか、女の子はお礼も言わずに受け取る。

 喫茶スワンでアイスコーヒーを飲みながら、この店に似つかわしくないと思いつつもパソコンを広げ、仕事をする。節子さんが「これ、さっき割ったの」と黒糖をオマケしてくれる。20分ほど経って、「これ、りんごがあったから」と、りんごを2切れオマケしてくれる。1時間ほどでお店をあとにして、外に出てみると、雨が降り始めている。雨を避けながら「末廣ブルース」の前まで行ってみると、シャッターが降りている。あれ、2時間前に通りかかったときには開いていて、店員さんの姿もあったのに。表に貼ってあるカレンダーを見てみると定休日だ。さっきはきっと、仕込みをしていたのだろう。今日はこれから初めて宮古島に降り立つので、宮古出身の方が関わっているこのお店で、「まぐろ刺身宮古島スタイル」を食べておきたかったけれど、半月後の楽しみにとっておく。

 牧志駅からゆいレール那覇空港へ。空席がちらほらある。こんなにゆいレールが空いていることがあっただろうか。空港も静かだ。早めに保安検査場を通過して、パソコンを広げて仕事をする。まずは宮古島に飛んだ。かなり空いている。トランジットの際、「一度外に出られますか?」と尋ねられたけれど、もう一度保安検査場を通るのが億劫なので、そのままロビーで待つ。缶ビールでもと思って売店を覗くと、高級な地ビールと500円の生ビールしかなく、一度外に出ればよかったと後悔したがあとのまつりだ。売店宮古そばをすすったのち、羽田行きの便が出発するまで、1時間半ほどロビーで過ごす。途中でトイレに行き、入念に手を洗う。誰かが「ハッピーバースデーを2回歌うくらいの時間をかけたほうがよい」というツイートをリツイートしていたのを見てからというもの、いつもハッピーバースデーを頭の中で歌っている。自分の誕生日でもないのに、自分の誕生日を祝う。こうして書いてみるとのんきなものだ。こうして移動する頻度が多いので、空港で、駅で、サービスエリアで念入りに手を洗う。こんなご時世でも、手を洗うことなく去っていく人が多くて、なんだか違う世界に取り残されてしまったようで不安になる。不安というのは一体何なのだろう。

 宮古島を経由して羽田空港に到着したのは22時過ぎだ。機内誌の取材なので、このルートになった。23時過ぎにアパートに帰り、焼酎のお湯割を3杯飲んで眠りにつく。