3月16日

 今日も朝からセブンイレブンに出かけ、パンのコーナーに立つ。メロンパン、ソーセージドッグ、ピリ辛トマトのソースとサラミのスティック、ふわふわちぎりパン、ふんわりしっとりホイップロール、ランチパックによく似たポケットランチ、コロッケパン、こんがり3種チーズのもっちりパン、ミルクフランス、アーモンドチョコホイップ。甘いパンは好みでなく、こってりしたものも食べたくなるとなれば、今日も3種チーズのもっちりパンしか選択肢がなかった。しかし、こうしてみると、ここでは甘いパンを買う人が圧倒的に多いのだろう。帰り道、洋服のお直しをする半露店の前を通りかかると、入ってきたら駄目と言ってるでしょう、と野良猫を叱っている。動作で追い払おうとすることなく、ずっと言葉で語りかけている。

 ホットコーヒーを飲みながら原稿を書く。11時過ぎに宿を出て、「市場の古本屋ウララ」をのぞき、Oさんに取材できたことを自慢してしまう。読谷バスターミナル行きのバスに乗って、砂辺に出る。「ゴーディーズ」に入り、ベーコンエッグバーガーとバドワイザーハンバーガーを食べる前にと、トイレに立ち、手を洗う。食事の前にきちんと手を洗う、という意識は自分の中で希薄だったなと思わされる。ハンバーガーを平らげたところで、もう一度手を洗っておこうと席を立つと、会計だと勘違いした店員さんがレジに向かって歩き出す。今のタイミング、完璧にお会計だと思ったと話す声がトイレに聴こえてくる。

 少し歩いて浜辺に出る。第二次世界大戦米軍上陸地モニュメントと、その向こうに広がる海を眺める。浜辺を歩いていくと、波の上に立つ人の姿が見えてくる。ウェットスーツがあちこちに干されている。ブリトーの店に軍服を着た若者が3人並んでいる。ブリトーというものを僕はまだ食べたことがない。このあたりにくると立ち寄るイタリアンの店に入る。ここは3階にあり、海を見渡せるのだが、エレベーターの入り口が目立たないのか、お昼時を外せばいつも空いている。ビールだけ頼んで、海を眺めながら原稿を書く。

 那覇に戻ってくる頃には15時半になっている。「ジュンク堂書店」(那覇店)を眺めながら、次の書評検討本を探す。明日の委員会に書評検討本として出せば、おそらく4月18日か25日に掲載されることになるだろう(この時差がいつももどかしい)。4月の書評欄には、絶対に沖縄戦に関連した書評を掲載したい。前回の委員会のとき、記者の方から「今度取材で読谷に行くんです」と聞かされて、ああ、4月1日に向けてですかと聞き返した。記者の方は、4月1日?とキョトンとした様子だった。4月1日は読谷からアメリカ軍が上陸した日だった。

 やはりこの本しか選べないという一冊を決めて、「ジュンク堂書店」をあとにする。「市場の古本屋ウララ」をのぞくと、ちょうど店主が不在になっているタイミングだった。今日買っておきたい本を見つけたが、戻ってこなそうなので、「あとで買いにきます」と書いた紙を挟んで店をあとにする。路地に入り、宿に戻ろうとしたところで「橋本さん」と呼び止められる。振り返るとUさんだ。引き返して、本を購入する。

 椅子を出してもらって、Uさんと話す。最近は通りが静かだから読書がはかどるとUさんが言う。テーブルの上には『ごろごろ、神戸。』が置かれており、僕の書評がきっかけで読んだのだという。うれしい。いや、すごく良かったですと言われ、僕が書いたわけではないのに、なんだか嬉しくなってくる。あれこれ話すうちに、そういえば、この本の中にも出てきますけど、最近寅さんを観たんですとUさんが言う。『男はつらいよ』には沖縄が舞台の回があり、そこには市場の姿も映し出されている。その映画が公開されたのは1980年で、私が生まれた年だけど、私が生まれた年だとは思えないくらい昔に見えたという。たとえば10年前のことも、ひどく昔に思えるかもしれないし、時間感覚がよくわからなくなってくる――と。

 僕が神戸で見てきた風景の話にもなった。Uさんの関心事はやはりアーケードのことだろうけれど、あまり細かくアーケードのことを見ていなかったなと反省する。三ノ宮のアーケードは、支柱を建てるのではなく、建物の壁に直付けされている。どうしてその方式が採れたのか、Uさんは不思議に思っていたそうだが、少し前に三ノ宮のアーケード事情に詳しい方がいらしたときに、震災のあとに建物を再建するのと一緒にアーケードも計画されたから、それが実現できたのだという。そのことを知っていれば、公設市場の建て替えのプランにアーケードも加えてもらうことができたけど、今からだともうどうにもならない。Uさんの話に、言葉を失ってしまう。ひょいひょいとあちこち出かけているのに、自分の見たいものしか目に入れてないせいで、誰かが必要としている情報を届けられずにいる。

 書いているうちに思い出したが、まさに「目」の話になったのだった。『ごろごろ、神戸。』の書評に「目が宿る」という言葉があって、橋本さんが書いた又吉さんの『人間』の書評の中でも、主人公の網膜に家族の目が宿るという部分に触れられていたけれど、そのふたつの書評は意識的に繋げているのか、と。そのふたつの書評を近づけようとしたつもりはなかったけれど、僕がずっと「目」のことを考えていることが滲んだのだろう。

 僕も昨日追悼文を書いたところだが、Uさんが追悼文を寄せた本も完成したばかりで、追悼文についても話した。何を書けば追悼したことになるのかわからない、とUさんは言う。言われてみれば、何が追悼と呼べるのだろう。考えながら話す。もしも2020年に生まれた人が、やがて故人の存在を知ったとき、「ああ、こんな空気をまとった人だったんだ」とわかるように、個人を知る人が読んでも「ああそうだ、こんな人だった」と思い出せるように、自分は書いているのだなと思う。それでいて、ひとつの芸文として成立しているように、読み終えたときになにかしらの感慨が残るように、書いている。だから、書き終えたあとで読み返していると、涙が出てしまいそうになって、いやいや、自分の文章で泣いてどうすると冷静になる――僕はそんなことをつらつら話した。自分の文章を読み返して涙が出そうになるだなんて、なんて能天気な話だろう。でも、Uさんは正面から話を聞いてくれて、「書き終えたばかりの段階で、そんなに客観的に自分の書いたものと向き合えてるんですね」と感心してくれる。

 こんな話にもなった。なにか諍いごとがあったとき、台湾では喫茶店に出かけていき、話のいきさつを話し、どちらが悪かったのかをその場に居合わせた人たちが判断してくれる――そんな話を聞いたとUさんが言う。喫茶店というのは僕の記憶違いかもしれなくて、もっと別の場所だったかもしれないが、とにかくそんな文化があるらしかった。Uさんはそれが羨ましいという。話を聞きながら、僕にとってここはまさにそんな場所だと思った。諍いごととは違うけれど、取材がうまく行かずに落ち込んだり、くよくよしたり、うまくいって嬉しくなったり。縁もゆかりもないこの土地で、思い浮かんだ気持ちを真正面から話せると思えるのはUさんだけだ。こうしてお店に出かけていって話すだけで、連絡先を知っているわけでもないし、今後も知ることはないだろうけれど、同じような心持ちで文章を書く、ソウルメイトだと思っている。

 18時に宿に戻り、RK新報の原稿をおおむね書き終える。もう少し推敲が必要なので、しばらく寝かせておくことにして、19時過ぎに飲みに出る。「信」は営業していなかった。どうしようかとグルグル歩いていると、「末廣ブルース」の方に出くわし、そのまま「末廣ブルース」に入り、レモンサワーとまぐろ刺宮古島スタイルを頼んだ。味噌で和えてあり、にんにくの風味も効いておりウマイ。レモンサワーを2杯飲んだところで「KYJ」に流れ、墨廼江を飲んだ。メニューの中に豆苗とキノコのお浸しがあり、「このお浸しをください」と指差すと、なえ……と店員さんが言う。キッチンに向かって、まめなえのお浸し、ご注文いただきましたと伝えると、他の店員さんたちが一斉に笑う。北海道からやってきて、最近アルバイトを始めたばかりだという。良い店員さんだし、良い店だなと思う。昨日の空きっぷりを目にした以上、今日も「うりずん」に行かなければと栄町まで歩く。扉を開けると、今日の「うりずん」は大盛況だ。