3月31日

 8時頃に目を覚ます。つけっぱなしになっていたテレビでは、『グッとラック』が流れている。『8時だョ!全員集合』の映像が映し出される。これはTBSでやっていたのか。小さい頃はほとんどテレビを見せてもらえなかったこともあり、タイムラインを埋め尽くしているような思い入れというのが僕の中には薄く、思い出すのは『タケシムケン』だ。そういえばまずいラーメン屋選手権みたいな企画に出ていた「彦龍」は、僕が今暮らしている町にあったはずだ。10年以上前、同じ企画に登場した新津の「東花食堂」に立ち寄ったときのことも懐かしく思い出す。まずいというより、味をあまり感じなかった。

 「やなか珈琲」に電話をかけ、コーヒーの焙煎を注文。いつもは200グラムだけど、しばらく取材に出かける予定もないので、300グラム注文する。8時45分にアパートを出て、受け取り、帰ってきてコーヒーを淹れる。匂いを感じるから、まだだいじょうぶだ。午前中は何本かメールを送る。昨日までの取材は、ウェブで掲載するのは難しいかもしれないと言われている。時節柄、どこからどうケチがつくかわからないという理由だ。それもわかるし、ウェブ掲載にこだわる気持ちはまったくないのだけれど、でも、「今こそ」なのではという気持ちがあり、それをメールにしたためる。この状況で、いろんな判断を迫られながらも営業しているお店のことを、リアルタイムで書くべきなのではないか、と。

 13時過ぎ、千代田線で西日暮里に出る。改札で知人と落ち合って、柵越しに忘れ物の鍵を手渡す。たくさん淹れてしまったコーヒーも、魔法瓶ごと渡す。山手線のホームに降りて、いちばん人が少なそうな端っこまで歩き、電車に乗る。端っこの席に座ることができた。ひと席あけて乗客が座っている程度の乗車率だが、それでも妙に不安になる。窓が開いているのと、扉の近くの席だから2、3分ごとに扉が開くのが救いだ。思いのほか恐怖を感じているのだなと実感する。しかし、通勤電車に揺られている人たちは今、何を思っているのだろう。早く目的地に着かないかとモニターを見上げると、「高輪ゲートウェイ」という文字が窮屈そうに書かれている。

 品川駅で電車を降りる。勝手に電車に乗っていただけなのに、ようやく解放されたような心地がする。初めて新幹線の入場券を買い求めて、売店崎陽軒シウマイ弁当を購入し、ホームに降りる。最初は下り側のホームに行き、新幹線を見送っていたけれど、今日僕が座るべきは上り側のホームだろうと思い直す。ベンチに座り、上京してくる新幹線を眺めながら、シウマイ弁当を平らげる。弁当ガラを捨てて、改札を抜け、第一京浜を歩き出す。来年度から始めるシリーズ企画のために、「路上」を歩く。2020年4月からスタートして、月に1回ずつだけれども、ふと思い立って2019年度最後の日である3月31日に歩いたほうがよいのではという気持ちになった。最終回も3月の「路上」を歩き、4月は不在のまま終わるほうがよいのではと思ったのだ。2時間ほど歩き、新橋にたどり着く。

 そこからは電車で移動して、16時半にYMUR新聞東京本社へたどり着く。並べられたテーブルがいつもと変わらぬ感覚で、少し動揺する。発言するときにマスクをずらす方も多く、おお、マスクの意味よ、とそのたびに思ってしまう。委員会が終わると、32階にある「スエヒロ」で食事会となった。皿に盛られた豪華な料理を、トングで取り分ける。フロアはガラス張りになっており、東京タワーがよく見えた。今日はここを歩いてきたのだなと思う。路上を歩いていると、ビルの群れは目に入っていても、そこからこうして見下ろす視点があるということは、まったく意識していなかった。ビールを3杯、赤ワインを1杯飲んだ。

 またしてもハイヤーに送られて、おかしな気持ちになる。新橋駅近くで降ろしてもらって、界隈を歩く。結局どこにも入らず、1時間ほどで今日の取材は終わりとする。日比谷まで歩き、千代田線のホームに降りる。すぐにやってきたのは我孫子行きで、少し混んでいたので一本見送り、次の北綾瀬行きに乗り込んだ。根津で降りて、「バーHSGW」に立ち寄る。すごく悩みながら営業されているようで、今日も4人組のお客さんから電話があったけれど、4人だとどうしても飲んでいるうちに声が大きくなって、飛沫だなんだと考えてしまうと、お断りしてしまったとHさんが教えてくれる。昨日の会見でも「バー」って言われてましたしねと伝えると、「小池百合子は、バーテンダー協会の名誉会員なんですよ」とHさんが言う。「もう、日本中のバーに貼り出されるかもしれないですよね。『小池百合子お断り』って」と。静かにハイボールを2杯飲んで、帰途につく。

 

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