4月6日

 8時過ぎに起きて、コーヒーを淹れる。そろそろ豆がなくなりそうだ。関西滞在中の計画を練る。前に海辺から見上げた須磨浦山上遊園に行ってみたいなと思う。カーレーターはどんな感じなのだろう。本棚から『ごろごろ、神戸。』を取り出して、拾い読みする。どうしようか迷っていたけれど、H.Kさんに「須磨浦山上遊園に行きませんか」とダイレクトメッセージを送る。普段であれば、そもそも誰かを誘うことに躊躇いを感じるけれど、今はそんなことよりも、東京から移動した上で「会いませんか」と誘うことに抵抗をおぼえるけれど、えいやっと送信。

 それから1時間と経たないうちに電話がかかってくる。今週金曜日に予定されていた取材が中止になった旨が告げられる。その雑誌は、今日以降はお店に対する取材は一切中止とすることになったそうだ。なにか変わりに書いてもらえる話はあるかと尋ねられたので、取材がないにしても関西には足を運ぼうと思っていて、須磨浦山上遊園は営業しているようなので、そこで目にした風景を(あらたに取材したこととしてではなく、過去に目にした風景という体で)書くのはどうですかと提案する。電話の相手は、苦しそうに、親会社が公に近い企業であることを考えると、雑誌のために移動して何か起きた場合を考えると、移動しないで欲しい、と言う。そんなこと言いたくないだろうに、そんな話をさせてしまったことを後悔しつつ、何か考えてみますと伝えて電話を切る。

 どうしようか。

 「取材のため」でなく、僕が個人的に関西に出かけることを止める権利は誰にもないだろう。事態が大きく動く前に、明日のうちに塩屋に出かけ、明後日の昼に須磨浦山上遊園に行くことにしようか。時刻表を調べる。東京駅から西明石まで、ひかりで3時間強だ。「新幹線 換気」で検索する。新幹線は定期的に車内の空気が入れ替わるように設計されているという。なるほど、心強い。心強い?――ひかりに乗車する時間を想像する。もしも同じ車両で咳き込んでいる誰かがいたときに、自分は「換気はされているから大丈夫」だと穏やかに過ごせるだろうか。きっと心の狭さが行動に出てしまう気がする。

 取材がなくなったというのに、それでも移動したいと思ったのは、H.KさんとEさんと話がしたいと思ったからだ。日付にこだわってしまう性格なので、ちょうど1ヶ月前の3月7日にお酒を飲んで、3月8日に須磨の海岸沿いを歩いたときのことを思い出す。だから今月も、7日の夜に一緒にお酒を飲んで、8日のお昼に散歩をして、あのとき海辺から見上げた須磨浦山上公園に行ってみたい。でも、もしも自分がすでにウィルスを持っていたらどうなるだろう。感染を広めてしまうリスクを冒してまで、「移動して誰かと話す」ことを貫くことを、「自分にとっては正しい行動だ」と言い切れるだろうか。

 知人に「取材とんだで」とLINEを送る。「そらそやろ」と返ってくる。それでも関西には行くだけ行こうと思っていると伝えると、「いくべきやないやろ」と知人が言う。いや、徒歩圏内とはいえ毎日出勤を続けて、感染のリスクを追っている人から「いくべきやないやろ」と言われる筋合いはないよねと、もうすでに何度か繰り返したやりとりをする。そうやって自分を正当化しようとしても、いまいちそれを信じ切ることができず、自分から誘っておきながら申し訳ないけれど、「やっぱり行かないことにしました」とH.Kさんにメッセージを送り直す。

 原稿は書き終えられなかった。18時過ぎ、マスクを使うのはもったいないので、タオルを手に外へ出る。よみせどおりで知人と待ち合わせて、まずは「小奈や」でモダン焼きを注文する。ボエーズのグループLINEにムトーさんが「こういう時こそぱーとボエーっと飲みに行きたいのに、行けないの悲しみ。小奈やでもんじゃ食べたい」と投稿していて、そういえばテイクアウトをやっていたはずだと思い出したのだ。やなか銀座に出て、「越後屋本店」でビールでも飲みながら焼き上がりを待っていようと思っていたのだが、今日は「椅子」が並んでいなかった。店頭に「新型コロナウィルス感染拡大防止のため、店頭での飲食はしばらくの間お休みさせていただきます」と貼り紙が出ている。お店のお父さんがこちらに気づき、立ち飲みでもよかったらと申し訳なさそうに言う。昨日からこの貼り紙を出しているのだとお母さんが教えてくれる。「巣鴨の商店街に人が集まってるのが流れちゃったんでしょう? 谷中銀座商店街としても、何か考えないとって話になって、椅子を並べてお客さんで賑わってちゃまずいんじゃないかと思ったのよ」とお母さん。

 店頭で立ち飲みしているのも迷惑をかけてしまう気がして、ゆっくり近所を散策しながらビールを飲んだ。月は満月に近かった。ケータイが二度ふるえる。確認すると、立て続けにメールが2通届いていた。ひとつはYMUR新聞からで、委員会は当面見合わせることになったとある。もうひとつはRK新報からだった。こちらは日曜の夜に送ったメールの返信で、「こちらも極力接触せずに取材する方針になっています」とある。ケータイをしまって、ビールを飲み干す。

 のんびり歩いて時間をつぶし、ドラッグストアに立ち寄る。タオルで口元を覆いながら、洗剤やキッチン用の水切りネットなどを購入する。「小奈や」でモダン焼きを受け取り、スーパーの前を通りかかると行列ができていたので入る気にならず、焼き鳥屋で焼き鳥5本セットを買い求める。「あそこのお母さん、いつもはクールな感じなのに、今日はすごい笑顔だった」と知人が言う。帰り道、M.Mさんからダイレクトメッセージが届く。

 M.Mさんとは、あまりしゃべったことがない。『ドライブイン探訪』を出したとき、「Mさんと話しておきたい」とトークイベントにお誘いしたけれど、それまでほとんどしゃべったことがなかった。ライブはよく観に出かけていたし、通っている酒場の1軒が重なっていることもあり、顔を合わせる機会は少なくなかった。でも、ライブを観に行ったとしても、「今日のライブ、良かったです」なんて声をかけたことは一度もなかった。そんなことをするためにライブに行っているのではないという、妙な意地があった。僕は彼女の歌を聴きに行っているのであって、素晴らしい歌を受け取ったあとで、おためごかしのように言葉を交わしたところで何の意味があろうかと、いつもさっさと帰っていた。

 だから、トークイベントでお話するまでは、トータルで3分くらいしか話したことはなかった。トークイベントが終わったあとは、来場してくださっていた方を含めて打ち上げに出かけたけれど、そこでもほとんど話はしなかった。大事なことはさっき話すことができたのだからと、黙って酒を飲んだ。そういうふうに極端に考えてしまう傾向が自分の中にある。だから、大人数の飲み会になればなるほど、黙って酒を飲み続けてしまう。

 僕にとって大事なのは「言葉を交わす」ことだと、そう思い込んでいた。大事なひとことを交わすことだけに、自分がその場に存在する意味があると思い込んでいた。それが思い込みだったと、Mさんからメッセージではたと気づかされる。Mさんのライブに出かけていって、歌を聴き、黙って帰ってゆく。それだって自分にとって大切な時間だった。ぼくは言葉を交わすことにばかり重点を置いてしまうけれど、「直接言葉を交わしていないけれど、それでも通じ合えているはずだ」と思える相手も、何人かだけ存在する。Mさんもそのひとりだし、朝にメッセージを送ったHさんもそのひとりだ。なんか、うまいこと言えんけど、でも、そうやんな。言葉がなくとも、そんな気持ちで過ごせる相手がいることを、Mさんのメッセージで再認識する。そして、そんなふうに過ごすことがなにより難しくなっているのだと痛感する。飲み会であれば、オンラインでも開催できるだろう。でも、僕が好きなのは飲み会ではないのだと、最近ようやく気づいた。いまこの話せることなんて、とても限られている。思っていることや、伝えたいことはあっても、一ミリでも「今じゃない」という気持ちがあれば、その言葉を出さずにしまいこんでしまう。だから、「オンラインで飲み会をしよう」となっても、僕が話せる言葉はほとんどないだろう。僕がやりたいのは飲み会ではなく、特に何を話すわけでもないけれど、同じ場所で酒を飲んで過ごすということだ。そして、そんな時間が奪われている。HさんとEさんと3人で「栄食堂」に入り、押し黙ったまま食事をしたときのことや、Mさんのライブを聴き、そそくさと階段を降りたことを思い出す。改めて思い出そうとすると、なんだかずいぶん遠い場所にきてしまったように思えてくる。あの時間はほんとうにまた訪れるのだろうか。4月のカレンダーは、今日でまっしろになった。