4月14日

 7時半に目を覚ます。ツイッターを開くと、田原総一朗メールマガジンに掲載されたという総理大臣のことばが流れてくる(今、引用するために検索してみると、BLOGOSにも掲載されているhttps://blogos.com/article/450494/)。

 

緊急事態宣言とともに、政府は緊急経済対策を発表した。
事業規模は過去最大の108兆円。
その内容は、一定の要件を満たす、減収世帯に30万円を給付。
また、売上が半減した、個人事業主フリーランスに100万円、中小企業に200万円を、それぞれ最大給付するというものだ。

だが、いずれも市区町村に自己申告しなければならない。
市区町村の窓口は申込者が殺到し、非常に手間暇かかり、支給が、6~7月に遅れるのではと心配される。

僕は、「なぜ国が直接給付すると決めなかったのか」と、安倍首相に問うた。
「実は戦後日本では、地方自治体が主体性を持ち、国から直接給付となれば、独裁になってしまう。
だからできないのです。
しかし、できるかぎり早く、少なくとも5月中には給付したい」ときっぱりと言った。

 

 このことばを目にしたときに、時空が歪んだような気がした。戦後の日本において地方自治が重視されてきたのは確かだ。しかし、この総理大臣の中に地方自治を重んじる信念があって、国から国民に直接給付金を出すことを「独裁になってしまう」と躊躇するだけの繊細さがあるとは、どうしても思えなかった。また、外出自粛要請に罰則規定がないことを問われると、「こういう時に罰則規定をもうけないのが、戦後日本の体制である。それをやると圧政ということになる」と答えたという。なんとまっとうな政治家だろう。いかにも自民党のリベラル派といった意見である。そんなことばが、今の総理大臣から出てくるとは到底思えない。情報の発信者によるものなのか、それとも誰かの入れ知恵であるのか、いかがわしいにおいがする。歴史に対し、「こういう配慮を、このときの政権はおこなっていたのだ」と捏造するためのことばだという感じがする。

 しかし、一日経って、日記を書くために読み返してみると、「独裁になってしまう。だからできない」から、あいだに何も挟むこともなく「しかし、できるかぎり早く」という発言になっていることを素直に読めば、独裁者宣言ということになるのだと気づく。

 炊飯器のスイッチを押して、ジョギングに出る。今日は資源ゴミの回収日だから、走る前に、この1週間のあいだに溜まった空き缶を捨てておく。僕はビールは毎日1本ずつくらいしか飲まず、チューハイなりハイボールなりに移行するから、僕が空けた量は変わっていないのだけれど、いつもよりずっと量が増えている。それは知人だけではなかったようで、空き缶を入れる回収ボックスは満杯になっている。近所に宝缶チューハイを山のように飲んだ人がいる。ジョギングコースには回収ボックスが点々と置かれており、缶詰の空き缶が多いところもあれば、マグナムボトルのワインが積み上がっているところもある。アスファルトはまだ濡れていて、朝日を浴びて輝いている。いろんな花が散り、地面に貼りついている。不忍池に出ると、朝日を浴びて輝く水面と、陽射しに透ける新緑とが、びっくりするぐらいまぶしく見える。何事もなかったかのように思ってしまうけれど、何事もなければこんなにまぶしく感じただろうか。「古書ほうろう」を前を通りかかり、「安倍政権の稚拙かつ傲慢な対応には怒り心頭です。/一日も早くお客さまをお迎えできる日がきますように」と書かれた貼り紙を今日も読んで、アパートに引き返す。

 シャワーを浴びて、コーヒーを淹れる。『AMKR手帖』の原稿を書かなければならないのだが、今日は『ユリイカ』5月臨時増刊「総特集=坪内祐三」の発売日であり、そわそわする。仕事が手につかず、11時過ぎに自転車に乗って出かける。マスクはまだあるのだが、近所に小一時間出かけるだけで使うのは憚られ、電車に乗ってどこかに出かけなければならない日に取っておこうと思って、今月に入ってからは一度もマスクを使っていなかった(タオルを持参して、買い物などで発語しなければならないときはそれで口元を覆っていた)。久しぶりにマスクをつけ、自転車を走らせる。池之端一丁目の交差点で不忍通りを右手に折れ、天神下、湯島中坂下、三組坂下、妻恋坂、神田明神下と、江戸の時代を感じさせる交差点を抜けてゆく。西側にはずっと坂があり、台地になっている。つまりここが山手と下町の境界線なのだろうか。最近通販している本にそのあたりのことが書いてあるはずだから、早く読まなければ。

 大手町にたどり着くと、大きなビルの1階にはキッチンカーが並んでいる。永代通りを折れ、呉服橋の交差点で信号を待つ。横断歩道のギリギリのところに、ワイシャツ姿のサラリーマンが並んでいて、僕は少し離れたところで信号を待っていた。近くのビルから、次から次へとワイシャツ姿の男性が出てくる。皆、楽しそうに談笑している。密だ、と思う。マスクをしていない人もいる。もちろんマスクを手に入れられない人だっているだろうし、会社が休みにならずに出勤するほかない人たちなのだろう。しかし、あの距離感でにこやかに談笑する姿を目の当たりにすると、ぎょっとしてしまう。今、自分が過敏であることは自覚しているけれど、あんなふうにいつもどおりの距離感で会話するのが恐ろしくないのだろうか。僕の目が節穴なだけで、彼らも不安を抱えているけれど、社会人としてそれを表情に出さないようにしているだけなのだろうか?

 『ユリイカ』を買うだけであれば、歩いて「往来堂書店」に行けば済むのだけれど、自転車を走らせたのは家電量販店に出かけるためだった。毎日の晩酌にチューハイかハイボールを飲んでいるけれど、その炭酸はソーダストリームで用意している。自宅で炭酸水が作れるアレである。炭酸のボンベを先週末で使い切ってしまっていたのだけれども、土日の家電量販店に出かける気になれず、平日になってからにしようと思っていた。本当なら上野のヨドバシカメラでボンベを交換してもらうつもりだったが、調べてみると今日から休業に入ったらしかった。まだ空いている家電量販店を探し、東京駅八重洲口にあるヤマダ電機に出かけることに決めたのである。

 ヤマダ電機は静まり返っていた。エスカレーターを上がっていっても、客の姿を見かけることはほとんどなかった。7階まで上がり、ボンベを交換してもらう。店内にはピアノソナタが流れていた。家電量販店といえば賑わっている印象しかなく、こんなに静かにピアノの音が流れていたのかと驚く。それと同時に、僕が通っていた中学校ではお昼休みかなにかにクラシックが流れていたことが突然思い出される。そのときに耳にした、タンタンタンタタタターン、というフレーズを、何十年ぶりかで耳にする。いや、これまでにだって耳にしたことはあったはずだが、広大な店内に客の姿がなく、悠然とピアノの音が響いている姿から、当時の記憶が思い出されたのだろう。こんなにじっくり過ごせることもないだろうからと、カメラのフロアをのぞき、SONYのカメラを触ってみる。店員さんはこちらに接客してくることもなく、僕の他には客がいないフロアで、店員さんも写真を撮って過ごしていた。とても贅沢な時間であるように思えた。

 帰りは神保町に寄り、「東京堂書店」をのぞく。平日11時から17時までの短縮営業となり、土日祝日は休業と貼り紙が出ている。店内はそれなりに混雑している。新刊台を眺めると、『写真でわかる事典 沖縄戦 1945年3月26日-6月23日』という本があり、無条件で手に取る。それと一緒に、『ユリイカ』を手にレジに向かうと、2冊で8470円だと告げられ、少し動揺する。すずらん通りの古本屋は営業しているお店が多かった。「キッチン南海」には今日も行列がある。中を伺うと、いつも通りぎっしりお客さんがカウンターに並んでいる。靖国通りに出てみると、こちら側にある古本屋は閉まっている店が多いようだ。企画“R”では、次にこの界隈を歩くつもりなので、気になっていた中華料理店に行ってみると、「当面の間、臨時休業いたします」と看板が出ていた。

 途中でスーパーに立ち寄り、アパートにたどり着く頃には13時をまわっている。郵便受けをのぞくと、封筒がいくつも届いている。そのうちの一つには『ユリイカ』が入っていた。話を聞かせてもらった「味とめ」と「浅野屋」と「ラーメン中本」に献本するつもりだから、あと2冊は買わなければ(しかし、1冊3000円近くするので、なかなかの出費だ。そもそも話を聞かせてもらった日の飲食代と、後日原稿を届けに行った日の飲食代と、どこか修正したほうがよい箇所はあるかと確認に行った日の飲食代だけでも、原稿料を上回りそうだ)。『AMKR手帖』の締め切りはもう過ぎているから、はやく原稿を書くべきなのだけれども、どうしても『ユリイカ』を読んでしまう。担当編集者のAさんも寄稿しているから、今回ばかりは許してくれるだろう。

 気づけば日が暮れている。自分の原稿は読み返さなかったけれど、最後のページだけちらりと見る。最後の一語を「た」ではなく「る」にするべきだったと悔やむ。ああ原稿を書かなければと思っていると、12日の夜に送った、舞台『c』に向けたルポについて、QJWのMさんから連絡がある。今日のお昼のうちに「削るところはありません。このまま載せましょう」と返事をいただいていたけれど、細かな点についていくつかやりとり。今度はYMUR新聞のMさんからメールが届き、今後どの本を書評するかについてやりとりする。そうこうしているうちに知人が帰ってくる。時計を見ると20時をまわっていた。

 知人に塩豚ともやしの炒め物を作ってもらって、僕はさばみりん干しを焼き、かぼちゃの煮物を作り、晩酌。おかずがなくなると、今日買ってきたふりかけ(丸美屋「味道楽」)を小皿に出して、それをツマミに飲んだ。自宅で飲んでいると、口寂しくなり、あれこれツマんでしまう。気分に任せて食べると太ってしまうのと、食費も嵩むので、今日からはふりかけをアテにする。録画してあったドラマ『浦安鉄筋家族』を観たあとで、こないだの『情熱大陸』を観る。新型コロナの研究を進めるウィルス学者を追っている。知人はしきりに感心している。それを観終えてしまうと、再生したい番組がなくなったので、知人に『ユリイカ』を手渡し、印象的だった福田さんの原稿を読ませる。テレビにYouTubeを映し、ブルース・スプリングスティーンの「surprise, surprise」と、それに続けてボブ・ディランを何曲か再生する。