4月21日

 今朝は知人が先に目を覚ましていた。テレビに表示される時刻を確認すると6時31分だ。「原油がマイナスになったで!」と、少し興奮気味に言う。昨晩は22時には眠っていたので、すっきりした様子である。ぼくは布団から這い出して、洗濯機をまわし、ゆで玉子を作り、コーヒーを淹れ、日記を書く。8時半になり、そろそろ昨日外出した帰りに「ベーカリーミウラ」で買っておいた食パンを焼こうかと思ったところで、知人がリビングの隅っこにあった段ボールの山を解体し始める。どうしてこんなタイミングで片付けを始めるのか、しかもその段ボールの山のうちのひとつは昨日届いたばかりのもので、24時間ぐらいはウィルスが残存する可能性があるから、あえてそこに放置しておいたのに、どうして触るのか、いますぐ手を洗えと大喧嘩になる。

 前にも書いたが、これは「自分のほうが正しい立場だ」と主張するために書くのではなく、ただ日記として書いている。喧嘩になったのは、ひとつには、ウィルスに対する怯え方の違いによるものだろう。ぼくは、排除できる可能性はすべて排除しておきたい。もちろん「完璧に」ということは不可能なのだろうけれど、思いつく範囲ではすべて遠ざけたい。知人は「そんなこと言い出したら、生きていけない」と言っていた。喧嘩になったもうひとつの理由は、きっと「自分がこんなにやっているのに」という気持ちによるものだろう。それは、ウィルスに対してというだけでなく、「自分ばかりがこんなに家事を負担しているのに、どうして気まぐれにそんなことをするのか」という気持ちが心のどこかにあるのだろう。実際に家事の負担は、家で仕事をしているぼくのほうが圧倒的に多い。それを「やってあげてる」という気持ちを持つと、こういう事態を招いてしまう。

 自らを律するというのは、とても難しいことだと改めて感じる日々だ。「自律」、自らを律する。「自粛」、自らはばかる。そこには強い倫理が求められる。倫理というのは、あくまで自分にのみ向けられるものだ。「自分はやっているのに、どうしてお前はやらないのか」と感じた時点で、それは「自律」とはほど遠いものになる。昨日の『news every.』で藤井キャスターが語っていたことを思い出す。「今、緊急事態宣言を受けて自分を律している人ほど、観光や遊びに出ている人を腹立たしく思うかも知れません。しかし、皆さんのような人たちがいるからこそ、欧米のような医療崩壊を防げています」と語っていた。ずっと違和感を感じてきたけれど、その言葉を聞いて、ようやく、この人は駄目だと思うに至る。これは報道の枠を超えた言葉だ。もしも「他人を腹立たしく思うことは、『自律』とは言えませんよ」と思って遠回しにこう語っているのであれば別だが、これは外出自粛を続ける人に評価を、報いを与えようとする言葉だ。褒めてもらえるから、それが正しいことだから実践するというのは、自律ではない。

 念のために書き添えておくと、誰もがほんとうの意味で「自律」すべきだと思って、こんなことを書き連ねているわけではない。ぼくは「自律」できるほど確固たる、独立自尊の個人ではなく、もっとふにゃふにゃした人間である。そこのところを自覚しておかないと、局面が切羽詰れば切羽詰るほど、「大喧嘩」では済まなくなってしまうのだろうなと思って、ここに書いておく。

 知人は口を利かないまま出かけてゆく。シャワーを浴びる前に鏡を見る。頭を刈ってよかったんかなと不安になる。前の髪型に、それなりに愛着があったかのかもしれない。しかし、シャワーを浴びる時間は圧倒的に短くなった。午前中は坪内さんの『靖国』を少しずつ読んだ。11時50分に部屋を出る。根津神社を通りかかると、ツツジを写真に収める人たちが5、6人いた。ベンチではお年寄りがお昼を食べているところだ。明るい色の服を身にまとって、いかにも行楽といった佇まいである。同じお年寄りでも、どこかくすんだ色合いの服をきた人たちは、境内でも端っこにあるベンチでお昼を食べていた。

 12時半に西郷さんの前で待ち合わせ、企画「R」に向け、路上をゆく。湯島天神から神田明神に抜け、御茶ノ水に出る。たんぽぽが咲いているのを見かけたFさんが、小さい頃、「たんぽぽ切り」という遊びをやっていたと語り出す。おもむろにたんぽぽを2つ摘んで、ひとつをJさんに渡し、花を逆さに吊させる。そこに、Fさんはもうひとつのたんぽぽを振り下ろす。Jさんが持っていたたんぽぽの花は切り落とされる。こうして切り落とせれば勝ちで、切り落とせなければ攻守を交代する――そんな遊びだという。登校中に強そうなたんぽぽを探して、息を吹きかけて乾燥させたり、鞭のようにしなるようにしたり、下校時間までたんぽぽを“育て”ていたのだ、と。「これはここに埋葬しておこう」と、立ち入り禁止となっている湯島聖堂の入り口にたんぽぽを置き、Fさんは歩き続ける。

 この日の終着点は靖国神社だった。今日と明日は春の例大祭が開催されているのだが、コロナの影響で正式参拝はできず、また奉納行事や屋台の出店も取りやめとなったこともあり、人影はまばらだった。最初の鳥居をくぐるあたりで、あの銅像って誰なんですかと言われ、大村益次郎ですと即答する。顔が向けられているのが、今日の出発点である上野の山の方角であることをどのタイミングで伝えようかと思っていたところで、変化に気づく。なんだか参道脇のエリアが小ざっぱりと生まれ変わっている。なんだか違和感をおぼえながらも、Fさんとぽつぽつ話しながら進んでゆくと、衝撃を受ける。売店が、すっかり様変わりしていたのだ。

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 もちろんすべての建物には寿命があるのだから、いつかは建て替わる運命にある。しかし、いくらなんだって、これはないだろう。どうして前の売店を壊す必要があったのだろう。神社以上に、ぼくからすると、あの売店靖国の手触りだったようにさえ思えてくる。ビールやカップ酒と一緒に、おでんや焼きそばを買って平らげる時間が、あの場所だった。「靖国の手触り」と書いてしまうとボンヤリした話になってしまうけれど、より正確に言えば、歴史を感じられる場所だった。自分が生まれるまえから、ここにそうして流れてきた時間を感じられる空間だった。それが、こんな、ありふれたこざっぱりした場所になってしまうなんて。昔の売店はこんなたたずまいだった。

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 動揺しながらも、奥へと進んでゆく。今日の目的は、参拝することではなく、坪内さんが『靖国』の冒頭に書いている招魂斎庭の跡を見に行くことだった。しかし、この日は通路が塞がれており、招魂斎庭に近くことはできず、引き返して九段下の駅で皆と別れた。納得が行かず、ひとりでもう一度靖国神社へと向かった。入ってすぐの参道脇のエリアは、「慰霊の庭」として生まれ変わったのだとパンフレットに書かれていた。この慰霊の庭には、「さくら陶板」が随所に配置されているらしかった。

  「さくら陶板」は国の礎となられた御祭神が往時歩まれたであろう故郷の土を使用して、日本が誇る伝統的文化である陶磁器を用いて神社の象徴ともいえる桜をモチーフにした陶板を各都道府県の著名な陶工の皆様に制作・奉納いただいたものです。御祭神へまごころを込め、伝統の技によりつくられた陶板一枚一枚は慰霊の心とその継承を表します。

 令和元年(2019)御創立150年を迎えるにあたり、本殿にご参拝いただく皆様の みちしるべ となるよう記念事業として整備された「慰霊の庭」に建立されました。

 一体これは何が起こってしまったのだろう。細かい点を挙げてゆけば、「日本が誇る伝統文化」と書いているけれど、それが海外から伝来したものだということには目を瞑っているのだろうか。そして、このパンフレットは靖国神社の制作物としてクレジットが入っているにもかかわらず、「御創立」とは一体どういうことなのだろうか。しかし、そんなことは微々たる問題で、「慰霊」という言葉や、「土」ということが強調されているにもかかわらず、この「慰霊の庭」にある土は、タイルなどでほとんど覆われてしまっていた。

 

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 もちろん芝生が生えている箇所には、その下に土があるわけだが、半分以上は塞がれてしまった。かつてそこには土があり、雨が降るとすぐにぬかるんでしまっていた。「神社の象徴ともいえる桜」の季節ともなれば、そこにブルーシートを広げる花見客を多く見かけた。あるいは、みたままつりのときには、土の上に屋台やテーブルが並び、見世物小屋も出た。しかし、こんなふうに整備されてしまうと、ブルーシートも、屋台も、そこに並ぶことは物理的に不可能である。

 振り返ってみると、神社からすると屋台はずっと、煙たい存在だったのだろう。2015年のみたままつりで、靖国神社は屋台の出店を中止した。飲酒した若者によるトラブルが増え、またゴミなどで近隣に迷惑をかけていることからも、出店を中止としたのだ。だから、屋台だけでなく、境内での飲酒も禁止となった。それから3年が経ったとき、坪内さんから「今年の御霊祭り夜店が復活するそうです(^^ゞ」とメールが送られてきた。知らせてもらったからにはと、みたままつりに出かけてみると、屋台がかつての配置ではなく、大村益次郎銅像のまわりをぐるりと囲むように配置されていた。そこでは盆踊りも開催されていることから、動線がめちゃくちゃになっており、散々な思いをしたおぼえがある。

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 これは2018年に撮影したみたままつりの様子。

 花見にせよ、まつりにおける屋台にせよ、やっかいな存在だったのだろう。神聖な神社という空間において、酔っ払ったり騒いだりするとは何事か――と。しかし、坪内さんの『靖国』を読めばわかるように、靖国神社とはただの神社とは異なり、特殊な神社である。そこには誕生した頃から賑わいがあったはずだ。その賑わいを感じられるのが、ぼくにとっては花見であり、まつりであり、あの売店だった。

 「保守」とは、理念や観念によるものではなく、そこに流れてきた時間や、土地に堆積してきたものを尊重する立場であるはずだ。しかし、「御創立150年」のリニューアルによって、古くさい売店は一新され、ぴかぴかした売店にリニューアルされた。それを推し進めた人たちからすれば、毎年のように靖国神社に足を運んで、あの売店で一休みしていた人たちが、そこを慣れ親しんだ寄木のように感じていた心情など、顧みるに値しないものなのだろう。土着的なものなど、さっさと捨て去ってこざっぱりしたい対象でしかないのだろう。こんなふうに歴史を断絶させてしまうことに、挙句の果てに神社にあった土を覆ってしまうことに、保守派と呼ばれる人たちは憤慨しなかったのだろうか。

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 この日、営業していた売店は一つだけだったが、あとで検索してみると、他にも売店はあるらしかった。その一つは、たしか以前ここの売店で営業していたはずの――たしか靖国そばを販売していた――1軒だ。リニューアルオープン後は、「特攻の母」と慕われた女性が作っていたのを再現した玉子丼や、「戊辰戦争において歴史上関わりの深い会津や庄内のお米やお蕎麦」を用いた料理だとホームページに書かれている。会津と庄内は幕府側につき、靖国神社には合祀されていないはずだ。それらをメニューに用いたのは、どういうことだろう。結局のところ、「なにかのために命を捧げる行為」に美徳を見出しているだけなのが、現在の「保守派」ではないのか。

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 坪内さんはこんなふうにリニューアルされた風景を目にしていたのだろうかと思いながら、九段坂を下る。神保町まで出てみると、「浅野屋」に暖簾が出ている。リュックの中に『ユリイカ』を入れてあるので、今日渡しておこうと扉を開ける。まだお客さんはおらず、お店のお姉さんは『ユリイカ』を読んでいるところだった。渡しにこようと思ってたんですけど、遅かったですねと挨拶して、席につき、ビアサワーを注文する。営業時間を短縮して営業しているけれど、最近はほとんどお客さんがこないという。せめてお金を使おうと、おすすめとして黒板に書かれているなかから、一番高価なさば焼を注文する。ビアサワーは370円なので、2杯目は日本酒にする。ちびちびツマミながら、テレビを眺める。そろそろ食べ終えようかというところで、「これ、坪内さんがいつも必ず召し上がってたから、よかったら食べて」と、タコ天をサービスしてくれる。

 3杯飲んだところで店を出て、「東京堂書店」に流れる。資料として必要だった福澤諭吉の文庫本数冊と、気になる新刊を数冊買い求める。お会計は6千円ほど。ちょうど雑誌棚の近くに、昔からずっといらっしゃる店員さんの姿があったので、思わず声をかけてしまう。お忙しいところすみません、ライターの橋本というものなんですけど、この『ユリイカ』の中で、「東京堂」に立ち寄ったときのことも少しだけ書かせていただきました。話しかけた瞬間から、話しかけなければよかったと後悔する。酔っ払うと、なにかを伝えておきたいと思うのは悪い癖だ。ぼくが話し終えると、「ああそうですか、どうもありがとうございました」。そう語る店員さんは、とても迷惑そうだった。それはそうだろう。そんなことを言われても何があるわけでもなく、ただでさえこの状況に対応することで疲弊しているのだから。どうして話しかけたりしたのだろうと後悔しながら、逃げるように店をあとにする。

 うつむきがちに、御茶ノ水駅に向けて坂を歩く。途中で「キッチンカロリー」の前を通りかかると、「今夜のおかずにどうですか」と店員さんが通行人に呼びかけている。今夜のおかずを決めていなかったので、ポテトサラダとハンバーグ、それにキッシュを購入する。あーあ、そんなに買ってくださるんですか、いいお客さんだ。年配の店員さんはそう言いながら嬉しそうに金額を計算する。このくらいの買い物で喜んでもらえるならと、キッシュは2個買って帰ることにする。

 20時になって帰宅してきた知人と、何事もなかったかのように乾杯し、録画してあった『情熱大陸』を観る。先週に引き続き、今週も感染症に取り組む専門家である。専門家からすれば感染のリスクがある場面とない場面とがはっきり見えているのだろう、マスクをしていないシーンも多かった。セブンイレブンで買った赤ワインをひとりで空ける。ワインを買ったとき、レジの近くにあったプロ野球チップスを買っていたことを思い出す。楽しみにしている日記のひとつ、平民新聞プロ野球チップスが出てきたことが頭をよぎり、一緒に買ったのだ。入っていたのはカープ松山竜平と、西武の中村剛也で、それを見た知人が「おにぎりくん」と言う。それでは山下清だ。