5月9日

 6時半に目を覚ます。ノートパソコンを広げ、腹這いになって写真の整理をする。テレビでは「国の借金が2019年度末で過去最大となった」と報じられている。2019年度末で過去最大なら、1年後にはもっと大変なことになっているのだろう。コーヒーを淹れて、知人を起こし、J-WAVEを聴きながらオリーブのパンを食べる。毎日ラジオを聴いているわけではないけれど、たまに聴くのはJ-WAVEだ。他のチャンネルだと言葉を追ってしまうけれど、ほとんど言葉を聞き流せるのでJ-WAVEが丁度良い(ただし時折引っかかる言葉がある――昨日は「北関東のジャスティン・ビーバーことJOY」というフレーズが登場して、な、何を言ってるんだと作業が止まってしまった)。

 やっぱりJ-WAVEって落ち着くよね、と知人に話す。なんかおしゃれっぽいけど、おしゃれっぽさが何より田舎っぽくて落ち着く、それに比べるとTBSラジオとかのほうが、言葉とともにある感じが都会を感じる、と。オリーブのパンを食いちぎるように食べていた知人も、「TBSラジオは都会」と繰り返す。ラジオからは「春よこい」を誰かがカバーした歌声が聴こえてくる。ほどなくしてラップが始まる。単に「春よ、来い」をカバーしたのではなく、マッシュアップされた曲であるらしかった。その歌声には聴きなじみがあった。上京したばかりの頃によく聴いていた声だ。「うちんち、ユーミンち、割とご近所、この感じのジョイント」という言葉に続けて、「春よ、来い」のサビが歌い上げられると、知人は爆笑する。ひとしきり笑ったあとで、何かを発表するってことは、やっぱり、いろんな反応を受け入れんといけんってことよね、一生懸命作って発表しても、それが全員に伝わるとは限らんもんね、と急に真面目なことを言う。

 昼は昨日作ったカレーを食べた。テレビでは『王様のブランチ』が流れている。視聴者にリモート出演させる企画はもうやめにしたらしかった。「マイ・ベスト・テイクアウト&デリバリー」と題し、レギュラー出演者たちがいろんなお店を紹介している。ある女性は学芸大学にある「エンポリオ」のアサイーボウルを紹介していた。ランチにもデザートにもなる、と。こういった番組で何度となく耳にしたことがあるけれど、アサイーという食べ物を食べたことがない。こうやってテレビ越しに紹介される食べ物のほとんどは、自分自身の生活とは無縁のものだと思っている。そもそもテレビの中の世界のことを遠い異世界だと感じている。そんなことを話すと、「いや、私は普通に『今度ここ行ってみよう』と思いながら観てるけど」と知人が言う。

 午後もしばらく写真の整理をしていたけれど、この調子だと写真の整理をしているうちに5月が終わってしまいかねないので、ひとしきり整理したあとで『こころ』をチビチビ読んだ。知人はテレビでジャニーズの歌番組を流しながら、歌を口ずさみながら仕事をしている。17時、皿を手に「たこ忠」へ。今日はお刺身がたくさんメニューに書かれている。迷っていると、「鯛はさっき入ったばかりです」と勧められ、鯛と水だこ、それにホタルイカを注文する。あわせて1950円。家で食べる刺身としては豪勢だけれども、飲み歩くお金を考えれば安いものだ。それに、最近はお金のことを考えずに生活している。「そうしよう」と決めているわけでもないけれど、財布の紐を緩んでいるというか、紐が消えている。

 アパートに帰り、玄関を開けても、知人は仕事をしているらしかった。こんな素晴らしい刺身が家にやってきたというのに、そして刺身を買いに出たことは知っているのに、刺身をひと目見ようと玄関に駆け寄ってこないのか――と、こうして文字にしてみるとアホのような憤りをおぼえ、玄関に立ったままむすくれていると、玄関が開く音がしたのにそれ以外の音がしないことを不審に思ったのか、知人が顔を覗かせる。別に刺身のこと楽しみにしてないならひとりで食うわ、とむすくれていると、すごいねえ、もーちゃん、何にでも怒れるねえ、よくそんなことにまで怒れるねえと、知人がとても嬉しそうに言うので所在なくなってしまう。

 ぼくはこんにゃくの麺つゆ煮を、知人は青梗菜の干し海老炒めを作り、19時から晩酌。先日通販で注文し、今日の午前中にポストに届いていた『リチャード・ニクソン暗殺を企てた男』を観る。『タクシードライバー』を観たときに、この映画の存在を思い出したものの、ネット配信されていないようだったのでDVDを買っていたのだ。まだ学生だった頃に観て、とても印象に残った記憶がある。この映画も、今観れば「何だこれ?」と思ってしまうのかと不安になったが、今観ても――今観ると余計に――印象深い映画だ。待ち遠しい郵便物があると、映画のシーンが脳裏をよぎっていて、これは一体何の映画だったかと思い出せずにいたけれど、それはこの映画に出てくるシーンだった。うまく世の中に馴染めずにいる男の姿に、そして他人のフォニーっぷりを批判しながらも自分自身もいろんなことを誤魔化しながら生きている男の姿に、自分を重ねる、とは違うけれど、自分がサム・ビックだったかもしれないことを想像する。一緒に観ていた知人は「この主人公、ほんまにもーちゃんにそっくり」と言っていた。