5月8日

 気づけば朝になっている。眠らずに朝を迎えてしまったわけではなく、眠りについた記憶がなかった。眠っている知人にその旨を尋ねると、眠そうな顔でケータイを取り出し、画面をこちらに見せてくる。画面の中には、布団に腹這いになってパソコンを広げ、片手にケータイを持ったまま眠っている自分の姿がある。真夜中に市子さんにメールを送りたかったのだが、力尽きて眠ってしまったのだろう。「なんか突然パソコン広げ始めて、おーお、なんかやり始めたでと思いよったら、すぐ寝たで」と、知人が説明してくれる。

 テレビをつける。連休が明けて営業を再開したさまざまな場所が映し出される。教習所に、ボウリング場に、カラオケ店。一人カラオケを楽しんだ客が「我慢してたので、すっきりしました」と満面の笑みを浮かべていた。取り上げるニュースが切り替わってゆく。パチンコ店には引き続き自粛要請が出ているのに、「強行営業」に踏み切った店があると非難されている。ボウリングとカラオケが認められてパチンコが駄目というのは、どういうことなのだろう。ニュース番組の揚げ足を取りたいわけではなく、ほんとうに、一体どういうことなんだろう。厚生労働省が国内初の治療薬を承認したというニュースも見かけた。エボラ出血熱の治療薬だが、コロナの治療にも「効果が期待」されているのだという。ただし、副作用として肝機能障害が生じるおそれがある、とも。

 昨日、ジョギングしながら感じた街の雰囲気を思い浮かべてみる。皆、もうコロナの脅威は過ぎ去ったと感じているのだろうか。今月に入ったあたりから、「ゆるやかに騙されていくこの感じ」という、ZAZEN BOYS「USODARAKE」の歌詞がぴたっとくる感じがする。騙されていくといっても、陰謀論のように「わたしたちを騙そうとしている連中がいる」というのでなく、自分たちから自己暗示をかけようとしている感覚があって、テレビを眺めるたびに薄い違和感がある。日本政府が急に発信し始めた「新しい生活様式」という言葉と、それと並列するかたちで「韓国で社会活動が再開された」というニュースが報じられていると、なんだか全体的に解決したかのような心持ちになってしまう。そうであってほしいという願いと事実とが混じっている感じがして、こっちに進んでいいんだっけと思いながら、ぼくもそちらに進んでしまっているのだろう。

 アメリカでは「コロナパーティー」が開催されているとテレビが言う。しばらく前に報じられた「コロナなんてわたしたち若者には関係ない!」というノリのパーティーとは違って、「あえてウイルスに感染し、乗り越えるほうがよい」という考えに基づき、感染者と接触するのだという。さすがアメリカだわと思う。J・S・ミルの『自由論』に書かれていた多様性の擁護を思い出す。どんなに馬鹿らしいと思われる議論でも、それをする自由がある、現在の常識では推し量れない新しい何かを生み出す可能性があるのだから――と、雑にまとめればそんな話だったと思う。連想が広がっていくなかで、ふいにパナウェーブのことを思い出した。

 ラジオをつけてみると、J-WAVEでハリー杉山がMCをやっていた。金曜日の午前はジョン・カビラなのに、一体どうしたのだろうと不安に思っていたけれど、ポリープの手術をしたのだと途中で知る。CMが流れ、8月にJ-WAVE主催のライブが開催されると聴こえてくる。どうやって客席をつくるのだろう。誰かがブログで、座席が固定されたコンサートホールで、ソーシャルディスタンスを保てる距離を確保しようとすると、キャパの2割以下しかお客さんを入れられなくなると試算していた。それではとても利益を確保できないだろう。と、こんなことばかり書き綴っていると、「完全に収束するまで、一切の社会活動は再開されるべきではない」と考えている原理主義者のようになってしまうけれど、そういうわけではなく、客席という場所にたどり着けるのが一番最後になるのだろうなと感じている。

 朝は「ベーカリーミウラ」の食パンと茹で玉子を、昼は焼きそばを食べた。午後、引き続き写真の整理を続ける。その作業が大変だとわかっているから、10年以上放ったらかしてきてしまったのだが、やはり大変だ。次、次とボタンを押していくたびに、その写真から今の自分が受ける印象と、それを撮ったときの記憶を手繰り寄せる作業が頭の中で行われる。そこから、その写真を残すかどうかを判断する。2010年頃からは音楽のライブや演劇を撮影したものも増えてくる。「とりあえずたくさん撮っておこう」と、膨大な数の写真があるけれど、どこまで残すか悩ましくなる。他の人からすると似たようなカットに見えるかもしれない。でも、この様子を写真に収めていたのが自分だけだと思うと、消し去ってしまうのが不安になる。

 今日もあっという間に夕方だ。食パンを食べ切っていたことを思い出し、この時間だと売り切れだろうと思いながら「ベーカリーミウラ」に電話すると、まだ残っているという。2斤ほど取り置きをお願いして、布マスクをつけて散歩に出る。通販で購入した布マスク、1個1100円もしたのに、もうよれてきた。食パンと一緒にオリーブのパンを買って、「往来堂書店」を覗き、スーパーで買い物をして帰る。今晩は知人も仕事で遅くなるというので、酒を控えることに決めた。だから晩酌のツマミではなく、カレーライスを作って平らげ、日が暮れたあとも写真の整理を続けた。窓の外に見える広場には街灯がなく、ほとんど暗闇だ。22時過ぎ、その暗闇の中で、少年がバットを振っているのが見えた。