5月21日

 昨日の日記に書きそびれていたことを思い出した。昨日、一昨日はFさんから1時間近く話を聞いたけれど、雑談ならともかく、向き合って大事な話をしていると、相手の目を見つめることになる。相手も当然こちらの目を見る。そうやって1時間近く話しているあいだ、なんだろう、たじろいでしまった。ぼくは元からあまり人の目を見ないので、取材のときでも相手の顔ばかり見ているわけではない(相手の顔は見ないけれど、「あなたの話を聞いている)と伝わるように過ごしている)。だから、面と向かって大事な話をされるときや、あるいは観客席に座って役者を見つめているとき、目が合うととても動揺してしまう。相手の目をじっと見て、相手もこちらをじっと見ている――そういう状況から遠ざかっていたせいで、目が合うたびに少したじろいでいる自分に気づく。

 今日は8時に目を覚ました。天気が悪いせいで今日も部屋の中が暗かった。雨は降っていないようだけど、どうもジョギングに出る気になれず、グズグズ過ごしてしまう。キッチンには昨日買ってきた牛肉コロッケ80円が置かれている。昨日、三軒茶屋から帰ってきたあと、団子坂下のスーパーに立ち寄ったときに見つけ、思わず買ってしまったコロッケである。高田馬場に住んでいた頃は、すぐ近くに大きなスーパーがあり、惣菜コーナーも充実していた。たまにチキンカツやクリームコロッケを買ってきて、カレーにのっけて食べていた(ぼくにとってオジキのような存在である編集者のイキさんが「キッチン南海」でいつもクリームコロッケカレーを食べると聞き、何度か食べているうちに好きになった)。ただ、そこに住んでいたときでもコロッケを買ったおぼえはなくて、自宅にコロッケがある風景はなんだか不思議な感じがする。

 何時に作り始めようかとそわそわしているうちに12時になり、鍋に480mlの水を注ぎ、火にかける。こちらも昨日買ってきたサッポロ一番塩らーめんを開封し、茹でる。出来上がった塩らーめんを器に注ぎ、真ん中にぽとんとコロッケをのせる。不思議な光景だ。作り始めたときはもっと変わり種感が出るかと思っていたのに、コロッケをのせてみると、不思議と均整が取れている。自分にはなじみがなかっただけで、ある地域ではずっとこの料理が食べられてきたと言われても不思議ではないような、そんな佇まいだ。こんなふうに言葉にすると、筆をすべらせているようにも思えてくるけれど、ほんとうに違和感がなかった。はじっこをほぐし、麺と一緒に啜ると、芋の甘みとスープが合わさり、思った以上にうまかった。麺とコロッケだけでは満腹になれないのではと不安に思ってもいたけれど(2袋茹でようかとさえ思った)、コロッケの油がとけたスープまで飲み干すと、腹も満ちた。ただ、そうしてスープを飲み干したせいか、午後はずっと胃がもたれていた。

 

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 昨日も寒かったけれど、今日は一段と寒く感じる。風呂に湯を張り、入浴。5月15日の取材のテープ起こしをプリントアウトして、どうやって原稿にまとめようかと考える。最後まで見通しが立ったところで、『源氏物語』を風呂場に持ち込んで、最初の十数ページだけ読んだ。風呂から出る頃にはもう16時になっている。風呂場で書いた設計図を見ながら、原稿を書く。数時間前の自分が書いた文字なのに解読できない箇所もある。18時、皿を持って「たこ忠」へ。刺身のメニューが書かれたホワイトボードを見つめていると、大将が「今日は絶対、カレイとアジですよ」と教えてくれる。言われた通りにカレイとアジを注文する。きれいに盛り付けられたカレイは、少し寝かせてうまみを引き出してあるのだろう、捌きたてとは違った色味になっている。白身魚を食べるたび、なんだか申し訳ないような気持ちになる。ぼくが刺身として一番好きなのはぶりだ。正月に食卓に並ぶ魚といえばぶりで、そうやって育ったのだから、これはもう仕方のないことだ。死ぬ前に食べたいものは3つあって、今は名前の変わった「北辰鮨」のぼたんえびか、新潟の店で食べられる南蛮エビ丼か、金沢で食べたのどぐろの炙りだ。のどぐろは白身魚ではあるけれど、香りとうまみがわかりやすい魚だ。だから、ぼくは白身魚の繊細な味わいというものを理解できるとは思えず、たしかに美味しいと感じるものの、きっと味わいきれていないのだろうなと申し訳なくなってしまう。

 19時半に帰ってきた知人と乾杯し、「たこ忠」の刺身と、一昨日池袋で買ってきたサバの文化干しを焼いて晩酌。Netflixの入り口(?)に表示されてずっと気になっていた『マイケル・ジョーダン:ラストダンス』を観始めた。ぼくが小学生だったころ、Jリーグが開幕して、休み時間にサッカーをして遊ぶ同級生が増えた。ぼくもサッカーファンになり、G大阪の本波にあこがれ、将来の夢は中学生の頃までサッカー選手だった(サッカー部のない中学校に通っていたにもかかわらず)。当時のJリーグのあの感じは、田舎の小学生の感受性にぴたっとくるものがあった。ただ、同級生が皆でサッカーをしていたのは短い期間で、ほどなくしてバスケをして遊ぶ同級生が増えてゆく。それはスラムダンクの影響だったと記憶していたけれど、スラムダンクの連載開始は1990年、Jリーグの開幕は1993年だ(余談だが、ぼくと同い年のライターが、自分はサッカー部だったという話をするときに、「中学生のときにJリーグが開幕して、サッカー人気が……」と語っているのを聞き、この人はいまいち信用できないのではと思った。誰にだって誤記憶はあるけれど、サッカー部に入っていたと語る人がそんな間違いをするようでは信用できないと思った)。ただ、アニメの放送が始まったのは1993年の秋だから、それをきっかけにバスケで遊ぶ同級生が増えたのかもしれない。

 Jリーグは、ユニフォームやマスコットキャラクターの感じも小学生のセンスにぴたっときたのに比べて、バスケはちょっと大人っぽく、ぼくには馴染めなかった。隣町にあった西条プラザにある塾に通っていたころ、そこにはトレーディングカードを扱っているお店があり、たしかぼくは競馬のカードが見たくてときおり足を踏み入れていたようなおぼえがあるのだけれど、そこにNBAのカードもあった。グッズも扱っていたかもしれない。そのアメリカの手触りが、ここからとても遠いもののようで、ぼくはそれにあこがれを感じるというよりも馴染みのなさのほうを強く感じていたことを思い出す。

 あの当時、バスケに詳しくなかったぼくとしても、NBAと聞いて最初に連想するのはシカゴブルズの赤いユニフォームだった。なんとなくしか知らなかった――しかし何の知識もないのに存在だけ知っていた――人たちのドキュメンタリーを、今こうして観ている。とても不思議なことだ。知人は知人で、当時好きだった子がバスケ部だったことを思い出しているらしかった。それにしても、「あの試合のあの場面」ということを、関係者が克明におぼえていることに驚かされる。自分が今、興味のある「スポーツ」は何だろう。今日のプロ野球チップスには種市篤暉と糸原健斗が入っていた。箱買いしたプロ野球チップス、毎日一袋ずつ食べているけれど、カードが増えるにつれて「結局のところ君らは誰なんや」という気持ちが積み重なっている。試合を観られないせいだろうか。今日の朝、起きがけにYouTubeで観たのはミホノブルボンの映像だった。