5月27日

 7時過ぎに目を覚ます。ビールを3本飲んだだけなのに、身体が重く感じる。横で眠っている知人を起こし、朝ごはんは食べるかと確認すると、要らないという。冷凍してあったごはんを解凍し、たまごかけごはんにして平らげる。コーヒーを淹れて、知人を見送り、日記を書く。午前中はいつもあっという間に時間が流れてしまう。昼、カレーライス。郵便受けに『あまから手帖』の最新号が届いていた。特集は「お家で“外食”」だ。当初は旅特集が予定されていたが、今特集すべきは「関西の食の業界を応援する企画だ」と、急遽組まれたのだという。「SNSで多くの店がテイクアウトを始めたことを知り、それを速報としてお届けすることで、読者と、飲食店と、生産者を繋ぐことができるのではないか」と。それを読んで、なんだか申し訳ないような気持ちになる。ぼくの連載「家族のあじ」も、急遽取材が取りやめとなり、本を何冊か取り上げながら綴る「活字のあじ」として巻末に掲載されている。その書き出しはこうだ。

 原稿を書いている今は4月で、外食から遠ざかっている。近所の飲食店がテイクアウトや宅配を始めており、けっこう食生活は充実しているはずなのに、どこか物足りなさが残る。そこで私の欲を満たしてくれるのが本だ。それも、どういうわけか新刊ではなく古書である。

 こうして掲載誌が送られてくるまで、特集のことは知るよしもなかったとはいえ、特集とは反対のことを書いているように思われただろうか。ただ、そこに綴ったことは、4月上旬の偽りない気分だ。この日記にも書いているように、テイクアウトは頻繁に利用していて、晩酌のツマミは充実しているけれど、店に出かけることは「うまいものを食う」ことだけが理由ではなかったのだなと再確認した春だった。

 午後はウェブ「Q」の原稿を書く。按配が難しく、筆が進まず。もうすぐおこなわれる発表を記事にするのだが、その発表を出す人たちに対する距離感をどう書き込むかが難しい。その発表をおこなう人たちのウェブサイトに掲載するテキストであれば、ぼくは黒子のようになって語られた言葉を構成するだろう。でも、掲載されるのはその人たちのウェブサイトではなく、別のウェブメディアなので、そのアナウンスメントをそのまま横流しするわけにはいかない。そこには距離が必要だ。ただ、その距離の出し方というのも難しく、記事を読むのは、その発表をする人たちに対して好意的な人たちだけではないだろう。その人たちにもきちんと伝わる記事でなければ意味がなく、ああでもない、こうでもないと思い悩んでいるうちに夕方になってしまった。締め切りは明日だ。

 気分転換に外に出る。「往来堂書店」をのぞき、ドラッグストアに立ち寄る。消毒ジェルに、除菌スプレーも並び始めている。沖縄に出かけるにあたり、消毒に必要なものは揃えておきたいところ。今はキッチンハイターを薄めて、ちょこちょこ除菌しては干しを繰り返しているけれど、ホテルで暮らすにはそれも少し不便だろう。しかし、ビオレの1種類しかなく、その場で効能を検索するのも気が引けて、今日は買わなかった。もしかしたら「バー長谷川」が営業再開しているかもしれないと、今日は部屋着のハーフパンツからチノパンに履き替えてきたのだが、店の前には5月末まで休業予定ですという紙が以前と同じように貼られたままだった。