6月10日

 7時過ぎに目を覚ます。「明日から梅雨入り」とテレビが報じている。朝から洗濯機をまわし、掛け布団を干す。あっという間にお昼になってしまう。昼は冷凍しておいたカレーライスを解凍し、平らげる。食後、寝転がりながらケータイをいじっていると、毎日の楽しみである「平民新聞」が非公開設定になっており、動揺する。そこにはメルカリのリンクが貼られていて、アクセスしてみるも日記が売られているわけではなく、あたふたしながら何度もクリックしてしまう。しばらく経って、「日記はそのうちメルカリで販売します」という一文が追加されていたのでホッとするも、日々の楽しみがなくなって寂しくなる。しかし、文章をタダで読めてしまえていたのが贅沢だったのだろう。

 午後、神保町の「スヰートポーヅ」が閉店すると知る。『路上』で「スヰートポーヅ」の前を通りかかったのは4月21日のことで、そのときは「4月27日まで休業させて頂きます」と張り紙が出ていた。でも、5月下旬に神保町に出かけたときも、「スヰートポーヅ」は閉まったままだった。あの日、すずらん通りを歩いていると、「キッチン南海」の前に車椅子に乗った老人がいて、店員さんがその老人に話しかけているところに出くわした。会話の内容は聞き取れなかったけれど、「暖簾分け」「神保町シアター」という単語だけ聞こえてきて、てっきり「キッチン南海」とはまったく別の店がそこに暖簾分けの店を出すのだろうと思い込んでいた。こうして神保町の風景が解体されていく様子を、坪内さんはどう語っただろう。坪内さんはマスクをしただろうか?

 晩ごはんは何にしよう。毎日そのことばかり考えて過ごしているように思えてくる。知人にLINEで尋ねてみると、「はしもと」と帰ってくる。そうか、焼き肉か。夕方になって買い物に出て、まずは「往来堂書店」に立ち寄る。何冊か手に取り、会計を済ませる。ちょうど店主のOさんがレジに立っていて、髪型に驚かれる。レジ前には今日が発売日の『文藝春秋』が積み上がっていて、やっぱり売れるんだなあと漠然と思っていたけれど、そういえば今月号にはOさんが寄稿しているんだったと思い出し、引き返してそれも買う。普段なら混雑している時間帯なのに、スーパーは空いていた。580円の「焼肉セット」を2パックと、ナムルのセットを買う。焼肉セットは300グラムだ。なんとなく2パック買ってしまったけれど、これは適量なのだろうか。団子坂をあがりながら、ケータイで「焼肉 自宅 一人前」と検索する。大体300グラムがひとりぶんだと出てくる。だからこれで十分なのだけれども、とびきり美味しい肉を付け足そうと肉屋にも立ち寄り、100グラム880円のミスジを100グラムだけ購入しておく。

 知人の帰りを待って、19時半、コンロの前で立ち食い焼き肉を始める。まずは塩胡椒を振ったミスジを焼き、そのまま食べてみる。ウマイ。ミスジがどこの肉だかもわかっていないけれど、あんまり美味しくて、それを食べてしまったあとはほとんど余韻のようになってしまう。2パック買っておいた焼肉セット、1パックだけで満腹になってしまって、残りは明日食べることにした。「これはもう、少なくとも牛角に行くことはないやろね」と、焼き肉の余韻にひたりながら知人が言う。今日食べた肉は、ふたりで1460円だ。ビールとナムルを足したところで、ふたりで3000円程度。それで満足できるのだから、よっぽどめでたいことがあって「今日は上等な肉を食べに行こう」と思わない限り、焼き肉はこれから家で済ませてしまうだろう。それは近所の肉屋の売り上げには貢献するものの、牛角の売り上げは落としてしまう。そうした積み重ねが街の風景を変えていく。食器を洗いながら、なぜか後ろめたさをおぼえる。

 5月7日深夜に放送された『岡村隆史オールナイトニッポン』の録音を聴く。発言が問題視された放送の翌々週の回で、スタジオには矢部浩之もいる。放送の中で、ふたりが高校時代を振り返る。初めてサッカー部で出会ったときのことを矢部が語る。部活の先輩である岡村が、グラウンドを走っている姿を最初に目にしたとき、矢部は「笑った」のだと言う。当時の岡村はロン毛で、ぱっと見は小汚い印象であるのに、(毛深いのがコンプレックスだから)腕と腿の毛を脱色しており、そこがきらきら光っていたのだ、と。岡村はサッカーがうまくなかったのに、部活の中で目立つ存在で、皆から「踊れ!」と言われてクルクル踊ったり――「あなたの嫌いな、たぶん、矢部に笑われてんねん。たぶんそうやねんけど、それがものすごいおもろかった」。その言葉に、ナインティナインというコンビの姿がはっきり見えたような気がした。高校生の頃からテレビの中で観てきた彼らは、ずっとその姿のままだったのだと、ふたりの会話を聴きながら思い返す。