6月9日

 7時過ぎに目を覚ます。ワイヤレスイヤホンでラジオ(録音した『オードリーのオールナイトニッポン』)を聴きながら、コーヒーを淹れていると、ポットが一杯になっているのに気づかなくて溢れさせてしまう。ラジオに夢中になって、ときどきやってしまう。たまごかけごはんを平らげて、10時半、ジョギングに出る。最近サボりがちだから、今日は長い距離を走ろう。せっかくだから走ったことのない道をと、綾瀬を目指して走ることにする。まずは西日暮里に出て、そこから尾竹橋通りを北東に進んでゆく。山手線、舎人ライナー、京成本線とガードを3つくぐると、途端に風景が変わる。建物の背が低く、坂がなくて平らだ。「ファミリー」という、古ぼけた看板。すぐ下には「弁当」「24時間営業」と書き添えられている。お弁当屋さんが「ファミリー」と名づけるというのはいいなあ、ちょっと時代も感じさせる。少し先にはぽつんと看板建築も見かけた。しかし、「ファミリー」も、看板建築の不動産屋も、現在では営業しておらず、看板や建物だけが残っているのだった。その姿を写真に収めておく。普段は街並みに対して「いいなあ」と思わないようにしているのに、なぜだか今日は素朴にそんな感想を浮かべてしまっている。

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 水色の橋が見えてくる。あれがきっと、通りの名前の由来となった尾竹橋なのだろう。隅田川を渡り、せっかくだから河川敷に下りてみる。モニュメントが目に留まり――正確にはその横に設置された案内板に写真が掲載されているのが目に留まり――近づいてみると、それはここにお化け煙突があったことを示すモニュメントだった。いつだか『こち亀』で読んだあのお化け煙突だろうか。『こち亀』を通じて得た知識はたくさんあるなと思いながらジョギングに戻る。少し先に、アウトドア用のリクライニングチェアを広げ、日光浴をしている二人組が見えた。走っているうちに、その姿がはっきり見えてくる。夫婦だろうか、ぼくより少し若いくらいだ。男性は上裸になっていて、きっと肌を焼いているのだろう。びっくりしたのは、リクライニングチェアの近くにあれこれ荷物を広げてあるのに、二人とも熟睡していたこと。ほとんど人が通りかからないのだろう。

 Googleマップを確認すると、このまま河川敷を進んでしまうと綾瀬にたどり着けないようなので、土手に上がって方向転換する。住所表示に「千住桜木」とあり、「上野桜木」だけでなく「千住桜木」もあるのか。通りには「墨堤通り」と看板が出ていた。あまりにも下町らしい名前にくらくらする。さっきのお化け煙突もそうだけど、「下町」の世界というのは漫画や活字を通じて触れるものだったので、そこを自分がジョギングしているというのは不思議なことだ。「モカ」という、あまりにも渋い佇まいの喫茶店を見かけた。二つの川に挟まれたこの場所に、どんな時間が流れてきたのだろう。千住桜木町の交差点に出ると、正面に西新井橋がドーンと見えた。尾竹橋に比べると、圧倒的に大きく見える。風景がひらけている。対岸に高速道路の高架があって、その先には背の高い建物が見当たらず、高架がまるで地平線のようだ。河川敷には野球場が何個も連なっている。さきほどの隅田川沿いと違って、こちらはジョギングしている人の姿を見かけたものの、それもごく数人だ。こんな広々とした場所で、ほとんど貸し切り状態で過ごせるなんて、とても贅沢だ。徒歩圏内にこの風景があったら、どれだけ楽しく過ごせるだろう――そんなふうに思ったことは確かなのに、ぼくはきっとここに住むことはないのだろう。荒川の河川敷を東に進んで、千代田線の高架をくぐり、つくばエクスプレスの高架をくぐる。高架にわざわざ何の線路か書いてくれている。

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 高架を過ぎたところで土手に上がり、土手をくだる。なるほど、土手だ。こんなふうに晴れ渡った日には河原を見渡す道にしか見えないけれど、これは堤防として築かれたものなのだなと思いながら、階段を駆け下りる。その先にある信号には「東京拘置所前」と書かれていて、近くの建物に「保釈保証金/立替えいたします」と看板が出ている。走っていくと東京拘置所の建物が見えてきた。敷地を囲うフェンスには「撮影禁止」と張り紙が出ていた。少し先にセブンイレブンがあり、もしかしたらここにも地域性があるのではと立ち寄ってみたけれど、こども向けのおもちゃが多いのと、在庫処分の棚に鬼の面と豆のセットがいまだに残っているだけで、特に変わったところは見当たらなかった。学校は短縮授業になっているのか、小学生たちが下校している。しばらく進むと、今度は綾瀬川に行き当たり、そこにも高速道路が架けられている。川べりには団地が建ち並び、あちこちに布団が干してある。その隙間から拘置所の姿が見えた。川を越えて、今日の目的地である綾瀬にたどり着く。いつだか『QJ』で、木村カエラが表紙を飾った号がある。彼女は巻頭インタビューの中で地元・綾瀬のことを語っていて、巻末に掲載された坪内さんの連載では綾瀬の記憶が綴られていた。綾瀬という地名を見るたびに、そのことを思い出す。初めて訪れた綾瀬で、何をするでもなく改札をくぐり、千代田線に乗って千駄木まで引き返す。

 アパートにたどり着く頃には12時半になっていた。今日の夜は読書委員会があるので、途中でお腹が減ってしまわないようにと、14時まで我慢してからお昼を食べた。昨日のカレーの残り。16時過ぎにアパートを出て、千代田線で大手町に向かい、YMUR新聞社へ。10週間ぶりの委員会だ。ただ、書評したいと思える本は見当たらず。18時半、本の“セリ”が始まる。この委員会は、本の山の中から気になるものを取り出し、書評検討本として委員全員で回覧し、それが書評に値するかどうかをチェックするという仕組みになっている。そして“セリ”の時間になると、その本を回した委員が取り上げたい理由を説明し、その本に問題があるのであれば他の委員からコメントが挟まれたり、「その本は自分が書評したい」と手をあげたり、そんな手続きを経て、書評検討本が決まる。回覧された本の中に清原和博の著書があった。気になって最初のほうに目を通すと、執行猶予があけるのが怖い、自分は何も変わっていないという声があり、いたたまれない気持ちになる。その本の”セリ“がおこなわれたとき、その本を回覧させた方は、「また手を出すと思いますけど」だったか、言いまわしは忘れてしまったけれど、そんなマクラから本の説明を始めた。そして会議室に笑いが起こる。まえがきに書かれていた声を思い出して、いやな感じをおぼえながらも、ただ座っていることしかできなかった。

 会場の隅っこには缶ビールが何本か用意されていたのだが、時節柄お弁当の提供が見送られていることもあり、ビールを飲む人はほとんどいなかった。委員会が終わったあと、会議室ですぐに1本飲み干して、新しい缶を手にビルの外に出る。せっかくだから歩いて帰ることにする。大手町から御茶ノ水に出て、坂を上がっていると、「ニコライ堂前」という看板に出くわす。このタイプの看板、かつて都電が走っていた場所に設置されているものではないかとボンヤリ認識してきたけれど、実際のところどうなのだろう。歩きながらあれこれ検索してみると、やはり都電の停車場の名残りであるらしく、「電停標識」と呼ばれるものだと知る。湯島から根津へと歩く。企画「R」で歩いた道だが、昼と夜とではまったく雰囲気が違っている。21時過ぎ、根津の「バーH」の引き戸を開くと、マスターのHさんがグレーのマスクをつけている。

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