6月16日

 9時過ぎ、ジョギングに出る。国際通りのヤシの木が大きく揺れている。普段なら朝でも観光客がノンビリ歩いていたりするのに、今日はほとんど人通りはなく、行き交うのはほとんど地元の人たちだ。2組だけ観光客らしき姿を見かけた。スーツケースを引いていなくても、佇まいでなんとなく観光客だとわかる。ぼくもきっと、地元の人からそう見られているのだろう。国際通りを走り抜け、安里十字路に出る。そこから大道、松川と走る。「ファミリー居酒屋」という看板が目に留まる。ファミリー居酒屋。走っていると「坂下」という文字が見えて、どこに坂があるのだろうと思っているうちに上り坂になった。松川の交差点で右に逸れると、首里寒川町になる。Googleマップを眺めながら、金城町石畳道の入り口までたどり着いたところで南に曲がるつもりでいたのだけれど、そこから先は猛烈な上り坂だ。あきらめて違う道を走ろうかとも思ったけれど、その坂の上にある景色が見てみたくなって、駆けのぼる。坂の勾配は10パーセントだと標識が出ている。すぐに走れなくなって、坂の頂上までヨタヨタと歩く。頂上からはあたりが見渡せた。Googleマップによれば、正面に見える茂みの中に首里城があるはずだ。

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 道はすぐに下り坂になった。下った先は繁多川だ。名前は知っているし、地図でもなんとなく目にしたことがあるけれど、こうして走っていると地図が体感できる。7キロほど走って、10時にホテルの前まで帰ってくる。急坂があっただけでなく、那覇の歩道は細かい起伏が多くて、くたくたになる。「ファミリーマート」(国際通り中央店)に寄り、アイスコーヒーを買う。マシンのそばに消毒液が置かれていて、「手指の消毒にご協力ください」と大きな貼り紙がある。ホテルに戻ってシャワーを浴びて、昨日の日記をこまかく書く。今の風景をメモしておきたいという気持ちもあるけれど、もしもぼくがウイルスを保有していた場合に、行動経路が辿れるようにという気持ちもある。12時過ぎ、ドアをノックする音が聴こえる。マスクをつけて扉を開けると、清掃係の男性が立っていた。ゴミ捨てとタオルの交換だけお願いしますとお願いして、ゴミ箱と使い終えたタオルを持っていくと、素手で受け取ってくれる。そして、新しいタオルを持ってきてくれる。沖縄ではもう一ヶ月以上新規感染者が出ていないけれど、ホテルに泊まっているのは基本的に県外からやってきた人たちだ。「素手で触らないほうが安全ですよ」と伝えたくなったけれど、クレームをつけているように思われそうなのと、国籍を理由にそうやってケチをつけられているのだと思ってしまわないだろうかと考えて、結局何も伝えなかった。感染を拡大させるリスクを最小限にした行動をとった気になっているけれど、もしもぼくの中にウイルスがいれば、こうしてタオルを交換してくれる彼にうつしてしまう。

 13時頃になってホテルを出て、界隈の様子を写真に収めながら歩く。昨日は通りの静けさに気を取られていたけれど、あきらかに空き店舗が増えている。ある場所で写真を撮り、画像を確認していると、少し離れた場所からこちらに近づいてくる人の姿が視界の隅に見えた。その軌道から、ああ、これはぶつかりにきているのだなと察知する。「避けた」という格好になってしまうと面倒なことになってしまう予感がしたので、ぼくはケータイを見ながら歩き、あと三歩でぶつかるところで「あ、こっちか」と方向を転換し、そのまま路地に入って姿を消す。外からやってきた人間が呑気に写真を撮って歩いていることを、気に食わないと思う人だって当然いるだろう。人が暮らしている土地に出かけて取材をするということは、そう受け取られる可能性を常に孕んでいる。

 ひとしきり歩いてから、仮設市場に向かった。買い物客の姿はなく、閑散としている。動揺しながらも二階へ上がる。仮設市場に移ってからというもの、満席というほどではないにしろ、お昼時であればそれなりに賑わっていた。でも、どのお店にも、ほとんどお客さんの姿はなかった。前に取材させてもらった「道頓堀」に入る。店の一部で陶器が販売されている。マスクをつけたままメニューを吟味して、生ビールと揚げ島豆腐、天ぷら三種盛り合わせを注文。ビールを運んできてくれた佐和美さんが「今日は暑いからね。このビールはよく冷えてますよ」とジョッキを差し出してくれる。ビールを飲みながら、フロアを眺める。そこには外貨両替機が設置されている。今ではもう、どうしてここにこんな機械があるのか不思議なくらいだ。どこかの店員さんが台車を押しながらやってきて、エレベーターのボタンを押す。エレベーターを待つあいだに、思い出したように除菌液を手に取り、擦り込んでいる。それを見ていた「きらく」の店員さんが「潮くさいよ」と声をかけると、店員さんは手を嗅ぎ、笑っている。買い物袋を提げたおばあさんがやってくると、店員さんがすすすすとエレベーターのところに行って、ボタンを押してあげている。信じられないくらいゆったりとした時間が流れている。

 2杯目のビールを注文する。一階の魚屋さんが、観光客とおぼしき二人組を連れてやってくる。観光客が買ったワタリガニを「道頓堀」まで届けると、魚屋さんは一階に引き返してゆく。以前の公設市場では、魚屋さんはせわしなく一階と二階を往復していたけれど、今日はゆっくり、ゆっくり階段を降りてゆく。その姿を見送っていると、佐和美さんが僕に気づいてくれて、「あれ! マツモトさん!」と声をあげる。「あらー、女性は髪を切ると変わるって言うけど、男性もこんなに変わるのね」。アゴのところにずらしていたマスクを元の位置に戻して、しばらく話す。聞けば、店の一部に並べられた陶器は佐和美さんの作品だという。定期的に個展を開催しているのだが、この時期だとギャラリーを借りてもきてもらえる自信がないからと、お店の一部でやることにしたのだという。公設市場自体は5月中旬から営業を再開していたものの、二階の食堂の大半は5月末まで休業していたそうだ。しばらくして、料理が運ばれてくる。3杯目のビールを注文する。天ぷらの盛り合わせの皿にはナイフとフォークが添えられていて、「よかったら、切り分けるのに使ってね」と言ってくれる。佐和美さんがかつてフランス料理店で働いていたことを思い出す。「紅生姜の天ぷらにはね、ソースも合いますよ」とおすすめされて、訝しがりながらもソースをかけて食べてみる。ウマイ――と思うのと同時に、焼きそばに紅生姜が合うのだから、訝しがることもなかったなと反省する。

 食事を終えて店を出たところで、組合長の粟国さんと出くわす。「いや、大変ですよ」。第一声で粟国さんはそうつぶやいた。フェイスシールドをつけて、マスクもしている。日曜日に取材させてもらう約束をして、一階に降りる。「長嶺鮮魚」で刺身の盛り合わせを買う。「ご無沙汰してます、髪型がずいぶん変わってますけど――」。そうやってご挨拶しようとすると、皆まで言わなくてもわかってる、といったそぶりで次江さんが応じてくれる。缶ビールもありますかと尋ねると、ちょっと用意するから、座って待っててと次江さんが言う。イートインのテーブルに移動すると、近くの魚屋さんが休憩しながらお昼ごはんを食べているところだ。仮説市場に移転してからも、外国人観光客の姿があった頃は常にテーブルが埋まっていたから、これも前だと考えられないことだ。市場の外に出かけていた次江さんが、ビニール袋を提げて帰ってくる。別の魚屋さんに「何かいいもの買ってきたの」と声をかけられている。わざわざ外までビールを買いに行ってくれていたのだった。

 テーブルのすぐ隣にある魚屋さんは早仕舞いするらしく、片付けを始めている。営業を続けているお店も、買い物客はほとんどやってこなくて、店員さんたちはただ立ち尽くしている。想像していたよりずっと大変な状態だ。しかし、観光客がストップしているとはいえ、こんなに閑散とするものなのか。一年前の今日、公設市場の一時閉場に詰めかけた人たちはどこに行ってしまったのだろう。

 15時にホテルに戻って、企画「R」のことを考えだす。ただ、ホテルで過ごしていても、言葉は浮かんでこなかった。シャワーを浴びて、18時過ぎにホテルを出る。公設市場の外にあるテーブルで原稿を考えようかと思ったけれど、大量の缶を並べて酒盛りをしているシニアの男女の姿があり、そこにいるとこっちも酒が飲みたくなってしまいそうなので、「スターバックスコーヒー」(那覇国際通り牧支店)に入店。入り口近くのカウンター席に座って、ノートを広げ、原稿を書き始める。ガラスの向こうにはむつみ橋の交差点があり、居酒屋の客引きが何人か立っているのが見えた。スターバックスには次から次に制服姿の子たちがやってきて、真っ赤な飲み物をテイクアウトしてゆく。何組か目の高校生が店を出ると、交差点にいた客引きの子がそちらに手を振った。同級生のようだ。ぼくがスターバックスで原稿を考えているあいだ、彼女を含めて、客引きは誰もお客さんをつかまえることができなかった。

 一度ホテルに引き返して、ノートに手書きした原稿をパソコンに入力する。20時過ぎ、再び外に出て、「足立屋」でせんべろセットを注文。前は1000円で「ドリンク3杯+おつまみ1品」だけだったが、「ドリンク4杯」も選べるようになっている。外の立ち飲みはわりと空いているけれど、店内はお客さんで埋まっていた。外のカウンターでは常連風のお年寄りが飲んでいて、店員さんを呼んでスプレーをかけ、「すーっとするだろ?」と笑っている。虫除けスプレーなのだろうか、こちらで飲んでいるビールまでミントの匂いになってしまう。お年寄りは店員さんをひとりずつ近くにこさせて、スプレーをかけている。調理場に立つ店員さんまで呼び出して、マスクを外させて、そこにもスプレーをかけている。当然ながらそんなマスクをつけられるはずもなく、調理場に戻ると、店員さんはマスクをゴミ箱に捨てていた。こっちに流れてくるミントの匂いに腹立たしく感じる一方で、「こんなふうに迷惑をかける年寄りになってしまったら」と自分の老後を想像する。

 ビールを3杯飲んで、今日も栄町市場を目指す。ハイアットリージェンシーを見上げると、客室にはいくらか灯りがともっていた。21時、おそるおそる「東大」の扉を開ける。昨日通りかかったときに、「新型コロナの影響のため営業時間を変更します」と貼り紙が出ているのを確認していた。以前は21時半過ぎからの営業だったのが、今は18時から23時の営業に変わっているようだ。この時間だとまだ混雑しているのでは――そして、混雑した状態だと、東京からやってきたぼくは入店を断られるのでは――と心配になり、おそるおそる扉を開けたのだ。坊主頭になっているのと、マスクをしたままであるのとで、店員さんはぼくのことをしばらくじっと見て、「ああ、はしもっちゃん!」と声をあげる。「入って、入って。髪型が違うから、三度見したよ」と、入り口近くのボックス席に案内してくれる。

 お客さんはカウンターに2人、奥のテーブル席にひとり客が2組いるだけだ。そして、店内のいたるところにビニールカーテンが設置されている。店員さんが残波のボトルを持ってきてくれる。そこに書かれた日付は「3/17」だ。洗いやすいように買い揃えたのだろう、氷はアイスペールにではなく、小さなザルに入れて運ばれてきた。「大変だったよ」。店主の美也子さんは一言、そう話した。3月の終わりから、お客さんの流れに違和感があり、「これは危ないかもしれない」と感じていたという。4月の初めのある日、いつものようにシャッターを上げたものの、「これは危険だ」と察知して、数分だけ営業してすぐに閉めて、仕込んでいたおでんも近所の人たちに分けて、それから6月になるまで店を閉めていたのだという。待ち時間なしで注文できることもあって、焼きてびち(特ミニ)を注文し、ゆっくり味わいながら平らげる。

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