6月17日

 6時に目を覚ます。ゲストハウスに滞在しているときも、今回のようにホテルに泊まっているときも、朝はいつもぐずぐずケータイを眺めて過ごしてしまう。9時45分になってようやく外に出る。てんぶす那覇の前にある広場はがらんとしている。その広場に立つと、大型ビジョンに自分の姿が映し出されるから、いつも誰かがそこに立っていたのに。今は大型ビジョンも真っ暗だ。10時ちょうどに、カネコアヤノさんが「一番好きなハンバーガー屋さん……」とツイートしていた「BABY BABY」(牧志店)にたどり着く。表に「HUMBURGER & BOOKS」の文字がある。どうして今までこのお店のことを知らなかったのだろう。さんざん歩いた気になっているけれど、見落としているものはたくさんあるのだと思い知らされる。

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 扉を開けようとすると、鍵がかかっている。早く来すぎたかもしれないなと思っていると、店員さんが扉を開けて、中に入れてくれる。ハンバーガーのコンボとオリオンビールを注文。ハンバーガーが焼き上がるのを待ちながら、本棚を眺める。そこに青柳いづみさんが表紙の『en-taxi』があり、自分が関わっていた雑誌があることに嬉しくなる。15分ほどでハンバーガーが運ばれてくる。コンボにはマッシュポテトとかりかりに焼いたベーコンがついてくる。豪華な朝食だ。最初のうちは口の周りにソースがつかないように、気を使いながら食べていたけれど、途中から何も気にせず頬張る。食事をするとき、体裁を気にしてしまうのは悪い癖だ。夢中になって食べ終えたところで、プレートの下にハンバーガーを包む紙が添えられていたことに気づく。このお店はもうすぐ閉店してしまう。ただ、どこか移転先を見つけて再開予定だというから、その日がきたらまた食べにこよう。

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 帰り道、てんぶす那覇の前を通りかかると、大型ビジョンは画面がオンになっていた。ただし、そこにはあいかわらず人の姿はなかった。界隈を歩き、前に取材させてもらった「三芳商店」にご挨拶。市場の解体工事が終わり、そこを囲っていた壁が取り払われたせいで、暑くて仕方がないという。何か対策をしてもらえないかと市に問い合わせたところ、もう少ししたら建設工事が始まるから、それまで待って欲しいと言われたとのこと。建設事業に入札がなく、事業者が未定の状態だったけれど、ようやく入札がおこなわれたらしかった。「だから、こんなふうに更地の状態が見られるのも今だけですよ」と店主の方が言う。たしかにその通りだ。昨日もフェンス越しに写真を撮ったけれど、今日はいろんな角度から撮影しておく。まだ10時台だというのに、汗が滴る。「市場の古本屋ウララ」はもうオープンしていた。マスク、思っていた以上に暑いですねとぼくが言うと、浮島通りを越えた先にフェイスシールドを売っているお店があると教えてくれた。

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 ひとしきり写真を撮ったところでホテルに引き返す。昨日の日記を書いているうちにもう14時だ。再び外に出て、「ザ・コーヒースタンド」でアイスコーヒーを買う。コーヒーを淹れながら、「3週間くらい前に聞いた数字でも、店を閉めるところがかなり出てきてるみたいですね」と店主が教えてくれる。「大きな区画で貸してたところが、たとえばその家賃が50万だとすると、貸してたお店が閉店してしまうと、50万の家賃収入が一気になくなってしまいますよね。そこを小さな区画に分けて、10万ずつで貸した方がリスクヘッジになると考える大家さんが出てくれば、若い人も新しく商売を始めやすくなって、面白い店が出てくるかもしれませんよね。ここは地元の人がわざわざ行こうと思える店が少ないけど、魅力のあるものが増えれば、お客さんが増えるんじゃないかと思うんですけどね」

 アイスコーヒーをテイクアウトして、パラソル通りで企画「R」の原稿を書く。宇田さんから「あとでサインをお願いします」と頼まれていたので、15時過ぎ、「市場の古本屋ウララ」に向かう。宇田さんも「ザ・コーヒースタンド」のアイスコーヒーを買っていて、「私が買いに行った時に『さっき佐藤さんがきた』って言われて、佐藤さんって誰だろうと思ってたんですけど、橋本さんだったんですね」と宇田さん。顔はおぼえてもらっていても、そんなに何度も名前を名乗るわけではないから、内地っぽい名前でおぼえられている――ということはたまにある。「これ、よかったら使いますか」とボディペーパーを差し出してくれる。「もしかしたら匂いが好きじゃないかもしれないけど、スーッとするから」と、セトさんが送ってきてくれたのだという。これを首に置いておくだけでも涼しいんですと言われて、腕や首を拭いたあと、首にひっつけておく。扇風機の風が当たるとひりひりするほど涼しく感じる。そして、高校生の頃が懐かしくなる匂いだ。

 サインをする前に、こっちにきてから考えたことをぽつぽつ話す。今月の取材は、「今こそ公設市場に」という記事になればと思っていたけれど、事業者の方は心が折れている感じがして、そこで「今こそ公設市場に」と書くのは無理やりになってしまう――と、そんなことを話していると、「心が折れてるっていうことで、いいんじゃないですか?」と宇田さんが言う。無理やりなにかのストーリーを作らなくても、「心が折れてるけど、それでも毎日開けている」ってだけでもいいのではないか、と。自分の目が曇っていたことを痛感する。

 話しているうちに、「橋本さん、3月にこられたときはマスクしてなかったですよね」と宇田さんに指摘される。ぼくは「マスクをしていなかった」という意識がなく、うろたえる。え、マスクしてませんでしたっけと聞き返すと、「はい、私はマスクをしてて、橋本さんはマスクをしてなくて。このあたりのお店の人も、3月はマスクをしてる人が多かったんです」とUさんが言う。あのとき、飛行機に乗るときにマスクをつけていたことは記憶にある。ということは、飛行機の中ではマスクをしていたけれど、那覇のまちなかを歩くときは外していたのだろうか。3月下旬に、海外にいくはずだった卒業旅行の行き先を石垣島に変えて、酒を飲みながらはしゃぐ大学生をテレビ画面越しに眺めて、「おいおい、感染が拡大するだろ」と思っていたはずなのに?

 来月はどこに取材するつもりなんですかと尋ねられて、そうだ、来月のことも考えないといけないんだったと気づかされる。すでに取材させてもらってあるお店はあるのだけれど、そこはまだしばらく休業を続けるらしく、休業中に掲載するのは申し訳ないことだ。Uさんから「太平通りのお店も、いつか橋本さんに取材してもらいたい」と言われて、気になっていたお店の存在を思い出す。コロナで営業を自粛するお店が続出するなかで、太平通りには生活を支える惣菜屋さんも多く、営業を続けられていたお店もたくさんあるらしかった。今回の滞在中に取材させてもらうか、あるいは来月もう一度くるか。一番心配なのは、これからの季節、飛行機に乗ることだ。今はまだ空いているけれど、これから先は混み始めるだろう。そこさえ避けられたらと考えていると、「前に高松から乗ったとき、ちょうど修学旅行生がたくさん乗ってたんですけど、修学旅行生がいなかったらがらがらだっただろうなと思います」とUさんが言う。そうか、羽田か成田から飛ぼうとするから混雑するけれど、どこか小さな空港まで移動すればよいのだと気づく。

 そうだ、サインだと思い直し、ペンをお借りする。これまでは識語を入れてきたけれど、今この状況で何か言葉を添えようとすると、わざとらしい言葉になってしまう気がする。「言葉はなしでもいいですか」と尋ねてみると、言葉がないってことですか、でも、これまで書いてきたのだし、あれから一年経った今の言葉を、と言われて、しばらく考える。アーケードが撤去されて、囲いも取り外された今、そこにはブルーシートが張られている。市場が解体されてから、西日がもろに射し込むようになって、何度か市にお願いしたもののどうにもならず、許可をとって自分たちでブルーシートを張ったのだという。西日が挿し込む市場中央通りにて、と書いて、その下に日付とサインを入れる。

 17時15分、「喫茶スワン」。クーラーが効いていて快適だ。ハンバーガーを食べたきりだったので、ミックスサンドとアイスコーヒーのセットを注文。食事を終えて原稿を考えていると、常連のお客さんが「すいません、ちょっと歌いましょうね」とこちらに断りを入れる。もちろんです、どうぞどうぞと答える。そのお客さんがひとりで何曲か歌ったあと、店主の節子さんと交互に歌った曲がある。それは八代亜紀の「もう一度逢いたい」で、「うらむことさえ/出来ない女の ほつれ髪」という歌詞に、インタビューしたときに聞かせてもらった節子さんの半生を思い返す。18時45分になって店を出て、居酒屋「信」の前を通りかかると、カウンターに組合長の粟国さんの姿があった。このお店に飲みに立ち寄るのは申し訳ないかなと思っていたのだが、粟国さんにちょっと相談したいことがあって、扉を開ける。すると、店主の信さんから「はい、座って」と促され、テーブル席に座る。注文しなくとも、ビールと、お通しが運ばれてくる。「セットで作ってるからね。このあと餃子も出るから、食べてよ」と信さん。テレビでは新型コロナウイルスのニュースが流れる。「年寄りが旅行に出られるのは来年になるだろうね」と信さんに言われ、うまく返すことができなかった。ビールを3杯飲んで、粟国さんに取材させてもらう時間のことを相談して、お店をあとにする。ホテルに帰る前に、国際通りの土産物屋「おきなわ屋」に立ち寄り、シーサー柄の扇子を購入しておく。

 ホテルでしばらく原稿を考えて、21時、栄町市場に向かって歩き出す。あちこちで写真を撮っていたせいで、「うりずん」にたどり着く頃には21時半になってしまった。ラストオーダーぎりぎりの時間になって申し訳ない。扉を開けると、もうお客さんの姿はなかった。すいません、白百合を1合だけお願いしますと注文。扇子で口元を隠しながら注文していたのだけれども、これはこれでやっぱり気恥ずかしかった。お通しと一緒に、よく注文するクーブイリチーも出してくれる。一昨日は表に比嘉さんだけいたけれど、今日は下地さんひとり(もちろん調理場には他にも店員さんがいるけれど)。営業を再開してからというもの、滞在時間の短いお客さんが増えたという。早ければ30分、長くても1時間くらいの滞在で帰っていくそうだ。栄町市場は営業を再開した店が多いけれど、市場の中だけでも数十軒の酒場があり、周辺も合わせれば2、300軒はあるだろう。観光客が戻ってこなければ、どこも大変だろう。

 22時、「東大」に流れる。今日はカウンターのはじっこに座らせてもらう。カウンターには大きな泡盛の瓶が置かれていた。ずっと寝かせておいた山川酒造の古酒を、この機会に開封したのだという。ぼくにもサービスで一杯出してくれる。ワイングラスに花を近づけると、ぐわっと泡盛の香りが駆け巡る。匂いだけで飲んだような心地がして、嗅いでいるだけで楽しめる。度数の強い泡盛だからこそ、寝かせることで豊潤な香りになるのだという。ちろりと舐めるように飲んで、チェイサーのように残波の水割りを飲んだ。普段はぐびぐび飲むことが多いけれど、初めてちびちび飲む楽しみに触れたような気がする。今日はおでんも頼んだ。帰り際、昨日から感じていたことを伝える。客席と客席のあいだには飛沫防止のビニールカーテンが敷かれているけれど、カウンターの向こう側とこちら側のあいだには遮るものがなく、沖縄では1ヶ月以上新規感染者が出ていないけれど、これからぼくのように県外からの客が増えてくると、もしかしたらカウンター越しに(そこにある食材に)飛沫が飛び、感染させてしまうのではないかと、どうしても不安になってしまう。クレームのように受け取られないかと心配しながら、そのことを伝えて、帰途につく。

 

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