7月4日

 5時過ぎに目を覚ます。今日は7月4日、本当であれば今日は公演の初日だった日だ。その日に沖縄にいるのだから――どうしよう。早朝から荒崎海岸に出かけようかとも考えたけれど、昨日の夜の時間帯からのレンタカーを調べても、どこも埋まってしまっていた。ひめゆり学徒隊として動員された沖縄師範学校女子部の附属という扱いだった小学校は今も安里にあるので、その小学校に通学するこどもたちの姿を目にしようかとも思ったけれど、投稿するこどもたちを眺めて過ごす男というのは不審者になってしまうし、今朝になって気づいたのは、今日が土曜日だということだ。あれこれ考えたけれど、結局のところ、牧志の市場界隈をぐるぐると散策して過ごす。

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 歩いていると、至るところで工事に出くわす。ああ、あの店がもうなくなったのか。あれ、ここは何だったっけ。ここは何になるのだろう。おお、次から次へと足場が運び込まれているけれど、どこの工事だろう?――あれ、ここにこんなビルがあったのか――と、そんなことばかり頭に浮かんでくる。わたしはいつも、追いつけない。この気持ちの危うさを、わたしはよく知っている。月に一度、こんなふうに那覇に足を運んで、月に1軒のペースで取り上げていたって、街が移り変わるスピードには追いつけそうにもない。この「追いつけそうにもない」という、あえて過剰に言えば「挫折感」のようなものは厄介だ。それは、「どうせ取材したって追いつけないのだから、もうあきらめよう」という諦念に繋がりかねないからだ。どうしたって追いつけないし、特に誰からも何とも思われていないだろうけれど、それでも記述する「精神」というのが、ぼくが受け継いだものだ(と、坪内さんの書評を練っているせいか、そんなことを考えてしまう)。

 今後の連載でどこを取材しようかと考えながら、界隈を歩き続ける。サンライズなはの一角で、朝から発泡酒を飲んでいる男たちの前を通りかかると、「ヤマト」という声が聴こえてくる。ぼくがオリオンビールのTシャツを着ているからだろう。なんだお前ら、くだらない差別してんじゃねえよ、至近距離で話しかけてやろうかと思うけれど、思うだけで通り過ぎる。9時過ぎにホテルに引き返し、3階のコインランドリーで洗濯し、11時にホテルをチェックアウト。昨日、お取り寄せグルメの原稿依頼が届いたので、「お取り寄せ」という文化にまったく心を惹かれないのだけれど、この場所について書くいい機会かもしれないと、まちぐゎーの(通販にも対応している)お店にスーツケースを引きながらお邪魔して、「こんな企画で紹介したらご迷惑ですか?」と相談する。その足で「市場の古本屋ウララ」にも立ち寄る。ボーダーインクの30周年記念出版の書籍について、Uさんがツイートされているのを見かけたので、買っておく。

 浮島通りでタクシー(平和タクシー/車番0221)を拾って、那覇空港へ。空港に到着してみると、出発ロビーと同じフロアに「れ」ナンバーが軒を連ねている。ロビーから客を引き連れて出てきたレンタカー業者が、車両を案内している。ここでレンタカーを引き渡すことは厳しく制限されていたはずなのに、このご時世だからか、当たり前のように引き渡しが行われていてびっくりする。チェックイン手続きを済ませ、閑散とした保安検査場をくぐり、沖縄そばをすすり、生ビールを買って飛行機に乗り込んだ。神戸行きのスカイマーク 594便は閑散としていた。29Hの席に座ってみると、同じ列にも、前後の列にも誰も座っていなかった(これは後方の座席をしたからで、前のほうの座席はそれなりに混み合っていたけれど)。飛行機の中では書評の原稿を考えていた。考えても考えても、まだうまく書けていない気がしてしまう。

 14時20分、飛行機は大きくカーブを描いてから神戸空港に着陸した。ポートライナーで三宮に出て、コインロッカーにスーツケースを預け、街を歩く。空港に到着した時点ではそれなりに雨が降っていて、三宮駅構内のセブンイレブンで折り畳み傘を買ったのだけれども、駅の外に出てみると雨はあがっていた。「1003」にお邪魔して、何冊か本を買って、「ジュンク堂書店」(三宮店)で本を探す。欲しい本は見当たらなかったけれど、加藤典洋の『太宰と井伏』が目に留まり、これはすぐに読んでおかなければと買っておく。荷物を取り出し、16時半には塩屋にたどり着く。旧グッゲンハイム邸ではちょうどイベントが終わったところらしく、庭にはM.Aさんの姿があった。挨拶して、今日泊めていただく部屋に案内してもらう。

 17時、Mさんと散策に出かける。何度か塩屋にきたことがあるけれど、ほとんど駅と旧グッゲンハイム邸のあいだしか歩いてこなかったので、なるほどこんな街だったのかとしみじみ歩く。途中でEさんのアルバイトしているチョコレート屋さんに立ち寄って、そこからはEさんも一緒に、3人で歩く。ものすごく高低差がある場所に、住宅が立ち並んで、細い路地が張り巡らされている。ほとんどの家に石垣があり、敷地を平らにした上に家が建てられている。なかにはぼくの身長より高い石垣もあった。こんなふうに石垣を積み上げてまで家を建てようとした誰かがいたんだと思うだけで、胸が一杯になる。Mさんと歩いていると、すれ違う人が「こんにちは」と挨拶を交わしてゆく。なんだかタダ乗りしている申し訳なさを感じつつも、路地から路地へと歩いていく。

 坂道を歩くと、MさんとEさんに、あっという間に置き去りにされる。Mさんとふたりで歩いていたときは、Mさんは背が高いから一歩の幅が大きいのかと思っていたけれど、Eさんにも置き去りにされるとなると、そんな問題ではなさそうだ。これはやっぱり、坂道を歩き慣れているか否かの差だろう(ふだん街中を歩いているとき、スピードについていけずに置き去りにされることは稀だ)。「ここは昔、道だった」。「ここは昔、市場みたいな場所だった」「ここに家があって、そこに住んでる人がいてくれるおかげで、山側から再開発されずに済んでいる」――Mさんはずっと町を案内してくれた。たぶんきっと、これまで何度もこんなふうに町を案内してきたのだろう。たとえば映画なんかで、ある土地にふらりと訪れてきた誰かに、その町のことをあれこれ案内してくれる人が描かれることがある。それをぼくは、物語を進めるためのフィクションだと思っていた節がある。でも、ああいう登場人物はきっと、Mさんのように、誰かがこの土地で何かを始めるきっかけを手渡そうとしているのだろう。

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 細い路地を抜けていくと、見晴らしのよい場所に出た。そこからは、さっきまで歩いていた団地が一望できた。その風景は舞台から見る客席によく似ていた。高低差があって、ひとつひとつの家の顔が見える。こんなふうに地形が残ったまま町があることに、なんだか感慨深くなる。この感慨深さは一体何なのだろう。ただ、この風景を前に、安易に「すてきなまちですね」なんてことは口が裂けても言えないなと、ずっと考えていた。小川にかかる橋の手前でMさんとは別れた。その小川には七夕飾りがあった。小川があって、そのたもとに郵便局があって、川のこちら側に小さな商店街がある。その中にある居酒屋にEさんと入り、ぼくは日本酒を、Eさんは生ビールを頼んだ。ぼくがマスクをしたままでいると、「この店はもうコロナに感染してるから、マスクなんか外して」と店主が言う。一度それに従って外して、あとでつけなおす。Eさんには話しておきたいことがあったのだけれども、店はほどなくして閉店となる。ツマミに何を注文しようか、感染拡大を防げそうなのは餃子か、あるいはだし巻きかと迷っているばかりで何も注文できず、会計はたった1500円で申し訳なくなる。部屋に戻って缶ビールを飲みながら、今日買った『八角文化会館』をぱらぱらめくり、うーん、と唸りながら気づけば眠っている。